3、山ごもりすること修行僧のごとし。


 カーテンのない窓から差し込む朝日と、ピーチクパーチクと鳴く小鳥たちに起こされる。

 お日様の匂いのするふかふか……ではないけれど、干し草の少しチクチクするベッドは案外寝心地の良いものだ。


「うーん、今日は天気がいいから畑仕事しないと」


 神殿での修行は厳しいものだった。

 炊事洗濯といった家事だけではなく畑仕事や力仕事もわんさかやらされ、その経験は今の生活にかかせないものとなった。

 まさかあの訳の分からない修行が役に立つ日がくるとは……何事も経験しておくものだなぁとしみじみ思う。


 神殿から逃げ出した私は、とにかく南へと逃げた。

 北の山には竜族がいる。私のことを知る彼らに見つかって神殿に知らされたら元も子もない。

 何よりも一番の理由として、あそこは寒い。とにかく寒い。だから北に行くのは絶対に嫌だった。


 南の森を抜けると小さな村があった。

 そこにいる老夫婦が「やむにやまれぬ理由で家出した少女」の私を不憫に思い、裏の山にある小屋を貸してくれたのだ。

 以前も旅人が来た時に宿代わりに貸してたらしく、それなりに住める状態だったのが嬉しい。


「村から山小屋までくる人もいないし、静かに暮らせるから良かったよ」


 見かけは古く見える小屋だけど、しっかりとした造りみたいで隙間風も入ってこない。

 神殿で薬草や山菜採りをした経験もあるから、山で食材を得るのに苦労しない私は、村に薬草を卸して野菜以外の肉や牛乳と交換してもらっている。

 これなら栄養不足で倒れることはないだろう。


「ふむふむ、トマトは食べきれないから村に持って行こうかな。スープにするにしても余りそうだし」


 畑に出た私は、ものすごいスピードで実っている野菜を収穫・選別して籠に放りこむ。合間に雑草を抜き、葉や茎の様子を確認していく。

 大量の野菜が入っている籠をうんしょと持ち上げようとして、おっといけないと思い出す。


「神様、素晴らしい食の恵みを感謝いたします」


 これをやれば野菜が虫に食われたり枯れることはない。便利だよね祈りの力。

 不思議なんだけど、山の動物に畑を荒らされることもないんだよね。お祈り万能説を提唱したいところだけど、残念ながら披露する場がない。

 イアンあたりに言えば、嬉々として調べてくれそうだなって考えて、慌てて首を横に振る。


「ダメだよ。あの二人には頼れない」


 邪竜退治の仲間だった勇者のアルスと魔法使いのイアン、彼らは私の幼馴染でもあった。

 大好きな幼馴染たちを、私の身勝手な行動に巻き込むわけにはいかないんだ。


 よいしょと重たい籠を持って、私は気持ちを切り替える。

 ここで、私はひとりで生きていく。







 ……そう思っていた時期もありました。


「誰?」


 小屋の前に黒い人らしきものが倒れている。

 黒いマントに黒い服、全身真っ黒だから人間なのか一瞬分からなかった。


「あのー、誰ですかー?」


 声をかけてもピクリとも動かない。

 そっと近づけば、かなり高身長の男性だというのが骨格から見てとれる。

 ふふん、こう見えて私は医学の知識がある。神殿の詰め込み教育には辟易したものだけど、そこらへんの町医者くらいのことなら私にもできるのだよ。(ドヤァ)

 今思えばなんであんなに色々と詰め込まれたのかが謎なんだけど。役立っているからいいんだけどさ。


 男の人はピクリとも動かない。そして黒い服だと思っていたけど、どうやら泥というか炭みたいなもので汚れているのもあるみたい。

 褐色の肌に長めの黒髪が見える。肌の色からすると、もしかしたらここよりももっと南の地域から来た人なのかな?


「どうしたもんか。……ん?」


「……う……サグの……村……」


「え? サグさんのお知り合いですか?」


 うつ伏せのまま男性がサグさんの名前を出したので少し安心する。サグさんとは、この小屋を貸してくれたお爺さんの名前だから。

 ということは、この人は前に小屋を貸したとかいう旅人さんかも?


「えっと、支えますから小屋に入って休みましょう。ここだと風邪ひいちゃいます」


「……ぐっ……すまない……」


「怪我はないですか?」


「……大丈夫だ、と思う」


 神殿では怪我人の手当ても日常茶飯事だった。うまく歩けない人を支えるのも慣れたものだ。

 支えるために腕をとれば、彼のお腹から盛大な音が聞こえてくる。


「……すまない」


「ふふ、ご飯も用意しますから頑張ってください」


 肩を貸して小屋に入って長椅子に座らせるまでの間、彼がスンスンとしきりに何かを嗅いでいる。


「すみません、匂いが気になりますか? 村に卸す薬草が置いてあるから匂うかも」


「いや、平気だ。しかしこの匂いは……」


 ブツブツ何か言いながら長椅子に横たわった彼に、昨日作ったトマトスープを温めなおすことにした。

 カップに水を入れて渡すと、喉が渇いていたのか一気に飲もうとして思いきり咳き込んでしまう。


「慌てなくても大丈夫ですよ」


 落ち着くように背中をさすっていると、水を飲んだことで人心地ついたらしい。

 スープと一緒にタオルと桶にお湯を入れて持ってきたら、小さな声で礼を言って自分で顔や手を拭き始めた。


「!?」


 その顔を見て、私は言葉を失う。

 年齢は四十代くらいだろうか、無精髭はあるけれど彫りが深く整った顔立ち。

 凛々しい眉に金色の瞳には色気が滲み出ていて、呆然としている私を見るとフッと笑みを浮かべる。


「いい匂いがするな」


「え、あ、あの、スープ、これ」


 なぜか緊張してしまう私が熱いトマトスープの入った器を渡すと、彼は一気に煽って空にする。


「ええ!? 何やってんの!?」


 めちゃくちゃ熱いスープを一気飲みするとかバカなの!?

 絶対に火傷をしているだろうと水を取り走ろうとする私の腕を掴んだ彼は、そのまま引っ張ってギュッと抱きしめてくる。


 え、ちょっと!? なんで!?

 いきなり何するのよーっ!?

 





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