第六回 断絶後の世界

 数ヶ月ぶりに断絶が発生したのでフィードバックを行い、頭痛に苦しみ、苦い薬を大量の蜂蜜とともに飲み込んでわたしは外出した。


 わたしの頭蓋に入っている補助脳は過去に不具合が見つかり、パッチを当て続けているけどたまに風景の一部が巨大な鰐やテトラポッドや睥睨する猫背の巨人に見えたりして、それらは思春期特有の精神的な疾患とされ保証はされなかった。


 フィードバックにより入れた記憶がうまく馴染んでおらず、差異に対して低い声の、女性の囁きが説明をしてくれるけどたまに発狂し、聞いたこともない生物や文化の説明を延々と垂れ流すこともあったので、わたしはこの胡乱な音声案内機能をオフにした。


 わたしは携帯端末に入っているユニが増えていないか見たけれど、千ユニ足らずしかなくむしろ減っている気がした。

 普遍なものはもはや、全てが定着しない原因を作り出した歪んだ月と、ある種の特別な少数の存在だけだ。


 凪が領域全土を覆い、フリッカーもしばらくは発生せず安定的だ。わたしは断絶前との差異を発見し、観光気分で楽しむつもりだ、だけど今回の断絶で記憶も割合多めに変質してるので断絶前の状態が正確に把握できているわけではない。もちろん正しい記憶、オリジナルのわたしと領域に拘泥することほど無意味な行為もない。幼少の記憶とかつて見聞きした情報は入り混じって一体となっているし、肉体の細胞は日々代謝を繰り返している。そこに異なる領域のものが混じってもそれは異物というわけじゃないのだから。


 外出するとまず眼前に、馬鹿げた深さの大穴が見えた。遥か下のほうで原生漂流体が飛び回っている。正確には穴というより都市に開いた広大な亀裂で、道路や電車の線路が向こう岸までいくつも繋がっている。亀裂の幅は目測で一キロを超えており、歩いて渡るのはだるいので電車で行くことにした。


 乗車すると車内の座席の多くに、中身の詰まった紙袋が置かれている。何かの液体が中から染み出しているものも多く、手を触れるのは躊躇われた。


 わたしは空いている席に腰掛けた。隣に春屋敷先輩が座って、「午后崎部長とちょっと新しい揉め事があった」と言った。


「幻燭照射の強度について、あたしはどちらかというと象牙期風の領域間潮汐力を相殺する動き、あれを模倣する形で強めにするのが好きなのだけど、部長は帳尻を合わせず多コルトで狂いを増幅する、ロドン派のスタイルが好きなので、どうしても色彩に違いが出てくるわけじゃない」


 それで論争になったのですか。


「部による展示をやるとなるとある程度の統一感を持たせなきゃいけないんで、部長が難色を示したのであたしはそれに対抗して全長七メートルはあろうかというサイズの代物を提出して困らせてやるつもりだよ」


 たいていの春屋敷先輩は、彼女の所属する東高校シジル幻燈部員としての部分はかなり薄いのだけれど、この先輩は割りとその要素が強いと感じた。とはいえ部長の主張ももっともだ。基本的にシジル幻燈は向精神作用があり、大量の作品が集まるならその方向性は揃えておかなければ領域内秩序維持法に触れる恐れがある。しかし空洞期以降、これらの安全性は軽視されることが多く、発狂、人体発火、全身の変異、存在の抹消といった事故も多くなった。近代のシジル作家は、それらを含めて作品であるという考えを持ってはいたが、先輩はあえてそれに警鐘を鳴らそうというのだろうか。いや、部長に色々言われて単にいらついているのを発散したいだけだろう。


 だからわたしは、なら、部の発表にこだわらず個人で活動したらいいんじゃないですか、と提案した。春屋敷先輩はそれを受け「そうだ! 部室や多々良さんの家とかから材料を盗んでそれで作ろう!」と企図した。多々良さんはほとんどの領域で春屋敷先輩と家が隣同士であり、被害を最も多く被っている。


 先輩は電車の窓を突き破って、大地の亀裂の上空へと飛び去った。その際の衝撃で電車が緊急停止して八時間は間違いなく動かないとアナウンスされ、お急ぎの方はご自由にお去りくださいと言われたのでわたしはそうした。


 底の見えない大穴に架かる橋を歩くというのは当然スリリングだけど、わたしは幼少時にカダリイ器摘出手術を受け、その際肩甲骨部分に埋め込んだカー粒子制御装置による重力抑制機能を獲得しており、万が一落下しようとも問題はなかった。橋を横断し、向こう岸の尾暮駅へ到達し外へ出ると、禍道部の鬼ヶ峰君がいた。


 わたしは春屋敷先輩を含め、高校に入学してから数多くの人々、主観的には七兆人くらいと出会ってきたけれど、鬼ヶ峰君はその中でも唯一、全領域でまったく変化のない、不変不滅不撓不屈な人物だ。フリッカーも断絶も彼を変えることはない。明らかに彼は〈彩歌〉全体でも異質な存在だった。しかし本人に言わせると、二万人に一人くらいの割合でそういう人間がいて、別に特別でもなんでもないらしい。


 見知らぬ大都市と化した街を背景に、見知った顔の少年はわたしを見たけれど、言葉を発することはなかった。わたしたちのような、非連続的な存在にとって不変性を持った存在の出す音は有毒・有害であり、書いた文章も見せるのもあまりよくないらしい。もっと言うと近くにいるのも短期間なら問題ないけど、長期間だと最悪死者が出るらしい。だから鬼ヶ峰君が話しているのをわたしはあまり聞いたことがなかった。


 わたしは鬼ヶ峰君に最近(断絶の前)あったことや、シジル幻燈部の先輩方への尊敬や憎悪、世界の不確かさなどについて一方的に話した。鬼ヶ峰君は頷きながら聞いており、しばらくして話が一段落すると、手を振って去って行った。


 背景の歪んだ月と青く霞む数千階層の高層区画に重なって坂を登る彼は、領域そのものを引き裂く刃のように燦然と輝いている。一箇所にとどまったならその不変性は全てを破壊してしまうのだろう。だから不変な彼は、動き続けるしかない。回遊魚のように多数の領域をゆく彼の足取りは力強い。きっとわたしが死んだあとも、彼はあの姿のままで旅を続けるはずだ。


 旧友との邂逅を果たしたわたしは、駅前の通りをぶらつくことにした。


 今日は平日のはずだけど割りと人が多く、誰もが放心状態のような顔でふらふらと歩いている。わたしはというと因果律の狂いも少ないので、歩くのは心なしか楽だ。

 ぐちゃぐちゃに絡まったコードのような立体交差が遥か頭上にあり、鳩に似た白い鳥がその周りを飛んでいる。


 そしてわたしは立体交差の側面を這う巨大な蟲が、鳥に触手を伸ばして捕食するのを見たので焼き鳥が食べたくなり、近くの店に入ることにした。

 

 駅裏のガード下に位置する〈ノラ壱〉なる古い飲み屋に入り、わたしは甘酒と、ハツばかりを十本注文した。

 昼間だというのに、大酒をじゃんじゃん飲んでいる、殺し屋みたいに目つきの鋭い男性がいたのでわたしは話しかけた。


 本日は断絶の直後というのもあって穏やかな日和ですね。


 その人はまったく酔っているという感じがしなかった。赤ら顔どころか蒼白で、口調も落ち着いたものだった。

 彼は、いい日だけど還流者リターナーが多くて移動が大変なのでここで時間を潰していると言った。どうやら街に溢れる人々は、断絶に合わせてサルベージされた人々らしかった。わたしは、その人にある頼みごとをした。


 あなたは実は殺し屋なのではないですか、目つきが鋭いし。そうでなくても構わないのですが、殺害して欲しい人がいるのです。


 その人は、話を聞かせてくれと言い、またビールを注文したのでわたしも冷えた甘酒を追加した。


 赤目山西高校の一年B組に碇カズマという少年がいます。彼を、右手の親指を切断した上で葬り去ってください、やり方はお任せします。


 なぜわたしがこのような依頼をするに至ったのか、答えは簡単だ。

 碇君は右手の親指にわたしの小指と同じく鉛筆の芯が刺さったままになっているが、皮下のそれはわたしのよりも大きく原型を留めており、黒真珠のように美しかった。わたしは初めてそれを見たとき嫉妬に狂った。しかし、そんな理由で殺害するわけにもいかず、殺意を封じ込めていたのだが、殺し屋に出会ったのが運のつき、憎悪が再燃し、押さえ込むことはもはや不可能であった。


 よし、やろう。


 そう言うと殺し屋の男性は勘定を済ませ、店を出て行った。わたしは成功を確信して都市の地下を通る暗渠に侵入し、縦横無尽に走り回り、コンビニに汚れた足のままで侵入して足跡を無数に刻みつけながらキャンディバーを八個買って食べながら市街地を疾駆した。

 

 翌日、碇君は軟泥となって死亡し、切断された親指から、鉛筆の芯が刺さったままになっていることを苦悩しての突発的な自殺として処理された。

 わたしは今後も殺し屋と思しき人を見かけたら依頼をして、気に入らない同級生を消していくつもりだ……理想的な楽園を築くまで。


 わたしの小指の中で鉛筆の芯が、静かに熱を帯び、脈動していた。

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