第十三回 超次元少年・雨城ハクア現る

 夜の闇をわたしと春屋敷先輩は駆けている。そっちに行ったぞ、と叫ぶ声。近づく足音。路地裏に数人の影。わたしは両手に持ったマシンピストルを迷うことなく乱射し、彼らに銃弾を浴びせた。とどめとばかりに先輩が火炎瓶を投擲する。


 燃え上がる追跡者たち。わたしたちは路地の奥の暗闇へ退避した。


 まだまだ敵はそこらじゅうをうろついている。この都市、領域のすべてが敵に回ってしまったのだ。サーチライト、暗視カメラ、レーダー、あらゆる眼がこちらを見ている。


 彼らはわたしたち二人が息絶えるまで、攻撃の手を緩めることはないだろう。


「なんでこんなことになってしまったのかね」春屋敷先輩が落ちていた牛乳瓶にガソリンを注ぎながら、そう呟く。


 すべての原因は、今日の朝に始まった――




 十一時間前。


 学校でぼや騒ぎ。原因は南雲さんを包んでいる煙だった。消防車十五台が駆けつけ付近は騒然、どうやら消防署か学校か南雲さんにフリッカーが発生したためらしかった。わたしはまだ見たことはないけれど、どこかの遠領域には煙に包まれていない南雲さんもいるようだ。


 彼女は、すべてはわたくしこと南雲リンの不徳の成すところでございます! マジでどーもすいません! と拡声器を用いて周囲に謝罪をした。別に彼女に責任はないので謝る必要はないとわたしは思ったけど、そういうときに己を曲げることもときには必要なのだとこの前父に言われた。しかし納得はしていない。


 わたしは煙たい学校から抜け出し、犬潟まで歩いた。直線道路が何もない草むらに伸び、ずっと向こうに猥雑な建造物の数々が立ち並ぶ。それらを見下ろし、終息機の巨大な影も見えた――胴体から伸びるコードも、頭部に浮かぶ輪も夏の晴空に青く霞んでいる。


 先週、禍道部の〈活動〉で生成されたあれももはや風景の一部だ。〈オオカミ〉の封鎖処理には十五時間もかかり、その間は犬潟全域で携帯端末が使えず、人々は不便を強いられた。わたしもその被害者の一人で、剱持さんに貸した漫画を突如読みたくなり、今から返しに来て。とのメールを送ったけれど彼女が犬潟にいたので通じず、わたしは彼女が強奪・着服・借りパクを敢行したものと解釈し激しい憎悪を覚えた。報復に、彼女から借りたけど返してとは言われてないので借りたまんまの総天然色超獣図鑑五巻セットを焚書に処そうと思ったところ、わたしの住んでいる地域で酸素濃度の急激な低下が発生しており実現できなかった。なので、近所の公園で穴を掘っては埋めるという行為で怒りを発散していると、当の剱持さんが来て漫画を返却し、犬潟で通信障害が発生していた旨を伝えた。わたしは剱持さんが蛮行に手を染めたのではないことを喜んだり、己の早計を恥じたりするよりも、焚書をしたかったのにできなかったことに対し、また苛立ちを覚え、このままだと実際にしかねないと思って、彼女に図鑑を返した。


 だけどあの図鑑はとても有用なものだったのでこうして犬潟へ買いにいこうと思ったのだった。


 犬潟は書店の街だ。ここで手に入らない本はないと言われており、絶版書だろうと希少本だろうと必ず手に入る。表紙が人間の皮とか、何か分からない未知の生物の組織とかで作られた本がそこらじゅうで安売りされているし、怪しい魔術書や個人製作の同人誌なども専門店がいくつも立ち並ぶ。


 わたしが求めている図鑑は、それほど希少というわけではないので、適当な所へ入れば必ずあるだろう。わたしは駅近くのチェーン店に入り、まず一巻の〈有機超獣・人類圏生息種〉を探した。果たして、それは簡単に見つけ出すことができたけれど、それを手に取ろうとしたところ、別の客もまた同時に手を伸ばしたところだった。


 東高校の学生服を着たその人物はなかなかの美少年であり、どことなく病弱そうな顔つきで、年上の女性に人気がありそうなタイプだった。しかし、わたしにとっては競合者以外の何者でもない。


 その本はわたしが先に発見し購入しようとしていたので。悪しからず。とわたしは言い放ち図鑑を掴んだけど、彼はわたしの手首を握ってきた。


 何をするのですか、とわたしが抗議すると、少年は無表情のまま反論する――いや、君は自分が先に発見し購入しようとしている、と主張するけど僕は去年にはもう購入を決意していたのです。だけど何やかやで叶わず、本日やっとここまでこぎつけたところで君が横槍を入れてきた。これは許容できる展開では到底ない。ので。君はそれを僕に譲るべきかと。


 こいつ。何言ってんだ。ふざけやがって。この男も剱持さんとご同役の略奪者か。わたしはそう思った。あなた、名を名乗りなさい――わたしは彼に掴まれていないほうの手で指差しながら詰問する。


 名乗るほどのものではないけど僕は赤目山東高校シジル幻燈部所属、雨城ハクア。そういう君こそ名を名乗ったらどうだい。


 わたしは店じゅうに響き渡るほどの大声で言った――わたしは赤目山西高校シジル幻燈部所属、火鳥塚カナエ。あなたは嘘つきですね。わたしは何度も東高のシジル幻燈部と交流しているけれど、雨城ハクアという人物が加入しているなどという話は聞いたことがない。さては名高い東高幻燈部の威光にあやかろうとしているのでしょう。


 ここで初めて少年――ハクアは口元に笑みを浮かべ、そのようなことをする必要はない、と言った。何でも彼は、部活動をせず独力でシジル幻燈作成を続けており、都のコンテストで優勝するほどの腕前に達したらしい。そこで部のほうから最近になって勧誘を行い、加入したのだという。


 わたしは彼の言い分を信じたわけではなかったけれど、そこまで自信たっぷりな彼の鼻っ面をへし折る必要があると感じ、ハクアにある提案をした。


 いいでしょう、ならこの場はあなたに譲りましょう。だけど図鑑を諦めたわけじゃない、わたしとシジル幻燈で勝負なさい! 一週間後、お互いに最高の作品を制作しどちらが優れているかを午后崎部長に判断してもらうのです。わたしが勝ったらその図鑑はもらうよ。


 ハクアは頷き、君にも僕の実力を教えてあげるいい機会だ、いいよ、勝負といこう、と条件を呑んだ。


 そして六日が過ぎ、わたしはまだ製作に取り掛かってすらいなかった。何かこう、作ろうとは思うのだけれど、スランプなのか、実際に作成するところまではいかず、勝負は明日というところまで迫っていた。まあでも、あん畜生の作品も言うほどのものでもないのでしょう、と高をくくっていたら偶然テレビに、天才少年登場。シジル幻燈の分野において百年に一人の才能。という文字とともにハクアと、彼が作成したフラクタル皆既子葉の傑作が大写しになり、我が心は千々に乱れた。なんというアシッドなセンス、勝てるはずがあろうはずもない、もうだめだ。


 そこでわたしは今まで一度もしたことのない、〈祈り〉という行為を試してみることにした。幸い今夜は満月で、歪んでいないほうの月との共振作用によって人間の意志の力も最大限に増幅されている。そこでドーソン因子保有者たるわたしが全力で祈れば、必ずや領域はそれに答えてくれる。


 神さま、どうかあの憎き雨城ハクアが死にますように。死なないまでも、食中毒、交通事故、呪詛、領域侵食、禍因性実体の襲撃、急速な変異などで行動不能に……いや、作品が破損するとか約束の時間に来れないって程度でもいいので、どうか彼奴めの勝ちを消してください。何ならこの領域をぶっ壊してもいいです。何千、何億、何兆人、いやその二乗消滅してもかまわないから。


 そしたら、実際に超越的存在が大いなる光とともに上空から降臨し、その神聖なる機械仕掛けの神が確かに頷いたのをわたしは目撃し、その後の記憶がない。


 だけど翌日目覚めたらすべては解決していた。雨城ハクアという人物は東高校には存在せず、犬潟の書店にあの図鑑はまだ売られていた。神は断絶を起こし、ハクアの存在していた時間軸からわたしの領域を切り離してくれたのだった。


 わたしはこれにいたく感激し、神へ捧げものを送らなくてはいけないと決意した。


 生け贄は子羊がいいだろう。


 だけどシティ・ガールのわたしとしては子羊なんて見たことはない。どこにいるのだろう。そうだ、動物園だ。


 わたしは大戸岩にある都立動物園へ向かった。


 地下鉄に乗り、気分がよく隣に座っている爺さんに話しかけた。


 こんにちは。いい天気ですね。こんな日は家にこもってないで夏という彩られた舞台で最高の自分という役を演じなくてはなりませんね。


 爺さんは、は? という顔になったが、そこは年の功、一瞬で笑顔を作ってみせ、そうじゃなお嬢さん、今日はどちらへ? と尋ねてきた。


 わたしはこれから大戸岩の動物園へ向かい、子羊を手に入れるのです、神への生け贄とするために。


 爺さんは唖然としてしばらくわたしを見ていたが、そうかい、若い時分はそういったこともあるじゃろう、とか何とか言って次の駅で降りていった。


 そしてわたしは動物園で鉈を手に、羊の檻に侵入しようとしたところで警備員に取り押さえられ、結果、新聞の三面記事を飾ることとなったのだがそれはまた別のお話。

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