第二十三回 神話の如く、雷が轟くのなら

 わたしは放浪者だ。ある夏休みが終わる前に文明が滅んでしまい、自分の中で途中だったイベントすべてはそのまま終わらずにいる。廃墟だけがどこまでも続き、夏休みは終わらず、よって八月が、夏が終わらない。


 今や、都市は全て樹海に飲み込まれてしまい、わたしの放浪が相当に長い間継続中であることを示唆している。すべてのカレンダーは八月三十一日から先に進むことはない。無理やりに今の日付を表してみれば、八月三十二万日かその前後だろう。


 朝早く起き、大気が涼しい中、顕現体を二体狩った。小型の鱗蟲種で、吸収できた月因子は七十ソロキンかそこらだ、それでもあと四日ほどは活動を続けることができるだろう。


 その日は運よく、鎧谷から来たという商人と会うことができた。まだかろうじて文明らしきものが残存しているのは、鎧谷と朝墓くらいだ、蛭島の都は五万日前の内紛で崩壊し、これもまた樹海に沈んでしまった。


 商人は怪しげな武器をいろいろと持っていた、わたしの用いているシジル干渉槍はがたが来ていたので、交換用のパーツをいくつか購入した。彼は蓋然性遮断式禍因切除装置の一部という、管状の機関を売っていたが、これはかなりの眉唾だ、〈最終日カタストロフ〉前の技術は大半が失われ、こうして胡散臭い商人のセールス・トークの中にのみその名前を残している。


「お嬢さん、このロイツ機関これ一点のみで二度とは手に入りません、こいつがしかしたったの、七万ユニ。鎧谷のマーケットなら十倍はしますよ、さあ、どうです……」


「いやあ、それはちょっと持ち合わせがありませんで、遠慮しておきますよ、それよりわたしは人を探しておりまして、名前は春屋敷、春屋敷ハルカという女性です」


「ほう、珍しい名前ですな」商人は言った。「どのような容姿でしょうか、その女人は」


「それが、どういった姿だったか思い出せないというかまだ会っていないから知らないというか、しかし必ず会うことができるという確信は既に得ている段階なのです。その人と会うことが決定付けられてから、わたしは三十二万日の放浪を経て、今に至るのです」


 商人はわたしの話を聞くと店じまいし、その場から立ち去った。

 

   ■


 それからどれほどの時間が流れただろうか、恐らく六千から七千日ほどだろう。わたしはこの商人と再会することとなった。彼は既に、人ではなかった。アンギル寄生体と同化し、外殻に覆われた巨大な異形として赤目山の山中に埋もれていたのだ。それでも彼の認識票と、素体識別番号を認識し、その男のわずかな根源体の残滓をわたしはシジル層より採取することができた。


「ごきげんよう、お嬢さん。あれから私は、あなたの言っていた春屋敷ハルカなる存在に遭遇することが叶いました。私はこれより人を逸脱するがゆえに、この記録を残しておきます、あなたが彼女に会うための助けになることを願って。


 さて、私が春屋敷女史に会ったのは鎧谷でとある記憶媒体を入手したのがきっかけでした、それは複数人の生体コードの寄せ集めで、おのおのの微小な残滓から修復したものでしたな、不鮮明な走馬灯といったところで、娯楽作品として売られておりました。借金のカタにそれを置いていった者がおりまして、私がたわむれにそれを再生したところ、人ならざる存在が入り乱れた〈楽園〉の地を目指す狂人の独白が聞こえてまいりました。


 いいですかお嬢さん、あれは、あなたの探している女性は、禁じられた地におります、その場所の名前を口にしてはいけないし、そこへ向かう道がどこから続いているのか、それを知ってもいけません。さすればあなたは、人であることをやめねばなりません。その地へ向かうための情報は、まどろっこしい形で残しておかねば、我らの数少ない残された文明も、樹海に没することとなりましょう。


 それゆえに私は、あの〈楽園〉へ向かうための情報を別の場所に隠匿することといたしましょう。犬潟の下滝書店を目指し、地下の金庫に『三一五八二』と入力していただきたい、さすれば次の鍵が見えてきましょう」


 わたしは千二百日ほどかかって犬潟へ到達し、書店にたどり着いたが、地下そのものが異形化し、金庫を探し出すのにまた八百日ほどかかった。


 番号を入力し開いた金庫からは、コインロッカーの鍵が出てきた。紙片に、西鎧谷駅を目指すようにと記されていた。


 恐らくこれを繰り返さねばならないのだ。なんて面倒なのだろう。わたしはこのままでは何万日かかるか分からないので、いっそ探索をやめようかとも思い始めていた。


 そんな折、ついにわたしが武器として使っていたシジル干渉槍がついにぶっ壊れて、ただの鉄の棒と化した。


 このままでは極めて不安だ、そこらをうろつく量子盗賊や顕現体に、ただの鉄の棒でどうやって対抗したらいいのか。


 わたしは一計を案じ、修行をすることにした。ある場所にわたしと同じくらいの高さの木があり、これを仮想敵として鉄棒を振るう。

 最初は構えもままならなかったが、徐々に様になってきて、これはいい感じじゃねえのアシッドじゃん、と思っていると、あるとき技術的な突然変異が発生し、奇怪な秘儀を獲得した。それは、幽体離脱っていうか、わたしは別な視点で自分自身を目撃していたのだ。わたしが槍を振るう姿を、第三者視点で。


 それは自分のフォームを客観的に観察できるっていう利点はあったが、それどころではない謎の現象が続けて発生した。


 わたしが槍を振るおうとすると、わたしの正面、少し離れた場所から第三者の視点はこちらを映していて、次の瞬間、既にわたしは槍を振り終え、異様に視点人物に接近している。そして一瞬遅れて、轟音と閃光が発生しわたしの狙った対象はぶった切られているという寸法。


 わたしはこの技術に〈雷轟〉という名を付け、師範を名乗ることにした。そして槍ではなく鉄パイプであったり石であったり、あるいは素手でもこの第三者視点に急接近し次の瞬間には獲物が破壊・抹消されているという技術を使用することに成功した。


 かれこれ、修行を開始して六十万日が経過していた。


 わたしにはもはや敵はない、と思って、道場を開こうと鎧谷にやって来たら、ついに樹海に飲み込まれていた。わたしは泣いた。己の優れた技術を披露することができなかったからだ。


 わたしはあちこちを放浪し、誰かに我が雷轟の技を見せつけ、すごいですね、あなたは達人ですね、と賞賛されたかったのに、誰もいない、せめて量子盗賊や顕現体、異形化した元人間をこれでもって抹消したかったが、それもかなわない。あとはそう、虫けらや野生動物しかいなかった、それらをたまに腹いせで抹消していたけど、フラストレイションは溜まる一方だ。


 わたしはとうとう精神的な均衡を欠き、観客を自作することにした。


 藁や泥、廃材、植物などでカカシをこしらえて、それを群集に見立て、技を披露するのだった。


 わたしが何かするたびに彼らは驚嘆し、喝采を送る。もちろんわたしが自分で歓声を上げたり拍手した上で、それを頭の中で数百倍に増幅しているだけだった。


 だが、そういう興行を数万、数億日続けているうちに、カカシたちが本当の人間のように思えてきた。彼らに触れても肉にしか思えないし、自我もあるような気がする。


 わたしはそのうち彼らが本物の人間であるということについて、疑問を持たなくなっていた。そして、わたしは興行を終えることにして、彼らに好きな場所に行っていいと告げた。


 やがて彼らは樹海を開拓し、人の領域を作り出した。


 新たな文明が興り、樹海ではなく都市が地上を覆い尽くして、わたしは創造神として信仰されるようになった。職務質問されたり、レンタルビデオ店の会員になるときはもちろん、職業:神と答えている。疑う者がいたら〈雷轟〉を披露すればよいのだ。そうすれば、相手は平伏し感動のあまり号泣するのである。


 とはいえ、静かな夜中に目を覚ましたときなど、人々が本当は人間ではなく、泥や藁や木でできたカカシなのだということを思い出し、とてつもない不安に見舞われることがある。そういうときは酒を飲んで忘れるようにしている。このところ酒量は増え、それでも人々がカカシだという真実を思い出すペースも増えている。わたしは神に祈りたい、助けを乞いたい、だが神はわたし自身なのだった。あまりのストレスゆえに、牧場に侵入して牛を逃がしたり、知らない家の庭先に赤いペンキを撒いたりした。これもすべて、カカシたちが悪い。


 そのうちわたしは逮捕され、職業は神と供述したところ尿検査をされ、入院することになった。〈雷轟〉を披露すれば一発で信じてもらえるだろうが、手を拘束されているのでそれも叶わない。だからわたしは、白い個室の中で声高に、自分は神だという主張をするしかないのだった。


 いつかは信じてもらえると願って。

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