第四回 西鎧谷騒乱

 淡磯区に何かの乗り物が墜落したというニュースがラジオから流れ、わたしは見に行くことにした。


 電車を降り、蛭島駅を出ると目の前はもう海だ。波打ち際にそれは確かにあった。

 宇宙船のように見えた。大きさは豪華客船ほどで、流線型をしている。

 全体的に植物で覆われ、一世紀近くの時間が経過しているようだった。


 そして、砂浜にも繁茂が感染し、マングローブが生い茂っている。

 わたしは携帯端末で宇宙船の全体像を写し、帰宅しようとしたが、そういえば遡上抑制器が経年劣化でついにぶっ壊れて、加工の際に赤ユリ蟲が再生を繰り返すのを抑制剤を使いまくって無理矢理に押しとめているという悲惨な現状を思い出した。


 わたしは西鎧谷まで地下鉄で向かうことにした。

 鎧谷から西へ少し行くだけで、不良少年少女や酔っ払い、売人や闇医者が多くアンダーグラウンドな雰囲気を醸し出している区画へ差し掛かる。そこからもう少し進むと、サブカル系の人、バンドマン、アジテーター、そして暗めの学生などが増えだす。古本屋やシジル幻燈の材料屋が多い、わたしにとっても馴染み深い街だ。電車内にもそういう人々が増えだし、生体改造を受けていて体に機器を埋め込んでいる拡張者も見られるようになった。


 西鎧谷駅を地上へ登る階段には、極彩色の鳥が入った鳥籠がいくつも配置されている。この区画に何らかの有毒なガスが発生しかねないので、その際に鳥が真っ先に気づいて警告を発するようにしているらしい。そのガスは機械では探知できないらしく、鳥が今でも一番有効らしいのだけど、それらは蝋人形か何かのようにまったく動くことがなかった。


 地上に出ようとすると、入り口が植物に覆われた巨大な金属で塞がっており、数人の若者たちがそこでくだを巻いていた。

 わたしが理由を尋ねると、突如出現した巨大な乗り物のせいで出られなくなったらしい。どうやら蛭島に墜落したのと同じような船が、ここにも出現したようだ。


 となるとまた二階分階段を降りて別の出口から出なければならない。

 若者たちはフリッカーが発生しこの船が消失、あるいは一部欠損し出口が開くのを期待しているらしかった。


 それをただ待つのもいいけれど、わたしは試しに誘発を試みた。船体を何度か蹴ってみたのだ。

 試みはうまくいった。壁は消失し、葉と花弁がわずかに残るだけだった。


 若者たちは歓喜し、わたしを英雄・救い主のように賛美してサインまで求めた。

 そんなものを書いたことはなかったので、差し出されたピカレスク小説〈白馬のいる迷宮〉の表紙に角ばった字で名前を書こうとしたけど、なぜか悪用されるのでは、との危惧をしてしまい〈獅子峠キサラギ〉という偽名を用いた。


 赤い髪の少女が、キサラギさん、どこ行くんすか、と聞いてきたので、古竜軒。と答えた。当然それは何かと追求される。

 ラーメン屋であり、餃子がとてもうまく軍場区からも客が来るほどのアシッドな出来栄え。と適当なことを告げた。


 彼らはわたしが恐れていたとおり、同行したいと言い出した。

 わたしは先頭に立って歩き出したが、彼らがこの場でどうにかして即死しないだろうか、と頭を悩ます羽目になった。


 有毒の薔薇ハイドラの牙を材料店で購入し、先週老齢ながら二十五人をリュウノカンムリの毒で殺傷した殺人鬼、荊木被告よろしく、喉笛に突き刺してやろうかと思案したけれど、一本五万エンはする牙を買う余裕はないし、どうしたものかと思っていると、幸いなことに禍溜りが路上に口を開け、〈オオカミ〉の人が監視に当たっていた。好都合なことにその中年男性は欠伸を繰り返してあまりやる気はなさそうだし、バリケードで封鎖されているわけではなく、立ち入り禁止と書かれた立て札があるだけだった。


 わたしは、あの中にある、と告げた。え、何ですって? と顔中にピアスを開けた童顔の少年が聞き返す。古竜軒の入り口はあの中にあるので飛び込まなくてはいけない、隠れ家的な名店なのでそりゃ、普通のところにはないよ、とわたしは彼らの目を見ずに言った。


 これで彼らが、自分たちにはまだ早すぎた、と諦めてくれればよかったのだけれど、よしきた、行きます、的なことを言い出して実際に禍溜りへ突進して行った。


 するとやる気のなさそうだった〈オオカミ〉の監視員は、やおら蓋然性遮断式禍因切除装置を構え、結果若者たちは一瞬で蒸発、悲惨なる最期を迎えた。


 君、彼らの知り合い? どうしたの? と、監視員の男性がわたしに質問してきた。

 わたしは、彼らが複雑な家庭環境に悩んで集団自殺を企てており、未然に察知した自分が止めようとしたけれどうまくいかず、ご覧のような結末を迎えました、とできるだけ悲しそうな顔をして言った。


 彼は深いため息を吐き、やりきれない顔で、自分は無力だと言った、彼には二歳になる息子がおり、死ぬどころか誰かに傷つけられると考えただけで胸が引き裂かれそうになる、君もさぞ哀しいことだろうが、できることをしたんだ、気を落とさないでくれ、とわたしを励ました。


 わたしはこの混沌としか言いようのない都市に、このような人がいることにいたく感動し、その人と握手を交わし、別れ際、名前を聞かれたので、なんとなくまた獅子峠キサラギと名乗った。


 獅子峠さん、少しずつでもいい、できることだけでいい、手を差し伸べる優しさがあれば、必ずすべては良くなるんだ、と監視員氏はわたしに力強く言った。


 しかし、自分のものでない名前で呼ばれてもなんとなく他人事のように感じられ、わたしの感動は急激に冷めていった。

 こんな無駄なことをしている場合じゃない、何かを買いに来たのだった。


 そう思っていると電気屋の店先に積み重なった旧式のテレビの画面に春屋敷先輩が映しだされ、わたしに助言をした。

「狂った因果律そのものを標として見たまえよ、カナエ。その形状を占術の道具とするんだ。逆転した〈結果と過程〉の色彩を、香りを、形を見て、進むべき地点を決定したまえ、さすれば、上天の蒼穹が手を差し伸べる。接続点を切り替えるんだ」


 五十コルトほどの逆転は先ほどから発生し続けている。足を前に出すから風景が進むのではなく、風景が進むから足を前に出す。「歩行」そのものの狂いを、わたしはもちろん無意識的に受け入れていたのだが、春屋敷先輩の言葉によってそこにわたしは鍵を見出した。


 わたしは風景が進むに任せ、足を止めた。

 すると周囲の電線、壁、野良犬の白骨死体、とうに公開が終了した映画の宣伝ポスター、道路標識、路上駐車の車などが空中に飛び上がり、風景を覆い尽くした。


 それらが消えると、わたしは薄暗く黴臭い地下街にいた。

 ジャンク屋と肺魚専門店、人造肉屋が並び、その向こうにシジル材料の店があった。

 わたしは撒かれた魔除けの赤い花弁を踏みしめて入店する。


 そこには東高の現宮先輩がいた。彼女は目線を下に向けていたが、それは店内に流れる小川を見ているのだった。水路の水を意図的に引き込んだのか、あるいは意図せずしてそこに流れ込んだのか、清浄な水が店内を横断していて、苔や水草が繁茂している。

 地下街の狭い店の魅力は小宇宙と言うか、ひとつの環境、ひとつの世界が小さい空間に凝縮して詰め込まれている点だと個人的には思うけど、これがその最たるものではないか。例えば盆栽もそうである。ひとつの鉢の中に瀑布や岩山といった自然を、世界を再現する。それは人造の、ひとつの領域ではないか。


 現宮先輩はそう思案しているわたしを見て、柘榴石の干渉具が欲しいのにないから今もう帰るところだ、と言った。その髪は漆黒であり、肌は異様に白く、瞳と唇は異様に赤い。黒と白と赤の絵の具が垂らされたパレットのような人物であり、身に着ける衣服もこの三色のみ。東高の制服が黒いセーラー服でなければ、彼女は自分で染めていただろう。きっと捜し求めていた柘榴石も、異様なまでに赤いに違いない。


 わたしは不意に、そんな現宮先輩の血液がどれほど赤いのか気になり、見せてもらいたくなった。


 現宮先輩、唐突で不躾なお願いとは思いますが、血液を見せていただけないでしょうか。わたしは、それがどれほどの赤さなのか知りたいのです。


 先輩は即座に、かまわない、と答え、展示されていた加工用の刃物で手のひらを切った。


 滴る血は、異常に赤かった。わたしがその煌きに目を奪われている中、血はどんどん流れ出していく。

 見た限りごく浅く小さい傷なのに、後から後から溢れ出てくる。


 血は床を伝い、小川に流れ込んでその流れを深紅に染めた。


 わたしは何かまずいことをしてしまった気がした。現宮先輩はじっとこちらを見て、手を宙に掲げたままだ。


 鉄錆の香りが辺りに満ちた。小川の上流にまで、赤い色が遡っている。


「もう、この領域をすべて染めるまで彼女の血は止まらないよ」


 血が生暖かく足首まで浸す中、春屋敷先輩の囁きが聞こえた。


 赤い瞳がわたしを見ている。

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