二番目の王女は選択を迫られる②

 ***


 まだ若い葉と葉の間を春の柔らかな陽射しがくぐりぬける。小川のせせらぎが耳に心地よく響き、うっかりすると眠ってしまいそうだ。

 グリューケン王国から峠を超えてネーベル王国へと繋がるその道を、馬車で走り続けて早数日になる。窓から見える山間の街々を眺めながら、フレイヤは今は遠い故郷の姿を思い出そうとしていた。


 たった六年ほど前のことだというのに、フレイヤはそのをはっきりと記憶していない。明らかに不自然なこの現象の原因は、村を離れる時に出した一週間にもわたる高熱のせいなのか。それとも兄弟姉妹たちを残して行ってしまったフレイヤへの呪いなのか。調べようにもその術をフレイヤは持っていない。

 フレイヤがグリューケン王国の第二王女とわかったのは六年ほど前、十五歳の時だ。それまでフレイヤはずっと、両親に見放された孤児だと思っていた。

 孤児だということで寂しいと思ったことはなかったし、特別に悲しくもなかった。また見放した家族を恨もうとも考えたことはなかった。

 ただそういうものなのだと、何処か諦めていたということもあったが、何よりも賑やかで飽きない孤児院の生活は好きだった。

 優しく時に厳しいシスターと頼もしい兄、面倒見の良い姉に可愛い妹弟たち。そして気の良い村の人々。

 たくさんの家族はフレイヤにとってかけがえのないすべてだったのだ。

 そんなある日、王都から三人の騎士が来た。眩しいほどに磨き上げられた鎧とその胸のリボンは、王立騎士団の団員だということをはっきりと表している。

 そんな騎士の一人、たっぷりとした口髭をたくわえた中年の男性が、初めて会うフレイヤの目の前に跪いたことは今でもよく覚えている。


『フレイヤ殿下、お迎えに参りました』


 それなのに、何故フレイヤは覚えていないのだろうか。

 揺れる馬車の中でフレイヤは唇を噛む。

(騎士団長の言葉は覚えているのに、十三年間一緒に暮らした兄弟姉妹の名前は誰一人覚えていないなんて……)


 お世話になったシスター様の名前も、村人の名前も、覚えている。その人たちとのやり取りも。

 一方それらの人たちよりもよほど長く一緒に過ごした、大切な兄弟姉妹たちとの記憶は「楽しかった」「賑やかで、幸せだった」という感想に塗りつぶされている。

 具体的には、一切思い出せないのだ。


 だから村を離れてから幾度も繰り返し見る、あの一連の夢が一体何なのか判断が未だにつかない。フレイヤ自身の記憶をもとにしたものなのか、それとも全くの夢幻なのか。

 フレイヤの記憶は、『詳細』を語ろうとしない。



「姫様、それで何方にいたしますの?」

「ひゃあっ!」

 淑女とは言えないような悲鳴をあげたフレイヤに、侍女のミリアは尚も瞳を輝かせて迫った。馬車には現在ミリアと二人きりだ。フレイヤはグリューケン王国のただの貴族令嬢として、隣国のネーベル王国へと向かっている。今回の旅はあまり表沙汰にしないほうがいいということで、グリューケンとネーベルの王族と一部の者にしか伝えられていない。

「ですからお相手です。四人の素敵な殿方から選べるのでしょう? こんな嬉しいお話ほかにありませんわ」

「そうねぇ」

 苦笑いしながら答えたフレイヤだが、本当にそう思う。そんなに大きくもないグリューケンの王女が、世界五大王国の一つでもある隣国のネーベルに嫁ぐというだけでも歴史的に見て珍しいことなのに。父王もネーベルの現国王もフレイヤに『四人の中から選ぶといい』と口をそろえて言う。珍しいを通り越して、おかしな話だ。


 フレイヤは現在二十一歳。一般的には行き遅れに限りなく近い年齢だ。

 燃えるような真っ赤な髪は癖があり少しうねりながら背中の真ん中まで伸びている。同じ色の瞳は大きめだが、ややつれていて気が強そうに見えるのが難点だ。実際ある程度の年齢まで村で育ったため、一般の貴族令嬢や王族の姫よりはややお転婆だという自覚はあるが。身長も低くはないし、物凄く華奢なほうでもない。正直おとぎ話のお姫様には程遠く、結婚も信頼できる有能な臣下の誰かや、同盟を結びたい他国の王の何人目かの妃になるとばかり思っていた。


 そんな予想が覆されたのが、三か月前だ。ネーベル国王から極秘で『我が息子の妃にフレイヤ王女を迎えたい』との打診があったのだ。

 またとない国の好機を喜ぶ者はいても疑う者はおらず、第二王女であるフレイヤがこれまでの縁談のように断ることなどできるはずがなかった。

 しかしこの珍しい話はさらに続く。ネーベルの王はフレイヤに四人の息子の中から一人選んでほしい、と言ってきた。それも実際会っての上でらしい。

 そこまできて、流石に気味が悪くなる。王曰く『私のように間違ってほしくない』との配慮だそうだが、その言葉の意味さえフレイヤには掴めないでいた。


「姫様は誰推しですの? 見た目で良いんです! 見た目で!」

「いえ、まだお写真は拝見してないの」

 事実を伝えるとミリアは大袈裟に驚く。しかしどうにもこの胡散臭い話に、フレイヤは諸手を挙げて喜べない。いくつもの真実が隠されてるように思えてならないからだ。だからこそ写真を見る気には、なれなかった。

「もったいない!! 皆、美男子揃いですのに! ほら第一王子のリュカ様なんていかがですか。長身で優し気な方ですよ? しかも二十五歳とぴったりではありません? 噂では見た目通り穏やかで、包容力のありそうな方だとか!」

 ミリアは腕に抱えていた冊子のうちの一つを広げる。そこには短い茶の髪の青年が、やや緊張気味に笑っていた。確かに優しげな灰青色の瞳は澄んでいて綺麗だ。それに、似ている。


「そうね、兄がいたらこんな感じなのかしら」

「えぇ……駄目ですか? じゃあ二十四歳の第二王子、ルース様はいかがです? 見た目は抜群ですよ。まるでお話の王子様が出てきたようですし! ……まあ噂によると浮き名が絶えない方らしいですけど、本当かどうかはわからないですし」


 そう言うとミリアはすぐに別の冊子を開く。次に広げられたそこには、爽やかな笑顔の青年がいた。淡い金色の髪は癖があるのか跳ね、真っ青な瞳は少年のように輝いている。彼も、似ていた。


「素敵な方ね」

「また駄目ですか……。もしかして姫様は可愛らしい感じの方がお好きなんですか? ならば第三王子のセイ様なんていかがです? 二十三歳とは思えぬ美少年のような方です! 気難しい面もあるそうですが、可愛いは正義ですから!」


 先ほどの冊子を勢いよく閉じると、ミリアは隣の冊子を開く。忙しいその動きにフレイヤは微苦笑した。

 そこには淡い金色の髪を肩までのばした、青い目の美少年が眉根を寄せていた。不機嫌を隠さない彼は確かに少し気難しそうだが、瞳は冷たくない。そしてやはり、どこか似ている。


「美しい方ね」

「えぇ……それだけですかぁ?」


 残念そうにがっくりと肩を落とすミリアをよそに、フレイヤは自嘲のため息を吐いた。

 思えばさっきから似ているとかそうでも無いとか、存在もしない夢の彼と比べるなんて馬鹿げている。現実から逃げたいからという願望からだろうか。


「もう、ならば第四王子のスイ様ならどうです? ご年齢も二十一歳と姫様と同い年ですよ! 四人の中でただお一人お母様が違いますが、穏やかで誰にでも優しく魔術師としては国一番とか! ほら!」


 ミリアは最後の一冊を目の前で開いた。

 そこには照れたように頬を僅かに染めて、はにかむ青年が映っていた。やや長めの淡い金の髪と細められた灰青色の瞳が、フレイヤの胸を揺さぶる。

 真っ直ぐに見続けることが出来ず、フレイヤは堪らなくなって顔を背けた。


「冗談でしょう……」

「そんなにお嫌ですか?!」

 初めてはっきりと示したフレイヤに、ミリアは驚く。しかし一番驚いていたのはフレイヤ自身だ。

(冗談でしょう……夢の彼をはっきりと覚えてもいないのに、こんなにも似ていると感じるなんて)

 隣のミリアは「もしかして姫様はぐっと年上のお方が好みなのかしら……」と新たな見解を見出したようだ。何事かぶつぶつと呟いている。

 違和感を払うように、頭を数度振る。しかし違和感どころか、意図せず熱くなった頬の熱さえも取れることはなかった。


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