一章 三話『聖力者』



 ヘヴンには七人の《聖力者》が存在していた。

 それは──、



「加速」《スキップアウト》、「無効」《アナザーワールド》、「反映」《リベンジ》、「破壊」《ディザスター》、「逆流」《トレイター》、「幻覚」《ナイトメア》、「進化」《エジュケイター》――。


 この七種類である。

 

 この七つの聖力が現時点で宿された全聖力である。大半はそのひと世代で力は消え、次の世代でまた新たに力が誕生し、その度に神女エイリスは運命に導かれるままに、その者へと力を分け与えていた。

 何にせよ、この聖力の数は七人の聖力者が存在することを意味している。もっとも、初代聖力者の世代においては稀有なことに、有り得るはずのない八人目の聖力が誕生したらしいが。


 しかし、そのような奇異な現象が世代を越えて再び発生してしまっていた。


 今、この瞬間、多くの罪なき人間が殺され、目の前で仲間を殺され、突如として日常が壊され、自らの無力さを痛感してその命を諦めた一人の少年の元へと、新たな聖力が宿った。


 この地獄を否定したいと。この世界で変革を起こしたいと。


 今、この赤く染まった「事実」そのものを「書き換えたい」と。



 ──書き換え《リライト》。


 それがフィソフに宿った聖力だった。



 ──────────、


 ──────、


 ──。



 

 先程まで、酷い悪夢を見ていた気がする。悪い夢──と片付けることが可能だと思ったのは、それ程までに眼前に広がる光景が、今までの出来事を否定するには十分なものだったからだ。


 目の前に広がる光景は、何ともまあ夢物語をそのまま実現したようなものだろうか。


「クソ! 肉置いてきちまった」


「僕の魚がぁ〜……」


「魚もそうだが、俺も金までは置いてかなくてもよかったかもな」


「皆さん、物はいいから早く逃げますよ!?」


 時間が巻き戻っている。いや──、


 ──生きいるのだ。

 先程スラータに殺された筈なのに。


 目の前にいる少年達は、首が切り落とされている訳でもなければ腹から光る剣が生えている訳でもなく、ましてや顔を焼かれている訳でもなければ、身体を刺されている訳でもない。


「おまえ──ら」


 無理解、焦燥、安堵、歓喜……色々な感情がぐちゃぐちゃになり、おかしくなりそうだ。彼らを見た直後、ようやく気付いたが、フィソフ自身も当然生きており、瀕死の重症もまるで無かったかのように回復している。


「フィソフ、何してんだ? 早く逃げるぞ」


「どうしたんすか? 早くしないとあいつらに追い付かれちゃいますよ?」


 トリアとトミルが呆然としているフィソフを急かす。

 

「おい、そこの白い女! お前も逃げねぇと殺されるぞ」


「ジル、どったの?」


 フィソフが立ち上がり、トリア達の元へ行こうとすると、ジルが何やら誰かに警告している。白い女と言っていた。


「白い──女?」


 目に焼き付いていた白く長い髪、黄色い目、白いワンピース──、


 そうだ。彼女が目の前に現れた直後、抱きしめられ、キスをされ、口の中に何か入れられて、その後物凄い衝動が溢れてきて──と、覚醒直前の出来事を改めて反芻すると、まじで何やってんだよ! という具合に叫びたくなる。しかし、恐らく彼女のお陰で、投げやりに願った理想は実現されたのだ。


「皆、悪い。先に行っててくれ」


「は? 急にどうしたんだよ」


「安心しろ。後で必ず生きて追いつくから……だから、お前らは先に行っててくれ」


 突然のフィソフの言葉に、皆が一瞬動揺する。当たり前だ。彼らにとってフィソフはリーダー格であり精神的支柱でもある。しかし、それでも──、


「分かったよ、そこまで言うなら先に行くぜ」


「そうだな。もういい歳なんだし大丈夫か」


 トリアとジルが半ば呆れたりからかうような口調で言う。


「絶対生きててくださいね!」


「フィソフ〜! 約束だからな〜!」


 続いてトミルとカンも精一杯の笑顔で返答し、各々が納得したように、フィソフの要求を飲み込む。そもそも彼らはお互いを頑なに信じ合っている。再会の約束が必ず守り抜かれると信じて。


「皆──ありがとな」


 フィソフがそう言うと四人は笑みで返し、振り返って先へ進む。数十秒と経たないうちに、路地の奥へと進んでいった彼らの後ろ姿は物陰へと消えていった。心細くなった気もするが、これでいい。


 仲間達を見届け、フィソフは少女の方へと向き直る。


「優しいのね。君は」


「そういう事、あんま言われたことねぇから照れる」


 仲間達を見送り、フィソフは表情を真剣なものに切り替えて、先程に劇的な出会いをした少女との対談を始める。


「私はエイリス。一応、今は反逆者をやってるわ」


「なるほど──いや、意味分かんねぇよ! 職業が反逆者ってなんなんだよ! でも、その容姿とエイリスって名前……もしかして、あんた……あの……なんつったっけ?」


「そ、多分君の想像通りのエイリスよ。色々訳あって追われてるのよ」


「いやだから、その想像の答え合わせをしたいんだよ。──あれだ、金魚みてぇな名前」


「《神女》よ! どこに金魚の名前した女の子が居るのよ……」


 エイリスの、どこかズレた回答に対してフィソフが声を荒らげてひと突っ込みを入れ、今度はエイリスがフィソフの珍回答に対して突っ込みのカウンター。殆ど初対面にも関わらず、マシンガンの様な押し問答をしているあたり、この二人にはどこか共通点でもあるのだろうか。


 と、エイリスが呆れて軽く頭に手を添えていると、フィソフがたった今出てきた《神女》という単語について食いつく。


「神女エイリス……本当に居たんだな。都市伝説かと思ってたけど……ってことは、ひょっとしてお家は空の上の──?」


「所々煽ってくるわね。ええ、そうよ。上空の浮遊大陸にある、《神聖城塞》。そこが私のホームね……まあ、今はそこを追われてるんだけど」


 《神聖城塞》──天空に存在する小さな逆三角錐型の陸地に存在する、大陸内においての中枢を担う者達が集結している場所であり、今も空を見上げればうっすらと青空の景色の中に映り込んでいる。

 神聖城塞の中でも役職は存在し、実質上最高権力者である《神王》と、それに仕える《神子》、そして──、


 神の声を聞き、その血に宿した力を人に与えることが出来る神女という存在だ。

 そして、エイリスが言う通り彼女がその者ならば全て辻褄が合う。得体の知れない飛行物体から降りてきたり、目の前に突然現れたかと思ったら自らの血を飲ませたり。


 決定的とも言えることは、彼女の血を飲んだ瞬間にフィソフ自身の傷が回復し、彼の仲間が生き返ったという事実だ。


「その、助けてもらったことには感謝してる。感謝してもし足りねぇぐらい……お陰であいつらも生き返って──」


「生き返った訳じゃないわ。書き換えたのよ」


「──は? 書き……換えた?」


 生き返った訳ではなく、書き換わった。どういう事なのだろうか。それも、事象を否定して、意のままに変化させることが出来るのなら、それはもはや──」



 瞬間、何かが引っかかる。


 「否定」という二文字。それをあの時──、


 エイリスの血を飲んでから願っていたのだ。


「フィソフ、貴方はあの時起こっていた出来事そのものを否定して、書き換えたのよ。自分が望む結果にね」


「そんな事を──俺が……?」


 到底理解出来ない。しかし、彼女は──エイリスは自分が神女であると言い、その力を与えたフィソフに、状況を書き換えたと言った。


「貴方には《聖力》という、特別なものを与えたの。そして、その名前は《リライト》──事象を書き換える力よ」


「俺の……力……」


 《聖力》──それは他の都市に一人ずつ存在する聖力者が持つ力。自らに突然、その力が宿ったことを知らされて困惑するも、その威力の凄さはたった今経験しているのだった。


「ねえ、一緒に戦いましょ? ──私は訳あって追われてる身だけど……いずれ、この世界を変えたいって思ってるの」


 さっきまでの能天気さは消え、言葉には真剣味が増していた。神女であり、反逆者であり、不思議な力を持っていたり──と、彼女を表す言葉はどれも異質を秘めている。しかし、根本的な部分は常人であるフィソフと──いや、少なくともこの都市で暮らす大多数の人々と同じだ。


 世界の変革を願う──無謀ながらも諦めきれない意志。エイリスもそれを抱いているのだ。


「いいじゃん、そういう考え。俺も昔っからずっと、この世界どうにかなんねぇかなぁなんて考えてたんだよな」


「おおっ! いいねっ、結構合うんじゃないかしら私達!」


「告白みてぇな言い方すんじゃねぇよ」


「告白と言うよりは、契約的な感じかな?」


 やがて、フィソフと共通した意志を抱いていることを知り、彼に力を与えたことが間違いでは無かったと悟ったエイリスは、彼の左胸に自分の右手を重ね始める。


「なるほど、これがその契約ってやつか?」


「そうよ、すぐ終わるから待っててね〜」


「おう」


 まるで、注射を嫌がる子供を慰める先生かのような言い方で、フィソフにそう言うと、そのまま彼女の言う契約が開始された。


「今から、貴方に私の意思や記憶の一部を流し込むわ」


「なんかすげぇこと言われた気がするけど、了解した」


 エイリスのその宣言に驚いて返事をするや否や、それは来た。


「ぐおッ────!?」


 淡い光が展開し、意識が溶けそうになる。


 次第に、とある光景が映し出された。

 力の代償で──とでも言うべきか。目に映ったのは、まさしく天国のような場所に一人枯れ死んでいる自分。これは恐らく警告だろう──と、フィソフは瞬時に理解した。この光景は、聖力を使い過ぎた彼自身の末路を表しているのだろう。


 チャンネルが急に切り替わるかのように、場面は巨大な城へと移り変わる。


 そこには白い少女がいた。その姿は、神秘的なそれとはかけ離れた酷いものだった。白い髪や肌、衣服は所々が赤黒く染まり、彼女の煌々と光っていた双眸には、まるで光が宿っていない。その後ろでは、壊れた機械仕掛けの人形のように動いているロボットと、恐らく彼女達を乗せてきたであろう、今にも音を立てて崩壊しそうな戦艦が映っていた。



 ──世界が滅亡した未来から私はやってきた。


 彼女はそう言った。


 ──いくら呼んでも誰も応えてくれない。当たり前だった……そこには、もう命そのものが存在しなかったから。


 感情すら灯さずに、ただ淡々と。


  ──嗚呼、そういう事か。


 フィソフは徐々に理解する。


 滅びの未来から時を超えて現れた少女。未知なる力と美貌は、彼女を神聖なそれとしか人々は見なせなくなった。


 

 未来人エイリスは、見てきたその光景を実現しないように神の声を聞き、力に縋った。


 神女エイリスは、運命に導かれるがままに、いくつかの人間に力を与え、世界の平和を保つために、各都市に聖力者を置き、守護させていた。


 そして、反逆者エイリスは今、その歪な運命の最後の人として、目の前の──同じく現状を変えたいと願う少年と共に、戦い始める。



 ──────────、


 ──────、


 ──。



 だから──、


「お前らは存在しねぇッ!!」


 フィソフがそう叫ぶと、彼の視界に入っていたスラータ達は途端に白い波動に飲まれて消えていった。

 フィソフがスラータ達の存在を書き換えたのだ。


「おわっ!? ──っと。くそ、身体痛てぇし、暫くふらつきも治りそうにねぇな」


 見えていた範囲のみでも数は多く、その数にまとめて力を使ったのだから、リスクは当然大きい。口の端から出た血を左手で拭い、右手に握っている細身の剣を握りしめる。


 因みに、その握っている剣は、先程パン屋の中年男に投げつけた桶を書き換えた物だ。


「準備はできたのか?」


『ここ──こうして……よし、おーけー!』


 インカム越しに聞こえてくるのは、ここに転移してくる時に乗っていた戦艦を再び動かし、臨戦態勢に入ったエイリスの声である。


「んじゃ、思いっりぶっ飛ばせ!」


『やっちゃうわよぉ〜?』


 エイリスのノリノリな返事が聞こえた直後、戦艦の両側に付いてある巨大な突起部分から高濃度のビームが放たれる。行き先は、その直線上を飛行していた複数の飛行船の内の一機。そして、それは見事に的中した。


 音を立てて墜落していく飛行船に目を向け、フィソフは、その墜落地の座標を書き換える。勿論、その位置は集団で群れているスラータ達だ。


「す──すげぇ……」


『物質を分解する粒子を圧縮させたものだからね! あんな浮いてるだけの鉄屑なんか的にすらならないわよ!』


 戦艦の威力にも驚いたが、やはり、夢を見ているような気分にさせるのはこの力だ。例え、直接目に見えてる範囲でしか効果が無く、ある程度の事象にしか使えなくとも、使い方によってはとてつもなく武器になる。しかし、なにも驚いているのはフィソフだけでは無い。


 家族や友人、大切な人が殺され、自分も悲しむ間もなく逃げるのに精一杯だった矢先に、強大な力を目にした人々。


 実際に助けられた人──その中でも、フィソフが殺される直前を目にしていた人の場合は即座に力を発動し、死ぬ事実を書き換えた。そして、圧倒的な物量と殺戮を目にして、絶望の淵に立たされていている時に、助けられた人もいる。


 今、少なくともフィソフとエイリスを見た者は、彼らを英雄と言わざるを得ないだろう。


「俺はスラータ達を消しながら救出もしてく! エイリスは、そのまま飛行船落としたり空からスラータ達を破壊してくれ!」


『分かったわ。予想通りに進んでるわね』


 エイリスが戦艦に搭乗する前、二人で予想した戦況の通りに事は進んでいる。だが、結局は時間と量の戦いだ。いくら物事を書き換えることが出来るとしても、使用する本人への反動や力が及ぶ範囲、それに内容の限界など、不安要素はいくらでもある。その中でも気にかけねばならないのが、聖力を使用するために必要な、《聖分子》の残量である。


 言わばスタミナの様なそれは、残量が満タンの状態から十二時間経過しなければ完全回復はしないだとか。


「今は──じゃねぇか。これからも順調に進めてやる!」


 契約を結ぶ際に、提示された世界を変革するための条件。それはシンプル且つ難易度の高いものであった。


 ──曰く、《聖力者》の身に宿る聖力の核となる《聖魂》の回収と、神王への即位。《聖魂》を収集するためには当然、他の《聖力者》との戦闘は避けられず、ましてや《神王》の冠を被るともなれば、全知全能と謳われるそれとの玉座争いは免れない。

 そして、神王となった暁には万能器クラウンが与えられ、そこに、《リライト》含む聖魂をはめ込めば(あくまで表現)、聖力は神格化し、歴史の事象そのものを書き換える事が出来る程のものになるらしい。


 対するエイリスの目的。これは、フィソフと似ている様であって実は少し違う。そう、簡潔に言えばヘヴンの防衛だ。

 彼女は神託によって、一年後に外世界の、《亜人類》が巨大連合国家を組織し、この大陸を襲撃するという事実を知った。しかし、今回の大虐殺含む、《神王》が判を押した数々の事にエイリスは反発し、反旗を翻してしまったのだとか。


 名誉を剥奪され、故郷からは追い出され、反逆者となって追われる身になっても尚、望みが捨てきれず、ぼろぼろになったあの状態で、死にかけのフィソフと出会い、彼の望みもまた、エイリスと根本的な部分が「書き換えたい」という共通したものだったのだ。


『そうね。そして、まずはこの街を守ってあいつらを駆逐するわよ!』


 数の差は絶望的。そしてその先にすべきことも決して容易とは言えず、幾つもの障壁が彼らを阻む事だろう。しかし──、


 それでも、たった二人の共同戦線は諦めず、最善を尽くして出来る限りの多くの命を救おうと戦っている。


『あ! そう言えば、ちょうど今私達の仲間を送ったから少しは戦い易くなるかも』


「仲間? そんな奴居たのか」


『うん! 万能だからきっと役に立つわ』


「説明が足りなくて、よくわかんねぇ……」


 お互い少しでも早く戦いたかったために、最低限の情報しか交換していなかったのだ。しかし、仲間がいるという事実はその最低限の情報に入る筈だと思うが──、


「とりあえず、書き換えと討伐を続行し────てッッ!?」


 瞬間、突如身体が浮き上がり、直上へと飛翔し始める。


「うおぉぉぉぉぉぉぉぉッッ!?」


 背中に張り付いたそれは、急激な加速で一気に上空へとワープする。これがもう少し速ければ、魂が地上に忘れ去られたままになっていただろう。


「な……なななにが起こってんだ──」


 ようやく停止したが、身体は宙に浮いたまま。当然、こんな体験も今までにしたことは無い。だが、無意識に背後へ振り向き、それを目にした瞬間にその戸惑いは無くなる。


 先程、その無機質な殺意に怯え、怒り、そして今は、一体でも多く消そうと努力しているその対象。


「お前──」



 ──スラータに似た白いそれが、フィソフを掴んでいたのだった。

 

 




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