第4話 地雷

「今のはお前が悪いぞ、佐久馬さくま


 見かねた瑛介えいすけが口を開く。その表情は何とも苦々しい。


「……さっきの話、そんなに地雷だったのか?」

「ああ、地雷だ。だから止めただろうが」


 佐久馬の発言をたしなめ、瑛介は静かに語り始める。


「クラス替えで今年から同じクラスになったお前と亜季あきは知らなくても当然だけど、二年前に自殺した女子生徒……たちばな先輩は、俊平しゅんぺいや俺と同じ中学の出身なんだよ」

「そうだったのか……」


 自らの失言を察し、佐久馬はバツの悪そうな顔をする。


「俊平や俺だけじゃない、同じ中学出身の奴ならその話題で良い顔する人間は誰もいない。橘先輩は本当に良い人で、中学のころから先輩を悪く言う人間は誰もいなかった。そんな先輩が二年前この高校で自殺したんだ……先輩本人を知る俺らからしたら、とてもゴシップじゃ片づけられないんだよ」


 瑛介にも苛立ちが見え隠れしているが、佐久馬に悪気が無かったことも理解しており、感情的になることは抑えていた。瑛介は普段の軽薄な印象に反して、内面的には割と成熟している。


「去年もね、俊平、何も知らずに橘さんのことを面白可笑しく語ってる男子と激しい言い争いになったの。私も当時は事情を知らなかったから、かなり驚いたな」


 当時の情景を思い浮かべ、砂代子さよこも複雑そうな表情を浮かべる。

 橘芽衣の自殺からまだ一年しか経っていなかった去年は、今年以上にその話題が持ち上がっていた。本来人の死は、悼みはしても嬉々として吹聴されてよいものではない。しかし、刺激的な話題に敏感な若者の多い高校という環境だ、この手の話題に飛び付く人間は多い。


 それは去年、俊平達が在籍していたクラスにおいても同じで、普段から悪ノリの目立つとある男子生徒が、大して知りもしない橘芽衣についてその人物像や自殺の理由に関して独自の推理を披露するという場面があった。その時の男子生徒が口にした内容はあまりにも荒唐無稽。俊平が注意を促しても男子生徒はそれを聞き入れなかったため、意見を同じくする俊平と同じ中学の出身者、男子生徒の友人も含めての激しい口論に発展した。冷静だった瑛介や、砂代子を始めとした第三者の生徒が間に入ったことで暴力沙汰にはならなかったが、入学一ヶ月目ということもあり、数週間はクラス内には気まずい雰囲気が流れていた。


「……俊平が戻ってきたら、謝らないとな」


 佐久馬は反省を露わにし、ゆっくりと目を伏せる。


「私も無神経だったね」


 はしゃぎ過ぎた自身にも責任の一端があると自覚し、亜季も俯きがちだ。


「まあ、俊平のことだから、戻ってくるころにはケロッとしてるさ」

「そうそう。去年の一件だって何だかんだで和解してたし」


 二人を宥めるように、瑛介と砂代子が頬笑みを浮かべて語りかける。


「だと、いいんだけどさ」

「安心しろ、謝る時には俺もいてやるから」


 励ましの意味を込めて瑛介が佐久馬の背中を叩くが、勢いが強過ぎたらしく、佐久馬が机に突っ伏す。


「痛いじゃないか!」

「あっ、悪い。ちょっと強過ぎた」


 猛抗議する佐久馬と平謝りをする瑛介。そのやり取りを見た砂代子と亜季の女性陣は笑いを堪え切れずに吹きだす。その笑いは瑛介と佐久馬にも伝染し、張りつめた雰囲気が微かに緩む。和やかな昼休みが戻りつつあった。


 〇〇〇


「はあ、やっちまったな」


 教室を飛び出した俊平は、宛ても無く校内を彷徨い、軽い自己嫌悪に陥っていた。

 佐久馬の発言に憤りを覚えたのは事実だ。だからといって衝動的にキレて教室を飛び出すというのは、あまり褒められた行動ではなかった。

 佐久馬に事情を話すなりして波風立てずに話を治めることが出来れば一番良かったのだが、どうにも感情が先に出てしまい、理性的な行動を取ることが出来なかった。


「戻ったら謝ろう」


 俊平は強く決意する。このまま佐久馬と仲違いしてしまうことは不本意だ。

 とはいえ。飛び出して僅か数分で戻ったのでは、それはそれで気まずい。

 しばらく時間を潰してから教室に戻ることを決め、俊平は再び校舎内を彷徨い出す。


 各学年の教室のある棟と、理科室やコンピューター室がある特別教室棟を繋ぐ渡り廊下へと差し掛かると――


「やあ、俊平じゃないか」


 渡り廊下の反対側から歩いてきた男子生徒が、俊平に向かって手を振った。


「藤枝さん」


 俊平は会釈で返す。反対側からやってきたのは、俊平の中学時代からの先輩――三年生の藤枝ふじえだ燿一よういちだ。俊平が中学二年で生徒会へ入って以来の付き合いで、高校生になった現在でも交流を続けている。穏やかで面倒見も良いため彼を慕う生徒は多く、成績もトップクラスで教師からの評判も上々。優等生の代表といった印象だ。


「一人なんて珍しいね。俊平はいつも友達と一緒にいるイメージだから」

「実は、友達の一人と揉めて教室を飛び出してきまして。戻って仲直りしようと思ってるんですけど、早く戻り過ぎるのも逆に気まずいんで、時間潰しに校内をブラリとしてるところです」

「俊平が友達と揉める? 一体何があったんだい?」


 深入りしていることは自覚しながらも藤枝は俊平に尋ねる。それだけ今の俊平の状態は、藤枝にとっては珍しいものだった。


「……今日は、五月七日ですから」

「ああ……」


 その言葉だけで、藤枝は事情をある程度は察した。

 藤枝も橘芽衣と同じ中学の出身であり高校でも同級生だった。彼女が死亡した二年前の件も、この学校でリアルタイムで経験している。


「そういえば、あの屋上だったね」

「そうですね」


 藤枝が渡り廊下の窓から屋上を見上げ、俊平も同じ方向を見やる。その先にあるのは、橘芽衣が身を投げた場所だ。


「……いつまでも引きずってはいられないけど、やはりこの日になると思うところがあるよ」


 藤枝は神妙な面持ちで語り、俊平は無言で頷く。


「さてと、僕はそろそろ行くとするよ」


 気持ちを切り替え明るい表情を浮かべた藤枝は元の進行方向――三年生の教室の方へと歩き出す。


「またね、俊平」


 会った時のように軽く手を振りながら、藤枝はその場を後にする。


「はい、また」


 一言返し、俊平は藤枝の背中を見送った。

 藤枝の姿が完全に見えなくなったところで、俊平は左腕に巻かれた腕時計で現在の時刻を確認する。


「行ってみるか」


 昼休みが終わるまで、まだ余裕がある。

 今日は命日だ。あの場所を訪れて故人を偲ぶのも悪くないだろう。

 俊平は残りの昼休みの使い方を決め、生徒玄関へと向かった。

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