宵闇作戦会議
「コトノシサン、か」
京子のタブレットに表示されていた怪談を読んで、空也は自らの口元に手を当てる。
あぐらを組んだ彼の背後では梓と咲夜が膝立ちになりながら、肩越しにタブレットを覗いていた。
「た、たいして怖くないし。なによでっかい顔だけって。もはやギャグじゃん」
梓はそう言って強がるのだが、文章を読み進めていくうちに空也の右肩を無意識に掴み、渾身の力を込めてしまっていた。しかし少年は何一つ文句を言わない。
「火乃宮さんは、こいつが今回の事態の元凶だと?」
そう問いかけながら空也はタブレットを京子に手渡した。
この家にはもう電気は通っていない。広い部屋の中は暗く、光源はタブレットの画面だけ。ディスプレイから放たれる薄い光が天井の木目を照らしていた。
「わ、わたしは、そう思いました。村一つを、現実の世界と完全に切り離すなんて、さすがに大規模すぎます。なんらかの『神的なモノ』の仕業か……い、生贄を用いるような大きな儀式が行われたんだと。た、多分、ですけど」
部屋の中央で話し合いをしているのは空也、京子、梓、咲夜の四人。晴斗と夏奈は壁際で肩を寄せ合って眠りこけているが、部屋の中に大我の姿はなかった。
彼は屋外の見張り役を自ら買って出たのだ。おそらく部屋に居づらかったためだろう。
空也が大我を連れて帰った時、梓も咲夜も問題児を責め立てなかった。かといって無視するわけでもなく、『二人ともおかえり。お疲れだったじゃん』『日が落ちて少し冷えてきたようです。風邪をひいては事ですし、タオル使われますか?』そう温かく出迎えたのだ。空也の思いを汲んで、彼女らはしっかり大人の対応をしたのである。
大人になり切れなかったのは大我だけだ。迷惑をかけてすまなかったと頭を下げることもなく、かといって反発するだけの気力も残っていない。だから不良は、それっぽい理由を付けてクラスメイトたちと少しだけ距離を取ったのだった。
「その――コトノシサンとは、有名な神様なのですか?」
「わ、わかりません。わたしが調べた限り、大角村関係の資料には、コトノシサンって言葉は出てきませんでした。それに類似するような情報も」
「でしたら……」
「た――確かに、この話自体はネット掲示板への書き込みですし、ホントかウソかの判断もできません。信憑性は低い、かもしれないですが……」
「まあ、大角村で密かに行われていた土着信仰って線はあるかもしれないな」
「わ、わたしが思うに――コトノシサンは『コトヌシさん』が訛ったものではないかと思うんです。『コ』とは狐のこと、『ト』は兎……」
「なるほど。『狐兎主さん』か。狐も兎も、神の使いとされる動物。それの主だから――」
「は、はい。神格の高い山神なら、こういう超常現象も可能ではないかと」
「……悩ましいな。確かに、ただの創作怪談と切って捨てるわけにはいかなさそうだけど……現状、一連の怪奇現象の元凶と断定する決め手もない、か……」
「………………」
「………………」
タブレットのディスプレイ光に照らされながら、不意に四人は無言に陥った。
やがて梓が「ねえ。京子ちゃんはなんかわかるけどさ、神木くんは神木くんで詳しすぎない? オタク系だったりする?」と首を傾げたが。
「…………えー、と……」
空也は特に何も言わなかった。いや、何も言えなかった。答えに窮している。
「やっぱりアニメとか好きなの?」
「…………まあ……」
「ふぅん」
まさかここで『主人公が美少女とイチャつくようなライトノベルが好きだ。できれば女の子が裸になるような話』と告白できるわけもなく、薄明かりの中、空也は顔をヒクつかせるのだった。
話題を変えようと思って無理矢理京子に話しかける。
「それにしても、どうして大角村と? 少し変わった名前のように思えるけど」
空也と同類である京子のこと、彼の焦りを察してくれたのだろう。話に乗ってくれた。
「ええとですね。村の名前の由来なら判明してますよ」
「へ、へえ。そりゃあ実に気になる」
「昔々、大きな角の生えた猿がいたって伝承があってですね」
その言葉に空也の眉が動いた。「何それ?」と続きを催促する。
「ふ、普通の昔話ですよ……? 猿の化け物が女を――生娘をさらって枯れ井戸に骨を捨てたそうです。その猿を旅のお侍が斬ったって。本当、それだけの話です」
「……侍……」
真剣そうな空也の呟き。咲夜が合いの手を入れるように言った。
「武道家としては気になるところでしょうか?」
「まあ、何者なんだろうとは思うけど……それよりも、そのいかにも神様っぽい猿を斬ったことが今回の件に繋がってるってことは?」
「な、ないんじゃないですかね。昔話は『村人たちは皆ことごとく喜んだ』で締めくくられてましたし。そ、そもそも、これって相当古い話ですよ? 羽柴――豊臣秀吉の、太閤検地の時には、もう大角村だったって。四〇〇年以上前の話です」
「……四〇〇年、か……だったら、コトノシサンの方がそれっぽいかもなぁ」
「角のある猿がいたから、大角村……こ、この辺りは、昔からそういう土地だったのだと思います。他とは違う、何か、特別な力を秘めた土地……」
「霊地か」
「け、研修センターの周りが心霊スポットだらけなのも、それが原因かもしれません。誰もいないはずの廃トンネルに笑う男が出たり、首吊りを誘う大桜があったり」
「それにしたってあの化け物どもはやりすぎだよ。村から出られなくなるだけならまだしも、あんなのが出てくるんだから。反則だ、ほんとに」
首筋を揉みほぐしながら天井を仰いだ空也。ブレザーの肘を梓に引っ張られたことに気付き、軽く視線を送った。
「……アレってやっぱり、元は人間だったのよね? 登山者っぽい格好の奴も……」
「……可能性は高いと思う」
すると梓が親指の爪を噛む。まるでストレスに苛まれるように、だ。
空也はそんな美少女の姿に眉をひそめた。
「この村から出られなかったら、あたしたちもいつかああなるの?」
「ならない。なってたまるか」
「そんな、強がり――」
「聞いてくれ相羽さん。俺たちが取るべき道は一つだ。生きて帰る。そのためにはどうすればいいか、何か見落としてることはないか……今はそれだけしか考えちゃいけない。ここは死地だ。逃げ道はもうない」
「……残酷な人だな……弱音も許してくれないの?」
「心が鈍れば行動も鈍る。先のことを嘆くのは、行く先がなくなってからでいい」
空也はわざと歯を見せて笑った。
空手家が恐ろしく落ち着いているように見えたから、梓も少しは安心したのだろう。空元気でも唇を持ち上げるのだった。
「わかったわよ、わかった。個性豊かな高校生が七人もいるんだから、そりゃあ何とかなるかもね」
そして、場の空気が多少軽くなったことを確認してから、京子が妙な事を口走る。
「『山中に黒き人あり。空言を発し、生者を山に引き込む怪なり』」
意味がわからずに固まる空也たち。京子が慌てて言い足した。
「あっ、あのですね。あの怪物、もしかしたら『ヤマンクロ』というモノかもしれません。人の皮を被ってるだけで、な、中身は真っ黒でしたし」
それでもなお首を傾げた咲夜である。
「ヤマン――?」
「も、元々は備後の国、今の中国地方の山奥に伝わる謎の妖怪です。地元ではずっと、出自も逃げ方もわからないものとして、恐れられてて――」
京子がタブレットの描画ツールを起動。
「漢字だと、こ、こう書きます」
液晶画面をなぞり、『山九郎』という三文字を三人の前に差し出した。
「ど、どうして、こんなマイナー妖怪が、大角村に紛れ込んでるんでしょうか?」
「さてね。怪物どもに直接聞いてみてくれ。そのヤマンクロって妖怪が、正体かどうかも確定してないわけだし」
「そもそもさ、どうしてあいつらに神木くんの空手が効くわけ? クソヤンキーがさっき言ってたじゃん。バットで何回殴っても死ななかったって。そんなことある?」
梓と目が合ってしまった咲夜はすぐさま困り顔だ。それでも思案し、回答をひねり出す。
「そうですね……急所があるのか……それとも、神木さんの空手が特別なのか……」
「あたしらも素手で殴ったら倒せるかな?」
「相羽さんは倒せると思いますか?」
「無理無理。触る度胸だってないわよ」
すると当然、梓たちの目は空也に集まるのだった。
答えを期待された空也は「……夢想剣……」とだけ呟き、しかしすぐさまそれを否定する。
「なんでもない。忘れてくれ。俺も一応考えてはいるけど、今はまだうまく説明できそうにないんだ。もう少し考えを整理したらまた言うよ」
女性陣からの追及はなかった。それどころか、咲夜なぞ床に三つ指をついて頭を下げるのだ。
「神木さんにばかり負担をかけてしまい、本当に申し訳ありません」
「当然、帰れたらお礼しなきゃいけないよね」
「そうですね。何がよろしいでしょう?」
「そうねえ。そりゃあ、あたしら女子高生だし――」
そして空也にそっと身を寄せた梓。かすかに汗の香りが混ざった甘い匂いに空也が気を取られた瞬間、空手家の手に自身の指を重ねた。
「ねえ。神木くんってまだ童貞?」
「は――?」
意味深な言葉。反射的に空也が首を回せば、そこにあったのはいたずらっぽい笑みだ。自由自在に飼い主を翻弄する猫のような美貌が初心な少年に向けられている。
思わぬ至近距離にドギマギする空也。
「ま、まあ、無事に帰れたらね。その時は何かお願いするよ。別に礼なんていらないけど」
ごにょごにょとそんなことを言いつつ立ち上がった。
隠れるように深く呼吸して平静を取り戻す。
「それじゃあ三谷くんと片桐さんを起こして、少し嫌な話をしようか」
壁際に置いていたリュックサックを手にして戻ってきた。それで梓たちは大体の察しがついたようだ。
「現実を直視しなきゃいけないって――本当、酷な話だわ」
「とはいえ、私たちが生物である以上避けては通れない話でもありますから……」
そうぼやきながら梓と咲夜が、晴斗と夏奈を起こしにかかる。どうしても晴斗が起きなくて、最後は梓に「いいかげん起きろ!」と顔面を蹴られていた。
「痛ってぇ。んだよぉ。いい気分だったのによぉ」
「晴斗。あんた、リュックの中のもの出しなさい」
「はあ? なんでだよ。めんどくせえ」
「うるさい、ぐうたら野郎。食料の確認すんのよ。どうせあんたのことだから、お菓子とかたんまり持ってきてんでしょう?」
「ちょ――ちょっと待て。まさかオレのおやつをどうかする気かよ? あとで食べるつもりだったんだぞ」
「全員の生き死にがかかってる状況なの。あんた個人の都合なんか知るか」
「横暴だあ」
「うるさい役立たず。サッカー部のくせにお菓子ばっか食ってんじゃないわよ」
梓と晴斗が言い争っている間、空也は家の外の大我に『荷物を開けていいか』を聞きに行く。返答は『好きにしろ』という一言だけ。意外にも不良はちゃんと見張りをしていた。
そして七人全員の荷物の中身が、部屋の中央に集められた。
「嘘でしょ京子ちゃん。何個モバイルバッテリー持ってきたの? 続々出てくるじゃない」
「た、タブレットの充電がなくなったらと思ったら、わたし、不安で――」
「あたしもねえ、三つ持ってきたんだー」
「私は二つです。どうせ携帯は懐中電灯代わりにしかなりませんし……使えない機能をオフにして、無駄遣いしない前提なら、十分だと」
まずはスマートフォン用のモバイルバッテリーの確認が行われ、その次は――食料。
「神木くんはカロリー補給用のゼリー飲料?」
「二日目の早朝登山の時にお腹空くかもと思って。でも三つじゃ足りなかったね。もっと持ってくるべきだった」
「あとは晴斗と夏奈、あたしのお菓子が割とたくさん……てか、夏奈さ。あんたどうしてグミ系のお菓子ばっかりなの? そんなに好きだったっけ?」
「えー。グミってコラーゲン豊富なんだよぉ? お肌にいいんだってぇ」
「八剣さんのはそれは何?」
「こんぶ飴ですが」
「え? お、おばあちゃんが買ってくるような奴、かな……?」
「まあ、私の趣味は無視していただくとして――」
ポテトチップスやチョコ、クッキー、飴玉といった定番のお菓子の隣に大量に積み上げられていたのは……黄色い包装箱に入った『ブロックタイプのバランス栄養食』だった。
「……二〇個……火乃宮さん。いくらなんでもこれは多すぎでは?」
「今日一日リュックにこれとモバイルバッテリーが詰まってたんでしょ? よくあんな歩けたよね」
「あ、あ――お、お母さんが、ですね――お母さんに、無理矢理持たされたんです。班行動があるってことを伝えたら、み、みんなお腹空いてるだろうからって。断りきれなくて……」
「いやいや。あたしら別に腹ペコキャラじゃないよ?」
「……少々、独特の感性を持たれたお母さまなのですね……」
「うう、恥ずかし……」
「とはいえ、このような緊急事態ですから、望外のサプライズというほかありません。火乃宮さんお手柄です。神木さん、これでどの程度もつでしょうか?」
「二、三日かな」
「え? そんなもん? こんなにいっぱいあるじゃん」
「七人だからね。明日も明日で動き回るんだろうし、カロリー的に足りるわけがない。空腹は精神的にも削られるから、適度に食ってた方が効率はいいと思う」
「オレ、この手の食いもんって苦手なんだよなー。ボソボソしてんし。油そのまま固めましたって感じじゃん」
「美容に悪そー」
「……食べたくないならあんたたちは食べなくてもいいのよ?」
梓の唇からドスの利いた声が吐き出されて、空也は苦笑い。
「みんな昼の弁当が残ってただろう? 今日はそれを食べてしのげばいい。くれぐれも村のものは口に入れないように」
それから視線を落としてひとしきり考え込む。
「問題は水、か」
咲夜が自身の水筒を手に取った。軽く振ってみるが、水の重みは残り少なかった。
「……飢えは我慢できても、乾きはさすがに……」
がっかりすることがわかっているからか、梓は水筒に触れもしない。
「あたしもさっきこの家の蛇口開けてみたけどさ、やっぱ水は出なかったわ。電気と一緒。水道も死んでる」
重たい沈黙が走った。全員、水筒の中身は似たようなものなのだろう。
「そういえば神木くん、晴斗を吐かせるために水使ってたじゃん。まだ残ってるの?」
「ないよ」
「そっか……君も損な役回りだよねぇ。まあ、あたしの分けてあげっから」
そして梓は笑みをつくり、わざとらしいまでに明るく言葉を続けた。
「最悪さぁ、川の水とか飲んじゃダメなのかな?」
首を振って否定した咲夜も、皆を不安にさせないよう声色だけは明るい。
「最後の手段でしょうね。怪物――ヤマンクロでしたか。アレに変貌する恐れがありますから」
「こ、コトノシサンの呪いが、土地を汚染してるんです。呪いから隔離されているような水源があれば、いいんですけど……」
「……まあ、そんな都合のいいもの、そうそうないよねぇ」
梓のため息に、能天気に口を挟んできた夏奈である。
「えー。どっかに自動販売機とかあるんじゃないのぉ?」
「バッカ。あんたねえ、そんなものがあるわけ――いや、ないとも言えないのか」
空也と咲夜、それに京子も、それは盲点だったと言わんばかりの真顔を浮かべていた。
「あり得ない話じゃないな。『ダムに沈んだ大角村』という情報を無視すれば、つい最近まで普通に人が住んでた形跡はあるわけだし――自販機だって残ってるかもしれない」
「み、未開封のペットボトル、ミネラルウォーターなら賞味期限は二年。缶ジュースは一年ぐらいです。味を気にしないなら、もっと長くもつらしいんですが」
「探してみる価値はあるでしょうね。例え腐ったジュースでも、怪物になる水よりかはマシでしょうから」
希望が途絶えていないことを確認して、互いにうなずき合った少年少女。
ふと、空也がブレザーのポケットからスマートフォンを取り出して時刻を確認する。
二一時三〇分――悪夢のような一日が終わろうとしていた。
「それじゃあ決まりだ。日が昇り次第、村の中を見て回ろう。それと同時にコトノシサンとかいう神様の情報を探す。呪いのことがわかれば、何か手が打てるかもしれない」
相も変わらず状況は最悪。未熟な高校生たちには荷が重すぎる絶体絶命。
それでも、一縷の望みだけはまだ捨てられない。
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