一 はじまりの話②



「さぁて、今日のご機嫌はどうか……っと」

 圭人はガレージの真っ赤な『車』に一人乗り込み、さっそく魔力を注ぎ込んでエンジンを稼働させる。

 彼の乗る車は、人力車でもなければ、馬車でもない。

 魔力エンジンを搭載した『自動車』だ。

 この自動車も、偉大なる魔法革命のもたらした恩恵のひとつであると言えるだろう。

 もっとも、和桜国はある事情からその魔法革命に乗り遅れて、随分とひどいことになったのだが――そんなことも、もう昔の話だ。穢土も明磁も終わったこと。今はもう大晶五年になるのだから。


「よしよし……今朝はまた随分とご機嫌麗しいようで何よりだ……それじゃ、行こうか」

 圭人は自ら自動車のハンドルを握り、ガレージを出る。

 運転手も付き添いもつけずに出仕する貴族は、和桜国広しといえどまだ圭人ぐらいのものだろう。そもそも自動車自体が珍しく、大抵は人力車か、あるいは小型の馬車だ。



「いよっ、相変わらずお前は魔素くさいもん乗り回してんなぁ!」

 この国の王宮――桜宮に到着し、いつもの決められた場所に車を停めていると、妙に親しげに圭人に話しかけてくる若者が一人。

「魔術師に魔素臭いとは……褒め言葉だな。優太」

「やれやれ。なにも自分で運転しなくても、こんなことは運転手にさせりゃいいだろうが」

 紅瀬波優太は呆れた様子でそんなことを言う。

 優太はその優しげな名に似合わず、六尺を越えるがっしりした大男だ。しかし、やや茶色っぽい髪をまるで尻尾のように長くしているのと、いつも朗らかな笑みを絶やさないので、まるで大型の洋犬のような――そんなどこか安心できる雰囲気もある男だ。

 その鍛えられた体を包むのは、いくつも勲章がついた和桜国の軍服。彼は圭人と同じ齢二十六にして女王の近衛隊長を務めているのだ。


「自動車の運転はなかなか面白いものだぞ。人に任せるなんてもったいないぐらいにな。さほど遠くないうちに、上流階級のあいだで自動車の運転を嗜みにする世が来るだろうな。……何を笑うんだ優太。お前だって、乗馬のときは自分で手綱を取るだろうに。それと一緒だぞ」

「えー。乗馬は乗馬だろうが。車とはまた違うんじゃねえか? 馬車は自分で運転しないもんだし、運転ってのは運転手がするもの、だろ」

 優太はぴかぴかの真っ赤な車体を眺めながら、呆れたため息まじりに続ける。

「だいたいコレ、一体いくらしたんだよ。舶来モノの自動車を二台も三台も四台も」

「まだ三台だ。黒いのと紺色のと、この赤いのだけだよ」

「お前な……いくら独り身だからってさ、なんでもかんでも自由に買いすぎじゃないか? ほんといいよなぁ、口うるさい家族がいないやつは」


 優太は家族を口うるさい呼ばわりしているが、紅瀬波家は和桜国でも指折りの仲のいい家として知られている。優太は四男三女いる兄妹の中の二番目で、次男坊。弟妹にはかなり甘い。そんな家で育ったためか、自分も早く家庭を持ちたい、子供が欲しいといつも言っている――が、優太の希望に叶う女性はなかなか現れないようだ。

「仕方ないだろう、国産には俺好みの車がないんだ」

「うわ。……そんなに散財してたら、嫁こねぇぞ」

「ふん、だいたい俺は嫁などもらわん、必要ない。女なぞ口うるさくて稼いだ金を浪費するだけの…………」

「おーーーっほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほほ!! ごきげんよう、おはようございます! 主席様! 近衛隊長様! 本日は本当に気持ちのよい清々しい朝ですことね!」

「……あぁ、おはよう」

「よう、お前も朝から飛ばしてんなぁー」

「一日の計は朝にあり!! すなわち、朝をきっちり過ごさなければ、良き一日は過ごせないというものですわ!!」


 優太曰く『飛ばしている』この女性。一応……一応言っていることはまとも極まりないのだが、あまりの存在の濃さがそう思わせず損をしている。

 艶やかな黒髪をラジオ巻きに美しくまとめ、いかにも職業婦人といった女物のスーツに高位宮廷魔術師の証であるマントを纏った彼女は、神衣真希子。

 圭人の部下で、宮廷魔術師次席を任されている。まだ二十四歳と若いが、その魔法の腕と知識は確かである。……圭人からすれば、こう見えても一応、という言葉を付け足したくなるのだが。


「さ、このようなところでたむろなさっている場合ではありませんことよ。早く女王陛下に朝のご挨拶を」

「はいはい」

「主席様! はい、という言葉は一度でよろしいのですわよ」

「お前は本当に常識的なのになぜ……いや、常識的だからなのか、損してるぞ」

「だよなぁー……」



 三人組は揃って桜宮の『葉桜の間』へ向かう。

 この『葉桜』というのは和桜国女王の執務室のことだ。桜宮ではそれぞれの部屋や部署に植物の名前がつけられる。特に、女王に関連する場所は桜にまつわる名前で統一されている。例えば謁見の間のことは『春咲桜の間』といい、女王のお休みになる私室を含む寝室のことは『冬枝桜の間』と呼ぶ。女王が身内の喪に服す期間過ごす間というのもあり、それは『墨染桜の間』と名付けられていた。

 こんなことを外国人たちに説明すると、ただでさえ和桜国の人間は国名に桜を持ってきているのに、どこにでも桜を置きたがる、桜の花が好きすぎるだろうなどといかにも面白そうに言われる。

 だが、それも和桜国の人間からしてみれば当たり前のことだ。桜はただの植物ではなく、特別で神聖なもの。

 なぜならば――和桜国の女王陛下には桜女神の血が流れているのだから。

 それはこの国の旧き神話。

 美しき桜女神はとある英雄と結ばれて――ひとりの姫君を産んだ。

 そして、その血と名を神代より絶やすことなく受け継いだ当代の女王・樹乃花姫このはなひめ。そのお方こそ、圭人たちが仕えるあるじであった。



「あぁ、来ましたね。おはよう、わらわの大事な臣下たち。楽にしてかまいませんよ」

 樹乃花姫の名前を受け継いだ美しい女性が、まさに花のような可憐な微笑みを湛えて挨拶をする。

 その唇は枝垂れ桜の花びらを思わせる色であり、まっすぐさらさらとした髪は美しい漆黒。白い春物ドレススーツを纏った体は、いかにも和桜国の女性らしく華奢で小柄だ。

 この女王に対面する外国の要人は、誰もが皆、信じられないといった顔になる。

 それもそうだろう。彼女は十二歳の幼さで即位した女王で、今年でようやく十七歳。いわゆるところの少女王なのである。

 だが、少女の身でありながら、今や諸外国とも対等以上に張りあえる力を持つ和桜国を見事に治めているのは、他ならぬこの女王陛下なのだ。


「おはようございます、陛下」

 一礼してから、圭人も女王に朝の挨拶を返す。

 今日の女王陛下は随分とご機嫌麗しいようだった。

「ふふ、今日はきれいに晴れてようございました。あぁ、それとも……わらわの宮廷魔術師主席どのが魔法でも使ったのかしら?」

 ころころと笑いながら、いかにも少女らしい冗談を言う女王。

 ちなみに――天候を操る魔法は存在するし、圭人にも扱えるが、今日行使した覚えはない。

「本日はせっかくの観桜会ですもの。それも、列車に乗っていくでしょう? お天気がよいほうがきっと車窓からの景色も素敵だわ。あぁ、楽しみ……」

白い手袋に包まれた手を頬に当て、うっとりと夢見るような瞳で、和桜国の女王陛下はそう呟いたのだった。




       

「列車で移動しながら、温かいお茶を飲めるなんて本当によき時代になったこと。さぁ、真希子もおあがりなさいな」

「はい陛下! 真希子もありがたくお茶をいただきますわ!」

 めったにない遠出に上機嫌の陛下の相手は真希子に任せて、同じ車両で圭人は優太と警備の最終確認をしていた。

 といっても――穢土の終わりや明磁初めの時代でもないのだから、そうそう危険もない。

 女王陛下専用の貴賓車――お召し列車での快適な遠出。そして地方視察という名のお花見。

 これらを陛下に楽しんでいただく。そしてまた明日から執務に励む活力を養っていただくのが、今回の大きな目的だ。


「さぁ、圭人も優太もそのぐらいにして、お茶にいたしましょう。お茶菓子もありますよ」

「はーい!」

「はい」

 女王のお言葉に優太は元気良く、圭人は静かに返事をする。

 侍女たちがしずしずと運んできたのは、緑茶。それにいちご大福。

 圭人はいちご大福の織りなす甘さと酸味の味わいを思い、思わず頬がゆるむ。

「お前、顔に似合わず甘いもの好きだよな。頬だるだるだぞ」

「悪いか、優太」

「悪くはないけどさー」

「いたしかたありませんわ、主席様。いちご大福は、まさに、文明開花のもたらした至高の味ですもの!」

 芝居がかった動きで、いかにいちご大福がすばらしいかを語る真希子。あれで本人は至って真面目にやっているつもりなのだ。

 そんな風に賑やかに騒ぐ圭人たちを、女王陛下が優しい瞳で見つめている。

「うふふ、いちご大福はまだたくさんありますからね、圭人」

「陛下、私は、その、別に……」

「たくさんありますから、ね?」

「……いただきます」

 そうして列車に揺られることしばし、目的の地方都市に到着した。

 民衆の盛大な出迎えを受けながら、女王一行は馬車でこの地域の桜の名所へ移動する。

「穢土の頃の城跡が、今や桜の名所の公園となり、この国の女王であるわらわが訪れることになるというのもまた、皮肉ですわね」

 女王は圭人と優太ぐらいにしか聞こえない声で、そう自 嘲 気味に呟く。


 桜公園はその名のとおり、満開の桜で溢れていた。

 城であった頃の名残である苔むした石垣と石の階段。そして踏み固められた道の両脇には、新たな時代を象徴する桜の樹が並ぶ。

 なんでも穢土えどの終わりに焼け落ちた城跡に、かつて仕えた侍たちがひとつひとつ桜を植えたことで、現在のような民衆が花見を楽しむ場所になったのだという。

 風が吹くとひらりひらりと桜の花びらが降り注ぐ。ひとひらの花びらをてのひらに受け止め、女王は可愛らしく小さな歓声をあげた。美しい少女王の愛らしいその様子に、遠巻きに見ていた民衆たちは、ほぅっとため息をついている。


「女王陛下、そろそろご移動を」

「えぇ、次は確か、穢土の時代から残っているという桜でしたね。ずっとこの地を見守ってくれた存在ですもの、ぜひ挨拶をしなくてはね」

 優太と女王陛下がそんな会話をしながらのんびりと歩く。圭人や近衛ら、それに野次馬の民衆たちも合わせて一緒に移動だ。

 そのとき、圭人は背中を軽くつつかれ振り返った。

「あの、主席様。気になることがありまして……」

 真希子だ。珍しいことに声を低くしている。彼女には遠くを見通す〝鷹の眼〟の魔法を使わせ警戒にあたらせていたので、何かを発見したのかもしれない。

「どうした」

「おそらく危険性はないでしょうが……あちらを」

 そう言って彼女が示す先には、あまりにも粗末な身なりの小娘が一人。

 ……その小娘が、一本の桜の樹を前にして、太枝を掴み、幹に足をかけている。


「まさか」


 その、まさかだった。小娘はこともあろうに桜の樹にするすると登り始める。

 あっという間に中ほどまで登った小娘は、躊躇する様子もなく満開の桜の枝を掴む。そして、陽にきらめく小刀を取り出して、その枝を――


「おい、やめろ!」


 ――ばっさりと切り落とした。


「狼藉者だ!」

 同じように目撃していたのだろう誰かが、大声をあげる。

 この和桜国では、桜は国の象徴であり、そして女王の象徴だ。女王陛下の御前で満開の桜の枝を切り落とすなど、桜宮の樹木医たちでもできない。それは、女王陛下の首を刃で狙う反逆行為に等しいからだ。

「あの狼藉者を捕らえろ!」

 あまりにも大それた行いに場は騒然となり、小娘はあっという間に桜の樹から引きずり降ろされ、近衛たちに捕らえられたのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る