第8話 イステリヤ

 1


 太陽神コーラマが、西の水中に身を隠しかけるころ、東の水の上に大地が現れた。

 小さな大地だ。

 もっとも、小さいというのは周りの広大な水の世界と比べてのことであり、その小さな大地は、パルザムの王都とどちらが大きいか、というほどの大きさを持つ。

 間もなく一行は、その小さな大地の西の端に降り立った。

 波が打ち寄せる際であり、いくつもの岩棚が折り重なっている。

 見れば岩棚の中央を小さな水流が通っており、岩棚の中ほどでは水たまりができている。


「ここで一晩過ごせ。

 あなぐらもあるし、水もある。

 草や木や枯れ枝もある。

 明日、朝の食事が済んだころに迎えに来る」


 そう言ったチチルアーチチに、バルドは、ここまで世話になったのう、と礼を言った。

 タランカは、質問をした。


「チチルアーチチ殿。

 この水の上の大地が竜人のすみかなのか」


「そうだ。

 このククル=リこそが、竜人の国たるイステリヤだ。

 われらの住まいはククル=リの東側から中央にかけてだ」


「ククル=リとは何か」


ユーグの中にぽつんと浮かぶ大地のことだ」


「ユーグとは、この広大な水の大地のことか」


「水の大地、とはおもしろい言い方だな。

 だが、その通りだ。

 こうした言葉は人間の言葉なのに、お前たちは知らないのだな」


「チチルアーチチ殿。

 竜人には竜人の言葉があるのだろう」


「無論だ」


「あなたがたは普段人間とまじわらないはずだ。

 なのになぜ、あなたはそんなにも見事に人間の言葉が話せるのか」


「……それについては、明日族長に訊け」


 ここでバルドが質問を挟んだ。

 バルドはチチルアーチチにこう訊いた。

 ククル=リというのは、イステリヤだけでなく、ほかにもあるのか。


「ある、と聞いている。

 だが私たちが知るのは、このイステリヤだけだ。

 ……いや。

 もう一つ知っているな。

 それについては明日族長に訊け」


 バルドが訊きたかったのは、取りあえずそれだけだ。

 タランカがチチルアーチチに言った。


「分かった。

 疲れているところを済まなかった。

 他の竜人たちにもチチルアーチチからねぎらいを伝えてくれ。

 チチルアーチチに抱かれての空の旅は心地よかった」


「……お前は変な人間だ」


 チチルアーチチはそう言い置いて、仲間を連れて飛び去った。

 カーラがうさんくさげな目つきをタランカに向けた。


「あんた、あの竜人の女を口説くつもり?」


「いや、そんなつもりはないよ。

 でも仲良くしたい、と思っている」


 仲良くか。

 なるほどそれは大事なことじゃ、とバルドは思った。

 竜人たちは味方というわけではない。

 むしろ敵だ。

 いよいよのところでは決して友誼を結べる相手ではない。

 しかしだからこそ、対話し理解することが必要だ。

 仲良くしたい、というほどのところに心を置くことは、とてもよい。

 そうでなければ交渉などできない。

 タランカはまだ若いのに、老練な貴族のような発想ができている。

 バルドは大いに感心した。





 2


 太陽神は水に没したが、暗闇にはほど遠い。

 中天には姉の月スーラが輝き、妹の月サーリエも銀の馬車に乗って姿を現した。

 星神ザイエンはひときわ豊かに星々の光を降らしている。


 さて、食事の準備をしなくてはならない。

 バルドたちが下ろされたのは波打ち際の砂浜である。


「このまま砂浜で食事にしよう。

 僕はたきぎ拾いをするから、カーラはこの鍋に水を汲んで、スープの具を準備しておいてくれるかな」


 カーラが鍋を持って波打ち際に向かうのを見て、バルドはあることを思い出した。

 そこでカーラに、ユーグの水は塩水のはずじゃ、と声を掛けた。


「あら、そうなの?

 じゃあ、塩が節約できてちょうどいいわね」


 カーラは鍋にユーグの水を汲み、それを手ですくって飲んだ。

 そして、何とも言えない顔をした。


「うえええええええ。

 からい。

 塩からい。

 それに、なんていうか、まずい。

 だめだわ。

 この水じゃ、スープは作れない」


 そう言って、岩棚をのぼって清流を汲み取った。

 カーズはといえば、砂浜の端にある岩場に上って何かを見ている。

 そこは清流が流れ落ちる場所であり、ごつごつした岩が折り重なっている。

 打ち寄せる波が岩に当たって砕け飛び散っている。

 カーズは砂浜のほうに戻って来た。

 波打ち際をあさっている。

 何かを見つけたようだ。

 それは貝だった。

 二、三個の貝を拾うと、また岩場に戻った。

 カーズの体が岩場の影に消える。

 下のほうに降りたのだろう。

 ほどなく岩場から出て来た。

 剣を抜いている。

 その剣の先で何かがはねている。

 びちびちと。

 魚だ!


 バルドにも、ようやくカーズの狙いが分かった。

 岩場に魚が寄って来るのに気付いたカーズは、貝の身を水に落とし、それを食べに来た魚を剣で突いたのだ。

 なんという技。

 魔剣〈ヴァン・フルール〉をそんなことに使ってよいのか、と少し思ったが、カーズが自分でやっていることなのだから、よいのだろう。

 その後カーズは人数分の魚を獲った。

 ユーグの魚は、泥臭さがなく、非常に美味だった。


 食事のあと、四人は思い思いに過ごした。

 なかなか寝付けなかった。

 何しろこの風景は素晴らしい。

 星神に照らされ、風神に吹かれてさざめき揺れる広大なる海。

 飽きることのない眺望である。


 それにしても、この大いなる海がユーグだったのか。

 バルドは感慨を深くした。

 ユーグ、というのは古い古い神の名だ。

 何の神かといえば冥界の神なのである。

 大オーヴァが流れていく先は巨大な奈落となっており、その落ち込んでいく先は冥界である。

 すべての死者の体が流れ着く場所こそが冥界なのである。

 したがって冥界は闇そのものであり、混沌そのものでもある。

 と同時に新たな命の揺り籠でもある。

 死者はユーグのもとで安らう。

 そして新たな命となって地上に生まれていくのである。

 なんとなれば、闇とは命を包み守り育む働きだからである。

 辺境ではユーグの名は忘れられていない。

 バルドも、川に流した手紙は大オーヴァに流れつき、それからユーグに送り届けられるものだと思ってきた。


 ここから先は、ロードヴァン城からパルザム王都への旅の途次、マッシモサンボ位伯に聞いたことである。


 がやがて、死者の魂魄は霊峰フューザに集まって神々の庭にいざなわれる、という信仰が力を持つようになった。

 また、パタラポザなる闇の神が現れ、くらきもの、おぞましきもの、怪しきものをつかさどるといわれるようになった。

 生命の誕生は豊穣神ホランのわざとされるようになった。

 こうしてユーグはその権能を奪われ、ただオーヴァの水を飲み込み続ける神となり、人々から忘れ去られていったのだという。


 だが、ユーグはここにおわす。

 オーヴァの水を飲み込み続けたその巨体で大陸を覆い、人の目に見えないところで人の暮らしを支え、この世のことわりを守り続けているのだ。


 ふと見れば、タランカはひとり何事か考え込んでいる。

 波打ち際ではカーズのそばにカーラがにじりよっている。

 バルドはユーグとザイエンに寿言を贈って報謝した。





 3


 一行が朝食を終えてしばらくして、チチルアーチチがやって来た。

 三騎の飛竜を従えて。

 四人を乗せて飛び立つと、海岸線に沿って北に移動した。

 そしてある場所で空中に静止し、チチルアーチチは言った。


「あれを見よ」


 チチルアーチチが指し示す方角には、一つのククル=リがあった。

 それは小さな小さな島だ。

 薄い赤色をした岩でできており、一本の木も生えていない。

 あれはいったい何なのか。

 あの島がどうしたというのか。

 バルドたちの疑問に答えは与えられず、一行はそこから再び移動を開始した。


 今度はイステリヤの中央部に向かって飛んだ。

 島の中央部は巨大なそそり立つ岩山となっており、その中央部がぱっくりと割れている。

 さらに近づくと、その割れた壁面にたくさんの穴が開いているのが見えた。

 穴と穴とをつなぐように壁面には階段が掘られている。

 穴の中から飛竜に乗って飛び出す竜人がいる。

 つまりあの穴が竜人たちの家なのだ。

 一行は壁面の最上部の穴に向かった。

 バルドたちはそこで降ろされた。


 ここから落ちたら命はないのう。

 と、バルドは思った。

 不思議なことに飛竜に乗って飛んでいるときには、高い空の上にいるという恐ろしさは感じなかったのだが、今は高さの恐怖を強く感じた。

 バルドたち四人とチチルアーチチは、洞窟の中を進んだ。

 どういう仕掛けか分からないが、奥に進んでも洞窟の中はぼんやり光っている。


 ほどなく最奥部に着いた。

 そこには一人の巨大な竜人がいた。

 恐らくひどく年老いた竜人だ。

 岩壁に背を預けて座っている。

 その竜人に向かってチチルアーチチが言った。

 竜人の言葉なので意味は分からない。

 だが短い言葉の中に、フューザリオン、タランカという言葉があったのは聞き取れた。


「人間たち。

 わしはイステリヤの族長ポポルバルポポ。

 お前たちを歓迎しよう。

 タランカという人間はどれだ」


「私がフューザリオンのタランカです。

 族長ポポルバルポポ。

 私たちの要求に応じ、会談の場を設けてくれたことに礼を言います」


 そして待ちに待った竜人の長との対話が始まった。

 ついにバルドが追い求めてきた秘密が明かされるのだ。







【後書き】

2月16日「イステリヤ(後編)」に続く


------------------------- 第151部分開始 -------------------------

【サブタイトル】

第8話 イステリヤ(中編)


【本文】

 4


 タランカが質問を始めた。

 これはあらかじめ話し合っておいたことだ。

 タランカが質問をし、相手が答える。

 バルドはそれを横で聞きながら随時質問を加えていくという手はずである。


「族長ポポルバルポポ。

 ではまず教えてほしい。

 あなたたち、あるいはあなたたちの仲間は、なぜ霊剣とその使い手を欲するのか」


 しばらくの沈黙ののち、族長ポポルバルポポは話し始めた。

 低く深みのある声だ。

 だがしゃりしゃりという響きが混ざっており、ひどく非人間的な声だ。


「その前に訊こう。

 タランカ。

 お前たちは霊剣がどのようなものであるかを知っているのか」


 タランカはこの問い返しに慎重に答えた。


「それは太古の神霊獣が宿る武器である、と聞いている。

 使い手との相性により、恐るべき力を発揮する武器であると」


「ふむ。

 その言い方では、お前たちは、その恐るべき力というものが、その剣自体にあると思っているようだな。

 違うのだ。

 霊剣は確かに武器として恐るべき力を秘めている。

 だが違うのだ。

 霊剣の本当の価値は、鍵としての価値なのだ」


「鍵、だと?」


「そうだ。

 ところでお前たちは、〈初めの人間〉のことを知っているか」


「ジャン王のことか。

 人間がこの大地とはまったく別の世界から来た、ということは知っている。

 ジャン王はその人間の一人で、この地のあらゆる種族をまとめる王となったことも知っている」


「あらゆる種族ではない。

 そこにはわれら竜人は含まれていないのだからな。

 われら竜人はもともとこの地のすべての種族を支配していた。

 部族が栄えるのも滅びるのも、われらの思い一つで決まったのだ。

 あまたの種族は争い合い、勝利を求めた。

 われらを喜ばせるために。

 われらは罪を犯した者たちは罰し、手柄を立てた者は賞した。

 特に強き者、美しき者には、われらの体に入ってその一部となる、という栄誉さえ与えられた。

 すべてはうまくいっていたのだ」


 それは竜人たちからみれば、ということであろうがな、とバルドは思った。

 われらの体に入ってその一部となる、というのはおぞましくも竜人に食べられるということだ。

 そんな家畜のような生活を、他の種族が喜んでいたとは思えない。

 少なくとも今生きているそれぞれの種族は、そのような暮らしぶりを決して望まないだろう。


「そこに人間たちが現れた。

 いや。

 最初に現れたのはたった一人の人間だった。

 〈初めの人間〉だ。

 〈初めの人間〉は種族同士の争いをやめさせようとした。

 われらは異分子が紛れ込んだことに気付いた。

 〈初めの人間〉は素晴らしい遊び道具だった。

 われらは〈初めの人間〉を苦境に追いやり、命を狙わせ、味方についた者たちを裏切らせた。

 どこまで〈初めの人間〉が頑張れるかを楽しませてもらおうと思ったのだ。

 だがまったく予想外なことに、〈初めの人間〉はくじけなかった。

 くじけるどころか、われらの支配下にあったほとんどすべての種族をまとめあげた。

 そしてわれらに反抗の牙を向けさせたのだ」


 ここでポポルバルポポは、岩を削りだしたテーブルの上に置かれた木の器を取って中身を飲んだ。

 竜人たちは、ひどく原始的な生活をしているようにみえる。

 が、逆にいえば、彼らは服も要らず武器も要らず、ほとんど道具も要らない存在である。

 それが彼らの文化であり誇りでさえあるのかもしれない。


「それはひどく不愉快なことだった。

 だがひどく愉快なことでもあった。

 われらは〈初めの人間〉の手並みをみながら、反攻の時を待った。

 われらが種族の力を合わせて襲い掛かれば、どんな種族も対抗することなどできないのだからな。

 ところが事態は思わぬ方向に進んだ。

 人間は一人だけではなかったのだ。

 次々と人間が現れた。

 しかも恐るべき武器を携えて。

 やつらはわれらの聖域であった空をも無造作に侵し、われらを炎の槍で駆り立てた。

 もともとわれらの国はフューザの中腹にあった。

 やつらはやすやすとわれらの国にたどり着いた。

 われらは滅びを覚悟したが、そうはならなかった。

 人間どもは二つに分かれて同士打ちをしていたのだが、それが激化し、われわれになど構っていられなくなったのだ。

 長い長い、壮絶な同士打ちだ。

 やがて〈初めの人間〉が率いる側が勝利を収めた。

 われらは息を潜めて長い時を待った。

 その後人間どもは次第に空を飛ばなくなった。

 われわれは、人間がその強大な力を失ったのだと考えた」


 ポポルバルポポの傍らでは、チチルアーチチが身じろぎもせず話を聞いている。

 この話はチチルアーチチにとっても未知の物語なのだろうか。


「われらは平地に降りた。

 そこには人間どもがはびこっていた。

 だが人間たちは、かつての大いなる力を失っていた。

 炎の弓や飛行機械を失った人間たちは、あわれなほど脆弱な生き物だった。

 われわれは人間たちを集め、一つの都を作り上げた。

 われらは集めた人間たちに手を加え、完全にわれらのしもべとなり、われらに奉仕すること以外何も考えないようにした。

 そして強力な軍隊を作らせた。

 分かるか。

 復讐だ。

 人間たちに受けた苦痛と屈辱は、人間たちによって晴らされるべきだと、われらの先祖たちは考えたのだ。

 われわれは完成された身体を持っているから、人間が使うような武器や家は必要ない。

 だが人間には武具や防具が必要だからな。

 多くの武具や防具を作らせた。

 われわれはその軍隊で、他の街の人間たちを襲った。

 それが失敗だった。

 人間は力を失ってなどいなかったのだ。

 驚いたことに、人間が現れてから二百年がたつというのに、〈初めの人間〉はまだ健在だった。

 飛行機械も炎の弓も失われたわけではなく、〈初めの人間〉によって秘匿されていたのだ。

 都はたちまちのうちに消し飛ばされてしまった。

 〈初めの人間〉はわれらに、滅ぼさないための条件を突きつけた。

 それは、大陸を去ってこの島に移り住むこと。

 人間の住む場所には降り立たないこと。

 そして、〈囚われの島〉を見張ることだ」


 ジャン王が、一つの都を消し飛ばしたというのか。

 そこに住む人間もろとも。

 いったい何がジャン王をそこまで怒らせたのか。

 そこに住む人間たちは、どんな仕打ちを受け、どんなふうに作り替えられていたのか。

 それは想像するだに恐ろしいことだった。

 だがおそらくジャン王は、その都の人間たちにとっては消し飛ばされることが慈悲だと考えたのだ。

 そうジャン王に思わせるほどのことを、竜人たちはしたのだろう。






 4


「囚われの島、だと?」


 タランカの質問に答えたのは族長ではなくその娘だった。


「今朝ここに来る途中見せただろう。

 この島の北にある小さな島だ」


「そこに何が囚われているのだ」


 タランカの問いにポポルバルポポは答えた。


「われらはそれを知らされなかった。

 ただ命じられたのだ。

 その島には咎人とがびとを封じてあるので、一切の者がその島に近寄らないよう見張れ、何人もその島に近づいてならぬ、と」


咎人とがびと、だと?

 そうジャン王は言ったのか」


「そのとき〈初めの人間〉が使った正確な言葉は伝わっていない。

 罪人か、咎人か、悪人か。

 いずれにしても人間なのだろうとわれらは思っていた。

 やがて何十年かがたち、当然封じられた人間も死んだと思われた。

 それでもわれらは約定を守って島には近づかなかった。

 ところが二人の先祖が禁を破った。

 ウルドルウと、エキドルキエの二人だ」


 ウルドルウ!

 その名にバルドは覚えがあった。

 それはシンカイ軍の黒い大きな馬車に入っていた竜人だ。

 人の心を自在に操る恐るべき呪術師だ。

 そう物欲将軍から聞いた。

 その話はタランカも覚えていたようだ。


「ウルドルウという名には覚えがある。

 人の心を操る竜人の呪術師だな」


「ほう。

 知っているのか。

 ウルドルウとエキドルキエは島に降り立った。

 だが封じられた存在はまだ生きていた。

 それは人間などではなかったのだ。

 見たこともない、恐ろしくて強大な存在だった。

 〈それ〉はたちまちウルドルウとエキドルキエの心を支配した。

 そして二人に恐るべき力を与えた。

 二人は老いを知らなくなり、とてつもなく強力な呪術が使えるようになった。

 二人は怪物の手足となって働き、〈それ〉はますますその力を巨大化させた。

 やがて〈それ〉の支配力は、直接この島に届くほどになった。

 〈それ〉はその気になれば、この島に住む誰をも自在に操れる。

 この島で語られるどんな言葉も聞くことができる。

 そしてそれが真実か嘘かを〈それ〉はいともたやすく見抜くのだ。

 〈それ〉はその超越的な力をもってわれらの上に君臨した。

 〈それ〉はわれらの〈あるじ〉となったのだ」


 ポポルバルポポは低く無機質な声でそれを語った。

 だが〈あるじ〉という言葉を発するとき、その声色は激情に彩られていた。

 そこには抑えきれぬ憎しみが込められていたのである。






 5


 その言葉を聞いたバルドたちは、一瞬身構えた。

 それでは今まさに自分たちは怪物の手の内にあることになる。

 だが、族長ポポルバルポポは、右手を上げてバルドたちをなだめた。


「いや。

 今は眠っているのだ。

 だからお前たちを招くこともできた。

 反乱者たちも反乱を起こせた」


「眠っている?」


「そうだ。

 〈あるじ〉は、二十年ほど起きては、十年か十五年ほど眠る。

 六年前、〈あるじ〉は眠りについた。

 見つけたぞ、という言葉を残してな。

 まだ数年は目覚めないだろう」


 では囚われの島の怪物こそが、あの声の主だったのだ。

 この世界ではない別の場所にいる、とマヌーノの女王は言ったが、それは〈大障壁〉の外、あるいは大陸の外という意味だったのだろう。

 バルドはあることを思いついて、ポポルバルポポに質問した。

 パタラポザのこよみ、とはおぬしたちの〈あるじ〉の起きて寝る周期のことか、と。


「ほう。

 珍しい言葉を知っているものだ。

 そうだ。

 それはわれら竜人から生まれた言葉だ。

 パタラポザの暦では、〈あるじ〉が起きて寝てまた起きるまでを一晩、と呼ぶ」


 そうだったのだ。

 ということは、二十年起きて十年ないし十五年寝るとすれば、三十年ないし三十五年が一晩にあたる。

 ロードヴァン城を襲った魔獣をそろえるのにパタラポザの暦で二晩かかった、とマヌーノの女王は言った。

 それは六十年あるいは七十年の時間をかけて準備したということだ。

 それほど長きにわたって竜人の呪縛に囚われていたということでもある。

 しかし、ということは。

 その〈あるじ〉の睡眠の周期を〈パタラポザ〉と呼ぶということは。

 まさかその怪物は、かの暗黒神パタラポザなのか?

 バルドはそれをポポルバルポポに訊いた。

 おぬしたちの〈あるじ〉とは暗黒神パタラポザなのか、と。


「そうでもあるともいえるし、そうでないともいえる。

 〈あるじ〉はいにしえより人間世界に関わってきた。

 われら竜人を通して。

 あるいは協力者である人間を通して。

 時には直接その強大な力を振るうこともあった。

 ごくまれには人間を呼び寄せて会話をしたり力を授けることもあった。

 そんな〈あるじ〉の存在に触れた人間たちは、〈あるじ〉のことをパタラポザと呼んだ。

 われらはその言い方を借りて、〈あるじ〉の覚醒と睡眠の周期を、パタラポザの暦と呼んだのだ」


 怪物こそがパタラポザの実体なのか。

 それともパタラポザの神話に名を借りて、怪物をパタラポザと呼んだのか。

 とりとめのない思考に陥りかけたバルドの耳に、ポポルバルポポの声が響いた。


「さて、質問は、なぜわれらが霊剣と使い手を欲しがるか、だったな。

 〈あるじ〉は〈初めの人間〉が遺したある物を探している。

 それを呼び出し、自由に操るための鍵が霊剣なのだ。

 霊剣は、〈初めの人間〉が神霊獣たちと契約をして武具の中に封じたものだ。

 それは条件に合う人間が使い手となったときだけ、本来の力を発揮する。

 使い手が霊剣を使って命じれば、〈初めの人間〉が遺した物から力を引き出すことができる。

 そして自由に扱うことができるのだ」


「族長ポポルバルポポ。

 なぜその〈あるじ〉とやらは、〈初めの人間〉の遺産を欲しがるのか」


 と問うたタランカを、竜人の族長は恐ろしい目で見た。


「なぜ、だと。

 むろん、破壊するためだ。

 それ以外に考えられるか」


「破壊だと。

 なぜ破壊しなくてはならないのか」


「それが〈あるじ〉を滅ぼせる唯一の力だからだ」


「なにっ。

 では、その遺産とは、武器なのか」


 竜人の族長は、額にある第三の目を、くわっと見開いた。

 タランカはおじけることもなく、まっすぐに族長の顔を見つめている。

 しばらくして、第三の目は閉じられた。


「武器なのかどうかは、よく知らん。

 ただそれが〈あるじ〉を滅ぼす力を持っていることは間違いない」


「なぜそうだと分かるのか」


「それ以外に、〈あるじ〉があそこまで血眼になって遺産を探し続ける理由がないからだ」


 おかしい。

 この理屈はおかしい。

 たぶんポポルバルポポは、何かを知っていて隠している。

 人間たちには知らせたくない何かを。


 「今回反乱した者たちは、〈あるじ〉に先んじてその遺産の力を手に入れようと考えた。

 だから反乱者たちは、霊剣とその使い手を欲したのだ」


 このあまりに意外な新しい情報を理解するのに、バルドにはしばらくの時間が必要だった。

 ジャン王の遺産。

 それを欲する怪物。

 怪物に先んじて手に入れようとした竜人の一派。

 遺産を手に入れるための鍵。

 頭の中が混乱して、情報と情報がうまくかみあっていかない。

 そんなバルドの心の整理を手伝うように、タランカは言葉を選びながら質問を重ねた。


「その遺産とはどこにある、どのような物なのか」


「遺産がどこにあり、どのような物なのかは知らない。

 その詳しいことを、〈あるじ〉は決してわれらに教えない。

 だが中継器のありかは分かっている。

 フューザ山の中だ」


「フューザの……中?」


「そうだ。

 〈あるじ〉は長い時間をかけてそれを探し出したのだ。

 それはフューザの中腹から地面を掘り進んだ奥深くに隠されていた。

 そこにある中継器を使い、霊剣によって命じれば、遺産の力を呼び寄せることができる。

 反乱者たちは〈あるじ〉に先んじてその遺産の力を制御下に置き、〈あるじ〉を滅ぼしたいと考えた。

 これが最後の機会だからな」


 タランカは大胆な質問をした。


「竜人は〈あるじ〉を憎んでいるのか?」


「憎まないわけがあるか?

 やつはわれらを操り、支配してきた。

 あるときはやつに心を奪われてやつの思い通りに動き、しゃべり。

 あるときはやつに命令されて奴隷のように働かされた。

 やつの気に入らない動きをした者は容赦なく殺された。

 〈初めの人間〉が死んでしまい、強い力を持った人間たちが消え去った今なら、われらは自由に生きられるのに、〈あるじ〉が今でもわれらをこの島に縛り付けているのだ。

 そのほうが手駒として使いやすいという理由で」


「そんな言葉を口にしてよいのか。

 いや。

 今は怪物が眠っているからよいのか」


「われらが憎んでいることなど、〈あるじ〉は初めから知っている。

 何しろ〈あるじ〉は、われらが心に浮かべた言葉さえ読み取ることができ、それが嘘か本当かまでを見抜く力を持っているのだ。

 だがわれらが〈あるじ〉を憎むと同時に恐れ、その命令に従っている限り、〈あるじ〉はわれらを滅ぼさない。

 皮肉なことだが、心をつなげばわれらも〈あるじ〉の心に浮かぶ思いを読み取ることができ、それが本当か嘘かを知ることができるのだから、そのことは間違いない」


 ここで再びバルドが質問をした。

 最後の機会、とはどういうことじゃ、と。






 6


 ポポルバルポポは、器の中身を飲んでから、バルドの質問に答えた。

 ただしその視線は正面に立つタランカに据えられたままだ。

 族長ポポルバルポポは、一度もバルドのほうを見ようとしない。

 バルドは、ポポルバルポポの口の中が白っぽい色をしているのに気付いた。

 チチルアーチチの口の中は赤っぽい色だった。

 もしかすると、竜人の男の口の中は白く、女の口の中は赤いのかもしれない。


「初め霊剣は七本あった。

 その七本のどれもが鍵だった。

 そうしたことは、長い時間をかけて探り出していったのだがな。

 〈初めの人間〉は、遺産にたどり着くためのさまざまな手掛かりを残した。

 人間の世界にだ。

 だから〈あるじ〉はどうしても人間の言葉を学ばねばならなかった。

 お前たちは知っているか。

 人間の言葉というのは、もともとは人間の言葉ではない。

 それは〈初めの人間〉が作り出したものなのだ。

 この地のさまざまな種族の言葉を〈初めの人間〉は研究し、それが過去には一つの言葉であったという仮説にたどりついた。

 そしてさまざまな種族の言葉から共通の要素を抜き出していって、新たな言葉を作り、人間がそれを話すようにしたのだ。

 だから人間の言葉は、どの種族にとっても、学習することがそれほど困難ではない」


 そう言われてみて、バルドには思い当たるふしがあった。

 いろいろな種族と交流してみて、それぞれの言葉が、発音の異質性を除けばひどく似通った部分があると感じていたのだ。


「〈あるじ〉は、われらにも人間の言葉を覚えることを強要した。

 われらは〈あるじ〉の手足となって、遺産の行方を追った。

 中でもウルドルウとエキドルキエの二人は活躍した。

 もっとも二人はずっとこの島を離れたまま大陸で活動しているので、どこで何をしてきたか正確には知らぬがな。

 〈あるじ〉は人間の中にも協力者を求めた。

 何人もの協力者が現れたが、その中でもっとも重要な役割を果たしたのが、ルグルゴア・ゲスカスだ。

 人間ルグルゴアは〈あるじ〉の協力者となり、〈あるじ〉に霊剣の存在を教えた。

 〈あるじ〉は狂ったように喜んだ。

 〈あるじ〉はわれらに、人間の世界で動き回っていることを決して知られるな、と命じた。

 べつに人間たちを気遣ったわけではない。

 人間の世界をかき乱さないためだ。

 残された手掛かりは細い線のようなもので、それが途絶えることを恐れたのだ」


 ああ。

 歴史の影で。

 その背後の闇の中で。

 怪物と竜人たちは、営々と暗躍していたのだ。


「やがてエキドルキエはフューザの中に中継器があることを探り当てた。

 人間ルグルゴアは霊剣とその使い手を捜し出し、ウルドルウがその心を支配した。

 遺産の力を呼び出すための手だてがそろったのだ。

 だが遺産の力を呼び出すことはできなかった。

 それは奇妙なことだった。

 調べ上げたことからすれば、確かに遺産の力は現れるはずだったのだ。

 ともあれ人間ルグルゴアは役に立つということが分かったので、〈あるじ〉は強大な力を与えた。

 また、人間ルグルゴアの要請に応じて、ウルドルウを貸し与え、赤石ロロ・ゴーグさえ与えた。

 赤石が何かを知っているか」


「知っている」


 タランカの肯定を聞き、ポポルバルポポはそのまま話を続けた。


「そうか。

 〈初めの人間〉が〈大障壁〉の外側に埋めた赤石を掘り出したのはわれわれだ。

 赤石のありかを探り当てるのは、ひどく忍耐のいる仕事だったそうだ」


 怪物が赤石を掘り返しておのれの物にしたと聞き、バルドの心に激しい怒りがこみ上げた。

 それはまさにジャン王の願いを踏みにじる行いだ。


「何度も失敗が繰り返された。

 そしてようやく分かった。

 心だ。

 呪力によって心を支配してしまうと、使い手の心は〈よごれ〉る。

 心の〈よごれ〉た使い手が霊剣を用いても、遺産の力は呼べない。

 つまり使い手の自由な意志によってなされるのでないかぎり、遺産は応えないのだ。

 しかも一度使い手の心が〈よごれ〉てしまうと、霊剣も〈よごれ〉てしまい、二度と遺産の力を呼ぶのには使えない。

 そうして六本目の霊剣までが力を失った。

 人間バルド・ローエンが持っているのが最後の霊剣なのだ。

 その霊剣は人間の世界のどこかに置かれた。

 〈あるじ〉は忍耐強く待った。

 いつか使い手が霊剣とめぐりあい、その真の力を発揮する日を。

 エキドルキエにマヌーノの女王を支配させ、魔獣の群れを人間の国に突入させようとしたのは、そろそろ霊剣の使い手が現れていて、魔獣相手にその力を発揮しはしないかという、期待を抱いてのことだった。

 そして魔獣の進撃が始まるやいなや、霊剣とその使い手が現れたわけだ。

 睡眠するべき時期に入っていた〈あるじ〉は、それを見届けてから眠りについた。

 今ごろは、さぞ愉快な夢を見ているだろう。

 これで最後の機会であるという、その意味が分かっただろう。

 〈あるじ〉が目覚めれば、人間バルド・ローエンに取引を持ちかけるだろう。

 断りようのない取引を。

 そして〈あるじ〉は遺産を破壊し、〈あるじ〉を倒せる方法は永久に失われる。

 それをよしとしない者たちにとっては、今が最後の機会であり、バルド・ローエンとその霊剣が最後の希望なのだ」







【後書き】

2月19日「イステリヤ(後編)」に続く


------------------------- 第152部分開始 -------------------------

【サブタイトル】

第8話 イステリヤ(後編)


【本文】

 7


 今バルドは、得られた情報を心の中で整理している。

 結局、ここまででどんな情報が得られたのか。


 まず、古代剣とは鍵である、ということが分かった。

 それは〈初めの人間〉すなわちジャン王の遺産とやらの力を引き出すための鍵なのだ。

 フューザ中腹にあるという中継装置と、古代剣と、古代剣に認められた使い手がそろえば、ジャン王の遺産の力を呼び出し、操ることができる。

 その遺産の力をもってすれば、悪霊の王またの名をパタラポザさえも滅ぼすことができるらしい。

 ただし竜人の得意な人を操るまじないは使えない。

 使い手の心を操れば、使い手の心も古代剣も〈よごれ〉てしまう。

 〈よごれ〉てしまった古代剣では、遺産の力を引き出せないのだ。

 これが正しい情報であるとすれば、竜人も悪霊の王も、バルドの心を操って言うことを聞かせることはできないことになる。

 そして古代剣はもともと七本あったが、六本目までは〈よごれ〉てしまった。

 だから今バルドが持っている古代剣が、最後の正常な鍵なのだ。


 次に、悪霊の王とは、ジャン王から〈囚われの島〉に封じられた存在であるということが分かった。

 バルドは、悪霊の王とは〈船長〉のことではないか、とも思った。

 しかしザリアは、〈船長〉は処刑されたと言った。

 また、いかに〈船長〉が精霊憑きであるとはいえ、ジャン王よりはるかに長命で今日まで生き永らえているというのは理に合わない。

 それに〈船長〉には仲間たちがいたはずで、ことさら〈船長〉だけが封じられたというのも不自然だ。

 何より、族長ポポルバルポポは、それは人間などではなかった、と言っている。

 見たこともない、恐ろしくて強大な存在だったと。

 パタラポザとはジャン王に力を奪われ封じられた邪悪な神霊なのだろうか。

 分からない。

 パタラポザが何者であるのかは、まだよく分からない。

 何者であるにせよ、強大な存在だ。

 竜人たちもマヌーノの女王も太刀打ちできないほどの。

 そしてそれは、人間たちの世界に関与し、〈パタラポザ〉と呼ばれてきた。

 そして二十年ほど起きて、十年か十五年ほど眠るのだという。

 竜人はその覚醒と睡眠の周期を〈パタラポザの暦〉と名付けた。

 さぞかし今まで睡眠期には、さまざまな抵抗の試みがなされたことだろう。

 今は眠りについている。

 眠りについて六年目、ということになるか。


 竜人たちは、もともとフューザの山腹に住んでいた。

 そしてあまたの亜人たちを支配し喰らっていた。

 だがジャン王に追い払われた。

 追い払われて二百年のちに、竜人たちは傀儡国家を作って人間たちに戦争をしかけた。

 しかしその傀儡国家はジャン王に滅ぼされた。

 竜人たちはこのイステリヤに追われ、〈囚われの島〉を見張る役目を与えられた。

 〈囚われの島〉に何者かが近づかないように。

 やがてウルドルウとエキドルキエという二体の竜人が〈囚われの島〉に足を踏み入れ、パタラポザに囚われた。

 この二体は特別な力を与えられたという。

 このうちウルドルウはもう死んだ。

 物欲将軍の言葉が正しければの話だが。

 とすると、マヌーノの女王を操り、魔獣の大侵攻を行わせたのは、エキドルキエという竜人だ。

 その竜人は、今どこで何をしているのだろう。

 とにかく竜人たちはすべてパタラポザの支配下に置かれた。

 そしてパタラポザの手足となって人間の世界に介入をしてきた。

 手足となりながらも、竜人たちはパタラポザを激しく憎んでいる。

 反乱者たちの狙いがジャン王の遺産を手に入れてパタラポザを滅ぼすことである、ということも分かった。


 竜人たちは人間と事を構える気がないというのは本当だ。

 パタラポザがそれを禁じたからだ。

 ただしパタラポザの脅威がなくなれば、竜人たちは人間をどうとでも扱うだろう。

 彼らにとって人間は虫けら以上のものではない。


 ふと見れば、タランカがバルドのほうを見ている。

 ここからあとの質問については、バルドの意志を聞きたいのだろう。


 バルドは目を閉じてさらに思考した。

 古代剣は最初七本あったという。

 物欲将軍は、五本の古代剣に宿る神獣を〈食べ〉た。

 残りの二本とは、バルドの所持するシャントラ・メギエリオンとカーズの所持するヴァン・フルールだ。

 だが六本までの古代剣が、〈よごれ〉てしまったという。

 つまりヴァン・フルールもすでに怪物とやらの魔の手にかかってしまっている。

 だからシャントラ・メギエリオンのみが、魔剣スタボロスのみが、唯一〈よごれ〉ないまま残った古代剣なのだ。

 とすれば物欲将軍がバルドを〈最後の神獣の剣の使い手〉と呼んだわけも分かる。

 竜人の長が、これが最後の機会だと言ったわけも分かる。

 最後の古代剣の使い手が現れ、その存在を怪物は知った。

 再び目覚めたときには、怪物は古代剣と使い手を手に入れ、望みを果たすだろう。


 ここまで考えて、バルドはある可能性に気付いた。

 最後の古代剣を〈よごれ〉させないまま、怪物に遺産を手に入れさせない方法がある。

 バルドを殺せばよいのだ。

 おそらく今までもそうだったはずだ。

 古代剣の使い手は現れては死に、古代剣は次の使い手との出会いを待ったはずだ。

 そしてまた、竜人の長には怪物の野望を永遠に打ち砕く方法がある。

 バルドの心を支配してしまえばよいのだ。

 そうすれば、最後の古代剣も〈よごれ〉てしまい、鍵を開ける道は閉ざされる。

 バルドは族長ポポルバルポポに、少し意地の悪い質問をした。


  ポポルバルポポ殿。

  バルド・ローエンを殺してしまえば、これが最後の機会ではなくなる。

  また、バルド・ローエンの心を操れば、怪物が遺産を手に入れることは永久に不可能になる。

  それを考えなかったわけではあるまい。


「無論、考えた。

 だがそれをすれば、〈あるじ〉の報復は恐ろしいものになる。

 バルド・ローエンを殺してしまえば、次の使い手が現れるまでに、今度は何十年待つことになることか。

 そんなまねをすれば、〈あるじ〉は激しい懲罰を加えるだろう。

 まして霊剣を〈よごれ〉させるようなまねをすれば、われわれは完全に滅ぼされるだろう」


 竜人の長の答えを聞きながら、バルドはあることに気付いた。

 やはり長は嘘をついている。

 隠し事をしている。

 長は、〈あるじ〉がジャン王の遺産を探しているのはそれを破壊するためだと言った。

 だが同時に、〈あるじ〉は竜人たちが最後の古代剣を〈よごれ〉させてしまうことを決して許さない、と言った。

 矛盾しているではないか。

 ここまで長が述べてきたことからすれば、ジャン王の遺産の力を呼び出すには、中継装置と古代剣と使い手が不可欠だ。

 古代剣を〈よごし〉てしまえば、もう二度とジャン王の遺産の力を呼び出すことはできなくなる。

 それこそ〈あるじ〉の望むところのものではないか。

 だから何かが違う。

 〈あるじ〉が遺産を探す目的が破壊である、というのが違うのだろうか。

 だとすると、その遺産を得て〈あるじ〉は何をするのだろうか。

 また、もしかすると、竜人たちが遺産を得て〈あるじ〉を滅ぼすというのが嘘なのかもしれない。

 だとすると、遺産は〈あるじ〉に対してどんなことができるものなのか。

 結局、その遺産とは何でありどのような働きをするものなのかが問題だ。

 長は話している以上の何かを知っている。

 だがそれを漏らすことはないだろう。

 バルドは際どい質問をした。

 眠っているあいだに怪物を殺そうとは考えなかったのか、と。


「むろん、考えた。

 考えただけではなく、かつて試みたことがある。

 竜人の戦士たちが囚われの島に押し寄せ、〈あるじ〉を殺そうとした。

 だがわれらは〈あるじ〉の姿を見つけることさえできなかった。

 〈あるじ〉は島の奥深くに隠れているのだ。

 探しても探しても、〈あるじ〉は見つからなかった。

 探索しているうちに、〈あるじ〉が目覚めてしまった。

 〈あるじ〉はわれらを調べ、われらが〈あるじ〉を殺そうとしたことを知った。

 〈あるじ〉の懲罰は苛烈だった。

 当時の族長を含め、われらの半分が殺されたのだ。

 どんなふうに殺されたと思う。

 〈あるじ〉は、われらに、手近な者同士が組みになるよう命じた。

 そして組みになった者のうち、背の高い者が背の低い者を殺すよう命じたのだ。

 母は子を殺し、夫は妻を殺した。

 その支配の力は絶大で、誰一人拒むことはできなかったのだ。

 やつはわれらのすべてを一度に、しかもいとも簡単に支配下に置き、その残酷な命令を下したのだ。

 しかもそのとき以来、〈あるじ〉はわれらが囚われの島には近寄れない呪いを掛けた。

 人間たちよ。

 〈あるじ〉が殺せるかどうか、試してみるなら試してみるがいい。

 だがわしらがお前たちをあそこに連れてゆくことは不可能だ」


 バルドは違う質問をした。

 その遺産とやらは、どんな形や色をしており、どんな大きさをしており、どんな働きをするものなのか、お前たちは知らぬと言う。

 しかし、〈あるじ〉はお前たちにそれを探させたのじゃろう。

 形も色も大きさも分からずに探せるわけがない。

 何かの情報は与えられておるはずではないか、と。


「分からぬ。

 分からないのだ、人間。

 ただそれはとてつもない力を秘めているということしか知らされていないのだ。

 ただ〈あるじ〉が言うには、それは明らかに自然のものではなく、作られたものであり、目にしさえすればそうと分かる、というのだ」


 パタラポザは、遺産とやらがどこにあるかは知らない。

 だが、どんな大きさでどんな形でどんな働きをするかは知っているわけだ。

 ただしそれは、その形や大きさを知らないという竜人たちでさえ、いったん目にすればそうと分かるものであるという。

 それはパタラポザを滅ぼせるものであると、竜人の長は言う。

 そうかもしれないし、そうでないかもしれない。

 しかしいずれにしても弱点なのだ。

 どういう意味においてかはまだ分からないが、そのジャン王の遺産とやらはパタラポザの弱点なのだ。





 8


 バルドはいよいよ核心に迫る質問をすることにした。


  ポポルバルポポ殿。

  遺産の力を呼び出すための仕掛けとやらがフューザにあるということだったが、詳しく聞きたい。

  それはどこにあり、どうやってたどり着くのか。

  また、どうやって使うのか。


 ポポルバルポポは、器の中の飲み物をすっかり飲み干した。

 そして、ようやくバルドのほうに向き直り、目を光らせた。

 射抜くような視線だ。

 そしてその視線は、一瞬だが確かに古代剣をとらえ、そして外された。


  気付いておる!

  この竜人は、わしが誰か、わしが腰に提げているのが何かを知っておるわい。

  知っていて気付かぬふりをしておる。


「そこに行くには、二つの道がある。

 一つはフューザの山腹にある扉から入る道だ。

 ここは空を飛んでいきさえすれば、ごく簡単に行くことができる。

 だがこの扉の開閉は〈あるじ〉の完全な支配下にある。

 今回に限って、〈あるじ〉は眠る前にこの扉を閉ざしてしまった。

 〈あるじ〉が眠っているあいだは、この道は使えない。

 もう一つは風穴から入って上って行く道だ。

 それは〈試練の洞窟〉と呼ばれている。

 〈初めの人間〉が作ったのだ。

 〈試練の洞窟〉は長く険しい。

 そしてその道中には〈初めの人間〉が配置した〈敵〉が待ち構えている。

 〈敵〉を打ち倒さなければ、先には進めないのだ。

 すべての〈敵〉を倒して進めば、中継器にたどり着く。

 それは宙に浮かぶ金色の玉で、霊剣の力を解放してその玉に呼び掛ければ、遺産の力を引き出すことができる」


 ずいぶん詳しいことだ。

 長年にわたり人間世界で調べ上げたのだろうか。

 ただし族長ポポルバルポポが、その知識のうち何をそのまま語り、何をねじ曲げて伝えているかは分からない。

 じゅうぶんに注意しながら族長の言葉を聞かねばならない。

 さて、そうとして今聞いた事柄を整理すればどうなるか。

 竜人は遺産の力を得たい。

 それにはバルドと古代剣を、中継器とかいうものの場所まで連れて行かねばならない。

 だが簡単に入れる道は閉ざされており、〈試練の洞窟〉とやらを通り抜ける困難な道を通らなくてはならない。

 〈試練の洞窟〉とやらにいかに強い敵が出るとしても、この恐るべき竜人たちならば簡単に制覇できるだろう。

 この竜人たちで勝てない相手なら、誰にも勝てない。

 ということは。


 バルドは訊いた。

 では、反乱者とやらは、その〈試練の洞窟〉を制覇し、バルド・ローエンと霊剣をそこに連れて行こうとしたのだな、と。


「制覇できなかったのだ。

 いや。

 そもそも挑戦することさえできなかったのだ。

 〈試練の洞窟〉が制覇できたのであれば、わしも反乱者たちの思惑に乗ってもよかったのだがな。

 〈あるじ〉が眠りについてから、反乱者たちは中継器のある場所に行こうとした。

 そしてフューザ中腹の扉が閉ざされていることを知った。

 そこで〈試練の洞窟〉に挑もうとした。

 〈試練の洞窟〉は風穴の中にある。

 風穴の入り口はマヌーノどもが管理しているが、これはどうということはない。

 空を飛んで行けば、簡単に入り口までは行けるのだ。

 そして風穴に入ることはできる。

 だが、その奥に進めないのだ。

 入り口にはただし書きがあり、三人以上六人まででなければならないと書いてある。

 だがなぜかどんな勇士六人で挑んでも、奥への道は開かれないのだ。

 つまりわれら竜人にはなぜか〈試練の洞窟〉に挑戦する資格が与えられていない。

 その理由は分からぬ」


 バルドは族長ポポルバルポポのこの言葉を訊いて目を見開いた。

 そして、反乱者とはどういう者たちで、何をし、今どうなっているのか、と訊いた。


「反乱者というのは、〈あるじ〉にわれわれが使役されている状況にがまんのならない者たちだ。

 そういう者は多い。

 不満を口にするだけならよかったのだ。

 それは〈あるじ〉の懲罰の対象とはならぬ。

 だがトトルノストトとその同調者たちは、この最後の機会に何としても〈あるじ〉を滅ぼしたいと考えた。

 初めトトルノストトがパルザム王国の都に使いを送って霊剣と使い手を差し出すよう命じたときには、わしはそれに気付かなかった。

 ほんの数人が二日ばかりどこかに行っていただけだからな。

 だが霊剣と使い手を回収に向かったときには、さすがに見逃せなかった。

 何しろ率いた人数が多すぎた。

 やむなくわしは残った者を尋問した。

 そしてトトルノストトが七回にわたり〈試練の洞窟〉の挑戦に失敗していること、業を煮やして霊剣とその使い手を伴って〈試練の洞窟〉に挑もうとしていることを知った。

 これはさすがに見過ごせなかった。

 あまりに見込みの低い賭けだからな。

 それに、人間などいくら殺してもかまわないが、霊剣とその使い手に手を出したら、〈あるじ〉はわれらを絶対に許さない。

 わしはトトルノストトを捕らえ、その位階を下げ、謹慎させた」


 謹慎させているのか。

 ということは、ポポルバルポポは本気でトトルノストトを罰する気はない。

 あくまでパタラポザの手前をはばかっての処置なのだ。

 それはそうだろう。

 覇気あふれるトトルノストトは次代の竜人たちを率いる貴重な人材だ。

 殺したいわけがない。

 しかしそれでは族長ポポルバルポポは何を狙っているのだろう。

 〈あるじ〉が目を覚まして遺産を手に入れるのを黙って見ているつもりなのか。

 それとも。


 考えろ。

 考えるのだ。

 竜人の族長ポポルバルポポの狙いは何なのか。

 タランカが質問を続けてよいかといわんばかりにバルドの様子をうかがっている。

 まだまだ訊きたいことがあるのだろう。

 いっそここはタランカに任せてみるか。

 いや、しかし。

 何かが気に掛かる。

 なぜポポルバルポポは、バルドのほうを見ようとしないのか。

 明らかにここにいる老いた人間がバルド・ローエンであり、その腰にあるのが最後の〈よごれ〉ていない霊剣だと気付いているのに、気付かないふりをするのか。

 ポポルバルポポは何を狙っているのか。


  そうか!


 バルドは族長にしゃべらせすぎたことに気付いた。

 これ以上ポポルバルポポに質問をしてはいけない。

 何かをしゃべらせてはいけない。

 いや。

 だが、あと一つ。

 あと一つだけしたい質問がある。

 バルドは族長に訊いた。

 精霊が狂うのはなぜであり、いつ始まったのか、と。


「なに?

 ああ、精霊か。

 なぜ狂うか、だと。

 獣に取り憑いた精霊のことだな。

 知らん。

 われわれは精霊にも、精霊が取り憑いた獣にも、まったく興味はない」


 これは予期しない答えだったので、バルドはしばし言葉を失った。

 しかし、そうなのだろう。

 竜人は精霊にも魔獣にも興味がないのだ。

 おそらく魔獣は竜人を襲わない。

 襲ったとしても、竜人たちにとっては少しも脅威ではない。

 またこの口ぶりでは、竜人たちは精霊憑きになろうとは思わないのだろう。

 そんなことができるとは知らないのか。

 いや。

 もしかすると、竜人は精霊憑きにはなれないのかもしれない。

 いずれにしても、正常な精霊がいない今、考えてもしかたのないことだ。


 ふと見れば、タランカが口を開こうとしている。

 いかん。

 タランカに質問をさせてはいけない。

 バルドはせき込むように族長の娘チチルアーチチに向かって言った。


  これで話し合いは終わった。

  チチルアーチチ殿。

  われらを連れて帰れ。


「何?」


 チチルアーチチは驚いてバルドの顔を見つめ、それから父であるポポルバルポポを見た。

 ポポルバルポポもチチルアーチチのほうを向いて、何事かを表情に込めた。

 竜人の表情など読み取りようもないが、族長の表情を見てチチルアーチチは納得したようだ。


「分かった。

 だが今からでは夜の寒い時間に空を飛ぶことになり、お前たちは弱るか死ぬだろう。

 昨夜送り届けた場所に今から送る。

 帰還は明日の朝だ」


 急な展開にタランカが何事かを言いたそうにしている。

 だが、駄目だ。

 無用な質問などされたら、せっかくの族長の手回しが無駄になりかねない。

 ここは素早く引き上げる必要がある。

 竜人たちの飛竜に送られ、バルドたちは昨夜過ごした砂浜に戻った。






 9


「バルド様。

 なぜ急に会談を終えられたのです。

 まだまだ問いただしたいことがありましたのに」


  だからじゃ。

  あれ以上族長にしゃべらせてはならなんだ。

  特に〈試練の洞窟〉についてはのう。


「分かりません。

 〈試練の洞窟〉についての知識こそ、われわれが求めていたものです。

 そこに怪物を倒せる手立てがあるのではないですか」


  そうじゃ。

  そして族長ポポルバルポポは、わしらに〈試練の洞窟〉に踏み込む手立てを探させたがっておる。


「は?」


  よく考えてみよ。

  なぜ族長は、われらをこの島に招いた。

  なぜわれらの質問に、あれほど懇切に答えた。

  竜人は人間のことなど虫けら以下にしかみていないというのに。

  それはわしたちに〈試練の洞窟〉のことを教え、わしらにその謎を解き明かさせるためじゃ。

  じゃが、はっきりそうと言うわけにはいかなんだ。

  それは禁忌に触れるのじゃ。


 このバルドの指摘に思考をなじませるため、タランカは少しの時間を必要とした。


「……そう…か。

 〈あるじ〉とやらは、自分が眠っているあいだに〈試練の洞窟〉を踏破する者が現れることを嫌ったにちがいない。

 そして〈試練の洞窟〉のことを知っているのは竜人だ。

 だから竜人の族長に何かの制限を加えた。

 族長が誰かに〈試練の洞窟〉に行くよう命じたり依頼したりできないように。

 それは心にかけられた制限かもしれないし、あるいは……」


 そんなことを族長が言い出したら、チチルアーチチが族長の首を刈り取ったかもしれんの、とバルドは言った。

 カーズとカーラは、黙ってバルドとタランカの問答を聞いている。

 タランカは独り言のように言葉を続けた。


「もしもバルド様が、自分たちが〈試練の洞窟〉に行くと言っていたら、族長はどうしたか。

 われわれを皆殺しにしたかもしれない。

 いや、バルド様は殺されなかったろうけれど。

 それぐらいの制限はかけられていて不思議でない。

 そうか!

 族長はバルド様と魔剣スタボロスに気付いていたようだったのに、それを確かめようとはしなかった。

 それどころか、意図してバルド様から目線を外そうとしていた。

 魔剣とその使い手が目の前に現れたなどということを、確かめるわけにはいかなかったんだ。

 ああ、そうか。

 ほかにもどんな制限があったか分からない。

 だから私があれ以上よけいなことを言う前に、バルド様は会談を終わりになさったのですね」


 バルドはタランカに微笑んで、そうじゃ、と言った。

 〈試練の洞窟〉とやらに行かなくてはならない。

 そこには罠があるだろう。

 族長ポポルバルポポの話も、全部が全部真実とはとても信じられない。

 本当に竜人たちは、遺産とやらの中身をまったく知らないのか。

 いや、およその見当がつくからこそ、怪物が目覚める前に何としてもその力を手に入れたいのではないか。

 また、バルドたちが〈試練の洞窟〉に踏み込む方法を発見したとして、そのあとどうするつもりなのか。

 まさか人間たちが遺産とやらを得て〈あるじ〉を倒すことを狙っているのか。

 だが気位の高い竜人が、人間が超越的な破壊の手段を得ることを許すだろうか。

 とすれば、遺産とやらが解放されたあと、それを奪い取る算段があるのか。

 族長には間違いなく何かのたくらみがある。

 だが、それでも。

 この島で得た知識は、バルドの探索を大きく前進させた。

 今や向かうべき場所が明らかとなり、調べるべき物が明らかとなった。

 それにこちらにも隠し玉はある。

 精霊憑きの薬師ザリアである。

 ザリアの知恵と不思議な力は、バルドたちを導いてくれるだろう。


  見ておれよ、竜人の族長。


 バルドは新たな冒険を得て、胸の血が熱くたぎるのを感じた。

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