第二十六回 いけやば

「ハクア君じゃん、久しぶりだな」そう言いながら九十九ヨイヤミが無人の教室に入って来て、天城ハクアに近づく。ハクアは机に顔を近づけたままだったが、数秒後にゆっくりと、この甲高い声の先輩に向き直った。


「お久しぶりです。てっきり、辞めたのかと思いましたよ、ぼくは」


「部室の方にもなかなか行けなくて申し訳ないね。ちょっとカナエさんの実家の方に行ってて」


「え? カナエ先輩と親戚とかでしたっけ?」


「いや、依頼で行ってたんだ。呪物を燃やして欲しいって」


 ハクアはあまり興味がなかったが、九十九は勝手に話した。火鳥塚本家の蔵から、〈生け贄を何人か捧げて作られるヤバいもの〉が見つかり、ヤバいものは何でも燃やすという九十九家の家業を知っていたカナエが仲介した。その〈生け贄を何人か捧げて作られるヤバいもの〉、略して〈いけやば〉は、過去に愚か者が封印を解いて発狂・自殺・失踪などが何度も起こったらしく、火鳥塚一族の間でも、余所者の手に委ねて良いのだろうか、いや、むしろ余所者にどうにか始末させるべき、いや現状維持が……マスコミに知らせて村おこしに使えないか……呪具なんてインチキに決まってるんだから川にでも投げ捨てれば、など紛糾。結局ダイスを振って決めることになり、九十九ヨイヤミが依頼を受けるに至った。


「あんまり興味がなさそうだね」


「はい、先輩。そういうオカルトな話はどうも。全体的に、怖い話って、よくできているほど冷めて聞いちまうんですよね。相手を怖がらせたいという意思が感じられてしまって。そのためのノウハウなんてものが見え隠れした時点で、どこぞの野郎が頭をひねって作り出した産物ってのが明確になり、意地でもそいつの意図に背きたくなるじゃないですか」


「じゃああれかい、ハクア君は、ジャンプスケアビックリ系とか血みどろのスプラッタ映画とかのほうが好みかね」


「どちらかといえば、そうですね。で、その〈いけやば〉は良く燃えましたか」


「まあ木製なんでね、いささか湿ってたけど燃えたよ。それより、そろそろ暗くなってきたし帰った方がいいんじゃないの」


「あと少ししたら帰りますよ、逆接続微光方程式を解いたらね」


 九十九は帰った。ハクアは真っ暗な中で方程式を四つ解いた。気が付くと、夜中の一時だった。昇降口から出ると警報が鳴るかも知れないので、窓から出た。鳴ったら鳴ったで構わないが。


 校庭で火を焚いている人々がいた。三十人くらいいて、全員無言だった。何をしているのか気になったので、ハクアはそのうちの一人の、黒いゴミ袋を頭に被った身長三メートル半くらいの人に尋ねた。


「こんな夜中に何をしているんですか、キャンプファイヤーですか。それとも、宗教的儀式ですか」


「その人に話しかけてはいけないよ。内臓に悪いよ。ゴミを燃やしているんだよ」と、隣にいた腕の太い老人が言った。


「腕太いですね。何かやってるんですか」


「何もやってないよ。生まれつき太いんだ」


「握力とか高そうですね」


「高いよ。ゴミを燃やしているんだよ」


「そうですか。お気を付けて」


 翌日ハクアが登校してくると、まだ人々は校庭にいて火も燃えている。腕の太い老人を見つけて「まだ燃やしてるんですか」と聞くと、


「そうだよ、ゴミが多くてね」


「そうなんですね」


「もう、授業が始まるから教室に急いだほうがいいよ」


 教室に入るとちょうどチャイムが鳴って、三人の人物がやって来た。


 一人は担任の中年男性、それも確かめたわけではないが恐らく。なんとなく担任教師って雰囲気なのできっとそうだろう。二人目は、例の三メートル半くらいある黒いゴミ袋を被った人だ。内臓に悪いので話しかけないようにしなければならない。三人目は、担任教師らしき人とそっくりな人物だ。この先生は双子なのだろうか。こちらは副担任なのだろうか。


「今日から新しい一年が始まります。みなさんも、もう十九歳になるのですから、まともな倫理観を身に付けていって欲しいものです。では出席を取ります。天城ハクア君」


「すいません、その前に質問なのですが、他の皆はどこにいるんですか。ぼく一人だけじゃありませんか」


「あとで来ますよ。あとでね。じゃあ、校歌斉唱」


 ハクアと担任、副担任の三人は、それぞれまったく違う歌を歌った。三メートル半の黒いゴミ袋を被った人物は何も歌わなかった。担任は、黒板に「人」という字を書いた。


「これは世界人です。この人を消すと、世界が消えます」


 ハクアは、ふと窓の外を見た。火の周囲にいた人々が既にいなくなっている。体育とかで校庭を使うとき邪魔になっちゃいけないものな、と思うが、火はそのままだ。ちゃんと消火してから帰って欲しいものだ。


「先生、あの火はそのままでいいんですか」挙手して質問すると、


「わたしは先生ではありません」


「あっ、そうなんですか。じゃあ、あなたは一体」


「この学校で呪物が見つかりまして、それを燃やしに来たんですよ」


「なら、あなたは九十九家の方ですか?」


「いえ、違います。同業者ですが九十九家の者ではありません」


「そうだったんですね、先生かと思いましたよ。じゃあそちらの方は助手ですか」ハクアは副担任と思っていた人物を見ながら言った。


「わたしは助手ではありません。わたしは校長です」


 しかしハクアは、これは嘘ではないかと思った。始業式の日に見た校長とは似ても似つかなかったからだ。とはいえわざわざそれを口にして、相手を警戒させることもなかろう、と、いかにも得心したように頷き「そうだったんですね」と再び呟く。


「ところであの火の所にいた、腕の太い爺さんをご覧になりましたか。生まれつき腕が太いらしいですが」


「ああ、教頭先生ね」と〈燃やし手〉の人が言った。自称校長も頷き「ゴミが多くて大変だったでしょうね」


「もしかすると、そのゴミっていうのが呪物なんですか。それほどたくさん見つかったのですか」


「いや、それとは関係ないんですよ。本当にくだらないゴミで、ただ量だけは多いので時間はかかったようでして。じゃあ、そろそろ給食にしますか」


 給食は飴玉が二個だけだった。しかも、エナジードリンク味と銘打ってはいるが、どのエナドリとも似ていない味の、甘くて苦いだけの代物だった。飴を舐めていると、腕の太い爺さんこと教頭先生が慌てた様子でやって来て、ハクアをじっと黙って見ていた〈燃やし手〉と校長に向かって「いけやばが溢れたんで」と言った。


「そうですか、分かりました。ハクア君」校長が言った。


「どうしたんですか」


「ちょっと学校がどうしようもなくなったんで世界を消します」


 ハクアは最後にせめて、とばかりに飴を噛み砕いた。校長が黒板の「人」を消した。それでこの世界は消え、表面上はどうにかなったが、いけやばは未だにこの消されたはずの場所でくすぶっており、やはり燃やすだけではどうにもならないこともあると知らしめた。


 それでも、九十九家は平気の平左で〈燃やし手〉最大手として駅とか繁華街に看板を出している。本来はきちんと役所に電話して、いけやば専用処理券を貼った上で回収してもらわなければならないが、それが面倒という人は多く、大繁盛で九十九家は我が世の春を謳歌している。一説には彼らがいけやばを作り、エイジング加工を施して人様の家に忍ばせているというが定かではない。


 火鳥塚本家は呪物を雑に燃やしたために、八代先まで足の小指をぶつける頻度が常人の七十倍に増えるという呪いを受けた。やがて彼らの小指は硬質化し、異様に太くなった。それを見た人が「指太いですね、何かやってるんですか」と尋ねれば、場合によっては、この呪具に関する恐ろしき話を語ってくれるだろうが、大抵は面倒なので「何もやってないですよ、生まれつきです」との答えが返って来る。

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特異点としての春屋敷先輩 澁谷晴 @00999

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