「ニルヴァーナの夢が嘘っぱちだからといって、それがどうだというの? どうすることもできない。欲しいものを与えてくれるのよ。もてなしてくれるなら、甘えたらいいじゃない」
「おれは、子供の頃、学校からすぐ家に帰れない事情があって、図書館で時間を潰したりした。SFが好きだったから、よく読んだ。〈フェッセンデンの宇宙〉って知ってるか?」
ドロシーは首を振る。「ママが夢ばかり追いかける人だったから、その反動かしら、わたしは現実主義なの。
「フェッセンデンという学者が実験室で人工の宇宙を創るんだ。そのミニチュア宇宙の惑星には、やがて知的生命体が繁殖して栄える。フェッセンデンは、その宇宙に興味本位で介入し、災害を起こして殺戮を繰り返す。そんな話だ。読んだ後、おれは夜空を見上げるのが怖くなった。真黒な夜空の一部がシールみたいにめくれて、いやらしい目をした男の顔が覗く気がして。もし覗いたら、その瞬間、現実と妄想の境目がなくなり、地球がミニチュア宇宙にあることが確定する……」ボブはドロシーの空のグラスにスコッチを注ぎ、自分のグラスにも足した。「舞台には必ず裏がある。そのSFを読んで、子供心にそう思った。ニルヴァーナに舞台裏はないのか? 幻覚を見せておびき寄せる。そして、パクっと食虫植物みたいに、おれたちの魂を喰っちまう。そんな舞台裏があるんじゃないのか?」瞬きを忘れた目がドロシーを見つめている。
「確かめられない、何も。不可知論なのよ。〈我々の感覚に現れる内容を越える事は、知ることができない〉ってね。だから、こんな議論は無駄。止めよう。わたしはけっこう気に入ってるよ。楽しい夢を見せてくれるアミューズメントパーク。何にもできないなら、四年間楽しんだほうが得。そのあと、死んでからもニルヴァーナで遊べる。あそこが
酔いがまわって饒舌になっている。言いたいことがあって、少し躊躇したが、言葉はするりと唇を抜け出していた。「あんた、共有した夢の中でみんなを避けてるね。自分の家族にも逢わない」
「みんなを避けるのは、嘘っぱちの中でバカ騒ぎするのがアホらしいからだ。家族に逢わないのは、おれが過去を思い出させて、オフクロに嫌な思いをさせたくないからだ」
「マザコンだよね、あんた。わたしがファザコンだから、わかるよ」
言われた男は否定も肯定もしない。黙って言葉の続きを待っている。
「はっきり言うよ。ごめんね。あんたは自分に何か嘘をついてる。だから嘘っぱちが嫌いだし、何でも嘘っぱちじゃないかと疑う。家族に逢わないのは、嘘が露見するのが怖いから」一気に言いきった。分析して向き合わせることが、彼のためになると思ったからだ。それから、わざとらしく腕時計を見た。
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