第5話 御影繭加

「相変わらず、この辺りは人気がないな」


 俊平しゅんぺいは生徒玄関から一度外に出て、校舎の裏手へとやって来た。

 昼休みに校庭でスポーツをしたり、中庭やテラスで昼食を摂る生徒は多いが、この辺りには生徒の気配がまるで無い。

 ベンチなどが設置してあり、二年前まではこの周辺で食事をしたり、バレーボールなどをして遊ぶ生徒もいたというが、たちばな芽衣めいの転落死を境に、この場所を利用する生徒はほとんどいなくなってしまった。


 死亡者の出た場所だ。そこを避けるのは心理としては当然だろう。

 二年が経った今でも暗黙の了解のようなものがあり、詳しい事情を知らない在校生や新入生でも、この場所を使う者はほとんどいない。


「半年振りか」


 俊平が目指すのは橘芽衣の転落現場だ。その手には、途中、販売機で買ってきた紙パックのヨーグルト飲料が握られている。供え物くらいはあってもいいかなと考えて急遽きゅうきょ用意したものだ。流石に学校の敷地内に放置したまま帰るわけにはいかないので、最後は自分で飲み切ってしまうつもりである。


 そのまま進むと校舎の周りを囲むフェンスが見えてきた。その少し手前が橘芽衣が発見された場所なのだが――


「……!」


 俊平の目に、思いもよらぬ光景が飛び込んできた。

 橘芽衣が死亡していたとされる場所に、一人の小柄な少女が目を閉じて横たわっていたのだ。身につけている制服を見る限り、同じ高校の生徒であることは間違いない。


「ど、どういうことだよ?」


 二年前に女子生徒が死亡した現場を訪れたら、当時の再現のように生身の人間が横たわっていた。驚かないほうがどうかしている。


「おい、大丈夫か?」


 俊平は少女に駆け寄り声をかける。内心は大いに混乱中ではあるが、優先するべきは目の前の少女の安否だ。一見すると目立った外傷は無いようだが、場所が場所だけに不安を感じずにはいられない。


「……そんなに焦らなくても大丈夫ですよ。私は健康そのものです」


 少女は横たわったまま目を開け、抑揚の無い声でそう告げた。ちょうど少女の顔を覗きこむ形で声をかけていたため、二人の目と目がしっかりと合う。


 俊平は少女の顔から、直ぐには目を逸らすことが出来なかった。


 その少女はとても美しい容姿をしていた。セミロングの美しい黒髪と陶器のように色白な肌。全てを見透かすかのような深い瞳。人によって好みの違いはあるかもしれないが、彼女を美少女と評することに異論を唱える者はまずいないだろう。


「……そんなに見つめられると、流石に戸惑います」

「あ、ああ、済まない」


 俊平は咄嗟に少女から顔を離す。

 体感時間的には、身惚れていたのはほんの数秒のつもりだったが、ひょっとしたらそれ以上の時間が経っていたのかもしれない。いずれにせよ、少女の戸惑いはもっともだ。

 少女はその場で上体を起こし、そのまま膝を折って座り込む。地面はアスファルトなので固そうだが、少女は特に気に留めている様子は無い。


「それで、あなたは何者ですか?」


 開口一番そんな質問が少女から飛び出す。歓迎するでも警戒するでも無く、淡々とした雰囲気だ。


「それはこっちの台詞だって言いたいとこだけど、そっちが先客みたいだし、この場合は俺から名乗るのが筋なのかな」


 少女は無言で頷く。どうやら名乗る順番は確定のようだ。


「名前は藍沢俊平。クラスは二年B組。部活とかはやってないから、目立った肩書はないな。とりあえず、こんなところでいいかな?」

「つまらないです。趣味とか女性の好みとか、もっと個人的なプロフィールも交えてください」

「もっと?」


 思わぬ注文を突き付けられ、俊平は困惑する。

 初対面の挨拶など、本来名前や所属程度の簡素なものではないのだろうか? 合コンやお見合いではあるまいし、そこまでの情報量を求められるというのは完全に想定外だ。


「じゃあ聞きたいことを教えてくれ。俺はそれに可能な限り答えるから」


 正直何から話したらいいのか判断に困るし、聞きたいことを質問できるのなら相手にとってもこれがベストだろう。


「ではお言葉に甘えて、現在お付き合いしている女性はいますか?」

「初対面に随分と直球な質問を投げかけるものだな。まあ、隠すことでもないから言うけど、今現在、付き合ってる子はいないよ」

「そうですか」


 自分から質問をしてきたというのに少女の反応は淡泊だ。質問を聞いた瞬間はいわゆる逆ナンかとも思ったが、この反応を見る限りその可能性は低そうだ。


「では、食べ物の好き嫌いは?」

「一転して今度はベタな質問だな。まあ、それくらいの方が答えるほうとしては気楽だけどさ。好きな食べ物は魚料理全般、特に鮭。飲み物なら緑茶が好きであとはプレーンなクッキーとかかな。苦手な物は少ないけど、ヨーグルトはあまり得意じゃない。俺の好き嫌い事情はこんなところからな」

「なるほど」


 少女の反応は先程とあまり変わらない。そもそも質問の答えに興味を持っているのかすらも怪しいレベルだ。


「俺への質問もいいけど、そろそろ君も名乗ってくれないか? 君は俺の名前も、恋人の有無も、食べ物の好き嫌いも知ったわけだけど、俺からしたら君はまだ謎の女子生徒Xのままだ」


 俊平は少女の隣に腰掛け、そう提案する。

 相手の名前すら分からない状況というのは正直やりずらい。最低限の自己紹介は終えたのだし、そろそろこちらにターンが回ってきてもいいだろう。昼休みだって無限ではない。


「私の名前は御影みかげ繭加まゆか。先月入学した一年生です」

「成程、一年生か」


 目の前の少女――繭加の顔に見覚えの無かった俊平だが、彼女が一年生だというのならそれも納得だ。

 俊平は顔が広い。そんな彼に見覚えの無い生徒ということは転校生か、もしくは入学間もない新入生ということになる。今回の場合は後者だったようだ。


「スリーサイズは上から――」

「ちょっと待った! そこまで言えとは言ってないから」


 繭加の言葉を俊平が遮る。いくら相手の方から暴露しているとはいえ、初対面の女子のスリーサイズを聞くのは気が引ける。バラエティー番組のアイドルじゃあるまいし、そもそもスリーサイズを発表されることが想定外だ。

 ちなみに、繭加は小柄でスレンダーなスタイルの持ち主で、一部にボリュームが足りない感は否めない。内心そう考える俊平の視線は、繭加の胸部に向けられている。


「じゃあ、これまでの男性経験を――」

「だから待てって! 俺としては、とりあえず名前を聞けただけで十分だから」


 さっきよりもアウトな話題をぶち込んできた繭加を、俊平が食い気味に制する。先程のスリーサイズの話題が生易しく思えるのだから恐ろしい。


「年頃の男性が喜びそうな女の子の情報を言うつもりだったんですが、何か問題がありましたか?」

「……それはちょっと極論じゃないか?」


 喜ぶ男子もいるかもしれないが、初対面でそんな話をされたら引く人間の方が多いだろう。少なくとも俊平はドン引きしてリアクションに困り果てている。


「ちなみに、男性経験はゼロです」

「言わんでいいって」

「では、どういう話をすれば?」

「別に無理して何かを話そうとしなくてもいいさ。それよりも、君のことは何と呼べばいい?」


 自己紹介を終えたとはいえ、呼び方をどうするかはまた別問題だ。名字だったり名前だったり、あだ名だったりとパターンは色々ある。


「好きな呼び方で構いませんよ。御影でも繭加でも、愛しのマイエンジェルでも」

「最後の選択肢は置いておくとして、じゃあ御影と呼ばせてもらうぞ? 流石に初対面で下の名前は図々しいしと思うし、あだ名をつける程の付き合いはまだないしな」

「承知しました」


 本人も同意したところで、ひとまず繭加の呼び名が決定する。


「俺のことも、好きに呼んでくれて構わない」


 周囲の俊平に対する呼び名は様々だ。それこそ名前から名字、あだ名に至るまでバリエーションに富む。経験上、余程おかしなネーミングでない限りは、その呼び名を受け入れるつもりだ。


「では、お兄ちゃんとお呼びしても?」

「斜め上を行くのが来ちゃったよ……」


 オリジナリティのあるあだ名ぐらいまでは覚悟していたが、流石にお兄ちゃんと呼ばれる可能性までは考慮していなかった。ちなみに俊平は一人っ子のため、そう呼ばれる機会は日常ではまず無い。


「冗談だとは思うけど、流石にお兄ちゃんはないだろ?」

「では、お兄様にしておきます」

「いや、言い方の問題じゃねえよ!」

「では、兄上?」

「古風にすれば良いってもんでもねえよ! 確かに俺の方が年上だけど、血のつながりも無い初対面の人間に兄呼びっておかしいだろ!」

「分ってますよ、軽いジョークです」

「気付いてたよ始めから!」

「距離を縮めるためのトークです」

「縮まったのは俺のツッコミのタイムだけだよ」


 怒涛のツッコミラッシュに俊平は息を切らす。まだ五月だが、例年分に相当する量のツッコミを入れた気分だ。


「では、藍沢先輩とお呼びすることにします」

「だったら始めからそう言ってくれよ。いちいちリアクションをするのも、けっこう疲れるから……」


 俊平は溜息交じりに苦笑いを浮かべる。苦言は呈したものの、無視せず毎回リアクションする俊平も大概といえば大概だ。


 一波乱ありながらもこれで無事に? 互いの呼び名は決まった。


「……なあ、御影。一つ聞いてもいいか?」

「何でしょうか?」


 俊平はこの場所を訪れた時から疑問に思っていた話題を切り出す。


「俺が来た時、地面に寝そべってたよな。何でそんなことをしていた?」

「ここが、橘芽衣の最期の場所だからです」

「知っててやっていたのか?」


 俊平は怪訝な表情で繭加を見やる。

 佐久馬さくまとの一件を経ているため先程に比べると冷静だが、それでも不快感は隠しきれてない。

 事情を知っている上で橘芽衣の死亡現場で横たわるなんて真似をしていたのなら、それは悪趣味以外の何物でもない。繭加の返答如何によっては、俊平の彼女に対する認識は大きく変わってくることになるだろう。


「常識的に考えれば、不謹慎極まりない行為ですよね。でも私は、それが許される数少ない人間の一人だと思っています」

「どういうことだ?」


 繭加の表情は至って真面目だ。俊平もそれを感じとっている。


「私、御影繭加は……橘芽衣の従妹いとこです」

「何だって……」


 繭加から告げられた事実に、俊平は思わず息を呑んだ。

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