第1章 古代剣

第1話 スタボロスの死

 1


 バルドは、リンツ伯に別れを告げて、北に向かった。

 リンツ伯は、


「北に行かれるなら、メイジア領を通られるかもしれんな。

 領主のゴドン・ザルコスは、わしの甥じゃ。

 気の良い男でな。

 前から、〈人民の騎士〉殿に一度お会いしたいと言っておった。

 ぜひ立ち寄られよ」


 と言って、紹介状を書いてくれた。

 しばらくオーヴァに沿って北上し、それから山道に入った。

 相変わらず、荷物を老馬スタボロスに背負わせての徒歩である。

 リンツを出てから、スタボロスの体調はよくないようだった。

 それでも、へたりもせず荷物を背負って歩いた。

 ある日、山中で早めに野営の準備をしたが、草を食べようともせずうずくまった。

 そしてその夜、静かに死んだ。


 死体を狙って、耳長狼バルバンが出た。

 マントを左手に巻き付け盾代わりとし、右手の剣で斬りつけた。

 爪と牙で何か所かに傷を受けたが、心臓を刺して倒すことができた。


 だが、襲撃は終わらなかった。

 そのあと、三匹の耳長狼が出たのだ。

 逃げることは考えなかった。


 スタボロスの死体をおとりにすれば、時間を稼ぐことはできる。

 実際、今まで戦いの中で味方の馬が死んだときには、おとりにした。

 野獣や魔獣が馬の死体を食べているすきに、態勢を立て直した。

 あえて餌にしておびき寄せたこともある。


 だが、本当は、そんなことはしたくなかった。

 騎士が馬に抱く愛情は、戦場に立たない者には分かりにくいだろう。

 馬は騎士にとり、相棒であり家族なのだ。

 半身、といってもよい。

 無情な命令を出すバルドは、部下たちから恨みの視線を向けられたものだった。


 そんなふうにして、部下と民を守り続けてきたのだ。

 せめて人生の最後には、馬の死体を守って死ぬ、という愚かな振る舞いも許されてよい。

 これは本当に愚かな行いだ。

 なぜなら結局のところ、老馬の死体は自然の計らいに委ねるしかない。

 それでも、死んだばかりの今は、魂魄こんぱくたいに別れを告げるわずかな時間だけでも、安らかな眠りを守ってやりたかったのだ。


 戦っているうちに、焚き火の勢いが弱くなり、いよいよ耳長狼たちを防げなくなってきた。

 革鎧には幾筋も傷が付き、マントを巻き付けた左手には血がにじんでいる。

 それでも、一頭を倒し、一頭に深手を負わせた。

 深手を負った狼が飛び掛かってくる。

 素早く突いた。

 それは狼の口の中に飛び込んだ。


  しまった。


 と思ったが遅かった。

 狼は剣を牙で強く噛んだ。

 この手を放さなければ剣が折れる、と分かっていたが、放すことができなかった。


 ばきん。


 と剣が折れた。

 剣先を飲み込んだ狼は、そのまま死んだ。

 だが、最後の一匹と戦う手段は、もうない。

 バルドは死を覚悟した。


 そのとき、バルドの後ろのほうから何かが飛んできた。

 それは斧だった。

 相当に重量がありそうな斧が、くるくる回転しながら、狼の頭に突き立った。

 狼は死んだ。

 バルドは、振り返って恩人の姿を見た。


 人間ではなかった。


 大きな体。

 大きく裂けた口と、そこに生える牙。

 いかにも硬そうな緑の肌。


 〈ゲルカスト〉だ。

 肌の色から、〈緑人リーエ・トーリ〉と呼ばれることもある。

 鎧のような肌を持ち、するどい爪と牙を持つ亜人だ。


 亜人の中でも、ゲルカストは特に好戦的である。

 ところが、特別の理由がないかぎり人間を襲わない。

 なんでも、彼らには、大昔に人間と亜人たちすべてを治めた人間の大王がいた、という伝説があるらしい。

 今でもその大王のめいを守って、人間とはできるだけ争わないのだという。

 争わないために、人間から離れて集落を作る。

 バルドも、実際に会うのは初めてだ。


 バルドは、背筋を伸ばして右手を自分の左胸にあて、浅く腰を折って、ゲルカストの戦士に礼容を取った。

 ゲルカストの戦士は、黙ってそれを受けた。

 ゲルカストはもともと人間より大きいが、このゲルカストは特に大きい。

 人間としては相当大柄なバルドより、頭一つ以上身長が高い。

 大きく盛り上がった肩から伸びる腕は、ほとんど地面につきそうなほど長く、力にあふれている。

 ゲルカストの腕力にかかれば、人間の頭などつかみつぶされてしまうのだ。

 ゲルカストは、馬のむくろを、じっと見て、


「年取った馬だな」


 と言った。

 人間の言葉を理解するゲルカストは珍しいと聞く。

 バルドは、三十一歳じゃ、と答えた。


「それはずいぶん長生きだな。

 お前によく尽くしたのか」


 バルドはうなずいた。

 この馬をどうしたいのだ、と訊かれたので、できれば少しでも食べてやりたい、そして皮の一部でも持って行きたい、と答えた。

 ゲルカストは、荷袋から山刀を取り出してバルドに渡した。

 そして、自分は斧を使って狼の毛皮をぎ始めた。

 バルドは、スタボロスの毛皮を剥いだ。

 といっても、体中傷だらけで、使える場所は少ない。


 そもそも、馬の皮は美しく張りがある反面、破れやすい。

 太鼓の皮に使えば素晴らしく伸びのある音が出るが、一度傷が付くと裂け目が大きく広がる。

 それでも、尻の皮がそれなりの大きさで取れた。

 ここは一番丈夫で使いやすい部位である。


 薪をどんどん継ぎ足しながら、二人の作業は続いた。

 ゲルカストは、無骨な斧で驚くほど早く作業を終えた。

 耳長狼の肉は、野営地の回りに置いた。

 血の匂いには閉口するが、耳長狼の匂いがすると、弱い野獣は寄って来ないのだ。


 老馬の肉など固くて食べられたものではないが、それでも尻の部分を切り取って焼いた。

 ゲルカストにも勧めて、二人で食べた。

 食べてみると、驚いたことに、非常な美味だった。

 細かくあぶらが入り込んでいる。

 繊維せんいの方向に沿って、不思議なかみごたえがある。

 かんだ歯を繊維が押し返し、じわっと、肉のうまみが染みてくる。

 独特の風味が、柔らかな脂で包まれ溶け合い、口の中で徐々に甘みが増してくる。

 舌を楽しませるだけの美味ではない。

 滋養のある美味だ。

 バルドは、スタボロスの味をかみしめた。

 滋味豊かな血肉が、体の奥深くに染み込んでゆく。

 一かみ一かみが、おのれの血肉になる気がした。


 ゲルカストは、特に感想を言わなかったが、喜んで食べているような気がした。

 バルドが差し出した蒸留酒には目を輝かせ、うまそうに飲んだ。

 夜が明けると、ゲルカストは自分の小屋にバルドを招いた。


 立ち去る前に、スタボロスの骸に酒を掛け、弔いの祈りを捧げた。

 穴を掘って埋めてやりたいという気持ちも起きたが、ゲルカストの好意にこれ以上甘えたくなかった。

 それに、旅で死んだ馬は野や森に捧げるのが辺境の習わしだ。

 山川草木の恵みを食らって生きてきたのだから、死んだ後はほかの命の糧となるのだ。

 ゲルカストは、そんなバルドをじっと見ていた。


 滝壺のほとりの岩棚に作られた小屋は、住みやすさはともかく、襲撃されにくそうではある。

 皮を洗い、なめした。


 馬が死んだため、荷物はあまり運べない。

 持って行く荷物を選り分け、あとはゲルカストに差し出し、もらってほしいと告げた。

 折れた剣や馬具も置いていくことにした。

 剣は貴重な鋼鉄でできている。

 よい金額で売れるはずである。


 スタボロスの革で、剣の鞘を作った。

 今は入れる剣もないが。

 ゲルカストの戦士が、意外な器用さをみせて手伝ってくれた。

 縫い目が独特の模様になっていて、立派な仕上がりだ。


 ゲルカストの戦士は、ンゲド・ゾイ・エングダルと名乗った。

 ンゲドは、戦士という意味であるが、ゲルカストの成人男子はすべて戦士である。

 ミドルネームは氏族を表す。

 つまり、このゲルカストは、「俺はゾイ氏族のエングダルだ」と名乗ったのである。


 もう一つ、バルドがゲルカストについて知っていることがある。

 ゲルカストは氏族ごとのつながりを非常に重んじる。

 任務以外で、氏族を離れて定住することはない。

 移住するときは、氏族ごと移住するのである。

 氏族の任務は、二人以上であたる。

 なぜなら、ゲルカストの信仰では、武功というものは、同族に見てもらわねば意味がないからだ。

 死んだゲルカストは先祖に同族の武功を報告する。

 自分自身の武功は報告できない。

 先祖の霊に記録されて初めて、武功は氏族の栄誉を高めることになるのだ。

 独りで住むゲルカストがいるとすれば、それは罪を犯し、追放という最大の刑罰を受けたゲルカストぐらいである。


 ゲルカストの寿命は人間の倍以上あるが、それにしても、このゲルカストは相当の高齢にみえた。

 しかし、体の衰えなどは感じさせない屈強な戦士である。

 体中傷だらけで、特に左肩から胸にかけては大きな切り傷が残っている。

 また、左の耳は上半分がない。

 ぶっきらぼうな立ち振る舞いの奥に、とてつもない武威が見え隠れする。

 もっとも、相手に武威を感じたのはエングダルも同様だったようで、


「お前は、騎士だろう」


 と言われた。


 2


 なぜ自分は、まだ生きているのだろう、とバルドは思った。

 スタボロスが死んだとき、ああ、今がそのときなのか、と思ったのだ。


 スタボロス、という名の意味を、バルドはずっと知らなかった。

 だが、湖のほとりで、バリ・トード司祭と別れるとき、


「あのロマンティックな名前の馬は、元気ですかな」


 と訊かれ、その名の意味をご存じか、と訊き返した。

 司祭は、にこにこしながら説明してくれた。


「森の国の姫と騎士」というおとぎ話がある。

 騎士と姫が苦難の末に結ばれる。

 騎士はいつも姫のそばにいたい。

 姫はいつも騎士をそばに置きたい。

 しかし、騎士の助けを必要とする人は多い。

 騎士は国中を駆け巡らねばならない。

 人を助けてこそ、姫の愛した騎士なのである。

 だがもしも、騎士の留守中に、姫が危機に陥ったらどうするか。

 姫は騎士に馬を贈った。

 その馬は、姫が呪文を唱えれば、騎士がどこにいようとたちまち連れて帰る。

 馬を呼ぶ秘密の呪文は、「スタボロス」という言葉である。


 この有名なおとぎ話のことは、バルドも知っていた。

 が、バルドが覚えているのは、どんな怪物を倒したとか、何人の敵と同時に戦ったか、という部分である。

 馬を呼ぶ呪文など、あったことも知らなかった。

 司祭によれば、話のこの部分は、ごく古い一部の写本にしか出てこず、普通の人は知らないのだという。

 だが、そう教えられてみて、この老馬を連れてきてよかった、と思った。


  アイドラ姫が呼べば、この馬は死ぬ。

  そのときには、わしも連れて行ってくれるじゃろう。


 と考えたのである。

 だが、スタボロスは死に、自分は生きている。

 どうすればいいのか。


 どうもこうもない。

 生きている以上、死ぬまで生ききるだけだ。


 3


 数日して、出発しようとすると、


「少し待て」


 と言われた。

 もうすぐ、付き合いのある商人が来るのだという。

 こんな山奥に商人が何をしに来るのかと思ったが、口には出さなかった。

 この男が来るというのなら、来るのだろう。

 正直、武器のない今の状態で、独りで山越えをするのは自殺に近い。


 バルドは、七日ほど、エングダルの小屋で過ごした。

 エングダルは、バルドの持ち込んだ岩塩が、ひどく気に入ったようだった。

 バルドとエングダルは、ともに無口なたちだったが、ぽつりぽつりと、お互いの習慣などについて話をした。


 七日目、森の向こうに白い煙があがった。

 エングダルが用意していた草を燃やして火を消すと、やはり白い煙が出た。

 しばらくして、向こうの煙が黄色くなった。

 エングダルは火を完全に消すと、


「行くぞ」


 と言った。

 エングダルは山ほどの荷物を持った。

 森の奥には道があり、馬車が止まっていた。

 商人と護衛らしき男がいた。

 エングダルは商人とあいさつをかわし、


「トーリ・バルド・ローエンは、人の街に行くつもりだ」


 と言った。

 妙な表現であるが、誇り高きゲルカストの戦士は、人間に頼み事や相談をしたりはしない。

 商人も、それは心得ているようで、黙ってうなずいた。

 エングダルは、持ってきた品を並べた。


 毛皮は四十枚ほどもあるだろうか。

 野獣の牙と角が三十あまり。

 宝石の原石のようなものが少し。

 希少な薬草の根が十本少々。

 バルドのものだった折れた剣。


 商人が品を改めているあいだ、エングダルは腕組みをしたまま、ずっと山の奥を見つめている。

 やがて商人が、対価の品々を並べた。

 蒸留酒の壺が五つ。

 塩の大壺が二つ。

 縫い針が一つ。

 釣り針が三つ。


 これだけである。

 あまりの不公平な交換に、バルドは眉をしかめた。

 エングダルは、何も言わず交換の品を収め、


「ンゲド・バルド・ローエン。

 お前の進む道に、奉ずる神の恵みがあるだろう」


 とあいさつをして、すたすたと自分のすみかに帰って行った。

 バルドは、エングダルを見送ったあと、商人に、どこから来てどこに行く途中かを訊いた。

 商人が答えた街と村の名からすると、この場所はかなりの遠回りになるはずである。

 バルドは、その村まで連れて行ってもらう料金を訊いた。


「いえ。

 それは、もう、エングダルの旦那から頂いていますんでね」


 と、商人は答えた。

 馬車に乗るよう言われたので乗った。

 護衛の男は歩いた。


 その夜は、谷川のほとりで野営をした。

 商人は、コインシルと名乗った。

 護衛の男は、モリタスと名乗った。

 モリタスは、バルドが名を名乗るのを聞いて、しげしげと顔をみつめ、何か考えているようであったが、口に出しては何も言わなかった。


「旦那。

 あたしのことを、あこぎな商人と思っておられるでしょうね」


 バルドは、首を横に振った。


「そうですか?

 最初はね。

 ちょうどぴったりの品物を差し出したんですよ。

 そしたらね。

 あの緑色の旦那、何も持たずに帰っちまったんですよ。

 何が気に入らなかったのか、しゃべってくれりゃあいいんですけどね。

 まあ、緑の旦那がたのあいだじゃあ、男は商取引なんていう下賤なもんには絶対関わっちゃならんそうですからねえ。

 駆け引きも交渉もなしです。

 てなことは、おいおい勉強して知ったんですがね」


 なるほど、と思わせるものがある。

 種族の特性でもあるかもしれないが、本人の個性でもあろう。

 あのエングダルという老人は、とんでもない偏屈者なのだ。

 少しは頑固さを改めればよいのに、とバルドは思った。

 バルドは商人に、どうしてあそこに行くようになったのか、と訊いた。


「ずっと若いころでしたけどね。

 道に迷って野獣に襲われたとき、あの旦那に助けてもらったんですよ。

 いやあ、あの緑の旦那の強いこと、強いこと。

 〈緑人リーエ・トーリ〉が三十人もいたら城でも落とせるっていうのは、冗談じゃないですよ。

 まあ、それからの付き合いってわけでして」


 話しぶりから、あの偏屈なゲルカストへの好意が感じられ、バルドは商人への印象を改めた。


「それにしても、旦那。

 旦那は、あの緑の旦那の恩人かなんかですかね?」


 その逆で、わしもおぬしと同じように、危ないところを助けられたのじゃ、とバルドは答えた。


「へえ?

 いやね。

 あの愛想なしの緑の旦那が、別れ際に祝福のあいさつをしてたでしょう。

 びっくりしましたよ。

 考えられない。

 あたしゃ、二十年以上の付き合いですがね。

 あんなの一度も言われたことありませんよ」


 聞けば、この商人は、街で店を構えているという。

 話が本当だとすれば、五人もの店員を雇い、なかなか手広く商売をしているようだ。

 護衛を雇えるくらいだから、まんざら嘘でもないのだろう。

 わずかな取引のために寄り道していることといい、義理堅い男なのかもしれない。


 三日目に村に着き、商人と別れた。

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