ザイオルエッダの剣
人の気配を感じて振り返った。
こんな近くに寄られるまで気づかなかったということは、気配を殺すのがひどくうまい相手だということだ。
だがザイオルに危機感はなかった。懐かしい気配だったからだ。
案の定、たたずむ男は、よく知った顔だった。記憶の中のその男と寸分ちがわぬ顔をしている。別れたのは二十年近く前だというのに。
「久しぶりだな、カントル」
「久しいな、ザイオル」
「まさか私を探しにきたのか」
「いや、偶然だ。大障壁の切れ目を一目見ておきたかったのだ」
「そうか。まあ家に来い。茶などふるまおう」
ザイオルはカントルエッダを家に案内し、妻に紹介した。
妻は二人のために茶を淹れた。
「鉈と弓か。剣はどうした」
「剣は、もう持たない」
「そうか」
カントルエッダはそれ以上聞かなかった。カントルエッダにも迫る剣技の持ち主であるのに、もう剣を持たないという。それは、剣を持たないですむ生き方を今はしているということだ。
そもそもザイオルがザルバンを捨てたのは、剣のためだ。王族であり若くして俊英と認められたザイオルは、王の側近となるべく治世のための勉強を要求された。だがザイオルは剣以外のすべてを捨てたかった。結局それは国を出奔するという結末をもたらしたのだ。
カントルはザイオルに会えたことを喜んでいた。
ザイオルの目つきは以前とまるでちがう。今のザイオルには剣に取り憑かれた物狂おしさはみられない。穏やかで落ち着いた雰囲気をまとっている。妻という女性との出会いがザイオルを変えたのだろうか。
「王の剣が国を出るとは、いったい何があった」
「もう一人先祖返りが生まれたのだ」
「なにっ」
「しかもその子は大公の長男で、そして〈分けられた子〉だった」
「なっ」
ザイオルは絶句した。それほどに劇的で異常な出来事だった。いったい神々はザルバンに何をもたらそうとしておられるのか。国を捨てた自分でさえ硬直するような事態である。当事者であるカントルエッダの懊悩はどれほどだろうか、とザイオルは思った。
心の整理をつけるため、この男は国を出たのだろう。国を出たついでに見聞を広め、いずれ起きるであろう何事かに対処するおのれを磨こうとしているのだ。
——いや、待てよ。
それだけではない。たぶんカントルエッダは、生まれてきたというその〈分けられた子〉を守ったのだ。
たとえ先祖返りといえど、大公の長男が〈分けられた子〉であるという事態に、その子は殺すべきだという意見も出るだろう。
そのとき王の剣たるカントルエッダが国を空けていれば、先祖返りの子は殺しにくい。
また先祖返りの子は王の剣となるから、もう一人の〈分けられた子〉は次代の大公として生き永らえることになる。
カントルエッダにはそういう優しさがある。
その優しさで、かつて国を捨てるザイオルを見逃しもしてくれたのだ。
そのとき、家に近づく気配があった。
「俺の息子だ。紹介しよう」
「おとうさん、おかあさん、ただいま」
「息子のバルドだ。今年九歳になる。バルド。古い……友人を紹介しよう。カントルエッダだ」
かくして運命は時を刻み始める。
(おわり)2014.5.30
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