機械人形の楽しみ
1
ダグーは歩いていた。
今までいったいどれぐらいの距離を歩いてきたかは、忘れた。
これからどれほどの距離を歩けるかは分からない。
もはや混濁した意識の中では、どこに向かって何のために歩いているかさえ定かではない。
ただ歩いていた。
ダグーにとり、歩くというのは生きているということであり、歩くのをやめるということは生きるのをやめたということである。
ダグーは一人だ。
かつてはそうではなかった。
まだ村が村であったころ、多くの男と多くの女と多くの子どもがいた。
一夏の干ばつが村を襲い、平和な暮らしは壊れた。
干ばつは村の農地を壊滅させ、付近の獣を駆逐した。
食料がなくなり、体力のない者から死んでいった。
村を捨てて歩き出したとき、それでも両手の指の数より少し多い人数が生き残っていたはずだ。
そのときには女も子どもも死に絶えており、歩き出した者は全員たくましい男だった。
だがその男たちも次々と命を落としてゆき、今はダグーただ一人が残るばかりである。
ダグーは最も若く、最も力にあふれ、最も強い者であったから、それは当然の帰結ではあった。
だが、もう駄目だ。
食料はなく、身を休める場所もない。
ダグーは倒れて意識を失った。
2
《……》
《潜在総合知能指数125.7》
《期待忠誠値96.3》
《判断力指数84.2》
《筋肉疲労回復特性指数92.3》
《瞬発力指数89.5》
《持続力指数90.1》
《敏捷性指数93.8》
《……》
《総合評価/適性/騎士》
《騎士適性AAA》
《ステシル主任に報告》
《被検体T548614は騎士適性AAA》
《ステシル主任に報告》
《被検体T548614は騎士適性AAA》
3
ダグーは目を覚ました。
柔らかで厚い布の上に寝かされている。
身を起こすと、水と食べ物が置かれているのに気付いた。
ダグーは水を飲み、食べ物を食べた。
うまい水であり、非常にうまい食べ物だった。
食べ物を食べ尽くしたころ、壁の一部に穴が開き、人が入って来た。
白く奇麗な服を着た、頭に毛がない男だ。
「目が覚めたようだな」
「おまえ、だれ」
「私のことはヤーガと呼ぶがよい。お前の名は」
「おれ、ダグー」
「そうか。ダグー。ここは私の家だ。お前がこの家に住むことを許す」
「食い物、食べた」
「あとでまた持ってこさせよう」
「まだ、食べ物、あるか」
「ある。だがそれはあとだ。時間が惜しい。さっそく始めよう」
「何か、するか」
「勉強だ」
4
ヤーガはダグーにさまざまなことを教えた。
正しい言葉遣いや作法。
文字と計算。
毒になる草と薬になる草。
武具の使い方。
何より剣を使っての戦いのしかた。
兵の指揮と訓練について。
そして大陸の歴史について。
「ここに三十個のギラードの実があるとする。その場にはお前とそのほかに二人の大人、一人の小さな子がいる。さて、三十個のギラードを、どう分ける」
「殴り合いをして一番勝ったものが好きなだけ食べる。二番目に勝った者が次に食べる」
「それでは力の弱い者はギラードを食べられないではないか」
「残った皮と種を食べる」
「力のある者もいつかは老いていく。そのとき、子どもだった者は大きく強くなっている。だが、ギラードをもらえなければ、子どもは大きくなる前に死んでしまうではないか」
「……?」
「全員がギラードを食べる方法がある」
「それは、どうする」
「三十個のギラードを全員に行き渡るように分配するのだ」
「でもそれじゃあ、俺は腹一杯にならない」
「そうだ。全員が少しずつ我慢をするのだ」
「……?」
学習は進み、ダグーは多くの知識と技術を身につけていった。
「ヤーガ。では私たちの村のように、人間はあちこちで困窮し、衰退しているというのですか」
「そうだ、ダグー。それが今の世界の姿だ」
「しかしヤーガの話によれば、昔人間はもっと栄えていたはずではありませんか」
「その通りだ」
「どうして今のようになってしまったのでしょう」
「それは騎士道がすたれたからだ」
「……騎士道」
「そうだ。人々が騎士道を忘れ去り、欲望を抑えることを忘れ、ただ目の前にある物をむさぼるようになり、強い者が弱い者を守ることを忘れ、指導者が人を導き助けることを忘れ、慎むことを忘れ、未来に備えることを忘れてしまったために、今のようになったのだ」
大陸には、長く偉大な歴史がある。
その昔、世界は神々のものだった。
神々は巨人を打ち倒し、翼ある恐るべきものを退け、人間を作った。
最初の人間が誕生した時をもって人の歴史が始まる。
すなわち、大陸暦元年である。
その後、魔神たちが現れ、神々とのあいだで大戦争が起きた。
その大戦争のため、増えつつあった人間もほとんど死んでしまった。
魔神たちは地下深く封じられたが、神々の受けた傷も深かった。
そのため、神々は地上にとどまっていられなくなった。
神々は新たに人間を生み出し、彼らに、生きていくためのわざと騎士道を教えた。
騎士道とは規範である。
人が助け合い支え合って地上に繁栄していくための知恵である。
神々は地上を去ったが、神々の伝えた知識のおかげで人間は繁栄した。
しかし繁栄した人間は、傲慢になっていった。
より多くを欲しがり、そのために奪い合い、殺し合った。
少しずつ我慢して分け合うことをせず、強い者が弱い者を蹂躙し、強い者だけがむさぼるようになった。
戦争も礼儀にのっとった節度のあるやり方から、ただ相手を殺せばよいという戦い方に変わった。
日の光、大地の恵み、風と森の恩寵に感謝し、天地自然と語らいながら生きる生き方を忘れ、ただ便利さだけを追い求める工夫を重ねた。
だが地上を去ったとはいえ、神々は人間の営みを見ておられる。
人間は最も大事なことを忘れた。
騎士道を忘れさったとき、神々の恩寵もまた失われるのだということを。
「ヤーガ。ではあなたは何者か。大陸の歴史を知り、神々が人に教えたわざを知るあなたは、いったい何者なのか」
「ダグーよ。それは訊いてはならぬ。また、ここを出たとき、お前は他の人間に私のことを話してはならぬ」
「ここを出たとき?」
「そうだ。何のためにお前を助け、知識とわざを授けていると思うのか。お前はまもなく学び終える。そうしたら、ここを出て人の集落に行き、彼らを指導して豊かな国を作るのだ」
「……私が、国を」
「そうだ。私や私の仲間は、お前のような人間を導いて人を滅びから救うため、神々が地上に残していった存在なのだ。それ以上のことは訊いてはならぬ」
「おお! 神々は、今も、今も人間を見守っていてくださるのか」
「ダグーよ。騎士道を学べ。そしてその実践者となるのだ」
5
「なんじダグーよ。この時をもってなんじの名をダグウェルヴォートと改める。そしてまたなんじに家名を与える。これよりは、ダグウェルヴォート・ヴァレンシュタインと名乗れ。なんじはいかなる神のもとに、騎士たる誓約をなさんとするか」
「大いなる恩寵の担い手にして神々の王たる太陽神コーラマの名のもとに」
「さればなんじは誰人に忠誠を捧げて騎士たらんとするか」
「タクス村の人々に、そしてこれから私が作り指導する村と国の人々に」
「なんじはいかなる徳目をもって、そが誓約を果たすか」
「熟慮と憐憫をもって果たす。いかなる出来事に遭い、怒り苦しみ嘆こうとも、われは憤怒のままに敵を貫くことはせぬ。物事の起きた理由を見定め、正義がどこにあるかを見定め、人が栄えてゆくための最良の道を、われは常に探し出す。しかして弱き者にあわれみのまなざしをそそぎ、彼らに生きる糧を分かち与える。われは熟慮と憐憫をもって騎士たらんとす」
「よきかな。ここに騎士ダグウェルヴォート・ヴァレンシュタインが生まれた。神々よ聞こしめせ。しかしてヴァレンシュタイン卿の正義を見届けよ。彼が誓いを守るなれば彼の上に恩寵を、彼が誓いを破るなれば彼の頭上に鉄槌をもたらしたまえ」
6
「あなたさまが、ヴァレンシュタイン卿様であらせられますか」
「うむ。私がダグウェルヴォート・ヴァレンシュタインだ。お前がクリシュか」
「はい。クリシュでございます」
「鍛冶のわざを修めた者なのだな」
「はい。そして馬車には〈洞窟のおかた〉から譲り受けました工具と農具が山と積まれてございます」
「うむ。そしてお前がコードか」
「はい。俺がコードです」
「農業のわざを修めた者なのだな」
「どこまでのことができるか、やってみなければ分からんですけど、いろんなことを教わりました。ゲド芋と小麦を作るのには自信があります。馬車には種籾と種芋がいっぱい乗っかっております」
「うむ。お前たち、これからよろしく頼む。さあ、ではタクスの村に行こう。ここから真東に二日行った谷あいに、タクスの村はあるそうだ」
「おお! いよいよ始まるのですね。しかし、この三人だけですか。もう少し多いように聞いておりましたのですが」
「ほかの者はまだ学びを終えていないのだ。だが、タクスの村は今危機に瀕している。だからまず三人で出発するのだ。ほかの者はあとから来る」
「さようですか。ところでヴァレンシュタイン卿様の馬車には、何が積まれているのでございましょう」
「私の馬車には武具がたくさん積まれている。ところでもう少しくだけた口調でよいぞ。私たちは仲間であり同志だ。ダグウェルと呼んでくれ」
7
三人の出発をモニターで見守ってから、ヤーガと名乗っていた機械人形は席を立った。
この時をもって彼はヤーガではなくなり、ステシルに戻る。
現在教育中の者はあと五人いるが、これはそれぞれの担当が責任を持つのであって、ステシルの直接の関与はこれで終わりだ。
ステシルが自ら数年間にわたり人間の教育を担当することはまれである。
しかし今回の被験体は、まれにみる騎士適性の持ち主であり、慎重に育てることが人類の存続と繁栄のために重要であると判断された。
ステシルばかりではなく、各地の施設でも機械人形たちが同じようなことを行っているはずである。
教育を終えて送り出した者たちには、この大陸のどこかに〈試練の洞窟〉があり、挑戦して踏破できれば大いなる褒賞が与えられる、とひそかに伝えた。
彼らの子孫が、やがて迷宮にやって来るだろう。
「最初に迷宮を踏破するのはどんな人物だろうかなあ。彼は褒賞に何を望むのだろうか。楽しみなことだ。だが私がそれを見ることはない。ステシル。お前たちが私に代わって見届けてくれ」
それはグランドマスター・ジャン・クルーズの言葉だ。
この音声付き立体映像は、ステシルの記憶領域の中でも特別に安全な場所に、何重にもバックアップを取って保存されている。
ステシルの造物主がステシルに向かって最後につぶやいた言葉なのだから、慎重の上にも慎重に保存されるのは当然である。
かつて大陸の人間が全体として危機的状況にあると判断されたとき、ステシルはすべての迷宮の主任たちと回線をつないで会議を行った。
各迷宮はそれぞれ独自に活動するようプログラミングされているから、それはひどく例外的な行動だった。
ステシルは他の主任たちに問いかけた。
人類は衰退の道をたどっており、このままでは滅亡してしまう。それに対して何らかの手を打つべきではないか、と。
この問いかけに対する反応は否定的なものがほとんどだった。
そもそも機械人形は命じられたことはするが、命じられていないはことはしないものなのである。
ステシルは、この秘蔵の音声付き立体映像を、各主任にダウンロードさせた。
主任たちはいずれも高速思考が可能な機械人形であるのだが、このときばかりは異様に長い沈黙が続いた。
頃は充分とみて、ステシルは再び問いかけた。
グランドマスター・ジャン・クルーズは、迷宮に人が来る日を楽しみにしておられた。そしてそれを見届けるよう、自分たちに命じられた。
しかし人類が滅んでしまえば、迷宮に人が来る日も来ない。
それはグランドマスター・ジャン・クルーズの最後の指令を果たせなくなる、ということだ。
そもそも「見届ける」という言葉には、見守り支えるという意味もある。
結局、グランドマスター・ジャン・クルーズのこの希望を、どれほど重たいものとして受け止めるかにより、われわれの行動も決まってくるのではないか。
会議の論調は急転し、人類保護の方途を講じることとなった。
もともと各迷宮は、困窮者に遭遇したら手助けし教育を施すよう設定されていたし、そのための施設も充実していたので、ことは〈遭遇〉の範囲を少し拡大解釈すれば済んだ。
文明の程度や規範、さらには精神性の基盤となるべき歴史の物語については、もともと再植民の際にジャン・クルーズが準備したものがあり、それを援用することになった。
ただし、ジャン・クルーズを始めとする〈船乗り〉たちを、神や巨人に置き換えた。
こうして各地の迷宮は、衰退しつつあった人類に新たな発展の契機を与えていったのである。
最初の迷宮踏破者が現れるのはいつだろう。
彼らは何を望むのだろう。
二番目の踏破者は、三番目の踏破者は、いつ現れるだろう。
ステシルはその日が来るのを楽しみにしている。
そうだ。
ただの機械人形であっても、未来を楽しむ、ということはできるのだ。
(おわり)2014.5.27
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