或る噂【コトノシさん】

 ――或る噂【コトノシさん】――


 オレも怖い目に遭ってバイクを降りたクチ。


 もうだいぶ昔の話だし、オレが見たものの正体を知ってる奴もいるかもしれないから少し語らせて欲しい。


 オレは海の見える町で育ったんだが、海とバイクって結構相性悪いんだよな。潮風でパーツは痛むし、海沿いの道って変化が少なくて飽きるんだ。


 だからあの頃――週末は、朝からバイクに乗って、泊まりで山を走り回ってた。


 結構な山ん中でも道路は綺麗に舗装されてて、どんだけアクセルを開けても警察はおろか人っ子一人いない天国だったから。


 その時も、心霊スポット巡りを思い付いて、土曜の朝一で家を出たんだ。

 ちょうどネット系怪談にハマってた関係で『赤い服の女が出る研修センター』にも興味があったし。


 結局、件の研修センターは外から眺めただけで終わったんだが、帰りに良さそうな脇道を見つけたんだよ。

 携帯で地図を見たら山の上の方まで続いてる。多分、紅葉を見に来た観光客とかが使うんだろう。


 景色がいいかもと思ってオレはその道に入った。でも途中からガードレールは無くなるし、落ち葉も多かったんで、スリップしないようにゆっくり走らないといけなかった。


 日は陰り始めてたけど、まだ全然明るい。


 だから気付いたのかもしれないけど……なんでか、白いものが一本、道路沿いの木の陰で揺れてるんだよな。


 オレは最初、木の枝に結んだビニール紐が風になびいてるだけかと思った。


 でも近づいていったら、それは白いビニール紐じゃなくて、人の腕だったんだ。

 人の腕が木の陰から伸びてて、それが、ゆらりゆらりって何かをまねくみたいに揺れていた。


 おかしいと思わないか? こんな車一台いつ通るのかって山道で……。


 それでオレ、なんかヤバいと思ってすぐにUターンしたんだ。


 変なもん見ちまったなあって振り返ったら……道の真ん中でスゲーでかい顔の女がニヤついていた。


 鼻筋のない不細工な顔面、それに直接脚がくっ付いてる。

 長い腕はそいつの耳から生えているように見えた。


 ほんと、死ぬ気で山道を下ったよ。それまでも攻めたダウンヒルはやってきてたけど、間違いなくあの時が最速。


 でかい顔が追いかけてきてるかも思ったらミラーも見れなくてさ。ふもとの集落で軽トラに追い付いた時に、運転席を叩いて止まってもらった。


「後ろから何か来てませんか?」

「何も来とらんが。あんた何言うとるんじゃ?」


 じいさんがメチャクチャ不審そうに見てくるんで、化け物のことを言ったら。

「コトノシサンじゃ。くわばらくわばら」って。

 じいさんはすぐに軽トラを走らせたから『コトノシサン』が何かはわからない。もしかしたら『コトノシさん』かもしれない。


 でもオレは、その日を最後に山に行くことをやめた。バイクにも乗らなくなって、車検切れに合わせて売ってしまった。


 臆病者と笑われるだろうが……でも山に入ったら、また、木の陰で揺れる腕を見てしまいそうで……。

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