第116話 「好きだから」

メレンケリが許可を出すと、ゆっくりと部屋のドアが開かれる。そしてそこには、純白の制服を纏ったグイファスが、僅かながら負の感情を顔に浮かべながら立っていた。


「……」

 たった一日会っていなかっただけなのだが、とても長い時間会っていなかったような感覚だった。それ故に、グイファスの姿を見た瞬間、久しぶりにその姿を見たような気がしたのである。

 メレンケリは大きく息を吸うと、意を決してグイファスに声を掛けた。


「……座ったら?」


 するとグイファスは、ゆっくりとした動作でベッドの傍の椅子に腰かける。だが、彼はメレンケリと視線を合わせようとはせず、手を弄ばせながらこう切り出した。

「怪我、大丈夫か?」

「うん、大丈夫」

「痛くないか?」

「お医者様に診てもらったし……、手当てもしてもらったから、今はそんなに痛くないよ」

「そうか……」


 とてもゆっくりとした会話だった。しかしそれは、メレンケリの怪我の状態を知ると言うよりも、まるで、その後に尋ねようとしていることに対して、どう切り出せばいいのか探っているかのようだった。勿論、心配していたのは間違いないだろう。だが、それよりも彼には聞きたいことがあるようだった。そしてそれはメレンケリも同じであった。


 グイファスは持っていた質問を全て言ってしまうと、再び沈黙する。メレンケリはグイファスが口を開くまで黙っていようと思ったのだが、何だかそれはずるい気がして、自分から思っていたことを話すことにした。


「あのね、グイファス。聞いて欲しいことがあるの」

「メレンケリ?」

 するとようやくグイファスが顔を上げて、メレンケリを見た。金色の美しい瞳。メレンケリはもうその瞳から目を逸らすことはしなかった。

「私はあなたに……。いえ、あなたがたサーガス王国の人々に謝らなくちゃいけない。私は自分の目の前に曾祖母が現れたとき、彼女に気を許してしまった。フェルさんも行っていたはずなのにね。大蛇は、私の曾祖母の姿を取っているはずだって。でも、メデゥーサ・アージェが、自分は大蛇に見張られている存在だと、言っていたことを真に受けてしまった。彼女自身が、大蛇のはずなのに、そうではないと思ってしまったの。

 彼女に会ったとき、すぐにでも誰かに知らせればよかった。それなのに、私はそれをしなかった。異国に来た心細さと、自分の愚かな想いのせいで、自分のことを心配してくれる身内がいることに安堵してしまったの」

「それは、仕方のないことだ。俺も君のことに気が付いてやれなかった……」

 自分を責める言い方をするグイファスに、メレンケリは首を横に振った。

「いいえ、そんなことはないわ。グイファスは、優しかったもの。最初にサーガス王国の巡回をし始めたときも、私が寒さで凍えていた時、ビスケットや温かな紅茶をくれたでしょう。私は、とても嬉しかったの。だから、あなたは何も悪くないわ」

「だけど、メデゥーサが、大蛇が君に付け込むすきがあったのは、紛れもない事実だ。もっと俺が注意していれば、君に……」

 グイファスは言葉を一度区切って、心配そうな悲しそうな表情を浮かべる。


「君にそんな怪我をさせなくても済んだのに」


 メレンケリは彼のために、優しく微笑んだ。

「あなたが悔やむ必要なんて何もないわ。私は寧ろ、今回のことで誰も命を落とさなくて良かったって、本当に安堵しているの。ローシェに聞いて本当にほっとした」

「そっか、ローシェに……」

 メレンケリは頷いた。

「あなたの元許嫁で、親友だと言っていたわ。侯爵令嬢とは思えない感じだけれど、とてもいい人だった。そして、私の友達になってくれた」

 そのとき、グイファスはこの部屋に入って初めて、少しだけ笑った。

「……そうか」

 メレンケリは包帯が巻かれた腕を見て、ゆっくりさする。


「ただ、大蛇を本当の意味で復活させてしまったのは、やっぱり私のせいだと思うの。だから、この傷はその報いよ」

「そんなことはない。何故、君だけが自分を責めるんだ?俺が君をこの国に連れてこなければ……。いや、俺がジルコ王国に行かなければ……」

 メレンケリはゆっくりと首を横に振る。


「グイファスがジルコ王国に来なければ、大蛇を倒す手立てを知ることはなかった。そして、私はあなたに会えなかった」

「……それは俺も同じだ。だけど……」

「私が曾祖母を受け入れてしまったのは、心細かったからだけじゃないの。グイファスが、クリスタルのお店の前で、シェヘラザードさんに会って、抱き着かれているのをみてしまってしまったことと、メデゥーサ・アージェからシェヘラザードさんが、グイファスの許嫁だと吹き込まれたせいなの。メデゥーサの話は我ながらよくも易々とその話を信じてしまったと思ったわ。でも、仕方なかったのよ」

「……」

 グイファスが少しずつ驚きの表情を浮かべる。メレンケリは再び顔を上げ、彼の瞳を見つめた。


「だって私は、グイファスのことが、好きだから」

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