第98話 離れていく気持ち

 メデゥーサはメレンケリの部屋に戻ると、使用人の娘を浴室の方へ連れていく。そこへ連れて行ったのは、夜にならなければこの場所に誰も入らないと思ってのことである。水の張っていない浴槽に娘を入れ、その上からソファの上にあった毛布を被せる。

「今夜上手くいかなかったら、お前を迎えに行くから。静かに待っておいで」

 

 メデゥーサにとって、この娘はメレンケリから得られるであろう力を取れなかったときの保険であった。彼女はもし計画が失敗したときのため、血を吸う人間を確保していたのである。


「本当は男が良かったけど、まあいい。ないよりましだからね」

 そしてメデゥーサは着ていた使用人の服を脱ぎ、毛布の下に無造作に放り投げる。それから自分は今まで着ていた服を着なおした。

「もう少しだ」

 メデゥーサはそう呟くと、メレンケリが眠っている寝室へ向かった。


 寝室ではすでに、メレンケリが朝の仕事をするために支度を整えているところだった。メデゥーサはにやけた笑みを消し、優しい笑みを顔に浮かべる。勿論声も不気味な響きなど含ませない。

「お早う、メレンケリ。よく眠れた?」

 メデゥーサの声に、メレンケリは聞くや否や驚き振り返った。

「ひいおばあ様!?」


 眠っている間に帰ってしまったとばかり思っていたメレンケリにとって、メデゥーサがまだいたことが驚きだった。


「まだいたのですか?もう帰ってしまったのかと……」

「朝までいてはダメだったかしら?」

「そんなことはありませんが……」

 そうは言ったものの、メレンケリは少し心配していた。もしメデゥーサと一緒にいるところを誰かに見られてしまったら、色々な意味で疑われてしまうと思ったからである。

 一方、そんなことはお構いなしのメデゥーサは、楽しそうに言った。

「大丈夫。心配しなくてももうすぐしたら出ていくから。あ、そうそう。さっき誰かが訪ねて来たから代わりに出てしまったわ」

「代わりに出て大丈夫だったんですか!?」

 メデゥーサはにっこりと笑って、メレンケリと自分を交互に指さした。

「大丈夫よ。だってほら、私たちそっくりじゃない?」


 思わぬ言葉に、メレンケリは眉をひそめた。確かにメレンケリとメデゥーサはかなり似ている。自分で見てもそう思うのだから、他人が見間違えても仕方がない。だが、それが何となく嫌な予感がするのは、何故だろうか。


「……」

「どうかした?」


 黙ったメレンケリに、メデゥーサは心配するように顔を覗き込みながら聞いた。メレンケリは何事もなかったかのように、クローゼットを開け、コートを取り出す。


「あ、いいえ。それで、誰が来たんですか?」

「一人は使用人ね。あなた、ビスケットを頼んでいたの?」

 思わぬ質問にメレンケリは眉を一瞬だけひそめた。中身を見たのだろうか。

「え、ええ……」

 メデゥーサはリビングの方を指さした。

「茶色い紙袋に入っていたわ。受け取って、そのままテーブルの上に置いておいたわよ」

 メレンケリはメデゥーサが示した方を一度見た後、再びクローゼットの方に視線を戻した。

「……そうですか。ありがとうございます」

「それからね、昨日あなたと会ったときに一緒にいた男の人も来たわ」

 メレンケリの動きがぴたりと止まる。

「昨日……」

「クリスタルのお店で会ったときにいた人よ」

 メレンケリはゆっくりとピンクのコートを羽織った。

「ああ、グイファスですね。彼、何か言ってましたか?」

「それがね、暫く会いたくないって言われたわ」

「……え?」

 メレンケリはメデゥーサを見た。

「どういうわけか分からないけど、会いたくないって。傍に綺麗な女性を連れていたけれど、何か関係があるのかしら」

「綺麗な人……?えっと、あの会いたくないって、そう言ったんですか?」

「勿論。聞き間違えるわけがないわ」

「あの、あなたと間違ったわけではなく……?」


 グイファスはきっとのだと思った。まさか自分にそんなことを言いにくるはずがないと。

 しかしメデゥーサは、メレンケリの疑問に首を傾げた。


「何を言っているの?ここはメレンケリの部屋でしょ。あなたを訪ねてここに来てそう言ったのに、どうして彼が一度も会ったことがない私に『会いたくない』って言う必要があるのよ」

 メレンケリは目を見開いた。

 メデゥーサの言っていることは正しい。

 だが、信じられなかった。信じたくなかった。

 グイファスが自分に会いたくない?

 昨日と今日の間に何があったというのだろう。

 許嫁のシェヘラザードに会ったから、誤解を招かないように会わないで欲しいと言うことだろうか。

 メレンケリの瞳からは、唐突に涙がこぼれる。とっさに顔を手で覆った。

「どういうこと?どうしてそんなことを急に言うの?」

 メデゥーサはゆっくりとメレンケリに近づくと、昨日の夜と同じようにそっと傍に寄った。そしてゆっくりと背中をさする。


「そうね。酷いわね。でも、男ってそんなものよ」

「どうしてそう思うの?」

「私にも経験があるから分かるのよ」

「経験?」

 メレンケリが顔をあげようとすると、メデゥーサがそれをさせず、自分の胸に引き寄せる。

「可哀そうな、メレンケリ。忘れてしまいなさい、そんな男のこと」

「……そうね」

 メレンケリの答えにメデゥーサは、にやりと微笑むのだった。

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