11 暴力


               *


 地球人オリジナルたちは、宇宙軍中尉のデレク以外も軍属で、エクササイズの励行は身についている。ロードワーク、ウエイトトレーニング、ストレッチ。メニューはそれぞれで、自己の体力維持に努める。その習慣は、帰属する軍がなくなっても変わらない。

 ジムのリングサイドでは、マイケルがボクシンググローブの状態をチェックしている。

ジムの備品で本革仕様だ。長期間の放置で少し硬いが、問題はない。

「アルファnine ミドル級選手権試合ってとこね」椅子に掛けたドロシーが言う。

 マイケルは頬が喜びに歪むのを感じる。打ち合う感覚を想像するだけで気分が高揚する。

 発端は、基地のライブラリにあったボクシングのビデオだ。二世紀以上前に世界を沸かせた、伝説の世界ヘビー級タイトルマッチ。昨夜、それを観戦した。ドキュメンタリー仕立てで、試合展開に沿ってナレーションが流れた――

 〈蝶のように舞う男〉ははねをたたみ、自らの華麗な舞いを封じた。巧みなディフェンスに徹し、〈象をも倒す男〉の豪打を受け流す。もっと強く打ってみろ。おまえはすげえ奴じゃなかったのか。クリンチした耳元で、挑発の言葉を〈蝶〉は投げる。強すぎる故に長いラウンド経験がない〈象をも倒す男〉は、やがて強振による疲労を滲ませる。僅かな隙がのぞいたとき、〈蝶〉は〈蜂〉に変貌した。針と化したパンチが突き刺さる。〈象をも倒す男〉は〈蝶のように舞い蜂のように刺す男〉に屈した。11対5の賭け率を覆され、KO負けを喫したのだ。

 ビデオに興奮したデレクは、酒の勢いでマイケルにスパーリングを持ち掛けていた。やろうぜ、マイケル!

 これまでも軍のリングで数回やり合ったことがある。軍式ボクシングの実戦派ウォーリアーデレクに対し、マイケルはハイスクール時代に州チャンピオンになった技巧派テクニシャンだ。

 そして今日の手合わせとなった。

 ボブがふらりと姿を見せた。近くの椅子に腰を下ろす。

「あんたも、やれば」ドロシーが挑発した。

「おれは、自分より弱い奴としか戦わないことにしてる」

「いいポリシーね」

「戦い方はいくらでもある。正面から行くだけが能じゃない。最後に立ってりゃいいのさ」

 屋外へ通じるドアが開き、デレクがランニングから戻った。「ウォーミングアップOKだ」ニヤリと笑い、汗に濡れたシャツの胸で、マイケルが放ったグローブを受け取った。

「気合入ってるな」先にリングに上がったマイケルは、シューズを取り換えるデレクを待った。

「お二人さんとも、殴り合いたくてウズウズしてるじゃねえか。前に言っただろ、平和も大事だが、おれたちの躰はそういうふうにできてないって」ボブは苦い笑いを口元に浮かべた。

 12オンスのグローブとヘッドギア を着けた三分五ラウンドマッチ。

 ドロシーが腕時計を見て、ゴング代わりにホイッスルを吹いた。

 シューズがマットを擦る感覚が心地いい。ワクワクする。マイケルは懐かしさに微笑む。デレクも同じだろう、唇が笑ってるじゃないか。

 パンチが交錯する。手数はマイケルが多い。

 ハードパンチャーのデレクは一発を狙ってくる――マイケルは手を読む。テクニックはおれが上だ。おれが〈蝶〉だ。

 ロープ際に退いて誘ったマイケルに、デレクのストレートが伸びる。マイケルはクロスを合わせた。

 狙いどおりのカウンターが顎を捉える。デレクはぐらつくが踏んばった。

 そのとき、ピーッという奇妙な悲鳴が聞こえた。

 いつ来たのか、屋外へ開いたままの出入口にポーレの姿があった。彼女が発した悲鳴だ。糸が切れた操り人形のように、その場に崩れた。

 ドロシーがあわてて駆け寄った。

 全身を痙攣させるポーレを見て、ドロシーは口にタオルを噛ませる。

 ボクサーたちは打ち合いを中止した。

「いけない。これが暴力過敏反応バイオレンスショック! 薬を取りに行く。このままで触らないで!」ドロシーはジムを飛び出していった。

 

 抗痙攣剤の筋肉注射でポーレの症状は寛解した。

「良かった、文献を読んでおいて。本当に症例に出くわすとは思わなかった」ドロシーは安堵の息をついた。

 ベンチに寝かされたポーレは意識が戻り、ぼんやり天井を見上げている。

 まもなく、マキルがすべて承知したように顔を見せた。

「こういうとき、気持が通じるって便利なものね。もう大丈夫よ」ドロシーはマキルに言った。「それで、他の人たちは無事なの?」

「危険な感応が閾値を超えたので、ポーレの失神によって遮断されました。共有意識ニルヴァーナへの伝播は微量で、他の者にダメージは及びません。まあ、何があったかくらいは感じますが」

「スパーリングも暴力なのか……」茫然と言うマイケルに、

「まあ、殴り合いには違いない」デレクは応じた。「続きはまた今度だ、マイケル」

 デレクがカートをジムの出入口にまわした。ポーレとマキルを乗せ、家まで送っていった。

「世代を経るほど暴力への拒絶が強くなる。そうサマリーにあったけど、本当ね。練習でさえ〈争い〉を受け入れられないなんて……」

「おれたちは石器時代の野蛮人というわけだな」マイケルが言う。

「役に立たねえ奴らだ。お坊ちゃんとお嬢ちゃんばっかりじゃ、自分の家族も守れやしねえ」ボブはあきれたように首を振った。

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