駆ける一番星

「アーシェ、今の時間は!?」

「ちょうど8時37分になりました! 西公園だと、自転車で急いで、間に合うでしょうか……」

「奥さん、あんたソイツと連絡取れるか!?」

「待って、今から電話する……ダメね、出ないわ」


 御門家のダイニングは一瞬で騒乱に支配された。かつてザクロを組織にスカウトし、また、幾度となく星井灯と対峙したコルヌコピア戦闘班幹部・アヤメ。能力者時代は一騎当千と謳われた彼女が今、過去に切り伏せた相手に狙われている。対抗する手段は恐らく木刀一本だけだろう。この場にいる全員が、焦っていた。


「アタシは先に向かう! 奥さんも戦えるなら着いてこい、アーシェはやめとけ!」

「私も行くわ、というかあんたは道分かるの?」

「大体の方角はな。あとは直感だ! 今までもそれで大丈夫だった!」

「……私が道案内するわ。アーシェ、ここで待っててくれる?」

「私も行きっ……たいんですが、ザクロさん、自転車無かったんですよね……私のものを使ってください、信じてますから」


 アーシェは自分にもできることが何かあるのではないかと考えていた。ザクロのために何かしたいという建前を掲げて、その本心ではどんな時もザクロの側に居たいというエゴを通そうとした。しかしながら、彼女の聡明さは、彼女に盲目になることを許さなかった。居間のカウンターに置いてある自転車の鍵を環に渡しながら、彼女の掌をしっかりと握りしめた。これが環のためにできる全てであることを、アーシェは理解していた。そして、環も。


「……アーシェ、ありがとう。じゃあ灯、行くわよ!」

「おう!」


 かつて敵対していた2人が、同じ目的のために玄関を飛び出した。


 今にも出発しようとしたその瞬間、環の携帯電話が震えた。自転車を漕ぎながらでも通話できるように、愛用のイヤホンマイクを用意した。灯に一言断りを入れて、応答ボタンを押す。灯も頷いて、すぐに出発した。環は携帯をポケットに仕舞ってから彼女を追いかけた。


「もしもし、ザクロ、どうかしたか?」

「アヤメさん、無事ですか!? 今どこにいますか?」

「どうしたんだ急に……今は日課の自主トレ中で、近所の公園にいるが……? さっきの電話に出られなかったのはそのせいだ。ちなみにもうすぐ帰るつもりだが」

「……河川敷を通るんですよね」

「なんだお前、私のストーカーか?」

「……落ち着いて聞いてください。あと数分でそっちに残党狩りが来ます。人数は分かりませんが、できれば逃げてください。今星井灯と2人でそっちに向かっています」

「……状況がよく分からんが、分かった、迎え討とう」

「……そう言うと思ってました。木刀はあるんですよね」

「無論だ」


 アヤメなら戦うだろう、と思っていた環は彼女の返答に別段驚きもしなかった。むしろアヤメにとっては怨敵を討つチャンスが巡ってきたようなものだ。とはいえ、能力の無いアヤメがどの程度戦えるのかを知らない二人は、ペダルを回す速度を緩めはしなかった。


「なー奥さん、電話は終わったか?」

「ええ、やっぱりアヤメさんは戦うつもりだったわ」

「じゃあアタシも急がないとな! ここは……上のほうが速いか?」

「いいえ、ここは少し待ちましょう。それでも十分上より速いわ」

「へー、やっぱ奥さん案内で正解だったな。アタシの知らない近道いくつも使っちゃって」

「ねえ、ずっと気になってたんだけどその奥さんって何?」

「ん? あー、今日の買い出しの時にな、……行けるぞ、帰ったら話す!」

「……分かったわ。絶対聞かせなさい」


 二人は高架道路の下を駆ける。河川敷はもうすぐだ。




 通話を終えたアヤメは、近くの水道で喉を潤した。時計を確認するともうすぐ21時になろうとしていた。道路の方から聞こえてくる改造バイクのエンジン音がだんだん近づいてくるのを感じたアヤメは、持っていた袋から木刀を取りだし、体の左側に帯刀した。これがアヤメの臨戦態勢だ。ついでに街灯が作る橋の陰から離れた場所を位置取る。バイクの集団は二手に別れてスロープを下り、アヤメのいる位置を挟み込むように停車した。古風な特攻服に身を包んだレディースチームの集団だ。服の見た目が何パターンかあることから、いくつかのチームが混ざっていることが窺えた。バイクを降りた連中がぞろぞろとアヤメを取り囲む。その中のリーダーなのだろうか、一際人相の悪い女が一歩前に出て、アヤメに立ち塞がった。


「あんたらがザクロが言っていた残党狩りか」

「へぇ、わかってんじゃん。てことは、あんたが元能力者だってことも認めるんだね?」

「そうだ。かつての私たちの仲間を害したお前たちを、ここで倒す!」

「状況分かってんのかい? こっちはざっと40人はいる。あんた一人でどうにかできるとは思わないけどねぇ?」


 ほざけ、ならやってみろ。アヤメはそう言うつもりだった。だが、その瞬間アヤメの視界に残党狩り以外の影が見えた。橋の上、正確には欄干の上。街灯に照らされたその姿は輪郭以外逆光でよく見えず、文字通りの影だ。しかし、アヤメにはそれが誰か理解できた。こんな馬鹿みたいな真似をする人間をアヤメは一人しか知らなかった。残党狩りの一人がその存在に気づき、声をあげた。その場にいた全員の注目を集めたそれは、ニヤリと笑って天を指差した。


「全員気づいたな。ふふ……

 悪を蹴散らすその輝きは、夜空を照らす一番星! 月森高校ヒーロー部部長・星井灯……

 ただいま見参!! とうっ!!」


 灯はそのまま河川敷に飛び降りた。ざっと三メートルほどの高さがあったが、受け身を取って転がり、見事な着地を決めた。その様子にその場にいた全員が呆気に取られた。橋の上から一部始終を見ていた環もだ。さらに環は彼女の口上が2パターン目であることにも驚いていた。言うまでもないが、一番星が出る時間帯とはとてもじゃないが言い難い。そんなことを微塵も気にしていない灯はアヤメと対峙していた集団の隙間をすり抜け、中心に立っていた剣士に笑顔を向けた。


「アヤメ、久しぶりだな! これから残党狩りを狩るからな、ちょっと手を貸せ」

「ふっ、こんな形で再会できるとはな。別に私一人でも問題ないが、どうしてもと言うなら手伝わせてやろう」

「へぇー、言うじゃん。口だけじゃなきゃいいけどな!」


 そうして二人は背中を合わせて臨戦態勢に入る。突然の乱入に敵も驚いたようだが、もう一度戦いの構えを取った。しかし環は、その集団の中に一人、未だにこちらを茫然と見上げている人物に気がついた。環は灯と少し立ち位置がずれていて、それでその人物からは環の顔がよく見えていたのだ。その人物は周囲の人間と違って季節外れのパーカーを着ており、深く被ったフードの下にはサングラスが見えた。

 違和感を覚えた環はその人物を観察していたが、環のイヤホンが通知音を鳴らしたのでそちらの様子を確認した。アーシェからのメッセージだ。その内容は “落ち着いたら状況を知らせてください” とのことだった。アーシェの不安も理解できた環は、電話をかけることにした。


「もしもし、アーシェ?」

「ザクロさん! どうなっていますか?」

「ちょうど戦闘が始まるギリギリに到着して、今まさに交戦が始まりそう。私は橋の上から見てるんだけど、なんか一人気になる人がいて」

「どういうことですか!? 浮気ですか!?」

「一旦落ち着きなさい。フードとサングラスで顔を隠してる。こっちをずっと見てたんだけど、あ、逃げた」

「……ザクロさん、お二人は大丈夫そうでしょうか? できるなら、追いましょう。……少し、考えがあります」

「でも、助けに行くって言った手前それは……」

「大丈夫ですよザクロさん。適材適所です。カッコいいところは主人公たちに任せましょう」

「それ、私に対してすごい失礼よ……? 同感だけど、ね!」


 逃げた人物は自転車で来ていたようだ。バイクなら追いつけなかったが、これならいけるかもしれない。環は再びペダルを漕ぎ出す。

 一方で、うおおお、という叫び声も響いた。アヤメは剣で、灯は拳で対応する。戦いの火蓋が切って落とされた。

 それぞれの夜は、まだ続くようだ。

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