一章 十六話『目覚め』
何とか、エンドレスドリルの刑を、セベリアに叩き付けられた事実を書き換えて脱出したフィソフ。だが、これまた今まで体験した事の無い感覚プラス、軽く死の世界に足を踏み入れていたので、また一つトラウマが更新されたのであった。
「う……わ……ぁ」
膝が笑うどころか大爆笑しており、全身に迸る震えは止まらず、胃は痙攣して一気に中身が逆流してしまいそうになるところを、寸前で堪える。誰があんな思いをした後に、笑顔で帰還できようか。それに、フィソフはまだ聖力者としては勿論、戦闘や痛みに関しても全くの初心者なのだ。そんな自分に対して、もっと優しくしてくれと形を成し得ない何かに向かって嘆く。
「エイリス、イェローズ……あとスタルチスは……」
徐々に視界のフィルターが取れていき、視野が広まって周囲を見渡せるようになる。そして、尋常でない程の不安を消すために、何かに縋るように、白い《神女》と小柄なツインテールと万能AIのシルエットを探す。
「……どこに──」
目に光が灯り、視界が使い物になっても尚、求める姿が見えない。どこだ。まさか、自分が叩き付けられていたあの短時間で全滅したのではあるまいか。そんな最悪の予測をしてしまう、自分を殴りたくなる。しかし、そんな予想は良い意味で裏切られることになる。
「セベリアァァ!!」
声を荒らげて、果敢に最強へと立ち向かう少女の姿が目に入る。
「エリ姉、サポートするよ!」
それに続き、頼もしい妹分も加勢して攻撃を重ねていく。
『またもやドッキングだね』
スタルチスは、もはやこれが専売特許と言わんばかりに、エイリスと阿吽の呼吸で合体し、自身も銃器を展開させて砲撃を開始する。
「あいつら、傷治って……」
たった今、フィソフが全身で地中を掘り進んでいた間にまた、戦況は変化していた様だ。
早速、エイリスが藍色に包み込まれ、姿を消す。イェローズもそれに習い、緑光と共に自分とエイリス、スタルチスの速度を上げていく。
なるほど、フィソフの《リライト》がセベリアに対して不発に終わった点を考慮して、《聖力》は彼に使わずに自らのステータスを向上することにしたらしい。もしくは、エイリスがその事を前もって知っていて──いや、そのセンは無いだろう。もし、そうだとするならば、彼女とよく一緒に遊んでいたイェローズも知っていた筈である。
「なるほど……ね」
だとすれば、こちらもやる事は一つだ。
フィソフはのろのろと立ち上がり、少し離れた位置で繰り広げられている辺鄙な戦いを真っ直ぐ見つめる。何故、辺鄙と例えられるのかは、その様子を見れば一目瞭然だ。
片や姿を消したり、様々な力──目に見えるものもそうだが、目に見えないものも駆使し、片や全く目に追えない程の目まぐるしさで連撃の限りを尽くし、時間や事象そのものを「加速」させているのだ。にも関わらず、当の攻撃を受けている本人は全く微動だにせず、ただただその様子を人事のように眺めているだけなのであった。
「何て儚い運命だ。エイリス、もし君が全てを忘れないままであれたなら、僕との戦い方を……いや、もっとそれ以前に、君と戦うこと自体が無かった筈なのに……」
《神王》はこの現状か、またはもっと別のことにか、いずれにせよ本当に心の底から悲しんでいるという目をエイリスに向けて、何かを呟いた。しかし、それも攻撃者にとってはどうでもいいような情報だ。
セベリアが何か見えない障壁で、全ての攻撃を防いでいるという事実をエイリスが「破壊」しても、勝率を「進化」させても、勝てない現状を「無効」しても、何をしようにも効かない。
エイリスがセベリアが佇む地面を壊し、その消失をイェローズが「加速」させても、何をしようとも効かない。
「それも……今だけだ」
直接的な攻撃が当たらないので、スタルチスの砲撃も、エイリスやイェローズの物理的な攻撃も全ては無意味と化す。だから、二人は今、間接的にセベリアにダメージを与えようとしている。しかし、それ自体も「直接的な攻撃」の部類に入ってしまうのだ。
だとしたら──、
目が眩むような白光と、魂が削られるような喪失感と共に、事実の改変を促す。
《リライト》を使う。
単純に、「セベリアに絶対勝てない」という事実を、「セベリアに絶対勝てる」事実に書き換えるために。
直後、絶望が立ち込める戦場全体を光が覆い、最悪な状況は最良の状況へと塗り変わる。
「────」
──筈が、
黒い光が、白い光の進軍を阻止するかのように出現する。先程までのように、形の無い破壊や防御などと比べれば、具象化されていた。だが、中身がわからない。また破壊するのか、それとも《聖力》を無効化するものなのか。
分からない。しかし、想像する。何通りもの未来を予測して、手を打てるように──、
「──!? か……はっ」
イェローズが倒れた。突如、前触れもなく。瞳から光が消え、壊れた人形の様に動かなくなってしまった。背中に装着してあった《フェアリーウィング》も、光が消え、妖精の羽の役割を損なっていた。
「うそだ──ろ……ぉ」
急に苦しくなった。ろくに呼吸が出来なくなり、全身から力が抜けて立てなくなり、そのままうつ伏せで倒れる。目前に、同じくうつ伏せで、顔だけこちらの方を向いて倒れているイェローズが目に映る。自分も彼女と同じ状態に陥ったのだということに、数秒か遅れて気付く。
エイリスは、エイリスは無事だろうか。エイリスは──、
「──ああああああああああああああああああああああああああああああああっっ!!」
──悲鳴を上げ、もがき苦しんでいた。
両手で頭を抱え、蹲り、ただただ何かに怯え、侵され、恐れるように。そんな彼女を見て、真っ先に顔面蒼白にして心配するであろう、過保護なAIは機能を停止していた。
「なん……で、どう、し……て」
絶望。虚無。敗北。困惑。
動かない。身体も、皆も、この状況も。
「すまない、エイリス……今は、今だけは──」
あの男も。何かを堪えるように、追い詰めるように、責め立てるように、先程までの悠然とした面持ちとは百八十度反転し、暗く、沈痛な表情でエイリスを見つめている。
今起こった出来事として考えられるのは、恐らく「上書き」だ。フィソフの聖力をセベリアが何かで上書きをし、その内容というものが、フィソフやイェローズ、スタルチスを機能停止に追いやり、エイリスを苦しめるまでに至ったのだ。
「まって、でてこないで、いまあなたが、でてしまうと、みんなが、きえて、なくなっちゃう──」
憔悴し、虚ろな表情で、途切れ途切れに何かに向けてぽつり、ぽつりと呟く。何かに必死に抗っているのか。だとしても、彼女が優位に立っているとは思えない。それは、徐々に黒へと染まっていく、純白のワンピースや髪が物語っていた。
ゆっくり、ゆっくりと。エイリスが別の何かに姿を変えていくのが、もうじきシャットダウンされる瞳のスクリーンに映っていた。
「イェローズ、そして──」
黒い光に身体が包み込まれる。
──殺す気だろうか。
そんな疑問が、身体の機能が停止していく中で浮かぶ。だが、自然と、その疑問や、さっきまで己を蝕んでいた恐怖や危機感というものは無くなっていた。悲しげに、寂しげに、そこに立ち尽くす男が今だけは、やたらと小さく見えたためだ。
「フィソフ・××××」
名前を呼ばれた。そして、その後ろに名前を付け足していたような──、
「僕は今、敵にしかなれない。だから、君達に頼みがある」
敵にしか──、頼み──、
何を言っているのだろうか。もう少し、詳しく説明して欲しい。
フィソフとイェローズを包み込む黒い光は、どこか温かみを感じさせ、意識を奪おうとするそれは、まるで陽の光に当てられながらゆっくり眠りに落ちていくような、安らぎに満たされていった。それは恐らくイェローズにも言えることで、少なくともその表情から苦痛の色は消えていた。
緩やかに、意識が沈んでいく。
「──エイリスを、助けて欲しい」
「────」
その言葉を聞き取れたかどうかは分からない。意識は深海の奥底に沈んでおり、外の音を拾うなんてことは不可能だ。ただ──、
──あの男からは、想像もつかないような頼み事をされたような気がした。
──……。
しばらくして、フィソフとイェローズはどこかに消えていった。
* * * *
二人が消えた直後、エイリスを中心に破壊の嵐が巻き起こった。
セベリアの放った黒い光とは、比べ物にならない程に黒く、黒く、黒い。漆黒とも言えるそれは、エイリスを包むや否や、球体と化した。すると、漆黒の球体は徐々に膨張していき、次第にその速度も早くなる。
大地を、崖を、屋敷を、戦艦を、周りにあるものを全て飲み込んでいく。そんな中、セベリアのみが、その破壊の猛威に飲まれずに、ただその場に佇んでその様子を見守る。まるで、世界が終焉を迎えるかのようなその現象は、突如として終止符を打つ。
「……」
依然、セベリアは無言を貫く。しかし、その表情は、何かしらの覚悟を固めている者のそれだ。
眼前で少女が一人、蹲ったまま宙に浮いており、白い髪とワンピースは完全な黒に染まっている。やがて、黒い少女はゆっくりと目を開け、その銀の双眸を世界に映しながら──、
「三日ぶりだな、セベリア」
不敵に微笑み、そう言うのだった。
死にかけ、少女と出会い、力を手にし、契約を結び、戦い、戦って辛勝し、戦って惨敗した。
しかし、どうやら死んだ訳ではなく、未だに生命は、本日をもって定められた、運命のレールの上を巡行しているようだった。
約束を果たし、なすべきことを成して、世界を書き換えるために。敵と、運命と戦うことを選んだ。だから、抗う。抗って書き換える。それが、フィソフの在り方だ。
──これは、運命に抗う少年と少女が世界を書き換える物語。
そして休む間もなく、次なる試練がフィソフの前に立ちはだかる。
……To be continued
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