1話:ネドゲ廃人の閉幕と開幕
煎れたての珈琲が香る洋式造りの大部屋。
天井は高く、円柱型の室内は周囲がガラス張りの窓で囲まれている。
いまは夜の時間帯なのか厚手のカーテンで全て閉め切られ、部屋の中央に設けられた電子機器に似た機材の発する青白い光が部屋全体を照らす。
室内にはキーボードを打ち込むキータイプの電子音が小気味よく鳴り響き、部屋中央に置かれた機材等を囲んだ大きな椅子に座るのは一人の少女。
「ランデブーポイントはこちらの私有地、招待時間は日本時間で朝10時頃っと」
空中に立体映像として映し出されたホログラム型の液晶パネルを眺め、キーボードを打ち込みチャットに興じていた少女は煎れたての珈琲を味わいながら一息を入れた。
「儂の分身ともあと僅かの時でお別れかね、寂しくなりますなあ」
液晶に映るのは3Dポリゴンで形成されたゲーム画面のようで、木造型の酒場のような場所には少女と瓜二つの小麦色の長い髪をした女性キャラクターが映し出されていた。
夜の帳が落ち、星空が地上を照らし始める頃、酒場の屋上に設けられた酒場の階下を覗けるVIPエリアにその少女はいた。
その特等席には少女のキャラクター以外にも、一人の男性キャラクターが対面の席に腰かけていた。
『それにしても、話を持ちかけられた時は驚きましたけど、まさかアウル団長がリアルで学び舎を建てようとしている大物だったとは』
『シュウ副団長殿には意外だったかな?』
少女のキャラクターをアウル団長と呼ぶシュウ副団長という名の男性キャラクターは飲みかけの蒸留酒「エール」を飲み干し、新たなエールを特等席のエリアで待機していた愛くるしい小型犬のような獣人の店員に注文した。
『アウル団長のおっしゃることですからね、それほど意外でもなかったですよ。団長ならある意味現実味がありましたし、リアルでは学者であることも含めてただ驚いただけです』
『おやおや、君とは長い付き合いなるけど副団長殿に映る儂はまだ奇天烈な人物に見えていたかな?自分ではいつだって普通に過ごしているつもりなのだがね。まあ、儂の誘いを躊躇なく受けてくれた時はシュウ副団長に心の底から信用されているようで何よりだったよ』
リアルである現実の世界で学者として生活しており、実際に学び舎を設立しようと考えているアウルは、自らの野望に賛同をしてくれた相手へ、ありがとうシュウ副団長殿と椅子から弾みそうなほどにこやかな笑みで感謝の言葉を述べた。
その様子に苦笑しながらもかれこれ数年の付き合いになるシュウは、アウルはデジタルとリアルの関係なく裏表のない人物なのだろうと確証はなかったものの確信に近い何かを感じていた。
『名残惜しくはあるが、改めてこのフィラーヘルツオンラインにはより多くのことを学ばせてもらったと感じるよ。これまでの学業や研究漬けの人生では得難いものがたしかに存在したと思うほどにね』
オンラインゲーム「フィラーヘルツオンライン」での体験や思い出を懐かしむアウル。
良き経験、良き出会い、このオンラインゲームに魅了されたものはアウルだけではなく、シュウを含め多くのプレイヤー達がフィラーヘルツオンラインに熱中し、人生の大切な一部として時を過ごしてきたことだろう。
『最後に神様という名の運営とのレイドバトルにも無事に勝てましたしね。いい思い出にもなりましたよ』
『これまでの戦いによる経験を是非ともこれかに活かして行きたいものだね』
『別のゲームにですか?これから学び舎を築くのならしばらくゲームに費やす時間もあまりなさそうなものですけど』
『ゲームはゲームだけど、まあコレは近いうちに話すよ』
『それまた余りイイ予感がしなさそうなことで』
『ふふっ、うちの副団長はよくお分かりで』
シュウとのこれまでと変わらぬ談笑を楽しむアウルが空を見上げると、屋上から臨める夜空には曇りひとつない満天の星々が光り輝くとともに、時計のような6桁の巨大な数字が映し出されていた。
22時57分42秒、6桁の時間を表す数字が24時00分00秒となる時、フィラーヘルツオンラインがサービス終了の幕を下ろす。
『何かが終わりを告げる時、何かが始まりを告げる、まるでこれからの儂らのようではないかね?』
『その始まりにとんでもなく苦労させられそうですけどね。アウル団長様にお供をすれば退屈しないことはもう十分経験させてもらいましたから、精々隣で楽しまさせて頂きますよ』
『うむ、何事も何があろうと楽しまねばな!』
アウルは自身のよき理解者であるシュウに満面の笑みを向け、苦労人のシュウもまた微笑みをアウルに返し、お互いにエールの盃をかち合わす。
そして上空の巨大時計が23時00分00秒の時を示し、フィラーヘルツオンラインのサービス終了まで残り1時間となる。
『この世界とのお別れも残り1時間を切ったか』
『やり残したことはないですけど、まだ物足りなさはありますね』
『それはこれからを存分に楽しめばよいさ、いまはそれよりも……』
『それよりも?』
シュウが問いかけた瞬間、アウルは酒場の屋上に設けられた階下の店内を望める大きな窓を勢いよく開け放つ。
『我らの門出とともに、フィラーヘルツの終わりを盛大に祝おうではないか!!』
酒場の階下で騒がしく飲み食いをしていた多くのプレイヤー達は窓ガラスが割れんばかりの音がした上方を見やり、フィラーヘルツオンライン最終イベントのプレイヤー側にて立役者となったアウルとシュウの姿を目にすると皆で盛大な歓声を上げた。
『諸君!今宵は最後の瞬間まで飲み食い明かそうぞ!!』
アウルの言葉に連なるように、フィラーヘルツオンラインのプレイヤーはサービス終了のその時まで思い思いにフィラーヘルツの世界で過ごす時を楽しんだ。
『ではシュウ殿、君にまた会える日を楽しみにしているぞ』
『へいへい、何があろうと覚悟だけはしてお待ちしてますよアウル殿』
24時00分00秒。この瞬間、ひとつの世界が終わりを迎え、フィラーヘルツオンラインはサービス終了の幕を下ろした。
「さらばフィラーヘルツ、待たせたな新世界」
液晶パネルの画面は白い輝きを放ち、画面内には『GAME END』と大きな文字とフィラーヘルツオンラインがサービス終了をした旨の文章が綴られていた。
「フィラーヘルツとの出会いがワシを生まれ変わらせてくれた」
画面を見つめていたアウルは椅子から立ち上がり、積年の鬱憤から開放されたかのような健やかな笑みを表す。
そう、フィラーヘルツオンラインにて『アウル団長』と呼ばれていた女性プレイヤーのリアルの名もまた『アウル』、『アウル・アダムネシア』だ。
「いま、いまこの瞬間から、ワシはコノ世界へ新たに介入しよう」
地に足を着け、己が踏みしめる世界に向けて宣言するかのように言葉を続けるアウルは、室内に響き渡るほど大きく指を鳴らした。
その瞬間、アウルに呼応するかのように部屋全体を閉めきっていたすべてのカーテンが勢いよく開き、暗がりの室内を明けたばかりの朝日の陽ざしが燦然と明るく照らす。
「世界よ!さあ、ゲームスタートだ!!」
声を張り上げ、高らかにそう宣言したアウルは続けざまに大きく高笑いを響かせた。
惑星セフィロト、魔導世紀0099年24月62日。
魔術と錬金術が栄えるこの惑星に、新たな光が降り注ぐ。
これより地球から遠く離れた惑星セフィロトよりアクセスし、地球のオンラインゲームに興じていたネドゲ廃人による学び舎の構築の幕が上がる。
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