シエラフューメのハンカチーフ(書籍第2巻とらのあな特典付録)
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本作品は、2014年10月3日に株式会社KADOKAWA様より刊行された『辺境の老騎士』第2巻(企画・製作:エンターブレイン)の、とらのあな様での販売用特典付録として刊行されたものです。すでに相当の時間も経過したことであり、webで公開させていただきます。(2019.1.11著者)
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[シエラフューメのハンカチーフ]
シエラフューメは窓に近寄り下をのぞき見た。
ちょうどヴェン・ウリルが馬に乗って屋敷を出ていくところだった。
――あの
1
「シエラ、急なことですまんが、すぐにコーンライト卿の館に行ってくれんか。オルバン卿がお前を殺すための刺客を雇ったそうなのだ。しかも、刺客はどうもわが家の者であるらしい」
シエラフューメは、長く美しい金の巻き毛を揺らして優雅なお辞儀をした。
「お父様の仰せのままに」
他人行儀な言い方であるが、シエラはわがままを許してくれた父に感謝していた。本当ならずっと前にコーンライト卿の館に行っていなければならなかったのだ。輿入れのための家財も使用人も、とうに先方に届いている。しかし三十歳も年上の老人に体を与え、籠の鳥としてこれから一生を暮らすのだと思うと、少しでもデュルタイエ家にとどまっていたかった。だがそのわがままも、これで終わりということだ。
シエラフューメの父は養子としてデュルタイエ家に入り、その後、妻の兄である先代当主が急死したことにより当主の座を継いだ。いっぽう、オルバン卿はデュルタイエ家の先々代当主の実子であり、シエラフューメの母の弟である。やがてシエラフューメの母も病死した。すると、オルバン卿は、デュルタイエ家の正統な継承者は自分であると主張し始めたのだった。
父は、コーンライト卿の傘下に入るという選択をした。残虐で強欲なオルバン卿に領地を譲り渡すよりも、厳しいが公正であり強大な騎士団を抱えるコーンライト卿の庇護下に移ったほうが、領民のためであると判断したのだ。
その方途として、一人娘のシエラフューメをコーンライト卿に贈ることにした。シエラフューメに男の子が生まれたらデュルタイエ家の継承者に指名すると約束して。
だからシエラフューメは男の子を産まなくてはならない。そしてその子を正しく教育しなくてはならない。それがシエラフューメの使命なのだ。
「騎士コルダトと、騎士ヴランクと、騎士エメスクと、それに騎士ヴェン・ウリルを護衛に付ける。馬車は速度の出るものにする。侍女は一人だけだ」
「騎士ヴェン・ウリル、ですか?」
「腕利きの放浪騎士だ。たまたまわしの依頼を受けて、ある仕事をして帰って来たところだったのだ。この男なら、オルバン卿の息がかかっている心配はない。刺客は三人だという情報なのでな。護衛を四人にしておけば安心だ」
よほど腕利きの騎士でも、一人で二人を相手取るのは難しい。騎士同士の戦いというものは、結局は人数で決まる。だから、敵が三人ならば護衛を四人にするという理屈は分かる。そして、コルダトとヴランクとエメスクは、今館に残っている騎士の全員である。
しかし、そのヴェン・ウリルとかいう騎士は、どれほど信用がおけるのだろう。しょせん流れ者の騎士ではないか。ここに来る前にオルバン卿のもとにいたかもしれないではないか。
とはいえ、父の決定はすでになされた。シエラフューメは従うのみである。
急いで身支度を住ませ、父の選んだ侍女と外に出ると、すでに四人の騎士は待っていた。
――この騎士が、ヴェン・ウリル。
なんと鋭い目つきをした騎士なのだろう。研ぎ澄まされた刃のようなまなざしだ。そのまなざしが胸に突き刺さったような錯覚を、シエラフューメは覚えた。
デュルタイエ家の三人の騎士はシエラフューメに騎士の礼をしたが、ヴェン・ウリルは突っ立ったままだ。シエラフューメはきつい目でヴェン・ウリルをにらみつけながら、努めて平静な声を装って言った。
「皆様、お世話になります。どうぞよろしく」
そしてシエラフューメと侍女は馬車に乗り込んだ。コーンライト卿の館までは、騎士が馬を飛ばせば一日で着く距離だ。もちろん女の乗った馬車で行くとなれば同じようにはいかない。たぶん一晩か、ひょっとすると二晩、道中の森で過ごすことになる。
騎士コルダトが御者席に座り、馬車を進める。騎士ヴランクと騎士エメスクは先導し、騎士ヴェン・ウリルは馬車の後ろについた。
父は館の外に出て見送ってくれた。
2
夕闇が落ちかかるころ、馬車は止まった。森の中は暗い。今夜は姉の月も妹の月も出ているけれど、深い森の中は月明かりだけではとても進めない。
騎士コルダトの指示に従い、シエラフューメと侍女は馬車を降りた。ヴランクとエメスクとヴェン・ウリルも、コルダトの指示に従い、馬を降りて集まる。
コルダトは何かをヴェン・ウリルの足元に放り投げた。
――この音! 金貨の入った袋果? それも相当の大金だわ。
「ヴェン・ウリル殿。ご苦労だったな。貴殿の役割はここまでだ。その金貨は報酬だ。拾え」
「拾えばその懐の毒の短剣が物を言う、というわけか」
初めてシエラフューメはヴェン・ウリルの声を聞いた。
そのときほとんど同時にいくつかのことが起きた。シエラフューメに襲いかかろうとしたヴランクをヴェン・ウリル剣を抜いて牽制した。エメスクの剣が侍女の胸を貫いた。コルダトが何かをヴェン・ウリルに投げつけ、ヴェン・ウリルがそれをはじき飛ばした。ヴェン・ウリルは剣を振ってコルダトとヴランクを後退させると、くるりと身をひねり、シエラフューメを背にかばって三人の騎士と相対する位置を占めた。
「一つ教えてもらえるかな、〈
「匂いだ」
毒を塗った短剣を鞘に入れて懐に隠した匂いなど嗅ぎ当てられるわけがない。それを嗅ぎ当てたのだから、このヴェン・ウリルという騎士は獣のような嗅覚を持っている。
二人のやり取りを聞きながら、シエラフューメはやっと理解した。コルダト、ヴランク、エメスク、この三人こそがオルバン卿の刺客だったのだ。
「騎士コルダト。その金貨でわたくしを、そして父を売ったのですか」
「そうだ。それとあんただ」
その言葉を合図に三人の騎士は襲いかかってきた。シエラフューメは絶望した。いかにヴェン・ウリルが手練れであっても、三人の騎士を同時に相手にしたのでは勝ち目はない。思わずシエラフューメは両の目を固く閉じた。
だが、しばらく目を閉じていても、わずかな物音がしただけで、それ以上何も起きない。
恐る恐る目を開けると、裏切り者の三人の騎士は倒れ伏していた。
呆然としているシエラフューメに声もかけず、ヴェン・ウリルは侍女の死体の前に膝を突くと短く祈りを捧げた。そして金貨の袋を拾うと、指笛を鳴らした。ヴェン・ウリルの馬が近づいて来る。ヴェン・ウリルは無言でシエラフューメを抱き上げると馬に乗り、駆け出した。揺れる馬上でシエラフューメはヴェン・ウリルに強く抱きついた。ほかにどうしようもなかったのである。
3
まるで夜の森で道が見えるかのように、ヴェン・ウリルは馬を駆った。
姉の月が中天にかかるころ、一度休憩を取った。シエラフューメは頭の中が真っ白で、ヴェン・ウリルが差し出した水筒から水をむさぼるのが精いっぱいだった。あとで考えて、水筒から直接飲むというような不作法をしてしまったし、その水筒はといえばヴェン・ウリルがいつも使っている水筒なのだから、顔から火の出る思いをする。
それから再び夜の森を駆けた。次に休憩したとき、シエラフューメは話しかけたいと思ったが、話題を思いつかない。やっと思いついたのが、馬の名を訊くことだった。
「二人を乗せてこんなに速く走れるなんて、立派な馬ね。何という名なのですか」
「サトラ」
それで会話は終わりだった。
シエラフューメはただヴェン・ウリルにしがみつくばかりだった。汗のしみ込んだ革鎧の匂いは、不思議なことに少しも不快ではなかった。
夜が明けていくらもたたない時刻にコーンライト卿の館に着いた。コーンライト卿は驚きながらもシエラフューメを歓迎し、二階の客間に案内すると、デュルタイエ家への手紙を書いてヴェン・ウリルに渡した。ヴェン・ウリルは手紙を受け取るとコーンライト卿に黙礼して出て行ったのである。
4
――気付くかしら。サトラの鞍の下にわたくしのハンカチーフをしのばせておいたのを。いえ、気付くに違いないわ。獣のような嗅覚を持っているのだから。気付いたら振り返って手を振るかしら。それとも……
だがヴェン・ウリルは何事もなかったかのように駆け去って行った。一度も振り返ることもなく。
――ヴェン・ウリル。憎い
(おわり)2014.10.3
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