二章 八話『禁忌──』


 ──何故。


 それだけが、ただひたすらに脳内を駆け巡った。


 上半身に風穴を開けて、ちゃんと殺した筈。それなのに、破壊された筈のその上半身は、破壊以前と比べて見劣りはするも、人間をモチーフにしたその半身は復活しているのだ。


 しかし、その疑問というのは、目前の機械ケンタウロスを目にした時の瞬間的なものでしかない。肝心なのは今だ。


 飛んできたのは盾だろうか。何にせよ、それらしき硬い物と衝撃が同時に認識され、直後に身体が飛んだ。


「ずっ──」


『さっきのお返しだオラァァッ!!』


 マスターが指した「さっき」というのは恐らく、フィソフがビームを撃った直後に盾を投げて攻撃した時の事だろう。何かしらの拘りか、或いは単純にやり返してみただけなのか。どちらにせよ、今のフィソフにはそんなことに思考を張り巡らす余地など無く、時はスロー再生されるかのようにゆっくりと動き、放たれた盾は腹部にめり込んでフィソフの肉体を飛ばすのだった。


「────」


「フィソフ!!」


 壁に激突する直前の飛ばされている最中、イェローズの焦燥で歪んだ顔が目に写った。チビで言動が時々横暴で、姉思いで肝が据わってて可愛らしくて──そんな仲間兼先輩になんて顔をさせているのだろうか。男冥利に尽きない。



 ──そんな場違いな自責が胸に刺さった。


「──がッ、、、ああっっっっ!! ああ、あ、あ、、」


『油断してこの様なんてなぁ……オマエ、やっぱりオレの見込み違いかぁ?』


「ああ、あああ、ああああっ! ──」


 左半身に続いて、今度は腹部から骨に伝って徐々に砕け──いや、それだけではなく、壁に激突した衝撃は背中、四肢などありとあらゆる部位の骨肉に破壊の限りを尽くし、比例して肺が大きく痙攣。加えて心臓は大きくポンプして、強烈な電気が走ったかのように全身が麻痺を繰り返す。

 持って数分、早くて一分以内には命が尽きる。

 身体はもう再起不能に近い。

 もう動けない。


『ったくよぉ……』


 そんな満身創痍なフィソフにゆっくりと近付き、マスターは呆れたように溜息を零す。


『最後まで、満足のいくバトルが出来ると思ってたんだがなぁ』


 そんな言葉を呟き、やがてフィソフの目の前に立つと──、


『おらぁッ!』


「げあっ!? ぐぎぇっ! べあぁっ!? ぼはぁっ!! ――」


 左の頬に衝撃が走ったと思ったら、今度は右から、そしてまた左、右、左――と、交互に殴られていることに今更気付く。

 限界を迎えている肉体にさらに突き刺さる痛み。もはやそこには痛覚は存在せず、あるのは、ただ意識が徐々に暗い底へと沈んでいく感覚と、それに伴った喪失感だ。


『よくそんなんで、あのお嬢ちゃんを守ると啖呵切ったもんだな! 闘技場でのバトルは遊びじゃねえんだよ! チャンバラならそこらへんで適当にやってろっつうんだよ!』


「ッ──、ぁ──、、、そ、、び…………じ……ゃ──」


『ああっ!? 聞こえねぇよ! まあ、オマエみたいな油断怠慢野郎に弁明の資格なんかねぇけどなぁ!』


 殴られる。

 ただひたすらに殴られる。

 脳が揺れに揺れ、先程から出来なくなってきている正常な判断というのは、既に終わってきている。頭蓋にヒビが入っていくような気がして、そうでもなったらいよいよ全身が終わる。

 命の灯火が、もう時期消える。


「────」



 そして、こういった場面で走馬灯が走るのは、やはり定番なのだろう。

 もう、光が失われかけている瞳に映し出されたのは、フィソフという人間が歩んできた人生を外部から構成していった関係のある者達の姿だ。皆、笑顔でもなければ怒った顔でもなく、ただ何とも言えないような表情でこちらを見つめていた。


 ──その顔、どう反応すりゃあいいんだよ。


 こちらも抗議の声を上げる。

 言い訳しか出てこない。だって、しょうがないではないか。誰があのケンタウロスの復活を予想出来た? 誰があのケンタウロスを破壊したと思った後に、勝利の愉悦に浸らないで無感情で警戒が出来た?


 ──そんな情けない抗議を、皆は笑い飛ばして受け入れるだろうか。



 トリア、カン、ジル、トミルなら軽口の一言や二言でも言って揶揄うかもしれない。


 よくつるんだ仲の良かったグループや、よく殴り合った仲の悪かったグループのリーダーやその仲間達なら、同情したり嘲笑したりしたかもしれない。


 昔よく取り合いの対象になった、近所の姉御やその女仲間達なら、男の癖に情けないとか言って説教するかもしれない。


 たまに酒を飲み交わしながら、しょうもない話で笑い合った、酒屋の常連の男達なら酒の勢いで話のネタにでもしたかもしれない。


 本気で殺し合ったり、彼のグループに恨みを抱いている輩なら当然の如く、その仲間達までも愚弄するかもしれない。


 大虐殺で、彼によって命を救われた者達なら、それでも救ってくれたのだからと言って追悼でもするかもしれない。


 白い《神女》やイケメンなAI、小柄で意思の強い少女達なら──、



 ──お前らは、なんて言ってくれるんだ?



 消えゆく世界の中で、ただ一人、取り残されたような孤独感に蝕まれながら、その疑問を口にする。


 もう、どこにも回答者は居ない。


 もう、肉体も存在しない。


 もう、存在は終わりを告げようとしている。



 ──そういうのって、まだ早くね?



 否、まだ「居た」。

 声が聞こえる。それも酷く自分に似た声だ。


 ──しょうがねぇだろ。もう、過ぎたことなんだ。


 情けないのは分かってる。だが、確定された事実はもう覆せない。

 勝負に負け、自分は死ぬ。これだけが、この事実だけが、「今」を示すのに相応しい。


 ──お前は死なねぇよ。だって、ほら。まだ俺に成ってねぇじゃん。


 訳の分からないことを口にする。そんな哲学じみたことを、自分と酷似している相手から言われて、言い様もない感覚に襲われる。

 もっとも、似てると言ってもそれはアロハシャツを着ていないことを除けば、だが。


 ──事実の書き換えでもするのかよ。だとしても、この空間だと意味ねぇぜ。身体ももたねぇし。


 周知の通り、ここ「キャンセラー」が働いた場所であり、そもそもこの空間はフィソフが死ぬ直前に創り出した、走馬灯のような幻でしかない。だから、目の前で佇んでいるこの男も──、


 ──別に使うのは《聖力》じゃねぇよ。もっとも、今のおめぇにはそっちの方が都合が良かったりするのか。


 再び、訳の分からないようなことを言い出す。まあ、仮に理解したところで意味は無いのだが。

 そんな風に諦めているフィソフを他所に、男は続ける。


 ──いいか? 今からぶちかますのは、死にかけた途端に力が出てくる「覚醒劇」でもなければ、単純な「ご都合主義」でも無い。ただ単に「決まってた」ことなだけだ。


 何を言っているのか分からない。しかし、続く。


 ──ずっと前にあいつと約束交わしたじゃん?それを守るために、俺は、お前に無理矢理行動させるから。文句言うんじゃねぇぞ?


 意識が、沈んで、沈んで、沈んで。


 そうやって、いくら沈んでも底には着かない。というより、実際には沈んだりしてはなく、



 ──……?


 辺りを見渡せば、そこには色々な「景色」が映し出されていた。

 しかし、どの景色にも靄がかかっており、肝心な人物や背景描写は見えない。


 ──これらについては、多分後々分かってくると思うぜ。そんなことより、今は目の前の事だ。今から流し込むやつ、一語一句間違えんじゃねぇぞ。



 直後、何かが伝わった。

 形容し難いそれは、咀嚼して理解しようとしても理解出来ないもので、しかし、無意識に体を動かすのと同じような要領で、何となく行動に移せる気がする。



 それは──、



 危険で、美しくて、どこか懐かしいような──。




 ──微かな意識が、現実へ回帰する。


 長い夢心地の中に居たような感覚は、目前で立ち尽くしている機械製のケンタウロスが、何度目かの殴る動作のために構えたところを見て、さほど現実での時間が経過していないのだという結論に至る。


『────』


 もはや文句を投げることを止め、無言でフィソフを殴ろうと、その構えた拳を彼の左頬に打ち込もうとした──、


 ──その寸前で。



「我……ここに──」


『ッ──! ああ?』


 拳が止まる。ケンタウロス──マスターにとっては理解不能な出来事だ。何せ、先程からろくに喋ることさえ出来なかった状態で、急に何かを発し始めて、


「告げる……王の名の元に、その業を、その罪を──」


『何だ……何を……何を言っている!!』


 ただひたすらに理解不能で、恐れ、畏れ、怖れている。

 何かが起こる。そんな予感が、最大級の警鐘を鳴らしているのだろう。だから、さっさと殺してその恐怖を無くそう。

 まあ、そうしたいのに、身体は──機体はまるで動かないのだが。


「──世に晒せ。そして、謳え。神々の唄を……現界を嗤え。そして果ては消え、民は願う」


『黙れぇッ! 黙れ黙れ黙れ黙れ黙れぇぇぇぇぇぇぇッ!!』


 続く。言葉が続く。それに伴って、恐怖が増幅する。

 言わせてはならない。この言葉を最後までいわせてはならない。そう、警告されているのに。現実は非情に進み続ける。


「全知の、全能の顕現を。伝説の再臨を……全てこの術式に意を込めて。我、その名を示す──」


『────』


 声が、危機感が、機体が、感覚が、全てが消え失せていくかのように、それ程までに強烈な光が少年を、マスターを、イェローズを、闘技場全体を包み込んでいく。


 イェローズすらも、何が起こっているのかを理解出来ていない。それも当たり前だろう。

 今、謎の言葉を唱えている少年の姿は、今までの彼と変わらないように見え、全く違った存在のようにも思えるからだ。



「禁忌──大魔術……」


 破壊が、進み──、



「──××××」



 最後に、何かの「名前」を発した。


 その直後、


 消えて、消えて、消えて、消えていって──、




 周りの全てが消えた。
























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