第二十四回 空中分解同盟

 八月五十八日、わたしは始発電車に乗って赤目山へ向かっていた。八月五十八日という日付は正確とは言いがたい。例えば八月四日は七日間続いたし、八月十九日は存在しなかったし、八月三十五日に至ってはわたしの主観時間で五十日間くらい続いた気がする。さらに、わたしや周囲の人々の記憶もあいまいなので、正確な日付なんて分かるはずもないし、昨晩食べたメニューも思い出せないし、去年の流行語も一切記憶にないし、悲惨な事件・許してはならない権力者の不祥事なども全然覚えてない。


 もうひとつ付け加えると、わたしは赤目山に向かっていると言ったけど、赤目山という山があるわけではなく、平坦な土地を赤目山と呼んでいるだけなのである。一方鎧谷は実際に深い谷があり、その周囲に繁華街が広がっている。毎日谷に落下して何人も死んでいる。谷に柵とかはないので、度胸試しにぎりぎりまで近寄って、足を滑らせるというケースが後を絶たない。しかし、行政はなにもしない。一説によると、谷の底には死体を回収してその部品を売って暮らしている人々がいて、彼らからワイロを受け取っているので谷に柵を作ったりはしないのだという。


 主観時間で三時間ほどかけて、わたしが赤目山西高校に到着すると、校門のところに鷺ヶ原さんがいた。見ると、左目に眼帯をしている。わたしがものもらい・・・・・でもできたのかと思って尋ねると、「昨日、抉り取られた」と彼女は答えた。


 え? マジで? 誰に? なんで? と思ったけどそう聞くことはなかった、なぜなら鷺ヶ原さんの左目なんてどうでもよくなるような出来事が発生したからだ。


 なんと、八階建ての学び舎を見下ろすほどの巨大な生き物が突如虚空から現れた。黒いティラノサウルスに凶悪な棘をあしらったようなそいつは、まさしく怪獣と呼ぶべき存在だった。あなたは、八階建てって、校舎でかくない? と思ったかもしれない。そう、でかい。なぜなら、我が校は四千人もの生徒を有するマンモス校なのだ。もちろん、今は夏休み中なので誰もいないはずだ。とはいえ、突如現れた怪獣に破壊されては困る。わたしもそりゃ、授業中とかにテロリストが乱入してくる想像などに興じたことはある、そしてただ一人上でサボっていたわたしが、特殊工作員顔負けの技術でテロリストを倒すのだ。なぜ、一高校生のわたしがそのような技術を獲得しているかといえば、わたしの父は代々忍者の家系に育ち、その奥義をわたしに教えていたからである。さらに、わたしの母は元暗殺者であり、その技術をわたしに教えていたのだ。さらには、わたしの家の近所に住んでいる八十部の爺さんは、殺人拳法の使い手、そしてその技術を密かにわたしに託していたのだ。これらのテクニックでテロリストどもを一網打尽、鎧袖一触の大活躍。


 そういった空想はしても、まさか怪獣が乱入してくるとは夢にも思わなんだ。


 そしてなぜ、夏休みで誰もいない校舎にわたしと鷺ヶ原さんだけがいるのか。決して逢引ではない。部活動だからである。わたしと鷺ヶ原さんは文芸部に所属しており、その活動日だったからである。部員はわたしと彼女と、春屋敷部長だけのこじんまりとした部活だ。夏休み中、特にやることもないので、暇つぶしに春屋敷部長が連絡をしてきて、部室に明日集合ね、といきなり告げた。それで来たら、怪獣来襲である。


 さて、怪獣は校舎に迫り今にもぶち壊そうとしていたが、我々は、屋上に誰かがいるのに気づいた。


 八階建てなのでそれが誰かは分からなかったが、その人物は今から校舎とともに怪獣の攻撃を受け、絶命するのは間違いなかった。


 ところが、次の瞬間、その人物が何かものすごく眩しい光を放ち、それを浴びた怪獣は光の粒となって消滅した。


 わたしと鷺ヶ原さんは呆然として、その場に立ち尽くすのみだった。


 どれほど我々はそうしていただろうか。春屋敷部長がいつしか現れ、我々に話しかけてきた。


「おはよう、突然呼び出して悪いね、実は二人に今日集まってもらったのはさ、映画を撮ろうと思ったからなんだ。それじゃ文芸部じゃなくて映像研究部じゃないかって思うだろうけどさ、まあ創作のひとつってことで、いい勉強になると――」


「部長、怪獣が出ました」


「怪獣?」部長はわたしの言葉を、顔をしかめて鸚鵡返しする。


「はい、先ほど、校舎よりも巨大な、ティラノサウルスに凶悪な棘をあしらったような存在が出現し、すわ校舎崩壊か、と思われたところで、屋上に立っていた人が謎の光を放ち、それで怪獣が消滅しました」


 鷺ヶ原さんも無言で頷いて、わたしの言葉を肯定する。部長は彼女の眼帯に気づいて、質問する。


「あれ? マユ、どうしたのその目、怪我でもしたの?」


「昨日抉り取られた、それよりも怪獣が」


「いや、分かった、うん、すごいと思う。あたしは正直、舐めてたわ、その発想力」


 我々は部長の言葉の意味が分からず、顔を見合わせた。部長は頷きながら続ける、


「二人も映像作品を手がけてみようって意思があったんだね、しかも怪獣とは、そうだよね、やっぱ特撮っていったら怪獣だよね。それに夏の校舎、青い空と入道雲、そして怪獣、ジュブナイル的な演出だよ、うん、できればミニチュアの校舎を作って破壊したいとこだけど、最初の作品でそれはきつすぎるだろうし、短くてもまずは完成させないとね」


 どうやら部長は我々の目撃したものを、作り話と誤解しているようだ。なんども細かいディティールを伝え、本当のことなのです、と説明しても彼女は分かった分かったとあしらうばかりだ。


「いやあ、そこまで細かくイメージが固まってるとは本当すごいよ、これはもう、本格的に映像研究部に移行しちゃう? いや、実際、技術は後から付いてくると思うからさ、まずは作ってみようよ」


 そういうわけで我々は怪獣のミニチュアを作成したり、怪獣の声を合成したり、どうにかこうにか一分ほどの映像を完成させて文化祭で放送した。


 すると、あの日屋上にいたのは自分だと名乗り出てきた男子生徒がいた。二年の瀬羅ミライと名乗った彼は、一般人には見えない歪んだ月と、そこから発生する禍因性実体――すなわち我々の目撃した怪獣――を倒す秘密結社W.O.L.Fの一員なのだという。目撃されたのもミステイクであったが、今後また下手に映像化されては困るというので、我が部に入って監視をしたいのだという。


 次に、あの怪獣を呼び出したのは自分だという生徒が現れた。竜喰ツバサと名乗った彼はわたしの隣のクラスに通う一年で、しかしその正体は〈月蝕党エクリプト〉という歪んだ月の因子を増し、それによって人々を苦しめ社会を混乱させようという一派の人間らしい。少なくとも本人はそう言った。瀬羅ミライとW.O.L.Fは目障りなので彼を監視するために入部したいという。


 その後続々と入部希望者は現れ、W.O.L.Fもしくはそれに類する組織に属している・あるいは個人で活動しており、あのとき屋上にいて怪獣を倒したのだと名乗る者が五十七名、月蝕党もしくはそれに類する組織に属している・あるいは個人で怪獣を呼び出したのだと名乗る者が九十三名、純粋に映像が良かったので自分も参加したいという者が五十一名、逆に良くなかったので自分が改善してやりたいという者が三十二名と、数多くの生徒たちが我が映像研究部に足を運んでくれた。


 とても喜ばしいことだ。これでさらにクオリティの高い作品を作れる、と思っていたけれど、なんとその後誰も部活動には参加せず、そのうち「ちょっと最近バイトが忙しくて……」とか「掛け持ちしている他方の部活に集中したいから……」もしくは「成績が下がって親に部活を禁止されて……」などと歯切れの悪いコメントを出し部からフェイド・アウトという生徒が続出。そしてわたしも鷺ヶ原さんも、部長さえも何だかやる気がなくなって部は凍結されてしまった。あの怪獣は校舎は破壊しなかったが、我が部を破壊してしまったのだ。そんな感じで八月は五百日を超えた。でも鷺ヶ原さんの目が抉り取られた原因は未だに謎。

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