am05:25~

   am05:25


 春日歩の手は反動の痛みとは別の理由で震えていた。

 南条彩香は少年の傍らに立ち、その腕に手を添えた。

 バックパッカーが足を引き摺って側に来ると、少年の硬直した手から拳銃を離した。

 護送者の男が、第八倉庫のシャッターを少し開けて、屈んで出てきた。

 埃にまみれたスーツとコートを払うと、何事もなかったかのように、三人の所まで歩いてくる。

「先程、撃ったのは、君か」

 春日歩に尋ねたが、返答はなかった。

 だが確認はそれだけで事足りる。

 沈黙もまた返答だ。

 少年が撃った弾丸は、第九倉庫の窓のアルミサッシに撥弾して仲峰司の回転式拳銃に命中。

 その衝撃で撃鉄が叩かれる瞬間に拳一つ分弾かれた。

 男の左側頭部の数センチ脇を弾丸が通過し、そして反撃は仲峰司の生命活動を完全に停止させた。

 少年が撃たなければ、生命活動を停止していたのは、男のほうだった。

 だが、春日歩は震えていた。

 自分から進んで予知を行うのは初めてで、予想以上に体力を消耗した。

 あるいは未来を知ることの恐怖によるものか。

 そして見えたのは、自分が拳銃で窓のアルミサッシを狙って撃ち、そしてそれが追跡者の拳銃に当たる光景だった。

 だからそれを実行した。

 予知したから実行したのか、実行されることを予知したのか、一種の矛盾だが。

 しかし少年が震えている理由は、極度の疲労だけではなく、殺人という行為によるものが大きかった。

 苦痛を与えていた張本人である研究所所長の門野誠一とは違い、追跡者は実験体だった。

 ある種の仲間殺しという感覚があるのかもしれない。

 しかし仲峰司は自分たちを研究所へ戻そうとしていた。

 どうなるのか知ったうえで。

 どういった経緯があったのかは知らないが、理由は理解できるような気がした。

 彼にとっての自由を手に入れようとしたのだ。

 もしくは手に入れた自由を逃さないためか。

 それは自分たちと同じ理由だ。

 だが春日歩は一つだけ彼と違うことを自覚していた。

 これから先、研究所のような人間と戦い続けることになるだろう。

 だが戦う相手は同じ境遇の、実験動物として扱われた人間ではなく、そういった状況に陥れたやつらだ。

 同じ境遇の人間を犠牲にして手に入れた自由は、研究所の人間と同類になることと引き換えだ。

 絶対にそんな人間にはなりたくない。

 そんな人間にはならない。

 それだけは譲れない。

「大丈夫か?」

 男の質問は震える体を気遣ってのことだったのか、しかし春日歩は決然と答えた。

「大丈夫」



   am05:45


 船舶に向かい、乗船前の荷物点検の前に、護送対象者の二人を、実験所の服から一般的な服装に変えた。

 こうすると、超能力者でも本当にごく普通の子供と変わらない。

 そしてチェックを受ける。

 二人の子供は簡単に通過し、次にバックパッカーが受ける。

 携帯している拳銃がそのままだが、検査機器に引っ掛からない材質が使用されているので問題なかった。

 ただ足の怪我の質問を受けたが。

 そして乗船前チェックを終えた春日歩と南条彩香は、ここまで護送任務に携わった男に最後の挨拶を交わす。

 彼とはここで別れ、そして二度と会うことはないだろう。

「ありがとうございました」

 少年の感謝の言葉に、男は冷淡に答える。

「仕事だ。それに最後は君に助けられた。護送者としては失格だな」

 最後の言葉は、バックパッカーへの言葉だったのかもしれない。

 少なくとも足を怪我してしまい、まったく役に立たなかった負い目は、少し軽くなった。

「あなたも私も、まだまだってことね」

 皮肉に笑ってみせるが、男からは反応はない。

 もっとも彼の笑顔など見たことは一度としてないし、想像もできないが。

 南条彩香が不意に護送していた男の手を握った。

 沈黙の少女の手は細く柔らかく脆弱で、だが、とても暖かく感じられた。

「ありがとう」

 少女の唇から紡がれた言葉に、春日歩は驚いて目を見開いた。

 男がなにを感じたのか、その表情のない顔からは窺い知ることはできない。

 しかし、少しだけ少女の手を握り返した。



   am05:47


 閑寂とした第九倉庫の前にバンが一台停車する。

 中から三名の研究者と戦闘実験配属実験体、№13・荒城啓次と№32・仲峰美鶴が降りた。

 副所長の指示でできる限り速度を上げて秦港へ車を走らせたが、しかし大量に積載されている精密機器は乱暴な扱いに耐えられないため、結局通常と同じ程度の速度だった。

 さらにここへ向かう主要道で、なぜか街灯が道路に倒れている事故があり、交通量が少ない時間帯であるにもかかわらず、撤去作業のために一時的に交通規制され、渋滞が発生し、副所長の焦燥とは裏腹、今頃になってようやく港に到着。

 №31・仲峰司に取り付けられている発信機は、倉庫地区から電波を発信している。

 近付くことでより正確に受信できるようになり、第九倉庫の中であることがわかった。

 しかし仲峰司の無線が途切れてしまい、モニターも全部停止してしまっている。

 その意味することは二つ。

 機材を体から剥がしてしまったのか、後もう一つの可能性はあまり考えたくないことだ。

「ねえ、仲峰君。返事してよ、仲峰君」

 荒城啓次が無線機に何度も応答を入れるが、やはり返事は返ってこない。

 第九倉庫を含めて周辺は閑寂としており、誰かが潜んでいるのかどうかもわからない。

 倉庫の中にまだ敵がいるかもしれないが、仲峰美鶴は無造作に中に入ってしまった。

 それともなにかの予感はあったのかもしれない。

 倉庫の乱雑とした状態に、仲峰美鶴は動揺を見せず、ただ静かに歩を進め、そして木箱に背を預けるようにして静かに頭を垂れている、兄の姿を見つけた。

「……兄さん」

 どこか感情のない空虚な声で、たった一人の肉親を呼ぶ。

 だがそれはなにも答えない。

 妹は黙して兄を抱える。

 上半身を抱えただけなのに、意外と逞しい体は、とても重い。

 物心ついた時から兄は側にいた。

 いつも自分を安心させるために労を惜しまず守ってくれていた。

 最初の研究所の時も、別の組織による襲撃を知った兄は脱走計画を立てた。

 だがそれも、美鶴は薄々感づいていたのだが、兄は自分を逃がすためだけの脱走計画を練り、それを他の実験体に持ちかけたらしい。

 だからみんな捕まって、もしくは殺されても自分たちだけは逃げ出せたのだ。

 養護施設に世話になっていた時も、兄が上手く周囲との距離を測ってくれたから力を隠し通せた。

 もし機関のエージェントがやってこなければそのまま暮らせていたかもしれない。

 そして複数の研究機関に追われる状況になっても、兄は自分を守るためにあらゆる手段を使って各地を転々とした。

 逃亡生活に疲労し始めた自分を見て、自分から組織に取り入って実験体になり、そして実験所の他の実験体を犠牲にすることで、優遇処置を手に入れ与えてくれた。

 兄は自分を守るためならどんな犠牲も厭わない人だった。

 けれども美鶴は、本当はそんなものなど要らなかった。

 自由も、安楽も、人並みの生活も。

 ただ兄が側にいてくれさえすれば、満足だった。

 始めからそう口にしていれば違った結果になっていたかもしれない。

 けれども必死になって人並みの生活を妹である自分に与えようとする兄を、どうして止めることができるだろうか。

 兄はそうしなければ生きて行けなかった。

 そうやって生きる理由をこじつけていた。

 そしてそんな兄の側にいなければ、自分も生きることができなかった。

「兄さん」

 彼女は涙を流さず、ただその唇に自分の唇を重ねた。



   am06:00


 チェックを済ました三人は乗船し、サンデッキから手を振っている。

 見送る男はしばらくその場に佇んでいたが、船が遠ざかり三人の姿も見えなくなると、踵を返した。

 明朝のせいか、貨物船ということもあってか、見送りの人々は少ないが、朝日は水平線からすっかり上がっている。

 新たなる旅立ちには相応しいだろう。

 不意に、バンが路地の向こうから猛速度で接近し、送迎場手前で止め、中から数人降りてきた。

 金坂大学第三研究所の所員だ。

 その中に見覚えのある顔がいた。研究所の副所長、杉原友恵だ。降りるや否や甲高い声で喚きだす。

「あれよ! あれだわ! 早く船を止めなさい! なにしてるの! 早く止めるのよ! はやーく! はーやーくー! キィイイイイ!」

 見つかる前に姿を隠したほうが良さそうだと判断し、足早に立ち去ろうとしたが、倉庫の方角からもう一台バンがやってきた。

 恰幅の良い体格の、自分と同じ年ほどの男が最初に降り、その後に娘ほどの年齢の女性が降りてきた。

「あの男だよ」

 恰幅のいい男は周囲を見渡して自分を見つけると、指差して女性に伝えた。

 なにを伝えたのか明確に発言しなかったが、その意味は即座に理解できた。

 №13・荒城啓次。千里眼能力。

 遠方の光景、隔壁に遮られた向こう側、探索対象など、見えるはずのない、見ることができるはずのないものを、見る能力。

 視覚、視認することに関して特化した能力は、一目で第三研究所から実験体を強奪したことを見抜き、そして仲間を三人始末したことを見抜いた。

 この時、組織の男にとってもっとも理に適った行動は全力で逃走に入ることだ。

 護送対象者は手の届かない海の上であり、護送の仕事を交代した時点で仕事も終了している。

 無理に戦う理由も必要も一切ない。

 だが男は動かなかった。

 迂闊に動けば危険を招くことを感じていたのかもしれない。

 副所長杉原友恵が今度は、少し遅れて到着した実験体の二人に向かって喚き始めた。

「いったいどこへ行ってたの!? なにを寄り道してたの!? ああ、そんなことどうでもいいわ!! なにボサッとしてるの! 早く船を止めなさーい! はやーく! 実験体を連れて帰らないと私は身の破滅よ!!」

「それはどういう意味です?」

 荒城啓次が尋ねたが、杉原友恵は相手にしなかった。

 それどころか彼が誰を指したのかさえ察することができていない。

 ただひたすら船を止めて実験体の奪還を叫んでいる。

「いいから! 早く止めるのよ! ああ! もうあんなに遠くに行っちゃったじゃない!早くしなさいこのモルモットが!」

 男は戦闘実験体の注意が逸れた隙に、その場から立ち去ろうと、小走りで別の方角へ向かった。

 だが唐突に、朝日に彩られた快晴の空から、無数の雷が落ちた。

 港の業務員や見送りの人々は、突然発生した文字通りの青天の霹靂に仰天し騒然となる。

 ありえない落雷は奇妙なことに男の周辺のみに発生し、しかも本人にはまったく感電していない。

 こんな不自然な落雷など自然界に存在せず、だがそれを可能とする者が目の前に一人いる。

 電雷はさらに二台のバンを打ち据え、搭載していた研究所の高価な精密機器類は高電圧の過負荷で火花を飛び散らしてガラクタと化し、中に残っていた研究員を高圧電流でショック死させた。

 起電能力エレキネシス

 物質に帯電する電子を任意方向に移動させる能力。

 電圧、電流を自由に調節することで、電撃を発生させる。

「な、なにしてるのよ!? どこ狙ってるの?! 目標はあの船よ! 早く打ち落として!」

 驚きながらも相変わらず喚き続ける杉原友恵の、船に向ける人差し指の先に、脈絡もなく火が灯った。

「熱っ!」

 それは眩しい朝日の中では見分けは付き難かったが、しかし指の異様な熱さに杉原友恵は手を滅茶苦茶に振る。

「なに? なんなの!? え!? え! ヒィイイイ!!」

 火は消えることなく手に渡り、腕に燃え広がり、体全体が燃焼し始める。炎に包まれた杉原友恵は絶叫し、煉獄の苦熱に路面をのた打ち回る。

「止めなさい! №32! 止めて! やーめーてぇえええ!!」

 発火能力ファイアスタータ

 任意物質の原子運動を加速させ、発火領域まで熱エネルギーを上げ火焔を発生させる能力。

 他の研究者や所員たちは、副所長の凄惨な姿に慄いて後退り、何人かが身震いした。

 仲峰美鶴に恐怖を感じて背筋が凍るほど冷たく感じ、しかしそれが錯覚ではなく現実に温度が低下していることに気がついた時には、皮膚が氷結し始めていた。

 逃げようとした拍子になぜか彼らは躓き、その足がガラス細工のように呆気なく折れた。

 驚愕する彼らは、それでも転倒を防ごうと手を突き出したが、それは肘から砕け、そして路面に叩きつけられた全身は、それが人間だったことを思い出すことさえ困難なほど微細に砕け散った。

 凍結能力フリーズフォース

 原子運動を減速させ、熱エネルギーを低下させ、あらゆる物質を凝結させる。

 極低温の物質は結合力が低下し、衝撃に対し恐ろしく脆弱で、容易く原子結合が分断される。

「「「うぁああああ!!」」」

 残った者は恐怖に駆られ、悲鳴を上げて逃げ始めたが、その体が不可視の力で空中に持ち上がる。

 手足を無様に動かしてもがくが、開放されることはなくその抗いも押さえられ、鈍い音と共に胴体が捩れ、肘はへし曲げられ、足は可動方向とは逆に丸められ、首が百八十度回転する。

 念動力サイコキネシス

 物理に作用する力場を意思で形成し、物質に触れることなく運動エネルギーを発生させる。

 路面に転がっている者を含めて、研究所職員だったものを全て浮遊させてバンに叩きつけると、誰も触れていないガソリンタンクの蓋が開き、燃料が空中を漂い車体に撒き散らされる。

 そしてほんの少しの火が触れ、爆発的に引火し、そこに金坂大学研究所所員らが存在していたことを示すもの全てを、消し炭に変えていく。

「み、美鶴ちゃん」

 一人だけ残された荒城啓次は震える声で彼女の名を呼んだが、彼女はそれに応えることはなかった。

 №32・仲峰美鶴。

 PKによる超能力の大半を発現。

 具体例に、起電能力、発火能力、凍結能力、念動力。レベル・オールA。

 金坂大学第三研究所超能力実験最高極秘実験体。

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