第十四回 最悪の一週間

 薄明期二十六年、イルス共通流動時第五十七サイクルにおける災禍連続発生についての記録――


 八月二十六日未明、流界監視部隊〈W.O.L.F〉は、トゥマン多元侵食体の活動停止を企図した部分的領域切断に失敗、領域終了ターミネーティングに踏み切ると発表した。同日午後七時、これを実行、当該領域は存在を放棄。完全消滅を確認。


 八月二十八日午前九時十五分。彩歌中心域に禍因性実体が顕現。個体名を〈憤怒せしもの〉と認定。当該個体は身長約五百キロメートル。有機物からなる鎧を纏っており、右手には刃渡り二百キロメートルほどの錆びた剣を持つ。口腔部より光線を放ち、あらゆる対象を消滅させる。有効射程はおおよそ三千キロメートル。特筆すべき能力として、瞬間移動を行い、領域内の任意と思われる地点に移動する。意思疎通の試みは全て失敗、〈憤怒せしもの〉は既知のあらゆる禍因性実体と同様に、人類に激しい敵意を抱いているものと思われ、大都市のみを狙って瞬間移動を繰り返し、剣と光線により破壊活動を継続した。

 当該個体殲滅のために実働部隊司令部は〈コルフェイラの槍〉の使用を申請、〈W.O.L.F〉上層はこれを即時許可。同日午後六時五十八分、第一回照射。対象は無傷。第二回照射の前に〈槍〉が光線によって全損。同日午後七時十五分をもって作戦を中止、今後対象への一切の関与を凍結するとの声明文が〈W.O.L.F〉より発表された。


 八月二十九日早朝、領域維持局がストライキを開始。領域内の因果遡及率は午前七時までに平均して八十七万コルト上昇。代表者は未知の超越的存在〈数多の眼〉への信仰を告白し、全領域民もこれを崇拝するように要求。当局は交渉を断念、局地的抹消機構〈断架〉を使用、全局員を鎮圧。


 八月三十一日、〈W.O.L.F〉内にて一級流界調整官、火鳥塚カナエ率いる部隊が武装蜂起。全領域をあるがままの姿へ戻すため〈回帰運動〉を開始すると主張。これを受け全〈W.O.L.F〉社員の八十五パーセントが運動へと合流。本部地下にて〈調停機〉を超過稼動させ、人為的な複合性大断絶を誘発。当該領域より五十三億ヘイズ以内の全領域が不可逆に融合。死傷者は判明しているだけで八垓名に上ると見られている。


 八月三十三日、第三の月が出現。当該領域より七兆ヘイズ以内の


(記録はここで終わっている)






 そうだ、王国を築こう、とわたしは思い立った。


 毎日部活の先輩には雑用でこき使われ、家では泥酔し暴れる父の声に怯え、街に出ればならず者に銃で脅されて金品をせしめられる。こんな日常はたくさんだ。


 わたしは君臨し、支配したい。


 王国を築くならば、領土が必要だ。わたしは自らが腰掛ける玉座を探して、家を出た。

 空をカブト虫が何匹も飛んでいる。子供たちは虫取り網片手に熱狂し追いかけている。金色の大きなカブトムシが飛来すると歓声が上がり、誰もがそれを手にしようと走り出す。しかし、あの子供たちは気づいていない。真に手にするべきものは自らの王権なのだと。友人、恋人、高い年収、ゴルフ場の会員権、高級車、名声。それらを追い求め世間を右往左往する人々はあの子供たちと同じだ。熱狂で目がくらみ、前が見えなくなっている。彼らには君主が必要だ。そしてそれは、このわたしだ。


 そういうことを考えて道を歩いていると、横道床屋の前で禍道部の竜喰部長と衝突してしまった。わたしは平謝りするけど彼は、気にしなくていいって、と言ってくれた。


 そうだ、わたしは王国を手に入れる当てもなく歩いていたけど、この人物なら何かを知っているかもしれない。わたしは彼に、王国を手に入れる方法について聞こうと思った。


 あーマジで、王国? キングダム? それをオレに聞いちゃうわけ、火鳥塚さん? それはね、青菜に塩だよ。いや違ぇ。糠に釘じゃなくてなんつうかこう、ツーカー、おしべとめしべ、じゃなくていやいや、ぴったり、うってつけ、もってこい、まさにこいつしかいねえ、っつうのを言いたいんだわ、オレは。袋のねずみじゃなくてなんだったかなぁ。この前フレッチャー・ロバートソン希薄帯を踏破した際に脳髄が変異したんで記憶曖昧なんだわ。マジきついんだよ。おし、じゃあ地獄、ゆこう。


 地獄というのは文字通りの意味ではなく禍道部が溜り場にしている西鎧谷のジャズ喫茶〈アンダーワールド〉の通称だ。マスターは禍道部一年の朧沼さんの親戚らしく、ほとんど趣味でやっているので常連の近所のおじさんや金のないバンドマン、そして学生連中が何時間も居座っても気にしない。


 歩いて五分くらいで到着しその店へ入ると、爆音で曲がかかっていて薄暗がりの店内を、うねるサックスの前衛的インプロビゼーションが染め上げていた。そこらの席を埋めているのは麻薬の取引をしているプッシャーと常用者のような雰囲気の怪しい二人組、五分後には首を括ってそうな暗い眼をした青年、口元に笑みを浮かべながら中空を見つめているルンペンじみたおっさん、大量の薬をテーブルに置きそれをコーヒーで飲み干している不健康そうな女子など喫茶店というより阿片窟のごとき様相を呈していた。


 竜喰部長はカウンターへ行き住宅情報誌を熟読していたマスターの眼前にメニューを掲げ、指で何かを指し示したあと二本立てた。自分とわたしのぶんを注文したらしい。ジェスチャーで表したのは、音楽が大きすぎるので声を出しても聞こえやしないからだ。部長がわたしの前を横切って店の奥へ進む際に見えた彼の、染めてるんだか精神的ショックのせいなんだか変異だか分からない灰色の髪から覗いた耳はピアスだらけだった。何でも竜喰部長は領域をひとつだか十個だか消滅させるごとにピアスをひとつ開けているらしい。本当かは分からない。


 我々は最奥のテーブル席へ向かう。そこには安寧院君と九十九先輩がいた。部長は二人に手を上げて挨拶し、わたしを紹介した。


 机の上には九十九先輩のコーヒー、安寧院君の溶け切らない角砂糖がカップ内に積み重なった紅茶とともに、字がびっしり書き込まれた大学ノートが置かれている。これが地獄内で会話するための手段だった。タブレット式携帯端末ではなく手書きのノートを使うのは、風情を大切にしているためだろうか。


 竜喰部長は新しいページに、ボールペンで書き始める。


 火鳥塚さんが王国を築く方法について知りたいそうなので連れて来た。


 見るなり、安寧院君と九十九先輩は顔を見合わせ、先輩がクエスチョン・マークをノートに書いた。

 部長は回答を、手早く記していく。


 わからない? オレたち禍道部は、王国について一番詳しくしっているはずだ。なぜなら禍道=覇道だから。帝王学。それ全部わかってる。部員みんなが。


 安寧院君はそれでもう興味を失ったらしく携帯端末をいじり始めた。九十九先輩は何やら呆れたような顔で部長を見ているだけだ。


 部長は、禍道とは? という文字を大きく書き、その下にいくつかの単語を羅列する。深領域、相転移、ヴォイド、心、日常での隔たり。それらのいくつかを線で結び始めた。


 ここから先は極めて長くなる(主観時間で五時間)のでわたしが部長の深淵なる知識から得たことを要約すると、禍道を含む〈競技〉というのは〈ルール〉によって制御された混沌であると定義する、ということだった。例えば武道で考えると、街なかで人をぶん殴ったら逮捕だけどボクシングというルールに基づいて対戦相手とリング内で殴りあうことは競技である。そうでなくても、すべての競技というものを、ルールなし、その概念なしで考えたらどうなることか。百メートルなり五百メートルなり、あるいはもっと長い距離を走りたい。そして、そのために体を鍛える。球体を投擲してもらいそれを棒で打つ。水中に適応できてはいない陸上生命が息を止め泳ぐ。なかなかにきつい行いこれらの行為に、人々は自ら挑んでいく。これはなぜか。ルールが規定されているからである。同様に自分たちがやっている禍道も、厳格に規定された国際ルールのもとでなされている。そうでなければ、単なる破壊者だ。競技じゃなくても、例えば医療行為なんてのも人体を刃物で切り裂いてるけどこれが例えば『この病人を救済するためだ』といって肉切り包丁で隣の家のご亭主を切ったらどうなるか。ルール無用でやっちゃったらもろ殺人鬼。そして王国について。これもまたルールが存在する。規定された法によって王は君臨し、統治する。国民の承認が得られていなくてもいい、絶対王政、独裁、これは王がルールそのもとであるということだから。それをどのように臣民に認めさせるかといえば、色々な手段があるけど、レガリアを手に入れるのが一番である。すでに自分は、手に入れている。具体的には、鎧谷区西鎧谷顎町三丁目五十二番地六号にある〈双炎〉という店を訪ねればいい。ここはレガリア屋さんで、王たる者しか入れない。火鳥塚さんなら入れると思う。行くがいい。


 ノートを数十ページ埋め尽くしてその内容が明かされるころには安寧院君と九十九先輩は帰っており部長がわたしの分も頼んでくれたポタージュスープは冷め切っていた。わたしは地獄を出て顎町三丁目に向かった。


「いやークソ長いね部長のおはなし! あれは喋ってるうちに、今回は筆談だったから書いてるうちに気持ちよくなってきて相手のこととかどうでもよくなってるパターンだよ」


 春屋敷先輩がそう評し、わたしもそうだと思った。


「まあとにかくその店に向かおうじゃないか。あたしも君の王国とやらを目撃して――おや?」


 道行く人々がざわめいている。見ると、どこからか真っ赤な液体が流れてきて、地面を緩やかに赤く染めている。鉄の臭いがした。これは血液だ。おびただしい量の血が流れている。


「なんだろう、どこかで誰かが大出血したのかね、それにしてもこの量は多い、負傷者は一個人、いや人じゃないのかもしれないよ。〈オオカミ〉が雑に禍因性実体をやっつけたのかな。無事に〈双炎〉まで行けるだろうか?」


 春屋敷先輩の危惧は当たり、果たしてたどり着くことはできなかった。大量の血液が川のように流れ、西鎧谷の前で道は途絶えていたのだ。〈オオカミ〉の人々が凝固剤を散布しているけど、後から後から血は流れてきてあまり効果がないようだった。


 我々は諦めて帰った。一週間後、血はすべて乾き、いつしか消えた。

 そしてその跡から謎の植物が生えた。蔓を伸ばし続けるそれが育つにつれて、街じゅうの猫たちが騒ぎ始めた。


 白い花が咲いた後、奇怪な果実が成った、茶色い毛に覆われたそれの中身は、緑色という果物にあるまじき色をしていた。こんな色のフルーツは人類史上、あらゆる領域において存在していなかったからだ。


 人々はその緑色を恐れ、食べようか食べまいか迷った挙句やはり食べなかった。


 ある一人の男が、これキーウィに似てねえ? だからキーウィフルーツって呼ぼうぜ、と言い、しかし皆にぜんぜん似ていないと否定されて入水自殺したことを除けば、その変な植物が生えたあともわたしたちは変わらぬ日常を送っていた。


 しかし八月二十六日から一週間、わたしの部屋の真上で床を踏み鳴らす音が続き、上は空き部屋なので幽霊じゃないだろうか、とちょっとした騒ぎになり、結果空き巣に入った人物が勝手に住み着き、夜な夜なポゴダンスをやっていたのだという真相が明らかになり、わたし的には最悪の一週間でした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る