第十八回 アンラッキー・ガール、駆けてゆく
四日後に登校日があり、そこで行われる全校集会でわたしがスピーチをすることになった。わたしは寡黙な少女であり人前で話すことなどまずあり得ないのだけど、今回くじ引きで誰かにスピーチをさせることになり、運悪くわたしが当たった。全校生徒といってもかなり少ないのでそこまで運が悪いっていうわけでもないけど、とにかく憂鬱だ。
わたしは度胸をつけるために、鎧谷の駅前へ繰り出し、そこで練習することにした。道行く人々は誰に対しても無関心って感じで、誰かが何か喋ってても無反応だろう、と思って「突然ですが今から『おから』についての演説を行います!」と言ったところ、そこにいた全員、老若男女すべてが足を止めてこちらを凝視した。後から知ったのだがその日、今最も人気の占いアプリがエラーを起こし、あらゆる誕生日・血液型の人に「大凶、しかし街頭演説をしている女性の話を静聴すると大吉」と送信されており、誰もが大吉を求めてわたしの演説を聞こうとしたがために喧しいはずの鎧谷は、水を打ったように静まり返っていた。
わたしの頭上で歪んだ月が嘲笑うかのように薄荷臭を強くした。
どうにかしてこの地獄のような、悪夢のような状況から逃れようと、わたしは即興でシジル幻燈の作成を行うことにした。
逆にチャンスだ、わたしは普段は五歳児がふざけて作ったような作品しか生み出すことはできないが、当惑・混乱した場合のみ、彩歌全土で最も優れたシジル幻燈作成者たる雨城ハクアに匹敵する作品を作れるという才能があった。実際、わたしは全領域に生放送されているコンテストで緊張のあまり、すさまじいフラクタル自己定義型シジル幻燈を作り上げ、それを目の当たりにしたショックで雨城ハクアはその場で劇薬のカクテルを飲み干し自決、結果的にわたしが彩歌で最も優れた作成者となったのだ。
思えばあのコンテストに出場することになったのも、くじ引きの結果だった。わたしのくじ運がすさまじく悪いことだけは、この何もかもが不確定な領域においても確実だ。
道具もなく材料もないが、それでもわたしの緊張は極限に達しており、その場で調達することができた。
自分の髪の毛を抜き、高速で規則的に振動させることによって局地的にエルガー界へアクセスし、不足していた非常在型光輝触媒を補填し、それでもって大気中の水分を一瞬で凝固させ、レンズを作成した。これにより、縞陽炎の誘発と即席霊定着を一瞬で成し、泡沫期にしばしば見られた多元虹霓を二秒足らずで再現した。
その色彩――無色でありながらあらゆる色を認識させる芸術性は、数千の言葉よりも尚雄弁、人々は感涙。中には失神したり、暴力衝動を誘発され近くの人に殴りかかったり噛み付いたりする者もいた。
わたしは、スピーチ・演説といっても言葉のみを用いる必要はないのだということを認識し、これだ、と思った。
そして何の準備もなしに登校日を迎えて、溢れ出る自信とともに集会が始まると思いきや、担任の荒神先生が、春屋敷先輩が欠席したので集会もスピーチも中止だと肩透かしなことを言ってきた。
なぜ春屋敷先輩が欠席すると全校集会が中止になるのかというと、我が校はわたしと春屋敷先輩の二人しか生徒がおらず、彼女が休むと全校生徒はわたしだけになってしまうからだった。そしてほぼ全て、いや、毎回、重要なイベントの折には先輩が休んでしまう。
「で、先輩はなぜ休んだのですか」
「いやー知んないけどサボりじゃないのかなあ。なんの連絡もないしー。ま、いいんじゃない」
荒神先生が教師でありながら気安い小娘のような口調でそう言ったのでわたしはにわかに苛立ち、校舎そのものを同質量の反物質を生成し消滅させたくなったが、その前に先生は恐るべき発言をした。
「えー、ところで、こんど大食濠の清掃活動があります、その参加者をくじ引きで決めるんで引いてね」
大食濠というのは赤目山繁華街にある通りの名前だ。あるとき巨大で醜悪な肉食獣が突然湧き出し、そこを日々うろつくようになった。そいつらの重さで道は徐々に陥没し、濠のようになっていった。汚水が溜まり、肉食獣の食べ残しが腐敗し、誰も近寄りたくはない場所として今もこの学校から二キロほどの場所に存在している。
わたしはなぜ、あのような地獄のような場所を当局がほったらかしにしているのか、そしてなぜわざわざ清掃するのか、そしてなぜそれを学生にやらせるのか、皆目理解できなかった。
そしてくじ引き。春屋敷先輩とわたしのどちらかが当たるのだが、なぜか毎回、わたしが文字通り貧乏くじを引くことになってしまっている。
先輩はたびたび欠席するので、代わりに荒神先生が引いているが、いつもわたしが当たりくじ――わたしとしては外れくじ――を引いてしまうのだ。
「さー、じゃあまず私が春屋敷の代わりに引くよー」
まずい、このままではわたしは肉食獣に貪り食われてしまう。
そう思うとわたしの心臓は早鐘を打ち、冷や汗が流れ出し、全身が震えだした。
そして、これまでにないほどの脳内物質が溢れ出、わたしの脳内で有り得べからざる化学反応を起こし、なんと死の恐怖はわたしの頭蓋の内部に極小の非対称十一次元揺籃を形成、体内に芸術作品を作り出すという新たな時代の萌芽を感じさせる瞬間であった。
その驚くべき作品がわたしの線条体を刺激し、ある閃きがまさしく電球が灯るように齎された。
「待ってください先生!」わたしは席を立ち、荒神先生に詰め寄った。「わたしは今気づきましたよ、先生、あなたは不正をしていますね!」
「はっはっは、何を言うのかな火鳥塚。どうして私がそんなことをするんだい」
「先生、あなたは春屋敷先輩と共謀し、わたしを陥れようとしていますね、これまでもそうしてわたしに面倒なことを押し付けてきたのでしょう!」
「何の証拠があってそんなことを言うのかなあ。君のくじ運が悪いだけじゃないの……」
わたしは先生がいつも使っている箱を掠め取り、中身を改めた。
そこには、まだ誰も引いていないにも関わらず、くじは一つしかなかった――赤いしるしが付いたものが。
「先生、あなたはあらかじめ手の中にくじを握って、引いたふりだけをしていたのでしょう。そうして毎回、わたしに厄介ごとをさせてきた。このツケは払ってもらいますよ!」
「ふん、ばれてしまってはしかたないねえ」
「なぜ春屋敷先輩と手を組んだのですか? カネですかあるいは弱みを握られていたとか」
「ふっふっふ、一つ教えてやろう火鳥塚、私は既婚者だ。旧姓は何だと思う?」
「ま、まさか」
「そう、『春屋敷』さ。この私、荒神ハルカこそが君が先輩だと思っていた人物の正体だ。春屋敷という生徒はこの学校には存在しない。ここの生徒は君一人なのだよ火鳥塚。くじ引きなどするまでもなく、君は今後も面倒な役目をすべて負い続けることが確定しているのさ。それでは君の不満も高まろうと、私はくじで決めているというふりをしていたのだ。そうすれば、運が悪いためだと納得するだろうからね」
それはわたしにとってあまりに絶望的な事実であった。わたしは平静を失い、教室の壁を蹴り始めた。フリッカーを誘発させ少しでもましな領域と置換させようと思ったためである。
しかしなかなかフリッカーは発生せず、わたしの蹴りは止まらない。薄荷の匂いがにわかに強くなっていく――歪んだ月がわたしを嘲笑っている。
どれほどの間、わたしは教室の壁を蹴り続けていただろうか、一時間か一週間か一年か。教室は暗闇に包まれ、先生は既におらず、わたしの肉体は巨大に膨れ上がっていた――わたしは醜悪な肉食獣と化していたのだ。
窓を破って外に出たわたしは、一心不乱に駆けていた。大食濠へ赴くために。そしてそこに清掃活動のためにやって来る、哀れな学生を貪るために……
果たしてわたしが今回引いたのは、当たりなのか外れなのか? 一つだけ分かっているのは、わたしがとても空腹だということ……
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