第二十回 月に、剣に、領域に/依頼人はご機嫌斜め

「火鳥塚カナエ、貴公はこの時をもって騎士となる」


 都市の只中にひっそりと在り続けた木立の中、木漏れ日を浴びながら、威厳ある最初の〈導き手〉の像を前にわたしは恭しく跪いた。


「貴公は誓うか? 第一の月に、己が剣に、遥かなる領域に?」


 騎士長である千条男爵の言葉に、わたしは誓うと力強く答えた。

 かくしてわたしは漂流騎士の一員となり、邪神〈楼戯〉並びに悪しき第二の月の眷属たる月魔との戦い、そして我らが真の故郷〈失われし岐路〉の先に待つ領域への、遥かな探求を開始することが決定づけられた。


 わたしは騎士の証である蓋然性遮断式禍因切除装置を掲げ、〈導き手〉に勝利を約束した。


 〈失われし岐路の漂流騎士団Wandering Order of Lost Fork 〉――わたしたちの領域が正常だったころ、近づく異変に気づき、これを食い止めようとした護民卿・春屋敷伯爵を祖とする集団だ。卿の奮闘も空しく、第二の歪んだ月が発生し、正常性は失われ、本来あるべき未来は分岐し、永遠に失われたかのように思われた。


 しかし、春屋敷伯爵は歪んだ月より現れし怪物〈月魔〉と、それらを生み出している高次元体〈楼戯〉との戦いを決意、同胞を領域全土より募った。


 こうして初代〈導き手〉となった伯爵とその部下たちは、本来の正しき場所を目指し数多の領域を〈漂流〉することを誓った。


 それより千年、未だにその戦いは続いている。現在の騎士団の〈導き手〉春屋敷ハルカ――わたしの先輩の下で。


   ■


 赤目山学院は漂流騎士の養成機関であり、その制服は騎士団の軍服を兼ねている。背中には狼と月の紋章が描かれ、誉れある騎士の一員であるという自覚を与えてくれる。しかし、この臙脂の装束に身を包む学徒の中でも、剣型の蓋然性遮断式禍因切除装置を帯びているのはごく一部に過ぎない。


 今、わたしの腰にずしりと重みを与えているこの武器は、品格と力、その両輪を備えた正騎士にのみ授けられるのだ。それもそのはず、この恐るべき兵器は一振りするだけで、継続的に〈存在〉を保持するという蓋然性を遮断し、対象を消失させる危険な代物だ。仮にわたしが、この学院の教室や廊下、通学中の電車内でこれを振るえば、多くの人々の生命が、存在が失われるのだ。


 もちろん、そのような蛮行などに手を染めるわたしではなく、今月に入ってから二度寝ぼけて振るう以外に被害は出ていない。これは先月の半分であり、わたしの意識と誇りの高さを示すものである。しかも死亡者は二回合わせてたったの六十七人であり、残りの多数は全身がプラスチックの塊や虚影型シジル変異体に置き換わったのみで済んでいる。つまり、被害はほぼ無いに等しく、わたしの完璧さを示すものであると自負しているところである。


 二時限目、歴史の授業中、付近の因果律遡及は六百コルトほどに上昇、千五百ヘイズほどの領域が共振を起こしていることをわたしは察知した。

 この特進クラス内でわたしと同じく帯剣を許可された正騎士は雨城ハクア、鷺ヶ原マユの二名のみだが、二人ともがこれを認識、担任の荒神先生にそれを伝えた。


 我らが教師は極めて怠惰だ、三文小説に出てくるやさぐれた探偵のようなくたびれた容姿で、逆に毎朝入念にそう整えているのではないかと思えるほどの、絵に描いたような無精髭。皺だらけのシャツに纏わりついた煙草の臭い。この人物がなぜ、我々のようなエリート養成校に潜り込んでいるのか全く分からない。


 と思っていると、やや大きめのフリッカーが発生したのを感じた。これは月魔の出現か? と思いきや、教室内は一変していた。


 白くチリひとつ落ちていなかった床はひび割れ、煙草の吸殻や吐き捨てられたガム、昆虫の死骸やまだ生きてる昆虫などで汚れ、窓の外の精緻な街並みは薄汚いスラム街のように変貌していた。


 生徒は誰もおらず、古びた机と椅子が教室の後ろ側に乱雑に積み重なっており、教卓にもたれかかっている荒神先生と、騎士団の軍服を着たままのわたしだけがいた。もちろんこうなっては、わたしが圧倒的に場違いだ。


 領域内の情報素とわたしの脳がリンクし、現在のシチュエーションが流れ込んできた。どうやらここは既に廃校となった場所で、元教師で私立探偵をやっている荒神先生改め荒神氏のところへ、わたしはいなくなった飼い猫の探索を依頼しに来たらしい。


 わたしは色々とこの領域へ不満をぶちまけたい気分になった。


 わたしは騎士道とテクノロジーが融合した領域でエリートとして大活躍するところだったのに、いきなりこんな小汚い場所に飛ばされてしまった。


 そして、飼い猫がいなくなったからといって探偵になど依頼して発見してもらえるものだろうか? 猫なんてそのうち帰ってくるものじゃあないのか?


 元々この領域にいたわたしとの同調が完了すると、それらの不満もだいぶ収まってきたので、わたしは荒神氏に依頼をすることにした。


「あなたが探偵でいいのでしょうか? ここに入り込んだ浮浪者か何かじゃないですよね」


「もちろん探偵さ、お嬢さん」荒神氏は言った。「もっとも自分が浮浪者じゃないとは断言しかねるね、正確に言うのならば、探偵としての能力を備えた浮浪者ってところさ、少なくとも俺は、そう自負しているがね……なにせ――」


 荒神氏は始終とても回りくどい言い回しで応答した。「はい」か「いいえ」の一言で済む質問に、やれ良いニュースと悪いニュースがどうだの、この世には二種類の人間がいるだのほざき、ことあるごとに「そいつはアシッドだ」と肯定的なのかどうかも分からない評価を下してばかりだ。わたしはだんだんイラついてきて、腰の蓋然性遮断式禍因切除装置に物を言わせ、おかしな私立探偵なぞが二度と入り込まぬようにここを更地にしてやろうかと思い始めた。


 しかしどうにか堪え、依頼を荒神氏が引き受けて、共に車に乗って猫を最後に見かけた自宅近くへ向かうこととなり、車内の会話からわたしが火鳥塚財閥の令嬢であると荒神氏は見抜き、色々と探偵的能力を発揮して捜索する中、猫の首輪につけられた記録媒体を敵対勢力が狙っており、追っ手とのカーチェイス、銃撃戦、てんやわんやの大騒動、結局、記憶媒体には財閥のアキレス腱になるようなものは入っておらず、大山鳴動して鼠一匹といった結果、しかしわたしは仕事にかまけて娘をおろそかにしていた父と昔のように仲良くなり、荒神氏はわたしから五十ユ二しか貰えなかったがわたしの笑顔という報酬が貰えたのでよしとしますか、などと満足し、一件落着、と思いきや、わたしはなぜか荒神氏の助手を買って出てあの汚い廃校に出入りするようになり、掃除しろだ禁煙しろだと言い荒神氏が「まったく、騒がしい助手ができちまったな、なんともアシッドだぜ」とぼやいたところで、


 またしてもフリッカーが発生しわたしは元の領域に戻った。


 周囲の建物が破壊されており、瓦礫の山が広がっている。


 どうやら禍因性実体、こちらの領域でいうところの月魔との大規模な戦闘が発生したようで、恐らく我々が退けたものと思われるけど、目の前には泣きながら動転している鷺ヶ原さんと、重症を負ったハクアがいた。


 重症というか死の一歩手前といった感じで、具体的には腹から臓物が溢れ出て、滝のように流血し顔は土気色、といった絶望的な有様だ。


 そこに荒神先生が駆けつけた。


 それは探偵のやさぐれた男性ではなく、眼鏡と白衣のクールビューティーで、我々の担任というのは仮の姿で、実は騎士団の技術者であり我々の使う兵装を開発している若き天才、といった人物に変貌していた。


 先生は何らかの薬液を取り出し、これをハクアに使うと高い確率で死ぬが、もしかすると生き残って超人的な力を手にすることができるかもしれない、どっちにしろこのままだと死ぬので試してみて損はない、だけどもし生存した場合も、実験中の薬なのでどんな副作用があるか分かったものじゃない、と言い、この場で一番地位の高いわたしにその判断を委ねると言い出した。


 探偵のおっさんとのどたばた大騒動からの落差にわたしはまだ適応できておらず、コインで決めようとか、なんかやばそうだからやめときましょう、と言おうとしたが、この領域の騎士であるわたしの部分が、雨城君なら生き残るはずです。彼は心に剣を抱くなんとかかんとか、絶対に帰ってくるんで、使いましょう、みたいなことをドラマチックに口走った。


 それで荒神先生が薬をハクアに使ったところ、月魔と人間の中間の存在、みたいなのになった。あの薬は敵であるはずの月魔の細胞で人間を強化するというヤバい代物で、そのあとハクアが暴走したけどわたしが抱擁したらなぜか元に戻ったり、死にそうになったけどわたしが落涙したら蘇生したり、敵にも月魔と人間の中間みたいなやつが現れ、お前はこちら側だ、とハクアを勧誘したが彼は首を縦に振らずわたしが人質に取られたりとてんやわんやの大騒動。


 わたしは持ち前の才覚と美貌でもちろん八面六臂の活躍だったが、大事な場面でまた探偵の荒神氏の助手に戻ったり、騎士に戻ったりを繰り返し、いまいち入り込むことができなかった。わたしはやがて荒神先生がこの二つの領域間のフリッカーの原因と確信し、彼女を蓋然性遮断式禍因切除装置でぶった切った。こうすればもう、騎士の領域から動かないはずだ。


 するとわたしは瓦礫の山の中で、ハクアの代わりに腹から臓物を出し吐血しながら死にそうになっていた。


 荒神先生がやって来て、ハクアや鷺ヶ原さんと例の薬を使うかどうかを話し合った結果、やばそうなのでやめておこう、ということになりわたしは死ぬことになった。


 わたしはどこからか取り出した煙草を口に咥え、火をつけようとしながら「まったく、アシッドな人生だったぜ……」と探偵の荒神氏にそっくりな口調で言い、絶命した。

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