月森ヒーロー伝説
嵐のような来客騒動が終わり、環はほっと一段落ついた。そういえば、と環は昨日の連絡を思い出す。アーシェに確認しないといけないことがあって、それをすっかり忘れていた。環は最低限の荷物を旅行用の鞄に詰めながら、アーシェに電話をかけた。
「もしもし? 私だけど」
「ザクロさん。どうかしましたか? さっきの女の件ですか?」
「いやいや何その言い方。志保ならもう帰ったよ」
あんたのお陰で、という一言を環は寸前で飲み込んだ。これを言ったらまた話がややこしくなりそうだと思ったからだ。
「それよりさ、聞きたいことがあるのを忘れてた。星井灯についてなんだけど」
「星井さんですか」
「そう。能力が無くなってから、彼女とは会ってる?」
「そうですね。学校では、まぁ、同じ学年なのでたまに。でもそれほどしっかり話をしたわけではないです」
環は一考した。アーシェは能力が覚醒したあの夜、逃げた先で星井灯率いるヒーロー部に保護されていたはずだ。その後どうなったかは知らないが、てっきりそのままヒーロー部にお世話になっていると思っていた。だがこの話を聞く限り、2人は仲良しというわけではなさそうだ、と環は想像した。
「まぁいいわ。でもそのうち彼女とも話しないといけなくなりそうなのよね……」
「わかりました、任せてください! じゃあお待ちしてますね!」
「えっ、ちょっ……」
任せてくださいってどういうこと? と環は聞き返そうとしたが、先に電話を切られてしまった。アーシェは何をしでかすか分からないと理解している環は一抹どころではない不安を抱きながらも出発の準備を進めた。
今日も外は雲一つ無い青空が広がっている。熱を多分に含む太陽光線を遮るものは何もなく、端的に言うと非常に暑い。とても自転車を漕ぐ気になれるような気温ではなく、環は仕方なくバスを使うことにした。携帯アプリで時間を確認するとちょうど10分後に最寄りのバス停に着くらしい。町内を大きく迂回し一周する循環バスなのでもしかしたら自転車よりも時間がかかるかもしれないが、暑さに完全敗北した環は他の手段を取る気にはなれなかった。鞄が熱で溶けないか要らぬ心配をかけながら、できるだけ日陰を選んでバス停に向かった。
夏休み中でちらほら学生が見えるとはいえ、そのバスは環の想像よりも空いていた。鞄とともに後ろの広い席を陣取り、流れていく街並みを眺めていると、バスは信号待ちで見覚えのある公園の近くに停まった。そこは環と灯が初めて出会った場所だった。環は少し、その頃のことを思い出そうとした。
コルヌコピアの目的は能力者を集めることだ。組織はいくつかのチームに分かれており、それぞれのチームに幹部を立てて目標達成のために活動していた。能力バトルの花形である戦闘班、意外な場所で活躍している諜報班、たまにすごい報告をしてくる研究班など。そんな中で環、いやザクロはというといろいろなチームと共に行動したり組織内の連絡を行き渡らせたりする総務班の幹部だった。他のチームからは雑務班と呼ばれていた。
ある夜、チームの部下2人が謎の能力者に負けたと連絡が来た。基本的にコルヌコピアは負けない。能力者の戦いは自分の能力を如何に使いこなすか、という経験が物を言う。おまけにこちらは数が多い。オンラインゲームにおける初心者狩りのようなもので、能力に目覚めたての人間に二人がかりで負けるわけがない、というのがコルヌコピアでの常識だった。それなのに負けて助けを求めてくるとは……最悪の場合戦闘班に引き継ぎ書類を作らないといけなくなるかも、と憂慮しながらザクロは報告があった公園に向かった。
民家の屋根を次々に跳んでザクロは目的地まで移動した。この移動はけっこう怖いし人目につくかもしれないということでザクロは敬遠していたのだが、とにかく緊急を要するので仕方がない。公園の近くの倉庫の上に着地して見回すと、そこには3人の影があった。うち2人はロープでぐるぐる巻きにされている。分かりやすく人質、ということなのだろう。もう一人、恐らく彼女らを縛り上げたのであろう謎の能力者はまだこちらに気づいていないようだ。ザクロは能力を使い、不意打ち的にその人物の周りの地面を操作した。謎の人物に強烈な上向きの加速度を与え、10メートルほどの高さまで打ち上げる。着地地点は公園内の草藪だ。植木がクッションになる筈だが無事では済まないだろう、と環は考えていた。すぐさま環は部下を助けに向かう。彼女たちを拘束していた縄は簡単に
「「ザクロさん! ありがとうございます!」」
「うん。何があったの? あれはどういう能力者?」
「あれはですね……ザクロさん、来ました」
部下が青ざめた表情で草藪を
「……本人に訊く方が早いわね。私の部下を可愛がってくれたようでありがとう。私はコルヌコピア幹部のザクロ。あなたのことを聞かせてくれるかしら?」
「コルヌコピア、ね。悪の組織にしては変な名前だよね」
コルヌコピアを勝手に悪の組織呼ばわりされてしまった。変な名前であることは反論のしようがないのだが。ゆっくりと近づいてきたそれは、街灯に照らされるスポットで立ち止まった。真っ赤なマフラーを
「……たとえ
アタシのことだ!!!」
スゴいドヤ顔を向けられたザクロは言葉を失った。能力者には割と変な人は多いのだが、こいつは飛び抜けておかしい。だって絶対ポーズとか名乗りとか練習してるし。あと高校生だった。
「えーと、星井さん、でいいのかな? 私たちはあなたと敵対するつもりはないの。話を聞いてくれないかしら?」
「問答無用! 先に仕掛けてきたのはそっちだからこれは正当防衛だよね!」
「いやだってそっちは人質うわああ!?」
さっきまでライトの下に立っていたのに、次の瞬間には走ってきて跳び蹴りを仕掛けてきた。ザクロは能力を使わず左に身を躱した。あまりのスピードに発動が間に合わなかったのだ。部下の一人が声高に叫んだ。
「ザクロさん、そいつは恐らく身体強化系の能力です! それで、めちゃくちゃ強いです!」
「……十分にわかったわ。あなたたちはもう帰りなさい。頑張って食い止めるから」
「ザクロさん……ご武運を!!」
部下が帰っていくのを視界の端で確認したザクロは再び星井灯に対面した。今度は警戒を怠らず、いつでも能力を使えるようにしている。
「……逃がしてくれるのね」
「ヒーローの目的はただ一つ、悪の組織を壊滅させることだ! だからあんたを倒して次はあんたらのボスを引きずり出してやる!!」
言い終わるや否や即座に灯は走って回り込んできた。右からの蹴りを地面をせり上げることで受け止める。コンクリート製の即席の防御壁にヒビが入り、ザクロは冷や汗を垂らす。灯はすぐに後ろに跳んで次の攻撃に備えた。だが、灯はバランスを崩してしまう。灯の足元の地面が蟻地獄の如く動き出していたからだ。灯は走って脱しようとするが、次々に足元が掬われてしまう。その間に、ザクロは脱出の準備をしていた。
「たぶん私ではあなたに勝てないから、ここでは逃げさせてもらうわ。ただ覚えておいてほしいのは、私たちは悪の組織なんかじゃないってことなんだけど」
「いーや、あんたらは悪の組織だ! 絶対壊滅させてやるからな!」
少しでも気を抜いたらまた跳び蹴りが飛んできそうだ。ザクロの能力は動かしている地面が視界から外れると途端に弱くなってしまう。できるだけ蟻地獄に集中を向けつつ、自身の足元の地面をトランポリンのように動かして跳び立ち、ザクロは公園を後にした。その後、ザクロは隠し持っていたカメラのデータをもとに報告書を作成し、結局戦闘班に引き渡した。その後もザクロの関わる作戦をたびたび妨害して、その度に撤退を余儀なくされるという厄介な相手となっている。引き渡した戦闘班の皆さん相手にも彼女は互角以上に戦い、最終的にはトウカとも戦ったのだろう。その話について、雑務班にはあまり情報は回ってこなかったのだが。
バスは気がついたらアーシェの家の近くまで到着していた。星井灯とばったり鉢合わせないか警戒しながら御門家へ向かう。郵便屋さんとすれ違ったが、それ以外には誰とも出会うことなく家の前に着くことができた。ふと環は郵便ボックスを確認すると、一通の便箋が入っていた。差出人は ”御門 紫音” と書かれていた。
「ただいま」
ここが自宅だと認めたつもりはないが、環はそう言って家の中に入った。ザクロさん、おかえりなさい! とアーシェの元気な声が聞こえた。他に人はいないようだ。安心した環は食卓まで足を進めた。おいしそうなラーメンの匂いが食欲をそそる。
「アーシェが変なこと言うから、星井灯が来てるんじゃないかとヒヤヒヤしたわよ……」
「星井さんなら夕方に来ることになりましたよ」
「……そっか」
覚悟を決めなければならないと環は思った。流石にまた出会っていきなり戦闘になるとは思えないが、特に星井は何をしでかすか分からない、というのが環の認識だ。環の周りには何をしでかすか分からない人たちが多すぎる。
「そういえば、手紙来てたよ。差出人は御門紫音さん」
「ええっ!!」
叫んだアーシェはすぐさま環から手紙を奪い取った。そして即座に丸めてゴミ箱に叩きつけた。
「中、見てませんよね?」
「……当たり前だけど、それは酷いんじゃない?」
「……ザクロさんには関係の無いことです」
「……確かにね」
アーシェの複雑な家庭の事情は詳しくは知らないが、ある程度は受け入れてあげるべきだろう、と環は考えた。そんなことより、昼ごはんの準備ができているはずだ。
「……アーシェ? カップ麺じゃないって言ってたよね?」
「……これは、お鍋で作る袋麺です。カップ麺じゃありません」
アーシェの目が泳いでいる。午前中の自分の失態を棚にあげて、環は詰め寄る。
「百歩譲って袋麺なのはいいよ。でもこの状況は何?」
「いや、その……2人ぶんのお湯を沸かせるお鍋が見つからなくて……お椀も昔割っちゃったので今はこのサイズがこれしかなくて……私は別にこのまま食べられますから……」
食卓に並んでいたのは1人前のラーメンが入った丼と鍋だった。ひとり暮らしの環もよく鍋からラーメンを食べたりするのだが、人がやっているのを見るとこんなにいたたまれない気持ちになるものなのかと頭を抱えた。
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