夜明けのために
長い長い沈黙。
骸井神社の社殿に集った誰もが声を上げない。
やがて、正座した咲夜が。
「……そんなことが……」
うめくような声を漏らした。
――終戦直後の殺人鬼・平子義雄――
空也が事の顛末を説明し終えた時、それを嘘や冗談だと笑う仲間はいなかった。
帰ってきた時から明らかに様子がおかしかったからだ。
空也に抱きかかえられた梓。彼女は大泣き直後の腫れぼったい目をしていて、空也の腕にひしとしがみついて離れようとしなかった。
それで、『万力岩』を見に行った二人に何かが起きたのは推測できたが――まさか殺人鬼と戦っていたとは……。
絶句。まさしくその言葉がふさわしい。
咲夜、京子、晴斗、夏奈、大我……五人とも、二人にどう声をかけていいかわからず、しばらく黙り込むしかなかったのである。憔悴しきった梓など見ていられない。
咲夜が無言のまま水筒付属のコップに水を注ぎ、あぐらをかく空也に差し出した。
空也はそれを飲み干して「さすがに少し疲れたよ」と苦笑いだ。
梓は空也のすぐ左隣で横座り中。彼の左腕に腕を回しつつ、できるだけピッタリくっつこうとしていた。空也の肘に押し付けられた乳房の形が歪んでいる。
「お前……なんか、すげえのな……」
晴斗がぼそりと言った。
クラス一の美少女に身体を押し付けられた空也を羨むことも、妬むこともなく、率直に凄いと思ったのだ。男として完全敗北した気分だった。
夏奈が続く。
「梓がそんなに懐くなんて、神木くんが初めてなんじゃないの?」
「か、神木さんの話を聞いたら、わたしたちの話なんて、霞んじゃいますよね……」
「ぅん? 火乃宮さんたちの方でも何か?」
すると大我が部屋の片隅に固められた毛布を顎で指した。
「出たんだよ。あれを取りに行った時、また新しい奴が」
空也は少し身を乗り出して「怪物が? 大丈夫だった?」と。
「はあ? 大丈夫だったから全員ここにいんだろうが」
面倒くさそうに吐き捨てた大我。すぐさま咲夜が補足説明を加えてくれる。
「毛布を見つけた家の庭に、柿の木があったのを覚えていらっしゃいます? 毛布を持って出た時でした。その枝にヤマンクロがいたんです」
「ごめん。やっぱり俺たちも一緒に行くべきだったな」
「いえいえ。子供ぐらいの背丈でしたし、何かしてくるわけでもなかったですから」
「危ない奴じゃなかったってこと?」
「ええ。枝にぶら下がっているだけで、それ以外は何も」
「そうか……なんにせよみんな無事でよかった」
「三谷さんは真っ先に逃げてましたけどね」
「ちょ――ちょー、咲夜ちゃんそれ言う? 言っちゃうわけ?」
「毛布すら投げ捨てて逃げたのは事実ではありませんか。ドン引きです」
「きっついなー。オレは神木の奴を呼んでこないとと思ってだな――」
「まあ、今更それはいいとして、です」
そして車座になったクラスメイトたちを見回した咲夜である。気を取り直すような咳払いを一つ吐くのだった。
「今日一日のことを踏まえて、明日以降――これからどう動くべきか話しましょう」
夏奈が猫のようにころんと寝転がる。
「コトノシサンだっけ? 結局なんにも見つからなかったじゃんねえ」
その言葉に京子は所在なさげに肩をすぼめただけ。反論はなかった。
外は完全な黄昏時だ。
社殿に入り込む光も少なく、いつの間にか互いの表情すらほとんど見えなくなっている。
咲夜が昼間の探索で見つけた蝋燭とマッチに手を伸ばした。
綺麗な所作でマッチを擦ると、蝋燭に火を移す。蝋燭立ては境内に転がっていた古い小皿だ。
車座の中心でゆらゆらと揺らめく赤い炎。
社殿の天井に七人の影が映り、漆黒の巨人たちが集会を開いているようにも見えた。
咲夜が言う。
「私はコトノシサンという可能性を捨て去るべきとは思いません。少なくともあと一日……村を回ってみてもよいのではないでしょうか」
言い返したのは大我だった。
「反対だ。ネットの書き込みなんぞにこれ以上時間を使えるか」
「では沼倉さんは何をすべきと?」
「もう一度山に入る。どっかに帰る道はあるはずだ」
「危険です。死角の多い山の中をうろついて、ヤマンクロに襲われでもしたら――」
「神木の奴がいるだろーが」
「神木さんとて無敵ではありませんよ」
「こいつが簡単に負けるってのか? 化け物に殺されるって?」
「そうは言っていません。しかし、神木さんが怪我をすれば私たちの生存率は一気に下がります。命を懸けるのはまだ早いと言っているのです」
「――ねえ」
唐突に議論を遮ったのは梓の声。
六人全員が梓に向くと……空也に抱き付いたまま彼女は部屋の一角を指差していた。
「そこに幽霊いるんだけど、その話続けても大丈夫?」
即座に全員の視線が動いた。梓から、出入り口側の向かって左隅へと。
――しかし何もいない。梓以外の六人には何も見えない。
「幽霊……幽霊がいるのですか?」
「うん。昨日と同じお面して、正座してる」
「こちらを見ているのですか?」
「うん」
そして全員が顔を見合わせて……長い沈黙。
晴斗と夏奈は部屋の奥へとコソコソ逃げていくのだった。
やがて空也が幽霊がいるという部屋隅に一度頭を下げ。
「……俺も、今回の件はコトノシサンじゃないと思う」
そう言葉をつくった。
空也は味方になってくれるものと思っていたのだろう。しばらく黙っていたコトノシサン派の京子が、「り、理由を、教えてもらえませんか?」ためらいがちに食ってかかった。
「これは多分、『時空を操る輩』の仕業かもしれない――そう思ってさ」
「ぇ、え?」
「火乃宮さん。今日の昼間、俺と話したことを覚えてる? かつての大角村を模した異世界が一から創られたのか。それとも、ダム工事直前の村が時空から切り離されて異世界化してるのか、判別できないって話」
「は、はい。集会所で話した奴、ですよね?」
「そう」
「まさか、わ、わかったんですか?」
「まあね。平子義雄の奴が教えてくれた。あいつ言ってたよ。自分が大角村に着いたのは昨日の夜中だって」
「き、昨日っ!? わたしたちよりも後ですか!?」
「そもそも俺が平子義雄と戦うって状況があり得ないんだ。時系列がおかしい」
「それは……確かに」
「少なくとも、なにかしら、時間の流れが狂うような現象が起きてる」
「そ、そういえば、神木さんが最初に倒したハイカーも……今考えればおかしい、ですよね?」
「ああ。ずいぶん昔の免許を持ってたわりに、装備や衣類にダメージがなかったね」
「まるで……何日か前にこの村に来たみたいな……」
空也と京子の間でどんどん進んでいく会話。
他の五人は完全に置いてけぼりだ。かろうじて梓と咲夜は話に耳を傾けているが――晴斗、夏奈、大我の三人にとっては幽霊の方が大問題なのだろう。どうにかして幽霊を見てやろうと目を細めたりしていた。
「で、でも、それがコトノシサンの仕業じゃないって……少し、結論を急ぎすぎじゃ……」
「ただ、コトノシサンの話の中に、時間操作に触れる情報がなかったのも事実だ」
「そ、それは……」
「でもさ、火乃宮さんが教えてくれた話で気になってるのが一つある」
「は――? わ、わたしが、言った話ですか?」
「逆さ観音」
「逆さ……………………あっ! そっか! そっか! 忘れてました!」
急に興奮し始めた京子。それをいぶかしんだ咲夜が二人の会話を止めた。
「待ってください。そろそろ私たちにもわかるように説明して欲しいのですが」
「ああ、ごめん。ええと……どう話せばいいかな――」
そして空也は、少したどたどしく、自分と京子の解釈を伝え始めるのだった。
自分たち七人がいる大角村は、まさしく昭和五三年のダム工事直前の大角村であり、通常の時空から完全に断絶して存在しているということ。
だからそこに連れ込まれた自分たちは、決して村から出ることができず、自分たちを村に連れ込んだ元凶を叩くしか道がないということ。
元凶とは『時空を操る術を有す何か』であり、平子義雄の存在こそがその『何か』を肯定する証左だということ。
空也は、その『何か』が、大角村の昔話に出てくる『逆さ観音』ではないかと睨んでいるということ。
「昔々、流行り病にかかった子供がいてですね、日に日に弱っていく我が子のために母親が念仏を上げるんです。ところが体調は悪くなるばかり。何日か経って子供が口もきけなくなった頃、母親の夢枕に仏様が出てきて言いました。子供を救いたければ山に入って念仏を上げなさい。それで母親は子供を背負って山の洞穴に入るんですけど、そこに逆さまになった観音様が現れて、病気を治してくれたと。ただ、子供は病気のことを何も覚えていなかった――『逆さ観音』は、だいたいこんな話です」
「…………どうして逆さまなのでしょう……?」
「そ、それ、神木さんも言ってました。同じことを」
「しかしなるほど……病を癒す、逆さ観音ですか」
「と言っても話の肝はそこじゃない。大切なのは、子供が病気を忘れてるってことだ」
「こ、こう考えることもできます。逆さ観音は、病気を治したわけじゃなくて、子供の時間を巻き戻したんです。流行り病にかかる前まで」
「……にわかには信じがたい話ですが……」
「まあね。でも俺たちに起こってることだって似たようなレベルさ。もしも逆さ観音が過去・現在・未来、そのすべてを好きにできるなら辻褄が合う。昭和五三年にダムに沈んだ大角村がかつての姿で存在していることも、俺たちがそこに迷い込んだことも、平子義雄が現れたことも。なんでもありだ」
「それで、神木さんはどうされるおつもりなのですか?」
「明日『観音洞』に行ってみようと思う」
「かんのんどう……?」
「集会所の地図に載ってたんだよ。山の中に印があった。逆さ観音が出たっていう洞穴かもしれない」
「わかりました。では山登りに備えて今日は早く寝ないと、ですね」
「いや、『観音洞』に行くのは俺一人だけだ」
瞬間、今まで空也の話にうなずいていた梓が「は?」いきなり喉を鳴らした。
「一人で行く? なにそれ。マジで言ってんの?」
不機嫌そうに空也を睨め上げるも、その腕はいまだ彼にしがみついたまま。
空也は困り顔だ。
「本当に危ないんだよ。怪物もいるだろうし、どんな危険があるか……」
「だからよ。危険は自分一人が引き受けるって、自己犠牲が過ぎるでしょ。神木くんに何かあったらどうするわけ?」
「とはいえ、全員を連れて歩くのは……」
「だったら神木くんの役に立つ人間だけ連れてけばいいじゃん」
力強い熱視線。梓は本気で空也を心配している。
――怪物を倒せるのは神木空也一人。戦闘となれば他の六人は足手まとい――
聡明な少女はそのことを重々承知した上で、それでも空也の決意を否定したのだった。
「あたしは付いていくわよ。なんかよくわかんないけど幽霊も見えるようになったし、連れて行って損はないわ」
「守り切れないかもしれない」
「それでもよ。無理に守ってくれなくていいし、邪魔だと思ったら切り捨てていいから」
「……だからさ、守り切れないん――」
「だから守ってもらわなくてもいいって言ってんじゃん」
「………………」
「………………」
「……どうしても付いてくるなら、荷物だって持ってもらうことにな――」
「わかった。何だって持つわ」
「………………」
食い気味に声を被せてくる梓に押されてしまい、空也はもう言葉がなくなった。
言葉の代わりに、「はあ――」諦めのこもった大きなため息を一つ。
そりゃあ相手は人智の及ばぬ逆さ観音。幽霊――骸井神社の神すらも視認できる梓の存在がありがたくないわけがない。むしろ絶対に欲しい人材だった。
梓はそれを自覚していて、力になれる自信もあるから、同行を申し出たのだろう。
空也はただ……これ以上の怖い思いを梓にさせたくなかっただけなのだ。
「あのさ、相羽さん……」
「なに? 神木くん」
「……今も幽霊っている?」
「いるわよ。ずっと座ってあたしたちを見てる。多分、神木くんを見てるんじゃないかな」
そう言われて部屋の隅を見つめてみるが――全然わからなかった。
気配とて実に曖昧だ。『そこに幽霊がいる』とあらかじめ教えてもらっているから、なんとなくそう感じているだけのような気もする。
再び空也から深いため息。
そして彼は無念そうに、梓のキラキラ輝く瞳に眉をひそめたのだった。
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