(7)殺意
夕食には少し早い時間帯だからか、ファミレスは閑散としていた。
ウェイターさんに好きな席を選んでくださいと言われ、斉木さんは奥まった場所にある四人がけの席に座った。
私は相手の正面の椅子に腰かける。
適当に注文したカフェオレが届くまでのあいだ、斉木さんにならってスマホをいじった。
月瀬さんにこの状況をどう切り抜けようか相談したかったけれど、あいにく連絡先を知らなかった。それに、連絡先を把握していたところで、月瀬さんが助けてくれるかわからなかった。
往生際悪くスマホを操作していると、マイクのようなアイコンのアプリが目についた。最初からスマホにインストールされているボイスレコーダー。斉木さんとの会話を録音しておいたら、あとでなにかに使えるかもしれない。
アプリを起動させて、録音ボタンを押す。画面を下にして、さりげなくテーブルに置いてみた。
ふたり分の飲み物が届いてから、斉木さんは改めて自己紹介をする。
一年前から仲原と付き合っていること。普段はメーカーに勤めている会社員であること。今日は研修先から直帰して、時間があったから私を探していたこと。
話し方は軽薄ではないし、年下の私にも敬語を使ってくれる。悪いひとではなさそうな気がした。けれど、どことなく不自然な感じもする。なにかが少しだけずれている、というか。大人のはずなのに大人ではない。そんな違和感があった。
「さて、本題に入りますか」
斉木さんは姿勢を正し、表情を引き締めた。
「乃亜と連絡がとれなくなったのは、五月一四日のことでした」
それは、私が仲原を殺したまさにその日だった。
胃が引きちぎれそうなほど締めつけられた。胃液が逆流する気配がして、私はとっさにカフェオレをあおる。
「僕は毎晩、乃亜に電話をかけてました。それが日課だったので。でも、一四日を境に圏外になってしまったんです。メールをいくら送っても返信がなくて……」
斉木さんは手元のコーヒーカップを見下ろしながら、ぽつりぽつりと語る。
「最初は乃亜に嫌われたのかと思いました。なんで返事をしてくれないのか、原因がわからなくていらいらしました。でも、乃亜と同じ高校の子にSNSを通して訊いてみたら、ずっと学校に来てないって返ってきて。それで、乃亜が行方不明になったことに気づいたんです」
「仲原さんの家には確認したんですか?」
「いや、それ……」
斉木さんは口ごもった。せわしなく視線を動かしてから、「彼女の家族とは一度も連絡をとっていません」とか細い声で答えた。
「乃亜は両親と折り合いが悪いみたいで……。今、僕が顔を出したら、どう考えても話がこじれるじゃないですか」
「私もそう思います」
つい同意してしまった。
仲原が両親に疎まれているというのは、同級生のあいだでも有名な話だった。
エリートの父親と、お嬢様育ちの母親と、両親の理想の高さについていけずにやさぐれた娘。もし、鼻つまみ者の娘の恋人を名乗る成人男性が現れたとしたら。
仲原の親子関係を抜きにしても大惨事になるのは目に見えている。
そもそも、斉木さんは本当に仲原の恋人だったのだろうか。斉木さんの思いこみの可能性もぬぐえなくて、薄ら寒い。
「乃亜の友だちは『どうせ家出でしょ』ってあんまり気にしてないみたいでしたけど。でも、恋人である僕に黙っていなくなるのはおかしいと思うんです。二十四時間ぶっ通しで愛し合ってたこともあるくらい、僕たちは仲がよかったから」
私が話題のなまなましさに顔を背けようとすると、斉木さんの咎めるような視線が頬に突き刺さった。私はしぶしぶ斉木さんに向きなおる。
斉木さんは先ほどまでとは違い、ぎらついた目をしていた。
「下心があって僕と付き合っていたんだとしても、誕生日の一週間前に突然いなくなったりはしないと思うんです。たとえ別れるつもりでも、プレゼントをもらってからにしませんか? だから、乃亜がこのタイミングで僕の前から去るなんて、絶対にありえないんです。証拠だってありますから」
斉木さんはズボンのポケットからスマホを取り出した。テーブルに身を乗り出して、私に画面を見せてくる。
いやな予感がした。展開があの夜に似すぎている。
仲原はこうやって、なにが映っているのか言わずに写真を見せてきた。もちろん、表示されている画像は――。
「……なんですか、これ」
わかっているのに、訊かずにはいられなかった。
それは、私がウサギを殺しているときの写真だった。屈みこんだ私の横顔は、明るいところで見てもやはり笑んでいる。焦りで気が気ではないのに、なぜか恥ずかしさまでわき上がってきて、頭がおかしくなってしまいそうだった。
私は下くちびるを噛みしめながら斉木さんを見つめる。
なぜ仲原が撮った写真を斉木さんが持っているのだろうか。まさか、仲原は私を盗撮してから殺されるまでの短い時間に、斉木さんへと写真を送信したとでもいうのか。
「僕も詳細は知りません」
斉木さんは首を横に振った。落ち着いた挙動は嵐の前の静けさのようだった。
「乃亜のクラウドにログインしてみたら、この写真が最新の画像として保存されていたんです。スマホ内の画像が増えたら、自動的にクラウドにアップロードされる設定になっていたみたいで。画像の詳細データを見たところ、撮影されたのは五月一四日の夕方でした」
クラウド。自動バックアップ。スマホの設定。
私のスマホにも似たような機能はあるのに、画像がクラウドに上がっている可能性にまったく気づかなかった。
斉木さんは写真の私の顔部分を拡大し、スマホをテーブルの上に置いた。
「これ、波多野さんですよね?」
ディスプレイを指でこつこつと叩く。
「いったい、なにをしていたんですか?」
ウサギを殺していた、とは言えなかった。
私が黙りこんでいると、斉木さんが大げさなため息をついた。一度目を閉じてこめかみを揉んでから、私をじっと見据えてくる。
「僕の推理、というか推測を話してもいいですか。だいたい見当はついているんです」
いやだ、と私は叫んだ。つもりだった。
でも、舌が動かない。月瀬さんとキスしたときのように、舌がなにかにねっとりと絡め取られている。
私の無言を都合よくとらえたのか、それとも最初から私の意見を聞く気なんてなかったのか、斉木さんは口を開く。
「五月一四日。波多野さんはネコだかイヌだかわからないけれど、とにかく生き
ものを殺した」
斉木さんは顔色を探るように私を見る。昏い感情のにじむ、不快な視線だった。
「そして、波多野さんが生きものを殺している最中の写真を、通りがかった乃亜が撮影した。たぶん、乃亜はこの写真を波多野さんに見せて脅したんじゃないかな。写真をばらまかれたくなかったら金を出せ、とか。乃亜ならやりかねない」
粘り気を増した斉木さんの声に、私は膝の上で拳を固めた。うつむきながらも相手の顔を凝視する。
これ以上、斉木さんをしゃべらせてはいけない。このままだと真実にたどり着いてしまう。胸騒ぎに駆り立てられるがままに、私は発話しようとした。
「そんなこ――」
「だから、波多野さんは乃亜を殺した。口封じのために」
斉木さんは私の発言をさえぎった末、重々しく断言した。そこにはためらいも疑いもなかった。
殺した。
斉木さんの言葉が反響し、頭のなかが真っ白になる。
ありえない。
あの夜のことは私と月瀬さんだけの秘密だ。斉木さんなんかに暴かれるだなんて、そんなこと、あっていいはずがない。
わけのわからない怒りがこみ上げてきて、私は「そんなわけないじゃないですか!」と叫んだ。
「私は仲原さんを殺していません。ついでに、イヌも、ネコも、なにも殺してない!」
首を左右に激しく振り、斉木さんの「推理」を片っ端から否定した。
「ぜんぶぜんぶ、あなたの妄想です!」
叩きつけるように言い切ってやった。斉木さんの苛烈な眼光を、徹底的に尖らせた視線で迎え撃つ。今ここで押し負けたら、なにもかもが水の泡になってしまう。
「五月一四日の学校帰りでした」
相手がなにか言うよりも早く、私は言葉を重ねた。
「道端にウサギが転がっていました。ぴくりとも動かないから、どうしたんだろうと確認してみたんです。そしたら、死んでいた。写真に写っている毛玉は、最初から死体だったんです」
今しがた思いついたばかりの言い訳を連ねながら、汗でずれた眼鏡をなおす。
「これは、そのときの写真だと思います。でも、まさか仲原さんに撮られていたなんて。あのとき、周りにはだれもいなかったから ……」
「嘘だ」
斉木さんはあっさりと私の偽り言を暴いた。理屈ではなく、感情で。
「この写真、どう見ても生きものの首を絞めてるじゃないか」
斉木さんは立ち上がり、威嚇するようにてのひらをテーブルに叩きつけた。その衝撃で、コーヒーの入ったカップが転がった。
私は必死に言葉を探して、「え、えっと、脈……。脈を探してたんです!」と
反論した。
「動物の首には、頸動脈があります。ウサギが生きているのか確認するのに、脈を調べたんです。でも、なかなか頸動脈が見つからなかった。だから、両手でこう、ごりごり、やって」
「その言い訳は苦しすぎる」
斉木さんが馬鹿にしたように鼻を鳴らす。
「僕はだまされない。きみの言ってることはぜんぶでたらめだ!」
声を荒げて、私に飛びかかってきた。テーブル越しに私の両肩をつかみ、食らいつくように額を突きつけてくる。
「いいか、乃亜はきみに殺されたんだ。彼女は小動物のようなものだから、簡単に息の根を止められただろう?」
あまりに顔が近いせいで、相手の呼気が私の頬にかかった。ほのかな腐臭。月瀬さんのような甘さはなく、カビのような枯れた臭気をはらんでいる。
「乃亜は死んでしまった。殺されてしまった。だから僕に応えてくれないんだ。そうとしか考えられない。乃亜が僕を無視するはずがないんだ」
斉木さんの声が高くなると同時に、私の肩をつかむ手に力が加わった。強烈な痛みが雷のように脳を貫く。
「なあ、きみが殺したんだろ?俺の乃亜を。かわいそうな乃亜を」
急に声のトーンが下がった。斉木さんは血走った目で、私をねめつけてくる。
剥き出しの敵意。丸見えの害意。暴力の予兆。
私のなかでばけものが蠢動した。胸の奥から黒い水があふれてきて、私の理性を赤黒く塗り替えてゆく。
――殺せ。
ばけものがささやいた。
――力のままに、衝動のままに。破壊しつくせ!
一瞬で血が沸騰した。私はカトラリーケースに手をつっこんだ。フォークをつかんで切っ先を相手に向ける。
全身が目には見えない炎に包まれる。今は自分の鼓動しか聞こえない。まるで全身が臓になったかのようだ。もはや、自分が呼吸を続けているのかさえ判然としない。
フォークを振りかざし、相手の喉に狙いを定める。目をすがめて、攻撃のイメージを練り上げた。
銀色の切っ先が、喉仏の下のやわらかい部分に刺さる。厚い皮膚を貫き、弾力のある肉を切り裂く。そして、穴の開いた喉から真っ赤な血が噴き出せば――。
この男を殺せる。
私は確信し、相手の喉にフォークを突き出そうとした。
そのときだった。
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