一章 十五話『セベリア ・ フェル ・ ヘヴン』

「流石はエイリスだ。あれ程の数を数秒で片付けてしまうなんて」


 再び出現した次元の裂け目の中から、一人の男がエイリスの無双劇に感心したといった様子で出てくる。その無双劇の立役者はたった今、その男に右肩から先を持ってかれたわけだが。


「セベ……リアッ!」


 空中で血の雨を降らし、さながら散り際も美しく見えてしまう少女が、《神王》の名を掠れた声で呼ぶ。尚、背中に装着しているスタルチスの方にも斬撃の影響が出たため、彼も故障し、飛行出来ずにただ落下していく一方だ。


「────」


 フィソフも流石に言葉が出ない。ついさっきまで、エイリスの一方的な蹂躙が行われていた筈だ。それなのに今は大きな傷を負って、散ってしまっているではないか。それに続いて、あの《亜獣》達の創造主にして今回のエイリスに向けて奇襲を仕掛けた張本人──いや、遡ればあの男はもっと多くの犠牲を出すきっかけとなっていた。即ち、「無法都市大虐殺」の判を押した者で──、


「セベリア・フェル・ヘヴン──!」


「あれが……セベリア……」


 憎悪か、あるいは恐怖なのか、どの感情が込められたものは定かでは無いが、いずれにせよイェローズが声を震わせて、離れた位置に現れた《神王》の名を呼ぶ。 すると、彼女は突如フィソフの左胸に手をかざし始めた。


「エリ姉が結界の向こうにいる以上、《トレイター》でフィソフの《聖分子》の残量を回復時に戻せないからね。だから、私の《スキップアウト》で回復時までの残り時間を加速させるよ」


「そんな離れ業出来んのかよ!? それで、この結界を書き換えろってことか?」


「出来れば、の話だけどね。《聖力》対策で無効化されてたら打つ手ないけど」


「……やってみるしかないな」


 時間はまるでスローモーションの様に流れている。ゆっくりとエイリスがスタルチスと共に落ちていき、セベリアと思わしき人物はその姿が影のヴェールが徐々にめくれて露になっていく。

 黒を基調としたマントには多くの装飾が施されており、外枠に沿って白いウールが装飾されている。その下も、どちらかと言えばシンプルなもので、これもまた、漆黒がその着痩せした肉体を侵食しているかのように見える。長身のそのシルエットの頂点には、もはや神々しく輝きを放っている黄金の長髪と、やはり王と証明するのに一番適切な「王冠」が見えていた。

 そんな大物の登場劇を尻目に、フィソフの《聖分子》残量は徐々に「完全回復時間」へと加速していく。


「これでも、やっぱり六〜七時間を一気に加速させるのはキツいなぁ。フィソフも頑張ってよ?」


「努力するぜ」


 いくらか無理がある要望に答え、やがて碧の光が消えた時には既に、《聖分子》は完全回復していた。本当に邪道じみたその方法が成功したことに驚くも、今すべきことは一刻も早くエイリスの元へと助太刀に行くこと。

 フィソフが結界に手のひらを当てて、今度は白い光が放たれる。結界の存在を無きものへと書き換える趣旨を心の中で唱えると、見えない壁は目前の世界への拒絶を辞め、その先へ進むことに成功した。


「エリ姉!!」


 障壁が消えたと分かった途端に、イェローズはすぐさま《フェアリーウィング》を飛翔させてエイリスの元へと飛び寄っていく。


「させるとでも?」


 それを見たセベリアも当然、好きにさせるはずも無く、不敵な笑みを浮かべるや否や、右腕をスっと振り上げる。その動作と連動してか、どこからともなく突如音が鳴り出し、微かに地面が揺れる感覚。そして、振り上げた手が空を指していた時には既に──。


「──!? なん……だよ……それ!」


 簡単に言えば、それは「地割れ」だ。しかし、一斉に割れるのではなく、どちらかと言えば切り裂いていくという表現の方が正しい。しかもそれは地面どころか、その上の虚空さえも巻き込んで切り裂かれているではないか。

 破壊の進軍は、地面と空気を切り裂きながら瞬く間に落下中のエイリス、スタルチスとそこへ接近中のイェローズの元へと近付いていく。


「させる──かぁ!」


 白い光が放たれる。しかし、その対象は自分やセベリアの攻撃ではなくエイリス達。内容は咄嗟に閃いたもので、成功するかは五分五分といったところだが、このまま何もしないよりはましだろう。


 ──届け。


 またもやスロー再生に移り変わる世界。一瞬の行動が命取りになる様な局面だ。無理はない。破壊はそのまま彼女達を飲み込んでいく。何もかもが切り裂かれる。──その寸前。


「ほう……?」 


 消えた。


 破壊が行き着くはずだったそのら目的地が、目の前で一瞬にして消え去った。そして、当の本人達と言えば、


「──うわ!?」


「エリ姉!」


『──なるほど、助かったよ。フィソフ』


「……上手くいったぁぁ」


 どういうわけか、フィソフのすぐ傍に瞬間移動していたのだった。


 驚くエイリスに、位置が変わっても動作はそのままだったイェローズが抱きつく。スタルチスと言えば、流石は万能AI。すぐさま何が起こったか把握して、最高のアシストを成したフィソフ本人に感謝の意を唱える。


「フィソフ、一体何をしたの?」


「安定の書き換えショーだよ。今回は場所のな」


「場所? ──ああ、飛行船の落下地点を書き換えたときの!」


 場所の書き換え──つまりは、座標書き換えによるテレポートだ。この手法は一度、《無法都市》でスラータ達を駆逐し回ってた時に使用したもので、頭を使うことがあまり得意ではないフィソフにとっては、神経をある程度研ぎすまさなければ成功するのは難しいものであり、この咄嗟の状況でそれが良い結果に繋がって良かったと思えた。

 とまあ、救出は成功したものの、やはり一瞬蔑ろにされた《神王》様は当然お怒りなわけで。


「いやぁ〜、君のそれが噂の《リライト》か。なるほど、美しいではないか!」


「……あ? 美しい?」


 予想した態度と違うどころか、半ば拍手喝采での賞賛を貰い、しばしば混乱するフィソフ。しかし、先の一撃を見るに警戒は最大に保ったままだ。

 そしてセベリアは、笑みを浮かべて拍手をしながらフィソフ達の方を向き、少しずつこちらへ歩を進める。


「ああとも。まるで、エイリスの願いをそのまま具象化したようではないか。そしてそれは、進化すれば歴史そのものを塗り替えることだって出来るそうではないか。だから美しい……」


「確かに《リライト》は私の願いでもあるわ……だけど、私はあんな誕生のやり方、間違ってると思う。あんなに多くの犠牲を出しておいて美しい? 笑わせないで!」


「それは是非とも、《魔女》様に言ってもらいたいね」


 呆気にとられていたフィソフに変わって、エイリスが憤慨する。「魔女様」と言うのは、先程のイェローズとの戦いの最中に審議に上がった通りに亜人格のことを指しているのだろう。

 しかし、今はその議題よりは目前の超人だ。腕ひと振りで大地と空気を切り裂くような男だ。一挙一動、何が起こるか分かったものではない。


「エイリス、今は回復に専念しろ。いや、今すぐ回復してくれ。あいつ、何かやばい」


「言われなくても《トレイター》で傷を巻き戻すわよ。あと、何でそんな抽象的?」


「全知全能ってのは知ってたけどさ……なんか、こう、オーラっての? ルドキアとか結構やばいって思ってたんだけど、それとは比較になんないっていうか」


「表現曖昧過ぎでしょ……」


 改めてセベリアの、《神王》としての圧力を全身の肌で感じ、得体の知れない何かが背筋の上を迸る。

 隣にいる小柄な少女もその勝気な表情を崩さず、至って冷静を保っているかのように見えるが、やはり取り繕っているのだろう。微かに手が震えており、冷や汗が首筋を伝っている。


「昨日ぶりだね、イェローズ。その後の調子はいかがかな?」


「──そうだね。一応、あんたのお陰でエリ姉への誤解は解けたし、《魔女》さんについても分かったから、感謝してるよ」


「それは嬉しいな。やはり、姉妹というのは二人寄り添ってこそ美しさを発揮するからね。君に助言して正解だったよ」


「ちょっと誤差があって、喧嘩っぽい感じになっちゃってたけど──」


 今度はイェローズの方に視線が向き、それも、先程彼女が言っていた「契約」に関する内容だろう。誤差どころではなく、そもそも伝え方に悪意があったために、エイリスもフィソフも被害を被ったわけだが、その当事者でもあるイェローズはその事について敢えて言及せずに、取り留めのない話をし始める。何を考えているのかと、彼女を見た瞬間にその意図は理解出来た。

 後ろ、ちょうど腰のあたりで右手の親指を下に向けて何かのジェスチャーを表している。一瞬、挑発しているのかと思ったが、そんな筈は無く、その意味は離れた位置で悠々と佇んでいる《神王》に向けられたものだった。


 ──「死を与えろ」という、ジェスチャーの意味を汲み取り、死に至らせる結界へ繋がる手法を考える。


 その結果、一番最初に意識的に《聖力》を使った内容を思い出す。あの時は、スラータの存在自体を無きものとして書き換えた。簡単なことだ。あの時と同じく、存在そのものを否定し、「無」へと書き換えてしまえばいい。


「──!」


 鼓動が速くなる。全身に張り巡らされた血管の中で、血液が音を立てて荒れ狂い、耳までその音が響き渡って木霊する。今、この瞬間、神王と呼ばれる絶対的存在を倒せる、下せるという緊張感と高揚感。


 ──そうだ。あいつを倒して自分が神王になれば、色々なことが解決するのではないか。


 脳に声が響く。倒せ、倒せ、倒せ。


 殺せ。殺せ。殺せ。殺せ。殺せ。殺せ。殺せ。殺せ──。



「──ちだ」


 白光がセベリアを包み込む。よく、聖なるものに例えられるそれは、この瞬間だけ死へと導く呪いの光だ。心の中で、男の存在の書き換えを詠唱。無意識に口が、「勝ち」を確信して吐露してしまう。構うものか。解決する。


「──これ……は……」


 当然の事ながら、突如としてその身に白光が光り出し、強烈な喪失感を覚えたセベリアは驚愕の声を出す。

 上手くいく。何もかもが。これ以上、フィソフや《無法都市》の住人達のように三日前に突然生み出されて、ごみ溜めだと揶揄され、ゴミだと卑下され、そんな存在だからと言って蹂躙される心配もなければ、エイリスの亜人格がセベリアと再び画策したりそもそもエイリス自身が追われる心配も無くなり──、


「──?」


 上手く行き過ぎた状況、そしてそれを成した自分に浸っていると咄嗟に聞こえた「疑問」を囁く声。暫し巻き戻してみよう。エイリスの亜人格がセベリアと画策したり──いや、その前だ。蹂躙されな──いや、さらに前。三日前に突然生み出されて──、


 ──……?


 物凄く場違いな熟考だ。しかし、解き明かす必要がある。


 亜人格である《魔女》が三日前に《無法都市》を創造したと言っていた。では、人は? 人も生み出されたのか。だとしたら、自分は──フィソフは、トリアは、カンは、ジルは、トミルは、馬鹿したり喧嘩し合った他のグループのゴロツキ達は、見つかってはこっぴどく叱ってきた見回り人達は、街の住人達は、他の──あの街、いや、それ以前に懐柔した《機会都市》に居た人々以外は、全員──、


「創り──もの?」


「どうだろうね。それと──」


 思考の迷宮を彷徨い始めて、どのくらいが経過してしまったのだろうか。ゴールの見えないその迷路は突如、外部から破壊され、目標達成自体が不可能になってしまった。その様な場違いな表現を生み出した思考が、そのまま現実に回帰するには、少々時間が必要になりそうだ。


「──うっ……」


 驚愕と無理解が入り混じり、抜けたような声が漏れる。尋常でない程の気を帯びた声が、すぐ傍で聞こえる。目と鼻の先、間合いなどもはや存在しないに等しく、彼の少し引いた右手が自分に当たれば必死の至近距離。


 目の前にセベリア。

 ──警鐘が鳴る。


 目の前にセベリア。

 ──意識が回避しようと必死に踠くが、


 目の前にセベリア。

 ──身体は動かない。


 目の前にセベリア。

 ──というか、


 目の前にセベリア。

 ──なんでりらいとがきかない?


「会話に横槍はNGではないか?」


 手が触れた。額にちょこんと。その反動で仰向けに身体が倒れ込む。

 手を振り上げた。脳裏をよぎるのは、あの破壊の縦断。


「あぐ──っ」 


 押さえつけられたのか、今度は物理的に動かなくなる。依然として警鐘は最大レベルで鳴り響く。このあとすぐ、何かが起こる。


 ぴきっ。


 フィソフの周りの地面に少しのヒビが生じた。まさかこれだけではないだろう。そう、思っていると、



「──がっっ!?」


 空が遠ざかっていく様に見えた。いや、実際には地面に叩きつけられたまま、その地面をエレベーターのように直下していくのだった。


「ががががががががががががが──っ」


 骨が軋み、皮膚が天然の皮剥きによってあっという間に剥かれていってしまう。五臓六腑が振動でシェイクされ、揺さぶられた胃や内蔵から大量の吐瀉物と血液が吐き出されるも、重力に従ってフィソフに纒わり付く。夜空が遠ざかっていくのを、現実逃避を勝手に試みている意識が認識する。

 さっきイェローズとの戦いで、Gに耐えられるように身体強化を施しておいて正解であっただろう。しかし、それでも強大な重力と地面のプレスによって、肉体は秒速で砕かれ、潰され、剥がされ、破壊の限りを尽くされていく。

 四肢の骨はとっくにすり潰され、大同小異の骨粉と化した。それは肋骨も同様で、背骨や、脊髄ももうじき同じ末路を辿るだろう。砕かれたその破片が、ありとあらゆる臓器に突き刺さって肉体の機能を停止していく。地面の壁を突き破っては破壊され、突き破っては破壊されることを繰り返す。


「ッ、、ッ、、ッ、、ッ、、」


 声と錯覚したものは、息が漏れる音だ。しかし、よくそれを聞き取れたものだ。聴覚や、そもそも五感はとっくに終わりを迎えていると思ったが。微かな、本当に微かな灯火がまだ消えていないのだろうか。ならば、それに賭けるしかない。力は入らない。肉体も、少し経たない内にバラバラと化すだろう。その前に。


「──、──」


 その前に、まだ機能を停止していない脳を無理矢理駆使して、ヴィジョンを浮かべる。そして、白い光と共にこのドリル実体験地獄から脱出するのであった。



 ──────────、


 ──────、


 ──。

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