2、大神官様、それはちょっと変……態行為かと。


 朝、日が昇ると同時に私は目を覚ます。

 修行中は暗いうちに起きなきゃだったけど、今はのんびりしても怒られないのは嬉しい。

 ベッドの脇に用意された器には、世話役の人が用意してくれたお湯が入っている。ありがたく思いながら顔を洗って、着慣れた神官服を身につけ鏡の前に立つ。


 平凡な薄茶色の髪と目、平凡な顔立ち、背が低いせいか凹凸の少ない体……。

 こんなどこにでもいるような平々凡々な平神官の私が、神殿内で高待遇の扱いを受けているのには理由がある。


「おはようございますオリヴィア様。あら、またご自分で身支度をされたのですね」


「おはようマリアさん。つい、いつもの習慣で……」


「では御髪だけでも整えさせてくださいな」


 世話役のマリアさんは、神殿が雇っている身元のしっかりした人だ。それなりの身分だし、本来平民の私を世話する立場の人ではない。

 だからつい遠慮してしまうんだけど……。


「いつもすみません」


「何をおっしゃいますか。救国の聖女様の側付きになれるなんて、とても名誉なことなのですから、お気になさらず」


 私と違って凹凸の素敵なマリアさんはコロコロ笑っている。そんな彼女に私は引きつった笑いを返すのが精一杯だ。


 あの時。

 うっかりくしゃみで飛ばした短剣は、「偶然」にも邪竜の急所に刺さり、何度も祝福の力を受けていた短剣だったせいか「偶然」にも邪竜を浄化することができた……らしい。


 仲間の魔法使いイアンが細かく説明してくれたけど、私にはほとんど理解できなかったからザックリとした説明でごめんね。

 まぁ、つまり邪竜は討伐できたよーって話。「偶然」のおかげでね。

 邪に侵されたとはいえ竜族の人を……と考えなくもないけど、そこは割り切るしかない。誰かがやらなきゃ、私たちが殺されていたのだから。


 つらつら考えていると、マリアさんが声をかけてくれる。


「オリヴィア様、朝の礼拝の時間です」


「……はぁ、今日もやるの?」


「礼拝の予約が一年以上先まで入っているとのことですよ。毎日なさらないと終わらないのでは?」


「ですよねー。皆さん、早く私のこと飽きてくれないかなぁ」


 私がため息をつくと、マリアさんは困ったように微笑む。

 そうだよね。無理だよね。







 朝も早いのに、礼拝堂には多くの人が詰めかけている。奥にある白い神さまの像を彩るステンドグラスがとても神秘的で綺麗なんだよね。

 こんな時じゃなければ、礼拝堂は好きな場所なのに……。


「救国の聖女オリヴィア、こちらへ」


 奥に立っている男性……腰あたりまである真っ直ぐな銀髪に紫の瞳を持つ美青年が私を呼ぶ。

 この美人は大神官様。邪竜退治から戻った私を真っ先に出迎えてくれたんだ。

 偉い人だから今まで関わることはなかったんだけど、聖女って呼ばれるようになってから毎日のように顔を合わすことになってしまった。

 美人さんだし目の保養ではあるんだけど、正直、しんどい。


「オリヴィア?」


「は、はい。ただいま参ります大神官様」


 慌てて壇上に上がり大神官様の隣に立つと、背の低い私の前にひざまずく美青年。

 顔が、顔が近いよ。参列者の中にいるお嬢さんたちがキャーキャー騒いでいるから、ちょっと離れてほしいんだけど。


「では、本日の礼拝の儀式を」


 大神官様の後ろに控えている男性神官が、天鵞絨の箱をうやうやしく開けると、白く細い紐のようなものが数本見える。

 やはり、今日もやるのか……。


「オリヴィア、目を閉じて」


「ふ、ふぁい……」


 私の顎をそっと持ち顔を上げさせる、いわゆる「顎クイ」をする大神官様。そのままじっとしていれば、やがて私の鼻の穴にこしょこしょむずむずとした感覚が与えられていく。

 大神官様は、一体どんな顔でこんなことをやっているんだろう。いくら私がくしゃみでうっかり邪竜を退治したからって、くしゃみ自体に何かあるわけじゃないのに。


「あれが、大神官様のお手製である『こより』なのね」

「指先だけで優雅に『こより』を動かしてらっしゃるわ」

「聖女様の愛らしく小さなお鼻なのに、あそこまで入れてしまうのね」

「出るのか、今日もありがたい『清浄なるくしゃみ』が!」


 うう、ひそひそ声なのに全部聞こえてくるよう。あそこまでってどこまでだよちくしょう。くしゃみが清浄とか意味不明なこと言われてるし。ただの汚いくしゃみだっつの。

 これはもう羞恥の極みだ。なんで、なんでこんなことになったんだ。


「ふぁ……ふぉ……んくぅ……」


 くしゃみが出そうでふがふがする私。薄目を開けて大神官様を見れば、めちゃくちゃうっとり蕩けたお顔をしてらっしゃる。なぜか頬を赤らめてらっしゃり、息も荒くてハァハァしてらっしゃる。


「ふぁあああああああっっくしょおおおおおおおおおおいっっ!!」


 大神官の美しいご尊顔に思いっきりくしゃみをぶっかけながら私は思った。




 こいつ、まじで、へんたいじゃん。







 この翌日、私は神殿から身ひとつで逃げ出した。


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