第6話 固い地面

「びっくりしましたか?」


 驚きを隠せないでいる俊平しゅんぺいの顔を、繭加まゆかが正面から見据える。まるで、その表情をじっくりと観察するかのようだ。


「……ああ、かなり驚いたよ」

「これで、私の行為は許していただけますか?」

「確かに身内だっていうなら、よっぽどのことでもないと不謹慎とまでは言えないな。しかし、地面に寝そべったりして、何をしていたんだ?」


 許容することと理解することはまた別の問題だ。従姉の命日にその死亡現場を訪れたところまでは納得できるが、あの行為の意味するところは何なのか? 俊平の中に疑問は残る。


芽衣めい姉さんを知りたいからです」

「知る?」

「はい。芽衣姉さんの最期の場所を、自分の体で感じてみたかったんです。ある種の疑似体験と言ったところでしょうか」


 繭加は太陽光に目を細めながら屋上の方へと視線を向ける。橘芽衣が身を投げた屋上が、この場所からどう見えるのかを確かめるように。


「……そうか。それなら俺にも、何となく分かる気がする」


 繭加の言葉を聞き、俊平は彼女に対する警戒心を解きつつあった。

 死者の言葉を聞くことは誰にも出来ない。墓石に問い掛けても答えは返ってこないし、生前の時間に戻る術も現代には存在しない。

 ならばせめて、想い人が最期の瞬間を迎えた場所の雰囲気を感じ取りたい。そういった感情は俊平にも理解出来た。


「この場所はどうだった?」


 何とも曖昧な質問であることは自覚しながらも、俊平は繭加に問い掛ける。橘芽衣をよく知る繭加は、彼女の最期の場所をどう感じとったのだろうか?


「ここの地面は固いです」

「そうだな……」


 俯いてアスファルトの地面を右手でなぞった繭加を見て、俊平は静かに頷く。

 橘芽衣は四階建ての校舎の屋上から身を投げ、このアスファルトの地面に叩きつけられた。今でこそ当時の痕跡は残されていないが、二年前この場所には、彼女の体から溢れだした鮮血が赤い絨毯のように広がっていたことだろう。


 例え死に場所が柔らかなベッドの上だったとしても、死という事実が残酷であることに変わりはない。だとしてもアスファルトの地面は、最期の場所としてはあまりにも固く、冷たすぎる。


藍沢あいざわ先輩は芽衣姉さんと親しかったのですか? これまでの口振りから察するに、少なくても無関係の人間ではないですよね。そもそもこの場所に生徒が現れること自体稀ですし」

「俺は橘先輩と同じ中学出身の後輩だ。学年は違ったけど、俺も先輩と同じで生徒会だったから、顔を合わせる機会は多かったよ」


 生前の橘芽衣を知る者として思うところもあるのだろう。平静を装ってはいるが、俊平は複雑そうな表情を浮かべている。


「芽衣姉さんも喜んでいると思います。今日は命日ということもあって、授業以外のほとんどの時間をこの場所で過ごしていましたが、私以外にここを訪れたのは、藍沢先輩だけです」

「……ただの思いつきだよ。来年も来るかは分からない」

「でも、お供えまで持ってきてくれてるじゃないですか?」


 俊平の手に握られているヨーグルト飲料の存在を、繭加は見逃さなかった。


「それこそ思いつきだよ。供えた後に自分で飲もうかと思ってな」


 直前の佐久馬さくま藤枝ふじえだとのやり取りには特に触れず、曖昧にそう流す。わざわざ説明するほどのことではないだろう。


「芽衣姉さんの死は、悲しかったですか?」


 あまりにもストレートな質問が繭加から発せられ、俊平は思わず面くらってしまう。


「……悲しかったよ。現実感が無いっていうのかな、俺に限らず、あの人を知る人間は、皆そうだったと思う」

「芽衣姉さんは、人気者だったんですね」

「大丈夫か? 御影」


 言葉とは裏腹に繭加の表情は優れない。生前の橘芽衣の姿を思い出し、感情が刺激されたのだろうか?


「藍沢先輩。芽衣姉さんが何故自ら命を絶ったのか、その理由を御存じですか?」

「……噂では、自殺するような理由は見当たらなかったって聞いてるけど」


 シリアスな話題に差し掛かり、俊平の声のトーンが僅かに下がる。

 橘芽衣について話している以上この話題に行きつくことは必然だが、覚悟したところで気の重さは誤魔化せない。


「それはあくまでも表面上の話です。芽衣姉さんは確かに悩んでいました。それを知る人間は少ないですが」


 俊平とは対照的に繭加の声のトーンは上がってきているように思える。遺族である繭加にとっては、決して明るい話題でないにも関わらずだ。


「……ということは、御影は何か知っているんだな?」


 繭加の変化に気付いていないわけではないが、この時俊平の意識は、「確かに悩んでいた」というワードの方へと吸い寄せられていた。親族である繭加なら、信憑性のある情報を持っている可能性が高い。


「芽衣姉さんとは連絡を取り合ってはいましたが、いつも明るく振る舞っていたので直接悩み事を相談されたことはありません。ですが、芽衣姉さんの葬儀の後、姉さんの部屋で、ある物を見つけたんです」

「ある物?」


 確かに本人の部屋なら、何かしら心情を表す物が残されていることだろう。何が残されていたのか、様々なパターンが考えられる。


「芽衣姉さんの付けていた、日記帳です」

「日記帳か。基本的に人に見せるような物じゃないし、本音が書き連ねられててもおかしくはないが」


 日記帳の中というのは自分だけの世界であり、余程のことでもない限り、他人の目に触れる機会などまずありえない。だからこそ内容に遠慮はいらないし、自分の気持ちやキャラクター性を気にする必要も無い。そういう意味で日記帳というのは、本音を映し出す鏡のような物だ。


「内容を知りたいですか?」


 繭加は立ち上がり、俊平を見下ろす形で正面に立つ。俊平からは逆光のため繭加の表情をはっきりと捉えることは出来なかったが、口角が僅かに上がっていることだけは分かった。その真意はともかく、繭加は間違いなく笑みを浮かべている。


「この流れで知りたくないと言う奴はいないだろ」


 繭加の表情に多少の疑念を抱きながらも、俊平は表情を変えずにそう言ってのける。


「時間切れです。今日はここまでにしましょう」

「へ?」


 呆気に取られた俊平は、思わず頓狂な声を上げる。


「もうすぐ昼休みが終わります。私のクラスは次の時間は移動教室なので、そろそろ行かないと遅刻してしまいます」

「いや、ここまできて答えがお預けというのは流石に」


 そのまま立ち去ろうと背を向けた繭加を俊平は慌てて呼び止める。意味深な流れのオチがこれでは、気になって夜も眠れない。


「今のところ無遅刻無欠席なんです……藍沢先輩が責任を取ってくれるなら別ですが」


 振り返った繭加は、恥ずかしそうな表情を浮かべて両肩を抱く。


「待て待て、何で意味深な口調と仕草で言った? その感じだと男が女に対して責任を取るみたいな感じになってるから!」


 若干キレ気味に俊平はツッコミを入れる。周りに人は居ないので誤解を与える心配は無いだろうが、だからといってスルーするわけにもいかない。


「なに興奮してるんですか冗談ですよ。正直、引きます」


 繭加は淡々と真顔で言い放つ。


「いやいや、マジっぽいトーンで言うのは止めてくれよ。俺が悪いみたいじゃないか」


 暖簾に腕押しな感は否めないが、一応苦言をていしておく。


「安心してください。また近いうちに会えますから。私、先輩のことが気に入りました」


 これまでのイメージを翻すかのような、屈託のない笑みで繭加は言う。表情の変化に乏しく魅力を半減させていたこれまでとは違い、粉うことなき美少女がそこにはいた。


「……分かった。じゃあ今日はこれでいいよ」


 こちらの都合で本当に遅刻させてしまっても申し訳ないので、俊平は素直に繭加を送り出すことを決める。

 もしも繭加がこんな笑顔を見せなかったら、俊平はもう少し食い下がっていたかもしれない。

 目の前の笑顔の少女をあまり困らせたくはない――咄嗟にそう思ってしまうくらいには、繭加の笑顔は魅力的だった。


「それでは、私はこれで」

「ああ、また」


 一礼をして去っていく繭加に軽く手を振り、俊平はその背中を見送る。

 繭加が校舎の角を曲がり姿が完全に見えなくなったところで、俊平は腕時計で時刻を確認。昼休みが終了するまではまだ七、八分程の時間が残されていた。


「まだ大丈夫だな」


 俊平はこの場所にやってきた本来の目的を果たすことにした。

 繭加が横たわっていた場所――橘芽衣が発見された場所に持参してきたヨーグルト飲料を置くと、その場で合掌し静かに目を閉じる。

 繭加と出会ったため予定よりも遅れてしまったが、俊平の本来の目的は橘芽衣の命日である今日、彼女の最期の場所へ参り、その死を偲ぶことにある。


 数秒間の祈りの後、俊平は静かに合掌を解き、目を開ける。


「そろそろ戻るか」


 俊平は供えたヨーグルト飲料を手に取り付属のストローを穴に通す。口に運ぶ直前に一瞬だけ考え込むように硬直すると、そのまま勢い良く中身を流し込んだ。

 ヨーグルトの酸味に顔を顰めながらも全て飲み干し、空になった紙パックを握り潰す。近くにゴミ箱は無いので戻る途中で捨てなくてはならない。


「また来ます」


 記憶の中の橘芽衣に一言そう告げ。俊平はその場を後にした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る