第十一回 アンギル三型変異体購入ならず、銃撃、その結果

 黒い巨大なニワトリがわたしにだけ見える状態で街角に五羽いる。それらは歩くだけで足元のアスファルトを砕き、路上駐車の車を踏み潰し時には人や野良犬をも蹴り飛ばす。危ないけどわたしは一般人なのでどうすることもできやしない。


 前回の断絶以降こういった異階層生物が増えているらしい。見える人と見えない人の違いはドーソン因子を所有しているかいないかだけど、見えても見えなくてもその被害には合う。交通事故か隕石か何かと思ってあきらめるしかない、他の災害もそうだけど。


 今日はシジル幻燈部の課外学習で緑手屋に来た。参加者はわたしと瀬羅先輩、米蒔君だけだった。瀬羅先輩は何もしゃべらずついて来るだけで、わたしもほとんど口を利かなかったので実質的に米蒔君だけが存在しているようなものだった。


 緑手は近年のシジル幻燈において、接続剤としては最も安定している。起爆性もないし有毒でもないし、視差増大作用もない。素材としては破格の安全性で、色合いも癖がない。米蒔君はまず中型の個体が何体か入っている水槽に近づき、しばし見聞してから店員に声をかけた。


 すいませんこちらのアンギルは三型変異してるやつですか? してないのであれば、してるやつを見たいのですが在庫とかってありますか?


 店員は、三型変異体はもう当店じゃ取り扱ってないので、と答えてすぐにどこかへ行ってしまった。


 米蒔君は渋い顔になった。アンギルは曲折式幻燈を作る場合にはまず必要不可欠で、オルキヌシア分泌剤とかで代用しようとすると七リットルは必要になるし凝縮に時間がかかる。米蒔君は赤色を使いたがることが多く、三型変異体を使わない場合情報侵食で色合いがどす黒くなりがちだ。わたしはその、真夏の死体から滲み出たような色も嫌いじゃなかったけれど、米蒔君はあまりそういうダークなものは好まない。


 しかし、アンギルの三型変異体を取り扱っていないということがあるのだろうか。わたしは店員が面倒だったので受け流したようにも思え、米蒔君も同様の疑いを持ったようだった。


 続いて彼は大型個体の水槽へ移動した。すると、水中でとぐろを巻いていたモルク種の成体がいきなり警告音を上げ、水槽をがんがんと叩いてこちらを威嚇したではないか。


 識別体摘出処置をしないまま店に並べているようだ。わたしは瀬羅先輩に、この店やばいですね、と囁いた。無論返答はなし。


 そのあと決定的な事態が発生した。苦虫を噛み潰したような顔で米蒔君が、お茶を濁すように融合臓液採取キットを見ていると悲鳴が聞こえ、入り口のほうへ行くと一人の少年が、カルモス幼体に腕を噛み付かれ、既に融合が始まっているようだった。


 瀬羅先輩が脇差のような形状の蓋然性遮断式禍因切除装置を抜き、一瞬で五メートルほど移動して同時に少年の腕を幼体ごと消し飛ばした。

 彼は一瞬呆然としていたが即座に店に売られていた止血剤を腕に散布し、ありがとうございます、と先輩に礼を言った。


 さっきの店員がのろのろとバックヤードから姿を現し、大丈夫ですか、大丈夫ですね、と断定的に言って踵を返す。米蒔君が、この店舗はどうなってんですか、と食って掛かっているが、相手はほとんど聞いておらず、ええ、今はそうなってるんで、などと答えている。


 すると、平静を取り戻したかのように見えた少年が突如として絶叫し、店員に発砲した。

 それも護身用の小口径のものではなく、五十口径の馬鹿でかいリボルバーで、わたしは銃声で一瞬気が遠くなり、店内の緑手が興奮して暴れだすかもしれないと、我に返って即座に店を出た。瀬羅先輩は既に脱出しており、米蒔君も大急ぎで出てきた。あの店員はたぶん死んだだろうし、店の中も今頃めちゃくちゃになっているかもしれない。下手をすると少年の肉体や店員の死体と反応した個体が何らかの突発的不安定変異を起こし、周辺が即日災禍指定されてもおかしくはないけど、それもすべて安全管理が不適切なあの店のせいだ。


 米蒔君は、やっぱりネットで注文するのが一番だ、と結論付けて課外活動を終了、解散の運びとなった。


 わたしはあの緑手屋の惨劇より、瀬羅先輩の俊敏な動きが気になった。考えてみれば今まで与太話のように思っていたけど、この人が〈オオカミ〉であるのは紛れもない事実、いったいどのように普段活動しているのか興味を惹かれたのだった。


 わたしは先輩に、〈オオカミ〉として戦うのを見学したい、と告げた。

 それに答えたのは彼ではなく、両手に持ったソフトクリームを食べながら隣を歩いていた春屋敷先輩だった。


「そんなのは駄目だよ、カナエ。瀬羅君だって遊びでやってるわけじゃないんだし、一般人が巻き込まれる恐れがある同行を望まないさ。わがままを言うのはよしたまえよ。もし今、この場に禍因性実体が出現したなら話は別だけど」


 ならば今、春屋敷先輩が禍因性実体へと姿を変えて街を破壊してください。そうすれば瀬羅先輩の活躍を間近で目撃できます。


「ええ? 君は実に無茶を言うじゃないか。それはできるよ確かに、しかしだ、それは即ちあたしが瀬羅君にぶった切られるということに他ならないじゃないか。そもそも瀬羅君の活躍なんて……」


 と、春屋敷先輩が彼のほうを見ると既にいなかった。


「呆れて帰ってしまったじゃあないか。まあ、いずれ彼が活躍を続ければ報道などで見られる日も来るさ」


 だといいのですけど。


「それよりこの危機的状況だ。見たまえ、沼がどんどん広がっているぞ」


 わたしがそう先輩に言われて辺りを見回すと、周囲の路上が確かに沼になっていた。結構な深さもあり、睡蓮の花が咲き乱れ、通りを横切ってワニが泳いでいる。帰宅するのはかなり困難だ。


 人々は腰ほどまでも沼につかりながら何てことない顔で歩いている。車も無理やりに泥をかきわけて進んでいる。沼となったのを気にしているのはまるでわたしだけのようだ。


 わたしはこの名実ともに泥沼な環境に対抗する秘訣を聞きだすために、歩いている人々に話を伺った。


 突如として路面が沼になりましたがそれをものともしないあなたはどういった対抗策をお持ちですか。


 しかし、誰もが沼になどなっていないと答える。この程度の深みは沼などではないという強気の姿勢か、と思ったけど、いいや、これは沼であり、彼らは秘訣を隠匿しようという企みを抱き、わたしを陥れようとしているのだとすぐに気づくことができた。


 わたしはそこでこの沼を歩く秘法を単独探求しようという無為な考えを持ちはしなかった。タクシーに乗ればいいだけの話だ。わたしの家は金持ちであり、今も端末には七十万ユニがチャージされているし現ナマも五十万エンは所持している。歩行など貧民・愚民の責め苦でしかないのだから。


 わたしはタクシーを拾い、足が泥だらけだったので嫌な顔をされたけど、チップを与え即座に運転手を黙らせた。


 沼地を進むタクシーはやがて乾いた道に出たが、しかしそこは広大な砂漠だった。やがて砂にタイヤを取られ、一向に進まなくなる。わたしはそこまでの料金を支払って降りた。


 一面、見渡す限り砂だけ。これもやはりわたしを陥れるための奸計なのだろうか。だけどわたしは、ここで新たなアイデアを得た。ミイラ取りになればいいのだ。そうすれば我が家の資産はさらに増し、一般市民への優位はさらに不動のものとなる。


 しかしミイラはどこにもない。わたしは何度も地面を蹴って、フリッカーを誘発させようとした。数十回目でようやくそれは訪れたけれど、砂漠ではなく元いた街へ戻ってしまった。


 これではミイラを獲得できはしない。こうなればミイラ取りではなく、ミイラ職人となって手ずからミイラを作成しよう。


 ミイラを作るには臓物を入れる壺がいる。防腐剤の材料と、鼻から脳髄を掻き出す器具も。それらを手に入れたら、街を行く人々を片っ端からミイラにしてしまおう。棺を無数に発注し、広大な倉庫を借りてそれらを安置する。わたしはそう遠くないうちに、彩歌最高のミイラ職人になれる。そして最後はミイラの数々を道の上に並べ、住民とこの領域を真に一体化させる。


 わたしの栄光ある未来はどれほど深い沼にでも止めようがなかい。人々もまるで、わたしによってミイラにされるのを心待ちにしているかのように、穏やかな顔つきで日没時の街を歩いていた。わたしは彼らを待たせてはならないと、ミイラ作成のための材料と道具を購入するため足早にその場を後にした。

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