剣と拳

 皆藤かいどうあやはとある剣道場を営む家に生を受けた。物心ついた頃にはすでに竹刀の握り方を覚えていて、なんの疑問も持たず、ひたすらに剣道の鍛練に打ち込んでいった。小学生時代からいくつもの大会に参加し、何度も優勝した。


 中学校に上がり、綾は校内の剣道部に入部しようとした。だが、その学校には剣道に心得のある教員はおらず、部活動は主に上級生が自主的に下級生の稽古をつけるという状況だった。はじめは満足な稽古をつけてもらえないことに落胆したが、ある部員にどうしても入部してくれないかと頭を下げられた。その部員が元々皆藤家の道場に通っていたというよしみもあって、仕方なく綾は彼女の要求を受け入れた。当時の部長や副部長と練習メニューを相談したり、部員一人一人にあった技や戦術を考えて実践し、剣道部のメンバーは少しずつだが実力をつけていった。実際の試合で彼女たちが綾の教えた通りの戦術で勝利できたときにはまるで自分のことのように喜んだ。もちろん、道場の方も決して蔑ろにはせず、自分自身のための稽古も続けていった。


 綾の指導によって、確かに剣道部は強くなった。しかし、そんな綾の存在を面白く思わない者もいた。剣道部の上級生たちだ。入部して数ヵ月の1年生に、自分達が向けられるべき羨望や信頼を全て奪われてしまったのだ。部の雰囲気もいつのまにか綾を中心としたものに変わっていった。それで部が強くなっていったこともあり、彼女たちは綾に不満の矛先を向けることもできなかった。そして彼女たちは少しずつ、部を離れていった。彼女たちにとっては剣道部は自分達の居場所だったが、逆に言えば、居場所があればそれは剣道部でなくても良かったのだ。


 部活動をやるのは個人の勝手だし、残っている人は綾の指導を受けたがっていると励ます人もいた。しかし、綾は悩んだ。彼女たちが剣道部に求めていたものは何だったのか。自分が剣道を続けていくことの目的は何なのか。皆が自分と同じように強くなることを望んでいるわけではなかったことを、綾はこの時思い知らされた。学校の部活でも自宅の道場でも稽古に身が入らず、綾は作り笑いが上手くなっていった。信頼のおける部員に自分の役割を任せ、部活に顔を出さない日も増えていった。綾は少しずつ、自分の居場所を失っていったのだ。


 高校はどこか遠くの街に引っ越して、剣道も辞めてしまおうと思った。ちょうどパンフレットを漁っている時に全寮制の女子高を見つけた綾は、深く考えずにそこを目指すことにした。受験勉強のためと言って部活や道場から身を引き、そして戻ってくることは無かった。高校でも部活には入らなかったが、それでも人目を忍んで素振りや走り込みなどは続けていた。自分の自由にできる時間が増えたのでいろいろな趣味に手を出した。難しいことを何も考えなくても適当に進めれば満足感を味わえるソーシャルゲームは綾の心の隙間を埋めるのにピッタリだった。


 綾は特にやりたいことも無かったが、推薦がもらえるということで何となく大学への進学を決めた。そうしてぼんやりと流されるままに日々を過ごし、気がつけば4年生になっていた。就職活動は困難を極めたが、綾のアルバイト先のフリーターの先輩が転職をする話に興味を持って着いていき、全く知らない街の知らない会社に落ち着くことになった。なんだかんだで上手くいっている、そう感じた綾はこのままなんとなく人生が終わるのだろう、という達観を持っていた。


 月森に引っ越してしばらくたったある日、綾は夢を見た。幼い頃の剣道の試合の夢だ。不思議なことに、これは夢だな、となんとなく理解できた。面金越しに相手の様子を見ている。相手の体全体を見て、足に力がかかっているからすぐに打突が来る、視線から見て恐らく面を狙っている、足を使って間合いを動かせば返して胴が狙える。そういう判断が綾にはできた。だが、体は動かず面を打ち込まれ、審判が白の旗を上げた。夢なのに思い通りにならないなんてな、と綾は呆れたような笑みを浮かべた。


 目が覚めたとき、綾は不思議な感覚に襲われた。部屋の片隅に立て掛けてある木刀を握り、中段に構えてみた。これを振ると、“攻撃”ができる。綾は心でそれを理解しつつ、そんな非現実的な考えを頭を振って否定した。そうして何もなかったかのように木刀を元の位置に戻し、朝食を取って職場に向かった。しかし、仕事中にもモヤモヤとした違和感を拭うことはできなかった。綾は早めに仕事を切り上げて帰宅し、木刀を袋に入れて背負い、自転車で山の方に出掛けていった。人目のつかないところで木刀を振るうと、確かにその刃が空を掛け、遠くの枝を切り落としたのだ。あり得ない、という気持ちと当然だ、という気持ちがせめぎ合い、綾には自分がどうすればいいのか分からなくなった。しばらく立ち尽くしていると、綾の後ろの方から物音がした。風や小動物の出す音ではない、自分の通ってきた道と同じ道を使って誰かがここに来ようとしている、と綾は認識できた。木刀を構えて警戒していると、その茂みから女が現れた。空も薄暗くなって分かりにくかったが、どうやら綾と同じか少し年下くらいの若い女だった。彼女こそコルヌコピアのリーダー・トウカであり、その夜綾はアヤメとなった。



 次々に不良どもが押し寄せてくる。様々な武器を持っているようだがアヤメは落ち着いていた。降り下ろされたバットを木刀と姿勢の移動で左に往なし、バランスを崩したところに蹴りを入れる。続いてナイフを構えて襲ってくる相手の手首を正確に打つ。一人一人の体勢を観察し、最小限の動きで無力化する。これが今のアヤメの戦い方だ。後ろの方で人が倒れる音とおらー、という叫び声が聞こえる。ヒーローの方も頑張っているようだ。一度木刀を構え直して後ろに下がると、灯の方も下がってきて背中を預ける形になった。


「そっち大丈夫か!?」

「問題ない、自分の心配をしていろ」

「言ってくれるな!」


 言葉を交わしたらまた灯が飛び出していった。正直なところ、この人数をアヤメ一人で相手取るのは流石に無理があった。灯とは何度も戦ったが、今は安心して背中を預けられる。このペースでいけばあと10分以内に片付くだろう、とアヤメは見当をつけた。



 コルヌコピアで活動をする中で、自分の能力では人を切ることができない、あくまで切れるのは無生物だけだということをアヤメは知った。ある戦いで人に対して斬撃が飛んだとき、その人物を守っている壁は斬れたがその奥の人物は吹き飛んだだけだったのだ。それを知ってからはアヤメは人に対しても躊躇わず能力を使うようになったが、同時に自分の能力に対する疑問も膨らんでいった。


 コルヌコピアの勢力が拡大し、能力の研究を専門にする部署ができた。そこからの報告では、能力は抑圧された感情から生まれる、とのことだった。アヤメは自分がよく木刀で素振りしているからこの能力を得たのだろうと深く考えていなかったが、その報告を聞いて自分の能力について考え直した。自分にとって剣道を辞めてしまうことが、それほどまでに抑圧になっていたのだろうか、と。しかしいくら考えても、結論は出なかった。アヤメは自分自身、剣道にそこまで執着があったとは思えなかった。


 ある日、総務班の幹部からメールが来た。内容は総務班の手に負えない強い能力者についてだった。戦闘班はそれまで大きな仕事がなく、仕事が回ってきても班の下の者に回しておけば十分に解決できるという状態だった。報告書には相手が非常に強いという内容が何行にも渡って書かれていたため、アヤメは彼女の実力を試したくなった。チーム内でこいつを見かけたら報告するように共有したら、割と早い段階で相見あいまみえることができた。


 彼女は強かった。アヤメの斬撃を時に躱し時に受け止め、強化された脚力で縦横無尽の間合いから攻撃を仕掛けてくる。彼女の強さが能力一辺倒でないことはアヤメには簡単に理解できた。結局この日に決着はつかず、お互いにスタミナ切れを予見して撤退した。また別の日も、別の日も、二人は戦った。そんな日々を過ごすなかで、アヤメは自分が彼女との戦いを楽しみにしていることに気がついた。


 幼い頃から剣道を続けていた。あの頃の剣道はただの生活の一部で、その先に何があるのかなど考えたこともなかった。そのせいで、中学生の時に失敗した。自分が何を目指しているのかわからなかった。だが、今のアヤメは胸を張って言うことができる。鍛練の先にあるものは、強くなる目的は、より強い者との戦いなのだと。そう考えると、自分の能力にも納得がいった。人を斬ってしまうと、もうその相手とは戦えない。自分が一度戦った相手ともまた戦える、強い相手と何度も戦うことを求めて、自分はこの力を手に入れたのだ。そう思うとアヤメは人生で一番の幸福を感じた。自分の心の底から求めたものを、今手にしているのだ。だから、アヤメは灯に感謝している。感謝して、それからも戦い続けた。



 河川敷は倒れた不良たちで溢れていた。その中央で、立っているのは二人。流石の実力者たちも肩で息をしている。そこに最初に話しかけてきた女が近づいてきた。


「やってくれたねぇ……アタシの出る幕は無いかと思ってたけど、こうなっちゃ仕方ないね……あんたら二人まとめて地獄に送ってやるわ!」


 そう言うや否や女は走って距離を詰めてきた。何かを右手に握っていることを見抜いたアヤメはあくまで冷静に女の小手を狙ったが、何か固いものに攻撃を阻まれた。そのまま女は振りかぶり、アヤメの腹に一撃を放った。拳で殴られたわけではない、もっと固く尖ったものだ。アヤメはその場に膝をついて、呼吸を整えることに専念した。


「お前、今何を!」

「知らないかい? トンファーって言うんだよ。ガードに良し、突きに良し、叩きも関節も良しの優れもんさぁ……次はお前ね!!」


 トンファー。片方が長く、もう片方が短いT字型をした棍棒の一種で、琉球古武術の武器のひとつである。それを握ること自体が手首の防御になっており、アヤメの一撃はそれで弾かれたのだ。しばらく女はそれを手首でくるくると回していたが、そこまで言ってから次は灯に狙いを定めた。


 降り下ろされるそれを寸前で交わしつつローキックを放つが、疲労の溜まった灯の蹴りは大きなダメージを与えられない。女は次にトンファーの握り方を変え、握っていた部分を鉤のようにして灯の腕を掬った。


「ぐっ!!」

「言っただろ? 関節技にも応用が効くんだ」


 灯の腕を極める力がどんどん強くなっていく。このままでは折られる……そう思われたが灯の腕はすぐに解放された。剣士が、再び立ち上がったからだ。


「……もう動けるとはね。ならもう一度眠らせてあげるわ!!」

「……」


 再び女が攻撃を仕掛けてくる。この時、女はアヤメに同じ手が通じないことを理解していた。そのため、今度は握り方を変えて木刀を往なして距離を詰めようとした。

 瞬間、アヤメが木刀を振り上げた。トンファーは女の手を離れ、回転しながら宙を舞った。そこに灯が全力のタックルをかまし、女は倒れた。


「今……何を……?」

「……“巻き上げ”という技だ……鉤型のおかげで仕掛けやすかったよ」

「そんな……うっ」

「よし……やってくれたなアヤメ、今回は一つ貸しだ!」

「あぁ……こっちこそ助かった。早くズラかろう」

「りょーかい」


 灯は倒れた女に手刀を加え、女をダウンさせた。死屍累々としたその戦場を、生き残った二人は肩をお互いに預けながら後にするのだった。


「そういえばザクロは? 一緒に来てたんじゃないのか」

「あれ? そういえば……どこ行ったんだあいつ……」

「……あとで電話かけてみるか」

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