一章 十四話『神女と亜獣』

 ──ああ、またこれか。



 身体が熱に侵食されて、痛みに全神経が侵されていく感覚。そして、これが長期的に続いて痛覚が麻痺していくと、「死」という全く未知なる概念と対面することになることも知っている。

 聖分子はもう空に近いので、《リライト》は使えない。つまり、肝心なこの場面において、この状況を書き換えることが出来ないのだ。為す術もない。全くの予想外の一撃により最期を迎える。



 ──なんなんだよ、空間の裂け目からの一撃が致命傷って……。


 不意を突かれるにも程がある。同時に自分の警戒心の薄さにも怒りが湧く。スラータ、そしてイェローズとの連戦直後だからといって油断し過ぎていた。敗因は明白。これで殺されたのなら仕方ない──。



 ──と、この場にフィソフただ一人しか居ないのなら、不本意ながらもそのような結論に至って死を迎えていただろう。しかし、今はそうではない。


「──タイムレギュジテーション」


 瞬間、エイリスが詠唱した途端に橙色の光が放たれ、時間が止まる感覚があった。

 映像が何かしらのバグか何かによって、一時停止するイメージ。しかし、現象は不可解なフリーズだけには留まらず、


「────」


 時空の流れはやがて、物理法則に逆らって逆行を開始した。周囲がモノクロと化し、白いインナーを侵食していた「赤」は徐々に消えていき、倒れかかっていた身体は、それこそ重力に逆らって起き上がる。放たれた閃光も再度、フィソフの腹部を介してリターン。裂け目は開けたカーテンを閉じるかのようにしまっていく。


 今この瞬間、全ての事象が逆再生されたのだった。


「──ッ!」


 モノクロのカーテンが開け放たれ、世界に色が戻り数秒前への遡行を果たす。トンネルを潜り終わった後のような気分になりながらも、死とは遠ざかり、必死を回避出来た分岐点まで帰還を果たした。



 そして──、


『──ッ! 逃げろ! 皆!』


 ようやく理解出来たスタルチスの警告。一度痛い目を見ないと分からないなんて、何ともまあ、気が抜けていたことか。だが、今度は周囲の状況が巻き戻り、記憶は引き継がれたままだ。それに、この直後に後ろで空間が開かれることを知っている。


「分かってる──よっ!」


 さっきは裂け目の中心から真正面に閃光が迸ってきた。その事が脳裏を過ぎり、咄嗟に右へフェードアウト。そして、すぐ傍に鎮座しているグレジオラスの陰に隠れるように逃げ込む。


「エフェクトデストロイ」


 続いてエイリスが、先程とは別の単語を詠唱し、赤い光を纏って、右腕に左手を添えながら手のひらを裂け目に向ける。直後、赤黒い雷のようなものが、同時に放たれていた閃光を直撃、及び相殺した。


「すげぇ……」


 フィソフは密かに、エイリスは何でも出来るのではないかという漠然な考えを彼女に対して抱いていたが、まさか本当にその通りだとは思わなかった。改めてその超人ぶりに感嘆する一方で、その間にもスタルチスはエイリスの傍で盾を展開し、イェローズは一定の距離をとって双剣を再び構え、臨戦態勢にはいっている。

 数秒、もしくはコンマ数秒程度か──息つく間もない時空の行き来と、防御のセットアップが完了した後に訪れた僅か静寂。しかし、それも束の間。状況は再び動き出す。

 奇襲が不発に終わったことで、諦めて切り上げるかと思っていたが──そんな甘い幻想はすぐに打ち砕かれる事となった。


「──!? なんだ……あれ……」


「なんだ、案外早いわね」


 一度その口を閉じかけた裂け目突が如広がり、何とも言えない赤や青が入り混じった歪んだ空間を背景に、赤光りする無数の双眸。

 影のヴェールが取れると、ケルベロスをモチーフにした頭部をもち漆黒の鱗で全身を覆い、首の根元には人間の顔があるドラゴン、それの数倍の大きさを誇る巨躯と鬼のような顔を持つゴーレム的な巨人など、その他にも、決して良い見た目とは言えない生き物達──如何にも人を狩ることを目的としたようなそれらの姿が大量にあった。


「セベリアの趣味よ。中々クレイジーでしょ?」


「セベリア──ってあの神王の? ってことは、これをそいつが!?」


「彼は全知全能よ? あの《亜獣》達を創造することや、それをこうやって次元を介して送ることなんて造作もないはずだわ」


 まさかのここで神王様のご登場。とは言っても、まだ姿は見えず、代わりに送られてきたのは柄の悪い動物達。なるほど、見つけたぞという当て付けか、それとも宣戦布告を意味してか、どちらにせよ、不意打ちは辞めて頂きたいものである。


「数が多い……エリ姉、私も手伝うよ」


「大丈夫よ、イェロちゃん。これに限っては、私が撒いた種ですもの。自分で処理してみせるわ」


「まじかよ……軽く百はいきそうだぞ」


「問題無いわ。かかっても数分で終わらせる。早くセベリアを引っ張り出すためにもね」


 能力未知数の軍勢相手に加勢を断るどころか、速さ重視で事を済ませるとの宣言まで付け加えたエイリスは、流石男前だ。しかし、《無法都市》で駆逐したスラータ達とは違い、種類ごとにそれぞれの特性を持っていると見える。その点、スラータの軍団よりかは数は少ないが、それでも、特性や能力が多種多様で数が多いともなればある程度の脅威にはなる。それらの点を考慮して、フィソフは微かな不安を覚えるが──、


『──来るぞ』


「りょーかい」


 そんな彼の心配を他所に、スタルチスのひと言をもって《亜獣》退治の火蓋が切られた。


 裂け目依然として存在するも、その大きさは未だに拡大中。その中から様々な種類の見慣れない魔物達が、エイリスとスタルチスを目がけて襲いかかる。


「やっぱり助太刀に──」


「だよな」


 その少し離れた位置で状況を見ていた、イェローズが下した判断にフィソフも同意。そして二人は同時に動き出す。 



 しかし──、


「ったぁ!? なんだこれ! 先に進めねぇぞ!」


「まさか──結界……?」


「結界? 貼った奴が居んのか?」


「うん……それも多分、セベリアの仕業だね」


 自らが創り出した《亜獣》の軍勢を送り出し、その目的は恐らく現在進行形で反逆者となっているエイリス。しかしどういう訳か、彼女を見つけたセベリアは自らの姿を見せずに、獰猛な獣達に襲撃をさせ、その周囲には結界を貼り、協力を封じている。謎は深まるばかりだが、思考している内にも《亜獣》達はエイリスに接近していた。


「待ってなさい、セベリア。今すぐ貴方をここへ引きずり出してあげるわ」


 挑戦的な眼差しで裂け目の奥を見据え、言い終えるや否やスタルチスが高速で変形し、フィソフにドッキングしていたようにエイリスの背中に装着。飛行準備完了といったところで、少女は口を開く。恐らくは詠唱。次はどのような力を使うのだろうか。その漠然とした予想は、良い意味か悪い意味か、どちらにしても裏切られる結界となる。



「──スピード……アクセル」


 瞬間、エイリスの身体を周囲が淡い緑が包み込み、爪の先が触れようとしていた刹那、その五体程の《亜獣》は赤黒い光と共に消え、彼女はというと、まるで全てを置き去りにするかの如く、別次元の速さで《亜獣》達の隙間を掻い潜っていった。


「今、あいつ、『スピードアクセル』って──あれってお前の《聖力》だろ?」


「まさか、そのことすらも教えてもらってないなんてねぇ……単純な話、エリ姉は《聖力者》に力を与えた張本人。だから、エリ姉もそれを使えるわけ」


「まじ……かよ……」

 

 本日何度目になるか分からないサプライズ。幸い、それは味方の能力が強大なものと分かった点、より一層頼もしくなったというものだが。

 そして、その短い驚愕とやり取りの間にも、エイリスは既に、上空にまで飛翔していた。眼下の《亜獣》達は、次なる一手で彼女を殺すべく、閃光や炎を放つために牙を出して口をかっ開く者、地上での交戦に備えて武器や拳を構えて待機する者、翼を広げて今にも追撃を試みる者など、各々がそれぞれの本能に従って次の行動をとる。

 エイリスと言えば、不意を突いて上空を陣取ったものの、静止状態に入ってしまった。追撃はしないのかと、そう思った矢先だ。


「レコグニションインヴァリッド」


 また別の《聖力》を詠唱。今度は──、


「──消えた……?」


 一、二秒前までは空を飛び、目に映っていた筈の白いシルエットが、藍色の光と共に突如消えたのだ。まるで景色と同化するかの如く、認識から阻害され姿が消えた。


「イグジステンス──」


 黒く染まりつつある夜空を見上げたまま、その現象に驚かされてフリーズしていると、消えた筈の少女の声がどこからともなく聞こえ、それが再び詠唱の言葉だと理解した時には既に──、


「──デストロイ!」


 二度に渡って彼女の手から繰り出された赤と赤黒い雷と比べ、今放出された三度目のそれは先程のものとは比べ物にならない程の広範囲で、且つ更に高威力な雷が《亜獣》達を襲う。


「なんだよ……今の……」


「《ディザスター》で攻撃や存在を『破壊』。《アナザーワールド》の効果で自身の存在への認識を『無効』して、実質上の透明人間と化した。因みに、さっきフィソフの死を防いだあれは、《トレイター》で時間の『逆流』によるものだよ」


 《ディザスター》──あらゆる事象や物理的なものを破壊出来る《聖力》で、世界に負の影響を与えてしまうそれは「厄災」と言われて恐れられた。


 《アナザーワールド》──環境や物理的な影響等を無効化する《聖力》。世界を拒絶するその様子は、まるで一人だけ「別世界」に存在するように見えた。


 《トレイター》──生命や時間、因果の流れ等を逆流出来る《聖力》。運命の理に逆らうその力は、まさに「反逆者」そのもの。


 ──現時点で、エイリスはこの短時間で四個の《聖力》を使っていた。


 イェローズからのひと通りの説明を受けると、そのエイリスの破天荒さにフィソフは嘆息する。


「んな無茶苦茶な……」


「いや、フィソフのそれも十分無茶苦茶なんだけど」


 イェローズの言うように、フィソフ自身にも彼の言う、無茶苦茶な力が宿っているので、ひとまずは苦笑して言葉の反射。

 しかし、エイリスが連続で発動したいくつかの《聖力》。まだ見ぬものばかりだが、使い方によって軽々と戦況の優位に立てる程の強力な力の数々。もっとも、それを全て、しかも使用者がエイリスならば鬼に金棒なのだが。

 そうしている内にも、《亜獣》達は苦痛の声を上げながら次々と音を立てて消えていく。当然の事ながら、現時点でエイリスは文字通り姿を消しているので反撃しようにも、その対象の姿が見えない以上、まともに動けはしない。そして、さらなる一手が打ち込まれる。


「ヘル……ハルーシネイション──」


「ッ! あれって、ルドキアの──!」


 突如蔓延し出した黒い邪気。只でさえ混乱している亜獣達の目の前には、巨大な死神が佇んでいた。死神がその手に持つ巨大な鎌を振り上げると、繰り出されるのは物理的な攻撃ではなく、どこからか現れた無数の黒い影の大群。出現するや否や、それは次々と《亜獣》達を飲み込んでいく。


「《ナイトメア》で《亜獣》達を苦しめてるっぽいね。……全く……エリ姉、容赦ないんだから」


「無さすぎだろ。てか多分、俺に力を見せつけるためにわざわざ回りくどく倒してるんだろうな」


 今度は、ルドキア・ストードルが使用していた《聖力》のおでましだ。そして、フィソフは思う。

 彼女の力があれば、いくら《亜獣》の大群と言えども数秒もかからずに駆逐することが可能な筈だ。それなのに、いちいち色んな《聖力》を駆使しながら戦っているのは、恐らくフィソフに自分の力を見せるため。背中で語るという、男前な方法でまだ見ぬ《聖力》の効果や使い方をレクチャーしているのだ。


「ダメージリフレクション」


 《ナイトメア》を使用した後に、エイリスは再び姿を現した。その際に、また別の《聖力》を詠唱し、青の光が輝く。その詠唱をする意味も恐らく、フィソフにわかり易くするためだろう。発せられた言葉が具現化したものは──、


「がるるるあぁぁぁっっ!!」

「ごるるおおおぁぁっっ!!」


 悪夢に魘されて苦痛と恐怖に怯えながら叫び、その叫びはやがて身体に負った傷が原因だと判明する。

 今、目前で行われているのは一人の少女を標的とした狩りではなく、錯乱した愚かな化け物達による同士討ちが繰り広げられている、地獄絵図だった。そして、どういう訳か、味方を殺した者もまた同じような傷を負って死んでいく。殺されていった《亜獣》のその身体からは、淡い光を纏った塊──死後に取り出されているので恐らくは魂といったものだろう。それがエイリスの手のひらに次々と吸収されていき、黄色い光と共に一つの塊に結合していく。


「ソウル──エボリューション」


 やがて、共倒れしていった《亜獣》達から汲み取られ、合成された果てに出来た存在が顕現していた。まるで魂の持ち主達の特徴や、生命を繋ぎ合わせたかのような歪な化け物の存在がそこにあった。


 ──《亜獣》達は、まるで自分達の行った殺害が「反映」されてでもいるかのように「復讐」の刃で互いを殺し合い、朽ち果てた肉体から離別しようとしていた魂は、展開していた「悪夢」という名の「幻覚」の中で行き場を失って吸い込まれ、新たな歪んだ命となり、その塊はやがて「教育者」に教育を施されて一つの悪しき存在へと「進化」した。


 《リベンジ》──その者の前で、生物や物質に対して攻撃を加えてしまっては最後、「復讐」の如く、自らが行った行為そのものが「反映」される《聖力》。


 《エジュケイター》──生徒に教育を施して成長させるかのように、物事をありのままに「進化」させてしまう《聖力》は「教育者」さながら。


 ――この二つが、エイリスが最後に使用したものとなった。


 体感では一秒が遅く感じる程の感覚だが、実際には僅かの時間しか経過していない。フィソフは刹那的に、圧倒的過ぎる強大な力を前に、ただ高揚し、同時にその容赦の無さに畏怖していたのだった。


「──終わりよ」


 冷酷に呟かれたその言葉が空気を震わせると同時に、エイリスのすぐ傍に静止していた、もはや原型を灯さず、《亜獣》と呼んで良いのかすら分からない程の醜悪なそれが残存している《亜獣》達を、灼熱を宿した息吹で焼き殺していくのをただ、立ち尽くして見ていた。


「────」


 その直後に《亜獣》の全てが灰と化し、それらを灰にした張本人である化け物が真っ二つに割れ、その見えない斬撃を寸前で躱そうとするも、右肩から先が持っていかれ、大量の鮮血を撒き散らし、だけど視線は目の前に新たに出現した裂け目から現れた人物を射抜いていて──、



 ──フィソフはそんな理解不能な異常事態を、ただ立ち尽くして見ていた。 

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