一章 十話『ナイトメア』

 ──《ナイトメア》。


 元々霊術を研究していたストードル家が、第一世代から世襲してきた《聖力》である。

 聖力の内容は、選択した対象や範囲に「幻覚」を見せることが出来るもの。しかし、霊術を研究していた関係で、それを応用することも出来てしまうことから、オリジナルには劣るが現世から過去までに遡る「英霊」の模倣体の降霊、または周囲に浮遊している霊生物──「スピリット」との交霊や使役も可能とする。

 さながら、その聖力を振るわれた者にとっては「悪夢」を見ているようだとか。


 ──故に、先程ロベリはルドキアが使役した「幻覚」と「スピリット」によって心身を蝕まれ、その肉体と屋敷ごとを古代に存在していた白龍の怨霊によって焼かれていったのだ。


『エイリスが力を分け与えた《聖力者》の内の一人。そして、彼女からは君の持つ《ナイトメア》が最古の歴史を築いていると聞いたが』


「全くその通りですよ……受け継いだ記憶によれば、かの偉大なる《神王》セベリア様とも旧知の仲だったとか」


「いきなり凄すぎる奴が出て来たな……」


 新たな《聖力者》の登場。しかも、その力は歴史あるもので、《神王》とも関係があり──いや、それ以前に記憶が受け継がれることや、世襲的なものだということを今この瞬間、初めて知ったのだが。

 フィソフが、たった今出た情報を、その足りない頭で整理しようとしていると、何やらルドキアが彼の顔をまじまじと見つめ出す。


「なんだよ」


「いえ……ふと不思議に思いまして。《リライト》──つい最近までは耳にしなかったんですよ」


「耳にしなかった……?」


 奇妙なことを言い出すものだ。確かに、《無法都市》には《聖力者》は存在しないと言われていたが──、


 ──いや、違う。


「だったら、何で俺はこの力を持ってる──?」


 ルドキアに言われて、ふと、湧いてきた違和感。それももっと根本的なもの──《リライト》という聖力が発生し、その力がフィソフに与えられ、彼が聖力者となったタイミング。

 考えてみると謎だらけだ。何故、《無法都市》には《聖力者》が存在しなかったのか。何故、大虐殺が決行された当日にエイリスと遭遇し、力を与えられたのか。

 ──深く、深く思考の渦に飲み込まれていく。


 急な連戦が続いていたので、未だに詳しい話は出来ていない。契約したあの時、彼女の記憶や思考を垣間見て、大体の状況と事情は把握したつもりでいた。


 ──深く、深く、


『────ソフ』


 だが、それはエイリスの生い立ちの一部にしか過ぎない。では、その当たりについて詳しく掘り下げていくとしよう。


 さらに深く、深く、深く──、


『フィソフ!!』


「ッ────!」


 何をしていたのだろうか。もっと熟考してもいいのだと、目の前に広がる暗闇がそう告げる。

 どこまでも果てしなく広がる暗闇が──、


『迂闊だった……僕も、君が考えさせられるところに誘導されるまで全然気が付かなかった』


「────」


 微かにスタルチスの声が聞こえるが、それ以外は殆ど何も聞こえない。言葉も発せず、他の感覚も──、


「──あぁっ!!」


 声を出せた。と言うより、あの空間から抜け出したと言った方が正しいだろうか。


「がはっ!? げほっ! げほっ」


 五感が徐々に回復していくのを実感するも、まだ呼吸が苦しく感じる。スタルチスが用いた悪趣味という表現は、あながち間違ってはいないらしい。

 思考が深くなるにつれて、味覚、聴覚、嗅覚、触覚、視覚──という具合に奪われていったのだろう。恐らく暗闇の正体も視覚が失われたことによって発生したものだ。よく見れば、フィソフの周りには紫色の光が発生していた。


『これが君の《聖力》の一部か。中々悪趣味なものだね』


「賞賛の言葉と受け取っておきましょう。ご安心下さい、私は彼のようになんの罪もない人々に力を振るったりはしません」


『その割には、僕の相方にちょっかいを出していたじゃないか。そこのところについてはどう弁明するつもりで?』


 ルドキアが、今も尚苦しみ悶えているロベリを指差して自分と彼との相違点を述べる。だが、少々感情的になっているのか、ルドキアに敵意を向けつつある白い万能AIが言う通り、彼とフィソフ──「罪が無い人々」という括りに当てはまる彼らに力を使用した点においては、矛盾が発生している。


「それについては、深くお詫び申し上げます。実を言うと、少し試してみたかったんですよ。恐らくエイリス様はアロハ君と、私を含む他の《聖力者》達とは違った内容の契約を結んでいらっしゃる。そして、彼女に一目置かれてもいるその力を宿した君をただ試したみたかったんです」


 確かに、彼の表情には謝罪や罪悪感といった類のものが浮かんでいる。だが、ここにきてまたさらに新しい謎が浮上した。


「……違う契約ってのは何のことだ?」


「単純な話です。これまで《聖力者》達は、エイリス様に聖力を授かると同時に、自分の故郷である都市を守護する使命も課せられていました。恐らくは貴方も同じ──だと思っていましたが、どうやらそれは違うらしいですね」


「どういうことだよ」


「都市を守護するということは、その都市から恩恵も得られるということ。つまり、《聖分子》の大半はその都市から供給出来るようになっているんです。しかし逆を言えば、その守護対象である都市から離れて別の都市に行けば恩恵は激減。僕もこの《機会都市》で力を奮うには些か苦労してるんですよ」


「ここが《機械都市》……? いや、それは後回しだ。確かに俺は《無法都市》で《リライト》を授かった……にも関わらず、この《機会都市》? でも体調は問題無いな。そこが違うと何かあんのか?」


 質問ばかりになってしまうフィソフ。だがそれも仕方の無い事だ。思えば、最低限のことしか教えていないエイリスにも責任はあるだろう。


「いや、別に何もありませんよ。ただ、彼女に特別扱いされているところが、少し羨ましくてね」


「特別扱い……か。むしろ逆なんじゃねぇか? もし俺をそう思ってるんなら、もっと詳しく色々説明してくれたと思うし」


「はははっ、まあ、エイリス様と共に旅をしている時点で十分優遇されてるとは思いますけどね」


 フィソフの悲痛にも似た訴えに、ルドキアは予想外の答えを受けたと吹き出す。ロベリやフィソフに与えたような恐ろしい力さえ無ければ、善良な好青年に見えただろうに。

 そう思っていると、ルドキアはいつの間にかロベリの目の前に移動し、彼を憎悪を帯びた目で見下す。


「さて、この存在無価値の欠落者には、これ以上にない苦痛を与え続けてから地獄へ誘ってやるとしましょう」


 そう言い終えると、突如彼の両手から大量の黒い影が発生し、ロベリを身体丸ごと飲み込んでしまう。

 そして、ブラックホールのように吸い込んだそれは、そのままコンパクトに彼の手の内に縮小されていく。


「それも《聖力》の一種か?」


「さあ、どうでしょう」


 フィソフの質問に対し、振り向き様に不敵に笑ってみせ、意味有り気な回答。スタルチスも心做しか、ずっと睨みつけているようにも思えるが、今はフィソフにとってはそれどころでは無くなる程に、彼の脳内の情報許容量は限界を越えようとしていた。ルドキアとの質疑応答の一部始終や、その他にも気になったことなどを、エイリスに問い詰めなければ気が済まない。


『ロベリ・アザミールをどうする気だ?』


「なに、彼女達が受けてきた恐怖や苦痛の同じ分を、身をもって味わってもらうだけですよ」


 やることを済ませて、今にも退散しようとしているルドキアにスタルチスが質問を投げかける。それに対しても、相変わらず彼は、その憎むことが出来ない爽やかな笑を浮かべて返す。

 直後、ルドキアは扉の前に立ち、もう一度室内へ振り返り、両手を合わせて追悼の意を示す。そして、事を終えると──、


「では、またいつの日か、再び会える日を楽しみにしていますよ。──フィソフ君、スタルチス様」


 まるで、親しい友人を見るかのような目で彼らを見て、別れを告げた。もっとも、フィソフ達にとっては、彼のような得体の知れない人物を、竹馬の友としてカウントするつもりは毛頭ないのだが。


「俺らも行くか。なんか最後は呆気なく、目的を達成しちまったけど」


『そうだね。映像に収めた彼の《聖力》も分析しなければならない』


 何はともあれ、作戦は成功(?)してロベリはあの幻覚聖力者に連れ去られ、囚われていた奴隷の女性達も恐らくは彼の手によって救出は成功している。

 予想外の乱入者が入るも、完全に敵と言うわけでもなく、それどころか協力の意思は感じ取れたのでさもありなん。

 ルドキアと同じく、扉の前に立つと《ルクミラ街》でやっていたように、温室にて眠る彼女達に両手を合わせ、黙祷。


「行くか」


 フィソフが扉の枠から外へ足を踏み出し、スタルチスも無言でそれに倣う。


 当然の事ながら、一足早く出ていったルドキアの姿は見えず、代わりに気味が悪いほど閑散とした空間が、彼らを見送るのだった。




* * * *




 外へ出ても不気味な静けさは続き、今思えばロベリの配下であるスラータ達の姿が見えなかったことも、奇妙な事だった。もしかしたら、それさえもルドキアの仕業かもしれないが。


「エイリスか? なんか色々とあったけど、結果的には作戦成功したぞ。てか、それよりもお前、俺に色々隠しすぎな! 新事実が色々出てきて俺今混乱してんだからな! そこのところ──おい、聞こえてんのか? ……エイリス?」


 開口一番に業務報告をし、それからは段々と恨み節に変化。あのエイリスとなれば、報告に対しての軽い労いの一言、次にフィソフの訴えに対しては揶揄を添えるなど、たった数時間しか付き合いのない彼でさえも、このぐらいの返答は予想出来る。

 しかし、その予想は悪い方に裏切られた。


『おかしい。普段の彼女なら返事を──いや、それどころか、アザミール邸に侵入して暫く経ってから、彼女と一言も話していない』


「……何かあったのか? いや、あいつ相当強ぇはずだろ。誰かに襲われたとか不意打ち食らったってセンはねぇと思うけど……」


 事実、邸宅へ向かう時や降り立って侵入する時などに少々の会話はしていた。意識もせずに、いつの間にか会話をしなくなっていたのは恐らく、邸宅に入って暫くした後だった気がする。


『君も理解出来るようになってきたじゃないか──じゃなくて! オホンッ! 早く捜索するぞ』


「いや待て待て! お前今ぜってぇ動揺してるだろ! 急にキャラ変えんじゃねぇよ!」


『だってあのエイリスの反応が消えたんだぞ!? どう考えても、何らかの非常事態が起きてる証拠じゃないか!』


「まあ確かにそうだけどさ……」


 突然のスタルチスの変貌ぶりに、驚きの色を隠せないフィソフ。常に冷静沈着な彼であるが、もしかすると、こう言った全くの予想外の事態にテンパってしまうタイプなのかもしれない。そして、こういう時こそフィソフの咄嗟の判断力を生かすべきである。


「単純に、あの屋敷に入った瞬間に通信がキャンセルされただけかもしんねぇ。もう一度エイリス本人か、グレジオラスと接続すれば繋がるかもしんねぇだろ」


『そうだね。済まない、肝心なところで取り乱してしまったよ』


「ああ、是非映像に収めてお前のパートナーに見せたかったよ」


 スタルチスの様子が普段のものに戻り、再接続を図ろうとする。


 すると──、


『あ! やっと繋がったわ! 作戦は成功したの?』


 突如聞こえてきたエイリスの声。どうやら回線は復帰したようだ。


『エイリスか!? 良かった……一体何があったんだ? 君らしくもない……』


『うん、ちょっとね。あの子に会っててね』


「あの子……?」


 エイリスの声のトーンが落ち、何やら深刻な事でも言い出すのかと思っていたら、今度は予想外の単語が出てきて無意識にオウム返し。だが、よくよく考えてみると、その言葉の場違いさには何ともまあ、言いようのない不気味さを漂わせる。そして、その不気味さの正体は次のエイリスの発言により明らかとなる。


『ルッチーも知ってるでしょ? 私がよく遊んでた、イェローズって子』


『イェローズ・フローバー……《スキップアウト》か』


「《スキップアウト》? また新しい奴が出てきたな……その子がどうかしたのか?」


 またもや登場した新たな《聖力者》の名前。しかも今度は少女ときた。よく遊んだと言っていたので、それなりに歳は近いらしく、エイリスの年齢がいくつなのかが気になるところでもあるが、それについては後回し。今はその聖力者のことについての言及が先だ。


『さっきまで彼女がここに居たのよ。でも、何かが入れ違ってて、簡単に言えば喧嘩になっちゃったのよね』


「喧嘩? 珍しいな。いや、分からんけど」


『フィソフの言う通りだよ。エイリスはあの性格だが面倒見もいいし、素直で正義感が強い。だから、敵はあまり作らない性質なんだが……』


「確かに強引なところはあるけど、基本良い部類には入るよな……いや待て待て、ただ今絶賛反逆中で追われてんだろ」


『うるさいわよ』


 このタイミングでの男性陣によるエイリスへの賞賛。しかし、フィソフの言う通りに現在進行形で敵を作って追われている身なので何とも言えない。──と、話が少々逸れてしまったので本題にUターン。


「で、何で喧嘩に──」


『ごめん、やっぱその話はあと!』


「──はぁ!?」


 せっかく本題に戻って、エイリスとイェローズたる少女の確執について聞き出そうした矢先に、出鼻を挫かれて素っ頓狂な声を上げてしまう。


『今、イェロちゃんがそっちへ行ったみたいなの! あの子、結構速いから気をつけて!』


「まじかよ! てか、当事者ならお前が来れば解決出来んじゃねぇの!?」


『私は今動けないのよ! 《聖力》でグレジオラスの、全機能の寿命を加速させられて今復旧作業に入ってるから……』


「嫌がらせか!」


 フェイス・トゥー・フェイスで和解して仲直り! という案が速攻却下されることとなり、二発目の出鼻挫かれ。しかし、思わぬことに《聖力》を使われてしまった様なので、その点についてはフィソフも警戒心が高まる。「速い」、「加速した」──つまりは、


『《スキップアウト》は文字通り、置き去りにすることを示している。つまり、事象を加速させることが出来る聖力を使う』


「『加速』能力者か……だったら俺らもそれなりに準備しておく必要が──」


『フィソフ、反応があった。上手く隠していたんだろう。今まで全然感知出来なかった』


「分かった。どこにいる?」


『少しばかり大きい岩があそこにあるだろう? それの裏だ』


 スタルチスが、屋敷正面からやや左手に位置する岩石群を指す。フィソフも頷くと顎を引き、《聖力》で己の速度を速くする書き換えを施す。続いて、スタルチスが軽く切れ味の良い双剣をフィソフに──、

 渡そうとした瞬間、一陣の風が吹く。


 一瞬だが、それはどこか喪失感を伴うような変わった感触があって──、


「あぁ──?」


 突風が吹いた直後、どうやらその感覚は下半身あたりから感じていたらしい。


「きゃはっ! スキだらけだねぇ〜お兄さん!」


 少女の声が聞こえたような気がした時には既に、両の膝とそこから上の肉体は切り離されていた。


 風と共に肉体を切り刻んだのは、碧の輝きを放つ光線で彩られた双剣。そして無意識に使った《聖力》の内容は、まず切断された事実ではなく痛みや出血といった、一目散に防ぎたいものを書き換えるものだった。


「エリ姉が悪いんだよ? だから──」


 一種のアートのように鮮血は、ワンテンポ遅れて飛び散らんとするが、《聖力》により書き換えられたので、大出血するどころか血飛沫すら舞うことはなく、ただ、切断面が晒される状態となる。


 ──全てがまるでスローモーションのように進む世界。


 黒いローブと短い黒の双尾を、自身が巻き起こした風で靡かせながら、少女はフィソフを睨みつける。対面して真っ直ぐ彼を捉える少女の瞳には、その幼く可愛らしい顔には憎悪と殺気がこもったものを宿していた。


「────ッ!」


「こんなことになるんだ!!」


 そんな彼女の表情に一瞬でも目を奪われたのだろう。認識は全て、音ずれする電子機器のように見事に遅れ、恐らく少女はそんなフィソフのコンマ数秒先を動いている。

 両膝を切断されたことにより、上体はバランスを失って倒れ込み、顔を上げるとそこには──、


 たった今自分を少し離れた位置で睨みつけていた少女が、いつの間にか目と鼻の先に移動していた。手には血濡れた双剣。そしてその片方を今──、



 ──振り下ろす。

 






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