リナのためいき(書籍第2巻アマゾン特典付録)
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本作品は、2014年10月3日に株式会社KADOKAWA様より刊行された『辺境の老騎士』第2巻(企画・製作:エンターブレイン)の、Amazon様での販売用特典付録として刊行されたものです。すでに相当の時間も経過したことであり、webで公開させていただきます。(2019.1.13著者)
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[リナのためいき]
1
「すぐばれちゃうと思うけどなー」
突然暗がりから声をかけられ、リナは心の臓が口から飛び出すかと思った。
それでもかろうじて悲鳴を上げるのは踏みとどまった。大声を出して人が集まってくれば、困るのはリナなのである。
「それ、返しておいたほうがいーよ」
暗がりの声はそう言った。
言われてみれば、その通りだ。ご主人と執事さんは、この金袋が箱から消えたことに、すぐ気付く。屋敷で働いている者たちが、まず疑われる。リナは掃除でご主人様の部屋に入るから、まっさきに疑われるだろう。こんな大金を盗んだことがばれたら、縛り首だ。
これは、盗んではいけないお金だったのだ。そんなことは分かっている。
けれど。
けれど。
リナは泣き崩れた。
「よしよし。あんたは悪いことのできる
暗がりの声は若い男の声だ。
リナに話しかけながら、男は暗がりから一歩前に出た。月明かりが男の姿と顔を照らし出す。リナよりそんなに年上とも思えない。
男の声には何ともいえない優しさがある。心をほっとさせる響きがある。
リナはぽつぽつ事情を話した。そうでなくてもリナの胸はいっぱいで、この苦しみを誰かに聞いてほしかったのだ。
リナには母がいるが、その母が病気になった。そう知らせてくれた人がいる。
そこでリナはご主人に給金の前借りとしばらくの
――母さん、苦しんでるかなあ。心細いだろうなあ。
そう思うと、ご主人が憎くてしかたがない。
そんな日を過ごしていたのだが、今日、屋敷にお客さんがあった。ご主人はお客さんたちと食堂でごちそうを食べている。
リナはご主人の部屋の掃除を済ませたころ、執事のウェンさんが入って来た。入れ違いに部屋を出たけれど、ウェンさんが何をしに来たのかは分かっている。当座の支払いに使う金袋を返しに来たのだ。ウェンさんも、すぐに部屋を出た。
そのとき、リナの心に悪い考えが浮かんだ。
ウェンさんがどこに金袋をしまったかは知っている。机の二番目の引き出しにある飾り箱の中だ。いつでも使えるように、そこには鍵が掛けられていない。金袋に入っているお金は、屋敷でいつも使う程度の金額で、ご主人にとっては、はした金だ。しかしリナにとっては何か月分もの給料にあたる。
リナはふらふらとご主人の部屋に入って、机の二番目の引き出しを開けた。
ごくり、と唾を飲み込んでから、飾り箱のふたを開けた。いつもの通り、鍵は掛かっていない。
そしてそこには金袋が入っていた。
リナは目の前がくらくらして、何も考えられなくなった。熱に浮かされるように金袋をつかむと、階下に降り、庭の古木に隠そうと屋敷を出たところで、物陰に潜んだ男から声を掛けられたのである。
「すぐばれちゃうと思うけどなー」
2
「うん。事情は分かった。ひどいご主人だよねー。でも、その金袋がなくなったら、疑われるのは屋敷の使用人だと思うな。あんた人がいいから、疑われただけでぶるぶる震えだしちゃうんじゃないかなー。たぶんばれちゃうよ」
その通りだ。とてもではないが、問い詰められたら秘密を守り通せない。リナは縛り首になり、母も無事ではすまないだろう。手に持った金袋がとても重たく感じた。
「さあ、さ。勇気を出して、その袋を元の場所に戻してくるんだ。ところで、あんたのお母さんの名前は、何てゆーの? どこに住んでるって?」
男はリナの話を疑っているのだろうか。なぜかリナは男に疑われたくないと思ったので、訊かれたことに一生懸命答えた。
姉の月に加えて妹の月も昇ってきたので、男の姿がすこしはっきり見えるようになった。
男は本当に若かった。身長もそんなに高くない。リナよりほんの少し高いだけだ。
――この人と一緒に歩いたら、お似合いだとかいわれるんじゃないかな。
ふとそんなことを考えた。
顔はやせてほっそりしている。肌は浅黒くてすべすべだ。髪は茶色くみえるけれど、それは姉妹の月に照らされているからそうみえるので、たぶん本当は黄色っぽい色だ。癖毛があちこちで可愛らしく跳ね上がっている。薄茶色の目はとても優しそうな光をたたえている。
しばらく話しているうちにリナは落ち着いてきた。
「じゃ、大丈夫だね? 一人で返しに行けるね?」
リナはしっかりとうなずいた。
屋敷に向かって五、六歩足を進めてから振り返ると、若い男はそこに立ったままでリナを見送ってくれていた。
リナは男に笑顔をみせ、屋敷に向かった。ドアをくぐる直前、もう一度振り返った。
もう男はいなかった。
3
その夜、ピデル村の領主の館に盗賊が入った。
領主も客も使用人も、夜中に体がしびれて動かなくなり、その隙に領主の部屋に忍び入って金庫の鍵を開け、中の金貨を持ち去ったのだ。
この盗賊は、奇妙なことをした。
領主と客は食堂で体がしびれて動かなくなっていたが、その食堂に堂々と入って来て、領主と客の見守る前で肉料理を食べて立ち去ったのだ。
肉は貴族の食べ物で、平民は野菜を食べるものだ。
この決まりを厳しく守る貴族の館では、客に出した肉料理が余っても使用人たちには食べさせず、そのまま捨ててしまう。
ピデル村の領主は、まさにそうしたけじめにうるさい貴族だった。
捨てるはずの肉をこっそり食べることを〈腐肉あさり《ゴーラ・チェーザラ》〉といい、ひどく卑しい行いだとされている。
ピデル村の領主の館に忍び入った賊は、その手口から、近頃この辺りを荒らすジュルチャガという盗賊だと思われた。
このときからジュルチャガは、〈腐肉あさり〉というあだ名で呼ばれるようになる。
4
――あの人、今ごろどこにいるんだろう。
リナはあの夜会った男のことを毎日思い出す。
思い出さずにはいられない。
なぜならあの日からしばらくして、母親のことを知らせてくれた人があったのだ。
旅の親切な男が薬草を処方してくれて、リナの母親が回復したこと、その旅人がいくばくかの金を置いていってくれたこと。
――あの人だわ!
リナはそう思った。
考えてみれば、それはありそうもない話である。あの男は盗賊なのだ。どうしてわざわざリナの母親を訪ねたりするだろう。薬草を与えたり、ましてや金を置いて行ったりするだろう。
金を置いていく盗賊なんて、笑い話にもなりはしない。
それでもリナは、あの男がしたことだと思う。
なぜならあの夜、男は母親の名前や住んでいる場所をリナに訊いた。訪ねるつもりがなければそんなことを訊くわけがないではないか。
――でも、どうして?
もしかしてあの男は、リナに一目惚れしたのではないか。それでその母親を助けることで、その思いを伝えようとしたのではないか。
そんな馬鹿な、とは思うものの、その想像はリナの胸を温かくする。
その想像のために、あの男のことを思い出すとリナの頬は赤くそまり、はく息はせつないものになる。
――とにかく、もう一度私に会いに来てくれなくちゃ。
いつかまたあの男に会えるのではないか。ふとしたとき、茂みや物陰から姿をあらわして、あのひょうきんそうな声で、やあやあ、とあいさつしてくるのではないか。
リナは時々そう思いながら、ため息をつく。
(おわり)2014.10.3
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