三人のこどもたちは①

 フレイヤがネーベル王国の首都にある王宮殿へと入ったのは、日も落ちかけ辺りが暗くなり始めた頃だった。

 今回のフレイヤは、貴族令嬢としてあくまで国の親睦を深める為に来た賓客だ。


 歓迎パーティーなどが大々的に行われることはなく、しかし隣国の王女に失礼をすることもできないとの王の意向で、事情を知る王族とごく僅かな側近のもの達だけが参加する夕食会が開かれることになっている。

 到着して早々の、肩がこりそうな催しにフレイヤはため息をついた。


 ライルは『未来の伴侶を見極めるいい機会にして欲しい』と思ってのことらしいが、見極めるも何も、興味が薄いのでなんとも反応しがたい。

 敢えて興味があるとすれば、夢の彼に酷似したあの青年くらいだろうか。たしか第四王子で、名前はスイだった気がする。

「スイ……」

 その名前を呟くも、特に思い出すことはない。ただ頬がほんの少し熱くなるだけだ。フレイヤの過去を探る手掛かりになるかと思ったのだが。

(うまくはいかないものね……)


「姫様、スイ殿下が気になるんですか?」

 ミリアに話しかけられ、フレイヤは顔をあげた。

 まさか聞かれているとは思っておらず、恥ずかしさに顔が熱くなる。きらきらと瞳を輝かせて食い入るように見つめられ、フレイヤ自身どう答えていいかわからなくなった。

「きっ、気になるなんて! ただちょっと何処かで見たことがあるようなってだけで!」

「ふふ、そんなこと仰って。姫様は素直じゃありませんものねぇ」


 ニマニマとした笑みを向け始めたミリアは、水を得た魚のように活き活きしている。

 しかしフレイヤはそんなつもりで名前を呟いたわけではない。ただ自らの記憶に隠された謎を解きたかっただけだ。少し見惚れてしまったり、ドキドキしてしまったりなどしていないと信じている。


「本当よ!」

「まあまあ、お会いしてみればもっとお好きになるかもしれませんわ!」

 そう言うとミリアは扉に視線を向ける。

「姫様、そろそろ参りませんと」

 気付けば夕食会まであとわずかだ。主の予定を把握し、にっこりと微笑みつつも先を促すことを忘れない有能な侍女には叶わない。

「そうね。ありがとうミリア。行きましょうか」

 フレイヤは椅子から立ち上がり、取手に手をかける。ひんやりとした廊下の空気に僅かな既視感を覚えたが、すぐに首を振った。

「ありえないわ……」

「何がですか?姫様?」

「何でもない、ごめんなさいミリア」


 振り返り、不思議そうに首を傾げる侍女に微笑む。

 自分が考えてることは、希望的観測だ。現に無いものは無いし、夢と現実を混同し始めるなんてどうかしている。

 それでもフレイヤの記憶は不自然な程に曖昧で、夢が全く関係の無い幻と言い切れるほどハッキリとはしていない。

「行きましょう」

 その言葉はミリアに向けたものなのか、はたまた自らを鼓舞するものなのか。

 フレイヤは一歩踏み出した。


 ***


 身内だけで非公式の簡単な夕食会を開く。そうフレイヤは聞いていた。

 しかし王ライルとの間に認識の差があったことに、現場に着いて漸く気付いた。

 豪奢なシャンデリアが天井を彩る。百人は余裕で入れるのではないかというほどの広さの部屋は、質の良い絨毯が敷かれていた。美しい花々が活けられ、魔術研究が盛んだと自負するだけに魔術を駆使した工夫がそこら中になされている。

 きっとシャンデリアの光も、絶え間なく流れる音楽も、細やかな室温調節も魔術によるものに違いない。

 一見グリューケン王国の一般的な夜会に匹敵するほどの華やかさだが、そこに居る人間の数だけが「非公式の簡単な夕食会」だということを示している気がした。

 既に部屋にはフレイヤ以外の九人全員が集まっている。

「おお、フレイヤ嬢。ようこそネーベルへ」

「ライル陛下、この度は誠にありがとうございます。父も大変感謝しておりました。宜しくお願い致します」

 正式な礼をとると、ライルは首を横に振って笑う。畏まらなくても良い、との意味だろうがそうはいかない。私的な夕食会だとしても、あくまでフレイヤは小国の第二王女だ。

「ゆっくりしていってくれ。良く見定めてな」

 その言葉に答えずに、フレイヤはもう一度礼をし微笑む。愛想笑いに顔が引き攣りそうだが、これも王女の勤めである。仕方がない。


 周りを見れば、ライルの隣に見覚えのある茶の髪の青年がいた。見たことの無い目鼻立ちのハッキリとした美女と赤茶の長い髪を後ろで一つにまとめた青年と一緒だ。

 茶の髪の青年と目が合い、フレイヤは軽く会釈した。それに応えるように青年も軽く会釈し返す。

 しかしその時急に彼がその場に蹲った。いったいどうしたのだろうかと心配していると、蹲っている彼の隣にいた令嬢が話しかけてくる。

「お初にお目にかかります、フレイヤ様。私はニア・ファランと申します。以後仲良くして下さると嬉しいわ」

 優雅に貴族の礼をこなすニアは銀髪の美しい、意志の強そうな瞳が印象的な美女だ。年は恐らくフレイヤよりも少し上か同じくらいだから、もしかしたらここにいる誰かの伴侶なのかもしれない。

「私は、ヴァン。ヴァン・ファランと申します。あ、ニアは義理の姉です。妻ではありませんよ」

 続いて背の高い赤茶の髪の青年が、穏やかに微笑む。その言葉にニアは呆れたような眼差しを向け、二人の後ろで蹲っていた先程の青年が慌てて起き上がった。そしてニアとヴァンの間に割って入ってくる。

「申し訳ありません、フレイヤ様。申し遅れましたが、私はリュカ。リュカ・フォーゲルと申します」

 たて続けに自己紹介を受け、驚きつつも三人に改めて会釈すると、フレイヤは自らの名を名乗った。

「フレイヤ・プラネルトです」

 顔を上げると、リュカがあの少年に似た灰青色の瞳でまじまじとこちらを見つめていた。そればかりか美しいニアまで同じように、興味津々とばかりに真っ直ぐこちらに視線を向けているではないか。美男美女にじっと見つめられ、堪らなくなったフレイヤは瞳を伏せた。

「こらこら、二人とも。フレイヤ様がお困りですよ」

「あ……ああ。すまない。つい」

「リュカ、可愛らしいからって見過ぎると嫌われるわよ」

「はは……ニアは手厳しいな」

 ニアの指摘にリュカは苦笑する。どうやら三人は、冗談を言い合うくらいにはかなり親しい仲らしい。

「今度良かったらお茶会にお誘いしてもよろしいかしら」

 にっこりとニアに微笑まれ、フレイヤの胸が跳ねた。こんなに綺麗な女性に、しかも好意的な笑顔を向けられるのは初めてだ。

「はっ、はい」

 子供のような返事をしてしまい、フレイヤは真っ赤になってしまう。

 眉を下げて困ったように笑うリュカと、皆を順に見ながら微笑するヴァンが視界に映る。

 フレイヤは惚けたまま場を離れる挨拶をすると、ふらふらと壁際へ向かった。

(綺麗な人だわ……それに気さくな方。ニア様だけでなく、御二方もお相手を決める時に争いが産まれそうね)

 そこまで考えて、フレイヤは当初の目的を思い出す。

 この国に来たのは気乗りはしないが、あくまで『伴侶を選ぶため』だ。そしてフレイヤの記憶についての手掛かりを見つけるためでもある。

(見つけられるのかな……)

 良い伴侶も、自らの真実も。

 目的を思い出した途端、どっと疲れを覚えて俯いた。まだ挨拶をしていない人物が五人もいる。顔をあげればその五人が目に入った。


 ライルの隣に並ぶのは壮年の男性二人だ。一人は体格の良い男性で、年の功は五十代半ばだろうか。将軍か、それに値する地位の人かもしれない。

 もう一人は白髪混じりの六十代くらいの男性。鋭い眼差しは心の奥底まで見透かしてるような、そんな印象を与える。白いものが混じっているとはいえ、未だ輝きを失わない銀の髪色と鋭い眼光がニアそっくりで、血縁関係を感じさせていた。

 そして三人固まって談笑している青年達がリュカ以外の王子たちだろう。

 不機嫌そうな背の低い美しい青年がセイ、そのセイの肩に手を回し揶揄っているのがルース、その様子をにこにこと見守っているのが件のスイと見えた。


 きちんと挨拶くらいはすべきであるのに、それを許さないとばかりに強い目眩が襲う。

 ぐらぐらと地面が揺れる感覚と、激しい頭痛に耐えきれなくなりフレイヤの身体が揺らいだ。

 瞬間、懐かしさを覚える灰青色と目が合って、その色が慌てたものに変わる。

 誰に救いを求めた訳でもないその手を誰かが握って、抱き締められた。懐かしい匂いと、温もりに安堵を覚える。

 始まったふわふわとした心地好い浮遊感にフレイヤは身を委ねた。

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