いつかの置き土産

 もはや高校生たちに容赦などなかった。


 この村を生きて出るためには何だってやる。どうせ人っ子一人いないのだ。いくつかの民家に入り込むと、徹底的に家の中を漁った。使えそうなものは何だって拝借することにした。


 相変わらずどの家も空っぽだったが、それでも懐中電灯と柄付きシャベル、蝋燭、マッチぐらいは手に入れることができた。ある家には毛布が五枚残っていたので、後ほど件の神社に運ぶ手筈になっている。多分、今日もあの神社で夜を明かすことになるだろうから……。


 そして――脱出に繋がる何か――コトノシサンに関する情報はまだ見つかっていない。


「……個人宅にはないのかもなぁ……」


 がらんどうの畳部屋――柱にもたれかかった空也がぼやくと、柄付きシャベルを握る咲夜が振り向くのだった。


「でしたら村の集会所を探してみましょうか。ここに来る途中、道の向こうに平屋の建物が見えました。あれがそうなら――」


 農作業で使う、かなり柄の長いシャベルだ。薙刀の経験がある咲夜にはぴったりの武器と言えよう。


『ヤマンクロが出たら私も戦います』

 咲夜がそう言った時は少し驚いたが、なるほど確かに素人ではないらしい。シャベルの刃を上に向けて持つ立ち姿が、もはや八相の構えなのである。


 幸運にも今日は怪物とは出くわしていない。

 小走りで土の道路を進むと、集会所には裏手の窓ガラスを一枚割って侵入した。実行犯はもちろん大我だ。振りかぶった金属バットで一撃だった。


「うっは。結構、残ってんじゃねえか。なあ夏奈、見てみろよ。テレビあるぞ。テレビ。ブラウン管って奴だろ、これ。映るかな」


 板張りの室内に踏み込んではしゃぐ晴斗。気持ちはわかる。これまでの民家と比べて、集会所は手掛かりになりそうなモノに溢れていたのである。


 壁際に積み上げられた段ボール箱。本棚に残る事務ファイル。床に転がった広報誌の類。

 何が出てくるかワクワクする。『探し甲斐がある』というものだ。


「ほら、晴斗も夏奈も遊ばない。さっさと探すわよ」

 梓が真っ先にカーテンを開け放った。室内に日差しが入り込み、うっすら埃が立つのが見えた。


 平屋建ての集会所は、実に簡素な造りだった。三〇畳ほどの板間が一部屋と、給湯室が一つ。そして屋外にトタン板で囲われた手洗い場が一つあるだけだ。


「あっ、あの! 皆さん、こっ、これ見てください! これ! これです!」

 咲夜と一緒に給湯室に入った京子が板間に滑り込んでくる。


 少し遅れて咲夜も現れた。

「火乃宮さん少し落ち着いて。大丈夫、ちゃんとお話は聞きますから。落ち着いて」


 咲夜の苦言に慌てて深呼吸した京子。今はもう見ることのなくなったガリ版刷りの藁半紙を床に広げて、「ほ、他の家に何も残っていなかった理由……た、多分、これじゃないですか?」と皆の顔色をうかがうのだった。


 薄茶色の紙に印刷された手書き文字。そこには大きく『大角村通信・最終号。ダム建設工事に係る集団移転のお知らせ』とある。


 思わず梓が聞いた。

「なにこれ? どういうこと?」


 色褪せのほとんどない印字に目を走らせた空也が、京子の考えを代弁した。

「なるほど。大角村から人と家財道具がなくなる理由を見つけたってことか」


「はあ? なにそれ?」

「いや――この村はやっぱりダムの底に沈んだんだ。それが今、疑いようのない事実になった。プリントの日付を見てくれ。昭和五三年五月一日。それに、六月一日から工事が始まるから、五月二八日までに完全退去するようにって書いてある」


 すると、京子が頭をブンブン振ってそれを肯定するのだ。


「お、大角村が無人になって、撤去工事が始まるまで三日です。つ、つまりですね、わたしたちは、昭和五三年五月二九日から五月三一日……その時点の大角村にいるのではないか、と」


 満足げな京子の肩を夏奈が引っ張った。期待に目を輝かせて無邪気に問う。


「ねえ。それで? それがわかったらどうなるの? お家に帰れる?」

「――え?」


 京子はきょとんした顔だ。この驚愕の事実が何に役立つか考えを巡らせ、しかし「え、えーと……どう、なんでしょう……? でも、凄くないですか?」とうめくだけで精一杯だった。


 途端、晴斗と大我がわざとらしいため息と共に探索作業に戻っていく。


「んだよ。状況変わんねぇわけね」

「今更どうでもいいことではしゃぎやがって。期待して損したわ」


 少し青い顔の咲夜が「給湯室でもう少し粘ってみます。こちらはお任せしても?」と梓に話しかけ、うなずいた梓は不安げに肘を抱くのだった。

「結構モノが残ってるから、何か見つかると思うんだけどねえ」


 そして。

「あ……あの……すみません……」

 そう肩を落とした京子をなぐさめたのは空也である。プリントをじっくり読み返しながら、「火乃宮さんは俺たちがタイムスリップしてると思う?」なんて問いかけたのだ。


「ち、違うと、思います……ただのタイムスリップなら、村の外に出られないわけないですし」

「うん。俺も同意見だ。問題は、誰かが在りし日の大角村を模した異世界を創りあげたのか。それともダム工事直前の村が、現実世界から切り離されて異世界化しているのか――そこんとこがまだ判別できないってことだろうね」

「え? あの。それはどうして……?」

「そりゃあまあ、後者の方が厄介そうだろう? 時空を自由自在に操るような存在、もしくは未知の自然現象……そんなものが俺たちの相手ってことになるんだから」


 脅すような空也の言葉に唾を呑んだ京子。


 空也はポケットからスマートフォンを取り出して、カメラ機能を起動させる。

 カシャ。カシャ。カシャ。

 壁にかけてあった『大角村の地図』を数枚撮影した。


 それは――大判の航空写真に油性ペンで直書きした手作り地図だ。大角村は深い山の只中に突然現れたような谷間の集落であり、南北に細長い形をしていた。家の数は一〇〇かそこらで、家々が固まった辺りに『大山家』と丸印がある。もしかしたら村長の家だろうか。咄嗟に空也は、コトノシサンの情報があるとしたらここかな……と思うのだった。


 そして、田んぼの中にも丸印がぽつんと一つ。『骸井神社』とあった。


「こ、これって、あの神社のことですよね。『むくろいじんじゃ』って読むんでしょうか?」

「かもね。井戸に死体が捨てられたからって安直すぎるとは思うけれど。あとは……『万力岩』に、『龍門池』か。あんまりピンと来ないなあ」


 腕組みして地図を見上げる。その時、空也の背後で大我がブリキ缶をひっくり返した。


 ブリキ缶の中身は古い白黒写真だったらしく。

「なんだこれ、運動会してんぞ?」

「ねえねえ、晴斗くん。見てこれ。ふんどしで綱引きしてる。めっちゃウケない?」

「心霊写真とかねえかな」

「えー、やめてよー。怖いのはもういいじゃん」

 コトノシサン探しに飽き始めていた晴斗と夏奈が、それを拾ってしばし盛り上がるのだった。


 やがて……地図を凝視していた空也がぽつりと呟いた。

「観音洞?」

 地図の左上の端、山の中にそんな文字があることに気付いたのである。


 即座に京子が「あ、それは――」と反応した。


「さ、『逆さ観音』って、大角村の昔話に出てくる洞穴かもしれません」

「逆さ観音?」

「そんな話が村にあったらしくて。ふ、普通に郷土資料に収録されてたんですが……」

「どんな話か覚えてる? 聞かせて欲しい」


「は、はい。え、と……昔々、流行り病にかかった子供がいてですね、日に日に弱っていく我が子を不憫に思った母親が念仏を上げるんです。仏様、どうかこの子をお助けくださいって。ところが病気は良くなりません。何日か経って子供が口もきけなくなった頃、母親の夢枕に仏様が出てきて言いました。子供を救いたければ山に入って一心に念仏しなさい。それで母親は子供を背負って山の洞穴に入るんですけど、そこに逆さまになった観音様が現れて、病気を治してくれました。ただ、子供は病気のことを覚えていなかった――確か、こんな話だったかと」


「なるほど……でも、なんで逆さまなんだろう……?」

「さ、さあ。わたしが読んだ本じゃあ、その辺りのことについては、何も……ま、まあ、ただの昔話ですし、あまり気にしなくてもいいんじゃないでしょうか」

「……病を治す逆さ観音、ねえ……」


 と、その時不意に、大広間に差し込む光の量がわずかに変化した気がした。

 なんだと思って窓の方を見る。


「ひい」

 そう喉を引きつらせたのは、空也にならって窓の外を見てしまった京子。


 ――ガラス窓の向こうを、恐ろしく背の高い男が歩いていたのだ――


 右横の窓サッシからぬぅっと現れ、窓枠の最上段辺りをニタニタ笑いの横顔がゆっくりと通っていく。三メートルに届こうかという尋常ならざる高身長であった。


 とはいえ、ただ身長が高いだけならば、遅れて振り返った梓たちが絶句することはなかっただろう。せめて悲鳴ぐらいは上げることができたはずだ。


 窓枠の右端から現れた怪人……それが窓ガラスの中央まで進んだというのに、まだ後頭部が終わらないのである。長く伸びた後頭部が、まるでガラス窓を塗り潰すかのように真横に伸びていくのである。ぬらぬらと光る黒髪がすだれのように垂れ下がっていた。


 果たしてこの怪人は室内の高校生たちに気付いているのだろうか。少しでも顔を向ければ部屋で固まっている若者たちが見えるはずだが……まさか後頭部が長すぎて首が回らないのか。


 窓外の景色から怪人が歩き去る十何秒かが恐ろしく長い。


 誰も声を出さない。京子と夏奈、晴斗などは、息すらも止めている。


 梓たちの総意は――お願いだから、こっち見るな。早く行って――という願い、懇願だ。

 唯一、空也だけが――あの頭には何が詰まっているんだろう――そんなことを考えていた。


 やがて後頭部の終わりが現れ、それもしばらくすると窓枠の外側に消えていった。


 緊張したままの何十秒かが過ぎ。

「……な、なんだったんだよ、今の……」

 晴斗がその場にへたり込んだ。


「もーやだぁ。もおやだよぉ」


 しかし彼に続いて緊張を解いたのは夏奈だけだ。他の人間は、いまだ警戒を解かず、怪人の再来に備えている。ホラー映画と同じだ。安心した時が一番危険なのである。


「神木くん? どうしたの?」


 空手家も当然臨戦態勢を崩していないが…………彼の場合は、別に怪人の気配だけを探っているわけではなかった。


「いや、なんでもない」

 そう言いながらも空也が窓の外から目を外さないのは、はっきりと感じ取っているからだ。


 さっきの怪人とは違う――何者かの視線と気配を。


 視線に気付いたのはついさっき。歩き去る怪人の姿を見つめている最中だった。


 ……どこか遠くから誰かが俺たちを見ている……生きた人間か? ……いつからだ……?

 ふと思い出したのは――今朝、梓と咲夜の裸を見てしまう直前に感じた視線のこと。大角村の怪物どもとは明らかに異なっていた、生々しい視線のこと。


 ………………。


 そのうち緊張に飽きるほどの時間が経ち、大我と晴斗が部屋漁りを再開しても、空也は窓の外を見つめていた。


 まるで謎の視線の主に『俺もお前を見ているぞ』と念押しするかのように、だ。


「だからさぁ、神木くん何突っ立ってんの? もしかして眠たい?」

 梓に軽く小突かれても。


「先ほどのヤマンクロが気になりますか? また来るかも、と?」

 咲夜に心配されても。


「………………いや……」

 空也は少しだけ上の空だった。


 気に入らないな――口には出さないが、はっきりとそう思う。


 それは、じっとりと濡れた視線の中にどこか武術家的な気配を感じていたからだ。感情的に舐め回してくるくせに、どこかでこちらの弱点・急所を冷静に見極めているような……。

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