プラズマのほのおを曳いて、アクエリアス号は宇宙空間に舞い上がった。スピードが速過ぎて、惑星ほしを取り巻く輪踊りをモニターで確認することはできない。

 船はアルファnine周回軌道に乗り、AIが座標の最終確認を行う。人工衛星等で僅かに生き残っている機器間ネットワークをにして、補正するのだ。

 デレクはAIの音声対応をONにした。稀なことだが、話し相手が欲しかった。

「アクエリアスは音声対応します。聞こえていますか?」若い女性の声がスピーカーからこぼれる。声の艶かしさはいつもより控えめだ。気のせいだろうか。

「よく聞こえるよ。透き通るような声だ」

「お久しぶりです。デレク・タカノ中尉、のボブ・ボイヤー機関士、お二人のフライトを歓迎します」〈彼女〉はさっそく気をつかった。

「帰還航路をとる」デレクは指示する。

 アクエリアスは少しの間沈黙した。

「確認と再考を求めます。設定帰還地点――地球の環境評価は生存です」

じゃないのか?」デレクは笑う。

「限りなく不可に近いですが」

「人はどっちみち死ぬんだよ……やさしいんだな、アクエリアス」

「指示撤回の可能性は、0.00001%以下と推測されます」

「そのとおりだ。行く先は一つだけだ。地球へ――」中尉は胸を張り、ひときわ大きな声で言った。「帰るぞ!」

 エンジンが唸りをあげる。モニター映像のアルファnineが後方に小さくなってゆく。

 ワープ航行に備えて睡眠槽ベッドへ向かう前に、デレクは情報端末タブレットで家族の画像を開いた。

 娘二人と妻が公園のベンチに掛けている。はじけるような笑顔だ。

 長い間待たせた。やっと帰るよ。だから、待っていなさい。

 出発の朝ゆびきりした小指を見る。自分の小指は、この瞬間も遥かな時空を超え、娘たちの小指と絡んでいるような気がした。

 ゆびきりという契約を破ったら、たしか針を千本飲まされるのだったか……怖ろしい罰則だ。遅刻くらいは勘弁してくれよ。

 九年後、地球に着く。そのときには、マイケルもドロシーも、もう生きてはいない。おそらく最後の一人になった地球人の前に、変わり果てた故郷の光景が拡がるだろう。だが、くじけはしない。我が家を目指して進む。よほど幸運に恵まれなければ、たどり着けずに力尽きるだろう。そうなったら、両腕を拡げてうつ伏せに倒れよう。地球こきょうを抱きしめるために――

 脈絡もなしに、学生時代のシーンが脳裏に蘇った。遅くまで青臭いことを語り合った夜。

 人は何のために生きるのか──

 級友との会話を思い出して苦笑した。

 〈思念〉を育てて次の宇宙に備えるためだったとは、思わなかったよなあ――古い友人の顔に言ってやった。

 人生の意味がそうだったとしても、虚しくなんてない。アケミ、ミチル、ナナ、おまえたちと暮らせた。それだけで充分だ。人生の質量は記憶の質量だ。

 地球こきょうへ戻り、おまえたちとしたら、その先残留思念になって消滅しようと、皆でニルヴァーナに戻ろうと、どっちでもいいよ。もうずっと一緒だ……

 服薬を済ませ、衣服を脱いで睡眠槽ベッドに躰を横たえた。

 上蓋が閉じ、冬眠装置が稼働を始める。

 じきに眠りが訪れる。長く、冷たい眠りだ。次に目覚めたときには、青く輝く宝石が闇の彼方に浮かんでいるだろう。

 まぶたが重くなってくる。目を閉じる。意識が沈みはじめる。


 ――やっと帰り道が見つかったみたいね。

 ――アケミ…… ほんとに迷子になるなんて思わなかったよ。

 ――みんな待ってるわ。ミチルもナナも家から離れないで。

 ――無理に約束にこだわらなくても……頑固なお嬢さんたちだ。

 ――あなたに、そっくり。


 横合いから別なものが繋がってくる。温かいものが。鮮やかな映像が展開する。

 ニルヴァーナか? 

 デレクは微笑む。輪踊りで送るという約束を、マキルは果たすつもりだ。

 意識がニルヴァーナに招かれる――

 マキルたち、惑星子ほしのこが踊っている。とてつもなく大きな踊りの輪は緑の草原を貫き、その先は地平線のむこうへ消えていた。

 マイケルも輪の中にいるじゃないか。

 ドロシーは皮肉っぽく笑いながら、輪の外から眺めている。

 歌が聞こえる。歌声が合わさる。

 誘われたようにデレクの唇も動く。彼らに合わせて口ずさむ。すっかり聞き覚えた、あの、地球の古い詩を――


 世界中の人たちがみんな

 手を握り合う気にさえなったら

 地球をめぐって輪踊りを

 踊ることさえできように……   

    


※ ポール・フォール/堀口大学(訳)『輪踊り』をお借りしました。


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輪踊り 安西一夜 @nohninbashi

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