アイドルソングと大ピンチ
環の携帯電話が午前6時を告げた。アラームに設定されているアイドルソングを止め、環は寝ぼけ眼を擦る。部屋の様子を確認して、自分が昨日御門アーシェの家で過ごしたということを思い出した。アーシェが起きないうちに出ていこう、と環は考えていたのだが、部屋のドアを開けたまさにその瞬間件の人物と鉢合わせた。
「ザクロさん! おはようございます!」
「……おはよう」
最悪の朝、とまでは言わないが環はげんなりした。何故こいつはここにいるんだ。
「夏休みよね? なんでこんな時間に起きてるのよ」
「隣でザクロさんが寝てるんですよ? 寝られるわけないじゃないですか」
「……何それ。あんたじゃあ布団のなかで徹夜してたの?」
「もちろん。いわゆる誘い受けというやつです。もうちょっとだと思ったんですが……」
「何がもうちょっと……っ!! あんたあの時も!?」
「私はいつでもウェルカムなので。それじゃ私、朝ごはんの準備してきますね」
昨日の深夜のことを思い出してまた顔を真っ赤にする環をよそに、アーシェは1階へと階段を降りていった。スヌーズを切り忘れた環のスマホが再び陽気なメロディを流した。
一旦自室に戻り、掛けていた自分の服に着替え直した環はダイニングへと向かった。長らく独り暮らしを続けてきた環にとって、誰かと朝食を取るというのはずいぶん久しぶりだ。近所のスーパーで安売りされている惣菜パンを買って朝食にしていた環は期待に胸を膨らませていた。それなのに。
「……アーシェ、これは?」
「グラノーラです。もしかして、苦手でしたか?」
きょとんとした表情で首をかしげるアーシェ。環は溜め息をつく。
「準備するっていうからもうちょっとちゃんとした料理を期待しちゃったじゃない……まぁそこはいいわ。私も独り暮らしだからわかる。でもなんで牛乳入れて放置しちゃうの!? せっかくのフレークがふやけちゃうじゃない!!」
「何言ってるんですかザクロさん。早めに牛乳に浸さないとうまくふにゃふにゃになってくれないでしょう?」
「ふにゃふにゃのフレークなんか食べた気にならないの!! 絶対ありえない!! チョコレート噛まずになめ続ける奴くらいありえない!!」
「馬鹿にしてるんですかーー!!!」
まさか起床して15分で喧嘩になるとは思わなかった。一通り言い争ったあと、環は仕方なくふやけたグラノーラを口に運んだ。さっきの言い合いでさらに牛乳を吸ったグラノーラは敗北の味がした。
「もう行っちゃうんですか?」
玄関で出発の準備をしている環にアーシェが心配そうに声をかけた。
「まあね。今日も午後からバイトだけど、昼はここに食べに戻ってくるわ。あんたのくれた護身グッズもちゃんと持ってるから安心しなさい」
「わかりました。お昼ごはん用意して待ってますね」
「……まさかとは思うけど、カップ麺じゃないよね?」
「……ま、まさか」
アーシェの目が泳いでいる。はあ、と環はため息をついたが、自分も料理には疎いので文句は言えない。行ってきます、と告げて環は家を出た。行ってらっしゃいの挨拶を聞くのも環にとっては久々の経験だった。
環の住んでいたアパートまでは自転車で15分ほどだ。能力があればこの移動ももっと早かったのに、と環は誰に対してでもない文句を心の中で垂れた。ちなみに、護身と暑さ対策を兼ねて環はキャップ帽を深めに被っていたのだが、残党狩りのようなものには一度も会わなかった。やっぱり自意識過剰なのだろうか。環はそんな風に思っていた。自宅の前に見覚えのないバイクが停まっているのに気がつくまでは。
自転車を停め、環は身構えた。バイクはマフラーや謎の電飾など、不良がよくやりそうな改造が施されている。鞄の中のアイテムに手を伸ばしながら、環はゆっくりと自室の前へと向かった。警戒は怠らない。自室の前にはサングラスをかけた女がいた。長い茶髪の合間からピアスが見える。普通ならさらに警戒を強めるところだが、環にはその人物に見覚えがあった。
「志保!?」
「あっ、環! 久しぶり!!」
声を掛けられたその人はサングラスを外して近寄ってきた。彼女の名前は
「いやー、この辺に用事ができてさ。せっかく環の家も近いしサプライズで会いに行ってやろうって思ったんだ。それにしても朝帰りとは……環さん、やりますなぁ……」
「そ、そんなんじゃないから! これはあれよ、散歩に行ってて……」
「はいはい。ここで話すのもなんだし、中、入っていい?」
「うん。今開けるね」
久しぶりの客人とともに、久しぶりに環は自室のドアを開けた。本当はあれから1日しか経っていないのだが、環には自室に帰ってくるのがずいぶん久しぶりのように感じていた。だが、のんびりできるというわけではない。
「うわー、生活感あるね。独り暮らしならこんなもんか」
「散らかってて悪いね。飲み物、麦茶でいい? そのへん適当に座っといて」
「ありがと!」
環は久しぶりの客人をもてなすための準備を始めた。冷蔵庫から水出しの麦茶を取りだし、コップを2つ用意する。この部屋で2つのコップを同時に動員するのも久しぶりだ。前に出したのは妹が泊まりに来たときだったか。
「それにしても久しぶりね。同窓会以来?」
「たぶんそうだね。環、高校卒業してからいろんな町転々としてたでしょう? 中々会えなかったよね」
「そうね。あんまり一ヶ所に留まるのが好きじゃないのかも」
「でも比較的月森は長くない? と思ってたんだけど……なるほどね。男か……」
「そんなんじゃないから!」
とは言っても、月森に長く住んでいるのは例の能力騒動があったからなので、環は志保にそれを漏らすわけにはいかなかった。
「ま、なんでもいいわ。ところで環、今日は時間ある?」
「えーと、昼からバイト行くからそれまでなら」
「そっか……ま、十分か。今日来たのはちょっと聞きたいことがあるからなの。よっと」
志保は一旦座り直した。重要な話をするようだ。環も身を正した。
「……環。超能力って信じる?」
「……は?」
予想外の発言に、環は言葉を失ってしまった。志保はそれをスルーして話を続ける。
「いやね? 私の友達、の友達……だったかな? がこの辺で超能力者に襲われたって言っててさ。私も最初は信じてなかったんだけど、妙にリアルというか、説得力があるんだよね。で、今は情報がほしいんだけど。環は聞いたことない? そんな話」
環は気づいた。目の前にいるのは残党狩りだ。過去の喧嘩が脳裏に浮かぶ。もはやどの時かわからないが、彼女の仲間がコルヌコピアに襲撃されたというのは十中八九事実だろう。突如として襲われた絶体絶命のピンチに対し、環は、
「……さぁ~? どうだったかな~?」
しらばっくれた。さっきのアーシェの100倍は目が泳いでいる。この状況をどうにかしないといけない、ということは環にはわかっていたが、それより先へ思考が進まなかった。目をそらし、拳を握りしめ、冷や汗を垂らす。その全てが自分が関係者だと雄弁に語っていることに気づかずに。
「……た、ま、き? なんか隠し事してるでしょ。超能力事件について知ってんのね?」
「いや~、まさか~、そんなわけないでしょ、超能力? なんてありえないって」
「環。お願いだから知ってることを教えて」
能力バトル始まって以来の最大のピンチ。迫る志保の追求の手に屈しかけたその時、どこからともなく陽気なアイドルソングが聞こえてきた。環の携帯だ。
「ごめん、出ていい?」
「……しょうがないわね」
ほっと胸を撫で下ろして、環は鞄から携帯を取り出した。着信はアーシェからだ。環は立ち上がり、廊下へと移動して電話に出た。志保はこの電話も怪しいと思って聞き耳をたてたが、通話の相手の声はよく聞き取れなかった。
「……? ……」
「あぁ、ごめんなさい。ちょっと昔の友達が来てて」
「……? ……! ……!!」
「ちょ、そんなんじゃない、女だって! 大丈夫だから」
「…………!! ……!!」
「というか元はといえばあんたが昨日あんなこと言い出すからっ……!」
「……? …………?」
「その脅迫まだする気なの? わかった、わかったから……すぐ戻るわ。じゃあね」
環は通話を切り、志保のいる部屋に戻った。帰りが思ったより遅いことを気にしたアーシェからの連絡で、早く帰ることを約束してしまった。もっとも、環の自宅はここなのだが。
志保のことをどうするか思いを巡らせていた環だったが、志保の方から先に口を開いた。
「……そういうことだったのね」
はい?
「環、今の電話彼氏からでしょ? それで、脅迫されてるって……大丈夫なの?」
「えっ……えっ!?」
「まあ元気そうだからいいけど。私に隠し事してたのもそのせいなんでしょ? 大丈夫、答えなくていいから」
「……えっ」
「今日のところは事情はわかった。でも何かあったら必ず連絡して。私と私の仲間がすぐに駆けつけるから」
「えっ……うん、ありがとう」
「それじゃあ邪魔して悪かったね。私もこの辺引っ越すから、また時間あるとき遊ぼうね。それじゃ」
「……うん、それじゃ」
茫然と立ち竦む環。しばらく何も考えられなかったが、家の外から聞こえるバイクのエンジン音で我に返った。こうして、環の最大のピンチはなんだかよくわからないままに過ぎ去ったのだった。
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