二章 九話『鏡』


 馴染んだ高速の世界に黒い双尾を靡かせて、何故か回復しつつあるフィソフを担ぎながら、イェローズは通路を駆けていく。


 何故、《聖力》が使えるようになって、あの闘技場から脱出出来たのかについては、イェローズ自身も疑問に思っていた。出来事そのものを述べれば、あの時、フィソフが何かを唱えて強烈なまでの光が空間そのものを包み込んでいくと共に、「キャンセラー」は解除され、咄嗟の判断でフィソフを救出して加速したといったところだ。


 ──一体、何が起こったのか。


 ただ、そういった無理解が、先程から彼女の中で渦巻いて消えない。


 あの時、あのケンタウロス野郎は叫び出したかった筈だ。何故、フィソフは得体の知れない詠唱が出来て──それ以前に、「あれ」は何だったのか、と。

 一応、予測は出来た。微かに聞こえた彼の発言が空耳で無ければ──。


 ──《魔術》


 確かに、彼はそう言った。そして、それが間違いでなければ、余計に謎は深まっていく。

 何故なら、彼は出会った時から魔法を使う素振りを見せなかったし、この状況まで隠し通していたという可能性も低い。それに、あのような尋常でない程の魔法を発動出来るのなら、そもそも、そういった気配やオーラが溢れ出ていた筈だ。


 《魔術》と《聖力》の違いは、「選ばれて」資格を獲得するのではなく、最初から誰にでもそれを得ることが出来るという点にある。しかし、それは血縁や才能、努力量、《魔細胞》の数などによって、威力や範囲、内容が大きく分かれる。


 使い方にしても、その魔術に適した詠唱や術式を展開し、体内にある《魔細胞》に共鳴させることで発動することが出来るというものだ。


 それらの点を踏まえると、尚更フィソフにあのような大魔術を使えるとは思えない。それに、「禁忌」とも付けば、それは大魔術をも上回る「最高位魔術」に位置するものとなる。「禁忌」が名付く由来は、単純に、術師自信が身を挺す場合や周囲、事象などの何かしらの犠牲と引き換えに発動されるからである。


 ともあれ、そんなものは直接見たことは無く、言い伝えやおとぎ話の中にしか存在しないような架空の伝説かと思っていた。しかし、たった今それを目の当たりにしたのだから、当然、認識はがらりと変わる。

 それに、だ。「禁忌・大魔術」の威力はあんなものではない筈だ。仮に、囚われているイェローズや遺跡のことも考慮した上で、その本来の威力を抑制していたとする。もし、それすら無意識的に行われていたとすれば──、



「とんでもない化け物……だね」


 驚愕、賞賛、無理解、感嘆──そういった数々の感情が交錯し、右肩に担がれているフィソフを見つめる。無論、脅威的なサプライズを見せられたからといって、彼を迫害したりとか拒絶したりはしない。ただ、聞きたいことが沢山沸いてきた。


 ──本来なら、《聖力》を宿した《聖力者》は《魔術》を使えない。


 理由は、《聖力》を宿している《聖魂》と、それを発動するべく、世界に干渉し、体外に微弱ながらに放出されている《聖分子》にある。元から人間の体内に存在する《魔細胞》が、《神女》エイリスの生き血を飲み、《聖力》を宿すことで《聖分子》にシフトされるからだ。


「さて……」


 一度、加速を止めて立ち止まる。

 雰囲気の急変。それ以外に奇妙な感覚が鼻を突く。


 ──この先に何かが居る。


 それだけは確かなことだ。


 闘技場を脱出してから、フィソフの《魔術》に関する考察を張り巡らすことと並行して、イェローズは放出されている《聖分子》を利用して、通路の先の気配を察知するようにしていた。特に、《スキップアウト》の特性上、風と共にあることが多いイェローズは、もはや友達と言っても過言ではない「風」を読み、その感覚を頼りに、天候や人の大体の数、そして気配の予測を得意としていた。それを今も活かして、そして察知した。


 しかし、この感覚はどこか変だ。具体的にどこが、とは、また言いずらく、それこそ形容し難い何かだ。


「……」


 息を潜め、感覚を研ぎ澄まし、通路の先の先に佇んでいる「存在」に意識を集中させる。そして、腰に付けてある左の小型の鞘から双剣――《フェアリークロウ》の内の一つの柄を取り出し、碧に光る刃を出現させてその剣を、


 ──加速させ、前方遠くへ放つ。


 細い碧光が暗闇を一閃し、少しの振動が大気を微かに揺らす。

 この奇襲に対して、少しでも呻き声や擦傷音、音の反響にずれなどが生じていたら、それは成功を意味し、相手が大したことが無いことを意味する。イェローズも、出来ればそうであって欲しいと思うし、順調に回復しつつあるとしても、一応は負傷者であるフィソフの安全も考慮して、戦いは避けたいと思っている。


 ──だから、



「──ッ!?」



 放った《フェアリークロウ》が、そのままそっくり同じ速度で返ってきた時には、一瞬の動揺と共に、厄介な状況になると悟った。

 律儀に返却されたそれを、身体に当たる寸前で、その刃を人差し指と中指で挟んで回避する。


 ──同じ速度。

 それをなせる技として、「反射」が浮かんだ。何が出てくるか分からない動物園だ。攻撃を反射する機能を兼ね備えた機械獣が出てきても、不思議ではないだろう。

 そうやって高速で思考していると、一つの声が響いてきた。



『きゃはっ! やっぱりオリジナルは違うねぇ!』


「──同じ……声……?」


 その声は、いつも無意識に鼓膜を揺らし、染み付き過ぎた故に特徴が良くわからないという、恐らく、人生の中で一番聞き慣れており、それでいて、特別な方法を使わない限りは外──それこそ前方から聞こえる筈がなく、この場合、ただ単に「声がそっくり似ているだけ」ではないということが、暗闇の中から緑の光を纏って現れた人間の姿を見て証明された。


 黒いローブに同色の戦闘服とホットパンツを身につけ、そんな勝ち気で、そして小動物のような童顔の少女は、自信が「加速」する前に発生させている微風に黒い双尾を靡かせて──。


 まるで、そこに「鏡」が存在しているかな様な、そんな錯覚に陥る。もっとも、驚愕に満ちた自分の表情と相手の勝ち気なそれの違いによってそれが鏡でないことは否定されているが。


『そうだよ? ワタシはイェローズ・フローバーの模倣体……でも大丈夫。すぐに、ワタシが本物になってあげるからぁ!」


「へぇ、今回は模倣する《機械獣》か……てか、そんな動物居た?」


「プログラムさんには『カメレオン』って呼ばれてるよ!」


「カメレオンねぇ……」


 確かに、景色に同化したり、八方美人の性格をもつ者はカメレオンと呼ばれることが多い。模倣する能力もその一種だからか。しかし、些か無理矢理感があるのも否めない。

 と、そんな風に思考するが、ある種それは目の前のそれを直視させないための行動ともとれる。


『で、アンタはこの先に進みたいんでしょ? ワタシは今、待ち構えてただけだから、案内するよ』


「それはご親切にどうも。出来れば、負傷人を寝かせるためのベッドなんかも、用意してもらえていると助かるんだけど」


『うーん……「おもちゃ部屋」がテーマになってるからベッドじゃなくても、それっぽいものはあるかも……』


「おもちゃ部屋……」


 映し鏡の案内人は道の先を歩き出し、こちらが攻撃する危険性など全く顧みずに、前を向きながら歩く。その態度から、「同じ」であるイェローズの攻撃は、見なくても回避が可能──といった、挑発めいたものとも感じ取れる。

 そういった考察から警戒まで、ひと通りの万事を怠らないまま、部屋の詳細などの詮索をする。おもちゃ部屋とやらに近付けば近付く程、ついさっきまで使用していた方法で察知ができ、それで部屋の構造を読めれば作戦も立てやすくなるが──、


『着いたよ』


 それを実行して、事前に作戦を立てていたとしても、模倣体である彼女は一筋縄ではいかないだろうという結論に至り、妥協したのだった。


「これが……おもちゃ部屋……」


 おもちゃ部屋と言われて咄嗟に浮かんだのは、小さな子が無邪気にはしゃいで遊んでいる微笑ましい光景がある──などとは言わないが、それでも、程よい広さと目に優しいものだと思っていた。

 しかし、実際に見せられたその部屋は、巨人が利用するのかというぐらいに大きく、床から壁までの色は紫一色に統一され、不気味なデザインのジャイアントサイズのおもちゃが、ひと通りが無造作に置かれていた。


『そうだよ! そして、本物が消えて偽物になるのか、このまま変わらないのか、どっちになるかを決める場所でもあるよ~』


「今はあんたがダウト。あと、妙にテンション高いのが癪に障るね」


『軽口の応酬はいいから、さっさと始めよ!』


「私のコピーの癖にマイペース過ぎでしょ」


 軽口と表現された、微妙にずれたやり取りを終えると、イェローズは一旦フィソフを部屋の隅に寝かせる。どういうわけか、この短時間でさらに回復は進行しており、それは既に目立った傷は見えない程に。

 その事についても、先の魔術についても──聞きたいことは山ほどある。それでも、今は相対する自分の模倣体が先だ。だから、彼女もとい自分との戦いが終わったら根掘り葉掘り聞き出そうと。そして、また軽口を叩きあったりして──そんな取り留めのない未来を実現するために、戦う。


 ──「あの時」のように、大切な人を誰も失わず、過ちを犯さないために。



『準備は出来た?』


「うん、オーケーだよ」


 カメレオンだかなんだか知らないが、非常に悪趣味なことだ。同じ姿、同じ声を持った相手。そんな相手を無意識に自分自身に置き換え、「自分」を超えるという目標を掲げさせたのだから。


『じゃあ、始めよ!』


「そうだね……」


 イェローズの準備が整い、コピーが開始の催促をすると、部屋のど真ん中に時計のホログラムが浮かぶ。

 十という数字が表示されると、お互いはその一定の距離を保ったまま、武器を構える。


 イェローズはもう片方の《フェアリークロウ》を取り出し、サーベルを展開させて双剣にする。対するコピーも同じように、碧光を放つ双剣を手に。その後、イェローズの背中にコンパクトに畳んであった《フェアリーウィング》が展開され、《フェアリークロウ》と同色の光を放ち始める。勿論、それはコピーも同様に。


 やがて三の数字が浮かび、それは二、一と──、


 零の直後に表示されたスタートの文字が、双方を再び加速させたのだった。


『きゃはっ!』


「ッ!」


 聞き覚えのある笑い声と、自身の微かな吐息が同時に部屋中に響き渡り、二つの影はまるで映し鏡のような同じ動作と速度でぶつかり合う。


『フェリちゃん〜』


 そう囁くと同時に、コピーの背中に装着されている見慣れた羽が碧の粒子を放出する。


「一気に決める気か……だったら──」


 重ね合わせた双剣と、自身の模倣体を見据える。

 《フェアリーウィング》の羽から噴出される粒子の放出量を増加させると、自身の《聖力》関係なく速度と威力が上がることを、この模倣体は知っている。そして、《フェアリークロウ》も影響を受けて強化されていくことも。

 強化された碧の光線部分は、イェローズの持つそれの同じ部分を切り裂いていく。このままでは威力で押し切られるので、大きく後方へ跳躍。


『きゃはっ! いきなり逃げ? それともこっからが本──』


「聞きたいんだけどさぁ。いくら模倣体といっても、流石に《聖力》を使うための条件はコピー出来ないと思うんだけど」


『あ~そのこと? だったら答えは簡単だよ。究極模倣……それで話はつくでしょ?』


「それが答え? 究極って名が付いたとしても、そんなすぐに《聖力》丸ごとコピーが出来んの? だったら、少なくともこの都市の住民は苦労しな──』


『はいは〜い、与太話はここまで!』


 ふと湧いた疑問。それが今質問した、《聖力》の完全模倣についてだ。相手はそれを完全を超える「究極」だと言っているが、それはどうも信用出来ず、何かタネがあるとしか思えない。まあ、こういった推理をする前に、ひとまず、目と鼻の先に加速して現れたコピーを何とかしなければならないが。


「当然、ゆっくり暴かせてくれる余裕はくれない──か!」


『きゃはっ! もっち──ろーん!』


 先程コピーが行った、双剣の強化を実行。直後、新たな戦法を試すべく再び一定の距離を保つ位置に移動する。

 イェローズのその様子に、コピーは振り向いて嘆息。


『また逃げぇ? 後手に回りたくないって気持ちは分かるけど──』


「そうだね。だから、今からバリバリの先手必勝で傷を負わせてあげる!」


『……?』


 コピーの呆れ文句に宣戦布告で返すと、緑の光が周囲に放たれ、《スキップアウト》の使用を試みる。そして、その対象は──、



『──ッ!? 痛ぅッ!!』


 突如、コピーの身体の所々が、何かで斬られていくかのように傷が出来ていく。

 そして──、


「きゃは! 『風』はこうやって使えたりもするんだよ!」



 唸りを上げた巨大な竜巻が、コピーを飲み込み、部屋中を削っていたのだった。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る