12 郷愁


               *


「なあ、飲まねえか、ドロシー」ボブがくらい目をして言った。

 そのくらさに引き留められたように、ダイニングを通ったドロシーは立ち止まった。

「あんた、わたしにしたこと、忘れてないよね」

「顔が変形するほど殴られた。あれでチャラだ」当然のように応える。

「あきれた性格。何でも無かったことにできるのね……幸せだこと」

 ドロシーはテーブルを挟んで腰を下ろした。「三十分だけなら」

 座ってくれるとは思っていなかったようだ。急に安堵した顔になり、ボブはウイスキーを注いだグラスを差し出した。ボトルはシーバス。チェイサーまで用意してくれるサービスぶりだ。

「航宙医療士のセンセイは心理学も心得てるだろ。話を聞いてもらうだけでいいんだ」

「あんたのママじゃないわ。ま、いいけど」

 デレクとマイケルは、別室でボクシングビデオに盛り上がっている。二世紀以上前のビッグマウスのチャンピオンに、すっかり心をつかまれたようだ。地球人オリジナルは、ときおり闘争本能を解放しないと気が済まないらしい。戦争がなくならなかったわけだ。

 盛り上がる男たちの単細胞ぶりが、うらやましくもある。それに比べてボブときたら――

「あんたは見ないの? ボクシング」

「死んだ男の殴り合いなんか見たくもねえ。地球に帰れて、もし、みんなが生きてたら、きれいなネエちゃん連れてマジソンへ行くさ。リングサイドだ。男の殴り合いを見るとネエちゃんは濡れるんだ。その後は、お楽しみ」

「あんたの頭の中は、そればっかりね」

「一番大事なことだ」

「ほんと。でも、あんたとはわ」

「わかってるって。デレクが好きなんだろ」

「……」

「まあ、いいや。乾杯しよう」

 二人はグラスを掲げた。

「おいしいわね、これ」口中を燃え立たせる琥珀の液体を見る。

地球こきょうのものは何だってうまいさ。他にもすげえものがあるぜ」

「すげえものって、それ?」ドロシーは、テーブルの端に置かれた物に目をやった。

 の本が数冊と、ミニサイズのトランクみたいな物が置かれている。

 ボブはミニトランクを引き寄せ、うやうやしく開けて見せた。それは革製トランク仕様の化粧箱で、シルク地に沈むようにウイスキーボトルが収まっている。

「ジョニーの青ラベル、2005年もの。アニバーサリー限定品だ。倉庫の奥で見つけた。惑星子あいつら、酒を飲まないからな。銘酒がゴロゴロ残ってる。合理的な進化ってのは哀れなもんだ。人生の楽しみ方を知らねえ」

 酒のことはわからないが、宝飾品の化粧箱みたいな豪華さからすれば、かなり貴重な物だろう。

「いつ飲むの? それ」

「……四年後だ。寿命が来たら、みんなで飲もうや。それまで隠しとく」自分のバッグに仕舞い込んだ。

 ドロシーは少し笑い、積み上げられた本に目をやる。図書館の蔵書がすべてデジタルデータになった時代に、紙の本。骨董品だ。「本なんて久しぶりに見た。入植者に紙媒体愛好家ペーパーマニアがいたのね。マーケットがあれば、いくらの値が付くかわからない」

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