11 暴力
*
ジムのリングサイドでは、マイケルがボクシンググローブの状態をチェックしている。
ジムの備品で本革仕様だ。長期間の放置で少し硬いが、問題はない。
「アルファnine ミドル級選手権試合ってとこね」椅子に掛けたドロシーが言う。
マイケルは頬が喜びに歪むのを感じる。打ち合う感覚を想像するだけで気分が高揚する。
発端は、基地のライブラリにあったボクシングのビデオだ。二世紀以上前に世界を沸かせた、伝説の世界ヘビー級タイトルマッチ。昨夜、それを観戦した。ドキュメンタリー仕立てで、試合展開に沿ってナレーションが流れた――
〈蝶のように舞う男〉は
ビデオに興奮したデレクは、酒の勢いでマイケルにスパーリングを持ち掛けていた。やろうぜ、マイケル!
これまでも軍のリングで数回やり合ったことがある。軍式ボクシングの
そして今日の手合わせとなった。
ボブがふらりと姿を見せた。近くの椅子に腰を下ろす。
「あんたも、やれば」ドロシーが挑発した。
「おれは、自分より弱い奴としか戦わないことにしてる」
「いいポリシーね」
「戦い方はいくらでもある。正面から行くだけが能じゃない。最後に立ってりゃいいのさ」
屋外へ通じるドアが開き、デレクがランニングから戻った。「ウォーミングアップOKだ」ニヤリと笑い、汗に濡れたシャツの胸で、マイケルが放ったグローブを受け取った。
「気合入ってるな」先にリングに上がったマイケルは、シューズを取り換えるデレクを待った。
「お二人さんとも、殴り合いたくてウズウズしてるじゃねえか。前に言っただろ、平和も大事だが、おれたちの躰はそういうふうにできてないって」ボブは苦い笑いを口元に浮かべた。
12オンスのグローブとヘッドギア を着けた三分五ラウンドマッチ。
ドロシーが腕時計を見て、ゴング代わりにホイッスルを吹いた。
シューズがマットを擦る感覚が心地いい。ワクワクする。マイケルは懐かしさに微笑む。デレクも同じだろう、唇が笑ってるじゃないか。
パンチが交錯する。手数はマイケルが多い。
ハードパンチャーのデレクは一発を狙ってくる――マイケルは手を読む。テクニックはおれが上だ。おれが〈蝶〉だ。
ロープ際に退いて誘ったマイケルに、デレクのストレートが伸びる。マイケルはクロスを合わせた。
狙いどおりのカウンターが顎を捉える。デレクはぐらつくが踏んばった。
そのとき、ピーッという奇妙な悲鳴が聞こえた。
いつ来たのか、屋外へ開いたままの出入口にポーレの姿があった。彼女が発した悲鳴だ。糸が切れた操り人形のように、その場に崩れた。
ドロシーがあわてて駆け寄った。
全身を痙攣させるポーレを見て、ドロシーは口にタオルを噛ませる。
ボクサーたちは打ち合いを中止した。
「いけない。これが
抗痙攣剤の筋肉注射でポーレの症状は寛解した。
「良かった、文献を読んでおいて。本当に症例に出くわすとは思わなかった」ドロシーは安堵の息をついた。
ベンチに寝かされたポーレは意識が戻り、ぼんやり天井を見上げている。
まもなく、マキルがすべて承知したように顔を見せた。
「こういうとき、気持が通じるって便利なものね。もう大丈夫よ」ドロシーはマキルに言った。「それで、繋がっている他の人たちは無事なの?」
「危険な感応が閾値を超えたので、ポーレの失神によって遮断されました。
「スパーリングも暴力なのか……」茫然と言うマイケルに、
「まあ、殴り合いには違いない」デレクは応じた。「続きはまた今度だ、マイケル」
デレクがカートをジムの出入口にまわした。ポーレとマキルを乗せ、家まで送っていった。
「世代を経るほど暴力への拒絶が強くなる。そうサマリーにあったけど、本当ね。練習でさえ〈争い〉を受け入れられないなんて……」
「おれたちは石器時代の野蛮人というわけだな」マイケルが言う。
「役に立たねえ奴らだ。お坊ちゃんとお嬢ちゃんばっかりじゃ、自分の家族も守れやしねえ」ボブはあきれたように首を振った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます