不条理編3 いつからそれをご馳走と思っていた?
『ご馳走』と言って人は何をイメージするか。
ステーキ? 焼肉? ローストビーフ? チーズフォンデュ? まあこれは私のイメージだが。
人によったらこう答えるかもしれない。
「寿司、刺身、海鮮丼!」
え、それご馳走だったんですか?
私の『偏食編』TAKE2の前哨戦とも言うべきTAKE1、その三回目である。どうにも、食の好き嫌いと不条理はリンクしやすいらしい。
私は味オンチゆえもあり、あまり嫌いなものは多くない。子供時分は普通に野菜が嫌いな子供だったが、それでも目立って嫌いなのはトマトくらいのもので、ニンジンとかピーマンといった嫌いな野菜代表格はさほど嫌いではなかった。
嫌いというか、あまり好まないのは食べ慣れないものだ。外国の料理とかがそうだが、味オンチゆえ味の予想がつきかねるものは食べるのに勇気がいる。そのくせ食べても味がよく分からないという始末だから手に負えない。
まあ、そんなわけで私の嫌いなものと言ったら既に述べているコーン、納豆、それから魚介類くらいのものだ。
三つか。まあ充分少ない方じゃないかな!
とかいう冗談はさておき。
私は魚介類が苦手だ。嫌いというより苦手と表現するのがやはり適切だろうか。マグロやサケといった魚、アサリやホタテといった貝、タコやイカといった軟体類、エビやカニといった甲殻類。すべてが苦手である。
しかもその苦手意識が個々にバラバラで、自分でも把握が難しいのだから嫌になる。まさに不条理だ。
確定的に明らかなのは生食は絶対にできないということ。磯臭さというか、海臭さがおそらく駄目なのだろう。結果、そういった臭いの残りやすい煮つけの類は食べられない場合が多い。仕送りで私の味覚を理解しているはずの両親がイカの煮つけの缶詰を送って来たのにはさすがに閉口した。味噌煮とかはむしろ好きなのだが。味噌は魚の臭みを消すのにいい働きをしてくれる。淡白な白身魚の類も、そういった生臭さが少なくて食べやすい。結果的にタラやサケの類は焼けば食べられる。
…………と、ここで滔々と私の魚嫌いを語るのは避けよう。ここはTAKE1である。不条理はただ魚介類の好みが自身でも把握できないということばかりではない。この海洋国家(そのくせ漁業資源の活用が壊滅的に下手な)日本においては魚介類、特に生食のものはとびきりの『ご馳走』なのである。
ただでさえあまり好まない大人数での懇親会。並ぶ『ご馳走』の寿司桶、注がれる飲めやしないビール。にもかかわらず「目の前にご馳走が並んでるぜ! ヒャッハー!!」なテンションの周囲。この落差を気取られない術を身に着けるところから、魚嫌いの日本暮らしは始まると言っていい。
外国人ならともかく、日本人の魚嫌いは白眼視される事態のひとつである。世の中には米嫌いの日本人もいるらしく、私は秘かに同情を寄せるのだが周囲の反応は「は? ありえないでしょ?」である。お互い、不条理な苦労が絶えない身の上である。
しかし連中、そう魚を食べられるだけの連中は私が魚介類嫌いであると知ると「人生の半分損している!」と言ってくる。下手するとコーン嫌いに対し「屋台のあの焼きトウモロコシがおいしくないの? 人生の半分損してる!」と言われて人生全損の場合すらある。
そういう彼らは、食事程度が人生の半分をも損させる危険性をはらんだものと思いながら日々食物を口に運んでいるのだろうか。それこそチキンレースまがいの精神性で、人生を半分損しているような気がするのだが。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます