am05:21~
am05:21
「わあ!」
春日歩は驚愕に似た悲鳴を上げた。
「だ、大丈夫?」
バックパッカー風の女性は心配そうに、そして少し驚いたように尋ねた。
だが春日歩は返事をする心理的余裕はなかった。
銃声が何度も鳴り、やがて遠くでガラスが割れた音が届いた。
護送者が第九倉庫に入ったのだ。
春日歩は動揺と恐怖に支配されつつあった。
どうする? どうすればいい?
間違いなく予知だ。
見たものが現実に結果として現れる。
そして予知の最後は護送者が殺される。
銃声が断続的に届く。
彼らは合計何発撃った?
いや、何発撃つことになる?
最後の一発は何発目だ?
時間としては何分何秒だ?
「こんなことがわかったってどうすればいいんだよ!?」
春日歩は叫んだ。
一度見た予知は変えることができない。
物心付いた時から見える未来の光景は、何度変えようとしても、成功したことは一度としてない。
「ちょっと、どうしたの?」
バックパッカーは少年の只ならぬ様子に、なにかがあるのだと理解したが、その正体まで理解に及ばない。
知りえるはずのない未来を知ったことによる苦悩など、本人にしかわからないのだ。
それを共感できるのは、唯一、精神感応能力者のみ。
南条彩香は表情なくその場に座り込んで、少年の取り乱す様子にもまったく関心がないように見えた。
だが少女は春日歩の手を不意に握り締める。
バックパッカーからすればただそれだけなのだが、春日歩は急速に落ち着きを取り戻した。
そうだ、諦めるな。
なにかできるはずだ。
春日歩は冷静であるよう努力し、自分の見た予知を正確に思い出すことに集中した。
№31・仲峰司は現在、二階物置にいる。
護送者はその真下だ。
銃撃を加えるが、両者共に命中しない。
問題はこの先。
未来を変えられる可能性はあるか。
予知を変えられる余地は存在するか。
「……そうだ」
春日歩は気がついた。
自分が見た最後の瞬間は、仲峰司が背後から撃つ瞬間だ。
その銃声も確かに知っている。
だが護送者が殺されるのは見ていない。
命中したことさえ見ていなかった。
「……そうだよ、そうなんだ」
予知を変えることはできない。
見えてしまえばそれは過去になる。
だが見えていないのならば、その結果はまだ決定されていない。
あと一分程で、その時が来る。
走って間に合うか。
春日歩は自問して、一秒もかけずに否定した。
ダメだ、直接止める時間なんてない。
その場に行っても状況を解決する都合の良い方法が思いつくとは思えない。
戦闘や殺し合いなど一度として経験したことがないのだ。
方法はないのか。
絶望が急速に迫り、未来の希望を失いつつある状況で、少年は最後のその一瞬まで諦めなかった。
なにか方法はあるはずだ。
助かる方法が、絶対にあるはずだ。
それを知るには。
知るには一つだけ方法がある。
解決に繋がるかどうかはわからないが、手段を知る方法が一つある。
それは一度として自ら行ったことがなかった方法。
そもそも自分の意思でできるのかさえ試したことがない。
しかし今は選択の余地がない。
「未来を見る」
春日歩は必死に集中する。
その手を南条彩香が表情のないまま、だが頑なに握り続けている。
バックパッカーは、まるで神憑りの神官とそれを守護する巫女のような二人を、神聖な存在に思いもかけずに触れた人が見せる表情で見つめている。
春日歩の瞳孔が急速に広がり、次の瞬間窄まる。
自ら未来を見ようとしたことは一度としてない。
自分から予知能力を試したことは一度としてなかった。
だが今、必要なことだ。
一秒が百秒に感じられる瞬間。
答えを見つけた。
春日歩は突然バックパッカーへ振り向いた。
「拳銃を! 拳銃を貸して!」
バックパッカーからひったくるようにして、春日歩は拳銃を借りた。
「ちょっと、なにをする気なの? それ使えるの?」
「使い方は、あの人に習った」
そして金坂第三研究所所長、門野誠一の眉間に狙い通りに命中させた。
だがあの時は補佐がいたから命中したのかもしれない。
今は、いない。
バックパッカーは怪我をして期待できない。
できるのは自分だけだ。
頼れるのは自分一人だけだ。
自由を得るのに他人の力を頼っては駄目なのだ。
エンジンの咆哮が聞こえた。
フォークリフトが動き始めた。
もう時間がない。
後十秒。
春日歩は裏口へ走り、ドアを開けて外へ出ると、第九倉庫と第八倉庫の間の細い通路に狙いを定める。
彼の言葉を思い出す。
身体を半身に構える。
左手で右手を保持する。
脇を締める。
照準孔と照準点を合わせて照準線とする。
引き金は引くのではなく絞る。
反動に気をつけて。
一発の銃声。
am05:23
仲峰司は引き金を確かに引いた。
拳銃からは弾丸が放たれ、衝撃が手に伝わった。
しかし照準は標的から大きく外れ、男の左側頭部を通過して、木箱に孔を穿った。
なぜ?
仲峰司は、手にする拳銃に突然加えられた、右方向からの衝撃の正体を知ることができなかった。
理解できたのは、弾丸一発を外してしまったことによる隙が、標的に十分な時間を与えてしまったことだった。
標的は振り向きざま中峰司の拳銃を払い、腰溜めに拳銃を構えた。
ほぼ密着状態の近距離から発砲された弾丸は、腹部に減り込み、臓物を破壊して、背中から貫通する。
二発、三発、四発。
弾丸を受けるたびに、仲峰司の身体は後方へ下がり、五発目で転倒し、手にする拳銃を落とし、そして銃撃が途絶えた。
拳銃を拾おうとする意識が働いたが、しかし手に力が入らず思うように動かない。
腹部に異物が入り込んだ感覚がするが、同時に空洞が開いた感覚でもあった。
痛みはなく、急速に身体が冷えていく。
視線を移せば、白いシャツが半分以上真紅に染まっていた。
標的が銃口を向けたまま、直立して微動しない。
その顔には表情らしい動きはなく、なにを考えているのかわからない。
「……あ」
なにかを話そうとして、しかしなにを口にすればいいのかわからず、出てきたのは呻き声だけ。
美鶴……
妹の顔が脳裏によぎる。
試験管の中で生成される姿。
この世に誕生したことを主張して止まないかのような産声。
番号でしか呼ばれることのなかった少女に名前を付けた時の喜び。
初めて能力を開花させたときの誇らしげな姿。
実験体であることの怒り。
最初の実験所を脱出する時、仲間が殺されたことによる涙。
継続する逃避行による疲労。
金坂大学第三研究所に所属した時の悲しい瞳。
そしていつも気丈に絶やすことのなかった笑顔。
ずっと傍にいて、守り続けた最愛の妹。
すまない。
結局俺は、お前を自由にしてやることができなかった。
その思念を最後に、仲峰司の意識は途絶え、続くのは永遠の暗闇。
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